今日はさりとて特に特筆すべきもなく。
青い空を見ると、「秋なのに夏空だァな」なんて思っておりまして。
でも今日はサロンではクーラー入れなくて良かったですからね。気候は確実に秋になっているところです。
それと、実家の母親が「これ捨てるかね?」と懐かしいものを持ってきましたので。
ちょっと久々に袖を通してみました。それはこちら。
弓道着ですね。一応、私は大学で弓道やってまして。弐段までは取っております。
その道着が出てきましたが。
今着ると、ちょっと窮屈な感じがするので。あの頃はまだ痩せていたのだな、と思わせられます。
久々に手に「かけ」を付けてみたりしましたが。どうやって紐結んでいたっけ?みたいにかなりアヤシイ感じになってましたね。
まあ、でも、こういう服装をすると気持ちも引き締まるので。コスプレというのも意味あるんだろうな。と思うところです。
これでヒーリングとかはしませんのでご安心を。
しかし、お腹でてきているなぁ。
で、
今日もひたすら事務仕事なんですが。
全く外での活動をしないので運動もしないといけないなぁ、と毎日家にいると思ってしまいます。
さて、ガイドの話を少ししますが。
前回「自分の写鏡」的な話をしましたので、それに関連しまして。
スピリチュアルでは「ネガティブ」「ポジティブ」と分類して物事を判断している書物も多数ありますが。
基本的にそれすらも人の概念なんで。
仏教的な本をちょっと読むと、人のココロの持ち方のような話はあれど、そういう「存在」がどうのこうの。というのはあまり見かけない気がします。
いえ、確かにそういう話ありますけど、ネガティブな勢力が云々かんぬんとか。そこまでは無い感じ。
世の中は流れが変化しているのならそういうこともあって当然。
だから、ネガティブな意識をどうにかしようと思うこと自体がそこに囚われているとも言えないこともないと思いますので。
私はあまりそういうネガティブなとかポジティブな、とかそういうネタは「説明の時に使う」程度で。
ガイドも同じような感じで。ネガティブともポジティブとも取れる存在達が常に対で存在しているものだと思ってますよ。
「ポジティブな存在だけ がガイド」ということは無いと思います。
なぜなら、人にはその双方が存在しているのですからね。光と闇と、両方が循環して世界が成り立っているなら、人間の意識にもそういう対になる側面があって当然だと思いますので。
だから、「ネガティブな存在になんかやられた」というお話を聞くと、「それはネガティブなガイドに道を示されて、そのまま従ったからでは?」と私は思ってしまいます。
まあ、ネガティブという言葉自体がなんかいやではあるのですが。
仕事で言うと、シフトで夜の仕事を担当している人か、昼の仕事を担当している人か。それくらいの差だと思いますので。
自分のココロの中にある一側面、いわゆる夜のほうで変化をする時は、夜のシフトで働いているガイドさんが出てきて「ほら、こっちきな」と導いてくれているのだと思ってますので。
しかし、意識の中で「昼のシフトで働いている人がまともで。夜のシフトの人は何か問題を抱えている人かもしれない。」と偏見を持って見ていたとしたらどうでしょう?
「この人は夜のシフトの人だから、自分をどこか知らないところに連れて行く気かもしれない。」
とか疑ってかかりますよね。
そんな中で、階段から滑りこけたとしますと。
「騙された、この夜のシフトの人の言うことに従ってたら、階段で大コケしたじゃん。この人はやっぱり悪い人だ。」
と思ったりして。
でも、夜の人は夜の歩き方を心得ているので階段でも普通に歩いているけど、自分が昼間の世界しか知らず。夜の階段を知らないからすっ転んだのであって。
という感じに過ぎないんじゃないかな、と思うところ。
夜のシフトで働く人たちの考え方、行動を見れば昼のシフトの人と対して変わらないのに。
自分が「慣れてない」からその人達を、その人たちのおこなうことを偏見をもった眼で見てしまう。
ネガティブな存在に会ったとき程、自分の中にある「いままで目を向けて無かった事」「気づいて無かった事」が炙り出されて来るのだと思います。
それがあるから、自分の心が反応していた。
その部分を昼の明るい日差しの元に引っ張り出す必要があったから、そういうガイドが導いてくれた。
そう考えると、ネガティブな存在、というモノに対しても「嫌な」とか「怖い」とかそういう気にもならなくて済むかな、と思うところです。
「これもガイドの導きの一環か」なんて思えるようになると、自分の醜い部分を見てもそれほど動揺しなくなりますかね。
もちろん、経験なので。最初は思いっきり凹みますし。人のせいにしたくもなります。
「この、こいつのせいで!」とね。
でもそれを超えていくと、その先に見えてくるのは夜の世界も昼の世界も同じように歩けるようになった自分の姿です。
私がヘミシンク関係やその他のスピリチュアルな本でもそうですが。
ネガティブな存在とかそういう話が出てきたら、「へえ、この本書いて居る人にはそういう一側面があるんだな。」と思いながら読んでおりますので。
そういう話に関しては「広い範囲の人に同時期におなじように訪れる葛藤」でなくて。
「その人のその状態の内面世界の葛藤」でしかないのだと認識しております。
ガイドと会っての話もそうですね。
内容はその人のココロの側面が現れてますので。そういう視点でブログなどを読んで行くとおもしろいと思います。
私の初期なんてそういう内面世界の葛藤がそのまま対話として現れている気がしますね。
だから、ガイドと会って対話するのも意味があることではありますが。
いつも期待する答え。期待する方向に導いてもらえると思っていると、「夜のシフトの人」が出てきたりしますので。
その時は「あ、夜のシフトの人出てきた」と思っていると心構えができていいかと思います。
先に言っておきますが、私の見るガイド拝見は主に「昼のシフトの人」と接触してますが。
たまーに、夜のシフトの人も出てきますかね。
そういうガイドさん出てきたら、神社のおみくじで「大凶」引くくらいの運の良さを持っていると思われるといいかとおもいます。
何でも考え方次第。
そこに意識が囚われてしまうとせっかくの体験を全部見逃してしまいますからね。
全てが因縁であれば、ネガティブな存在が目の前に出てきたのも縁、であって。自分を構成する一要素なんだな、なんて思えれば。
みんな同じ仲間、ってことでいいんじゃないでしょうか。
自分がその意識にとらわれなければイイだけの事で。
たまにワークでも「ネガティブな存在とかそういうのについて」聞かれることがありますので。私の見解はこういう感じです。
人は、人に責任を押し付けると楽になります。
仕事で何のために「上司」がいるかというと、部下が仕事に集中出来るために、責任をとってくれるために居る。と私は思ってますが。
そうでない人も結構いますね。そういう会社はそういう仕事しかできませんが。
で、責任をとってくれるという、いわゆる「ハズレくじ」を引いてくれる存在もいてくれると人生の「生」の集中出来たりします。
ネガティブな存在と言われている人たちも、そうやって人が「生」を集中して生きれイケルために。人から「悪い事」に関して責任を押し付けられて、会社の上司のように「責任を押し付けられて当然」な感覚で過ごしているのかと思うと。
ちょっと優しくしてあげたくなりますね。
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違いますね。
僕は4年前に、17年振りに再挑戦して初段持ちです。
次は弐段をとりたいですが、環境が・・・・
そう、良い方と、悪い方に。
今の私も、その繰り返しです。
でも、結果が良ければそれでいいと思っています。
自治会の会長になって、まだ、半年にもならないのに、いろいろな事が起こります。
なんでー、という感じです。
でも、それも、ガイドさんが今の私に必要なことを与えてれることと思っています。
ま、考え方ひとつですね。
それでも、毎日、毎日、心は揺れ動いています。