今日は成人の日なんですね。私のような昭和の人間にとって、成人の日は、1月15日です。未だにこの制度に馴染めないでいますが。
私は成人式に行かなかった人間ですので、こういうセレモニーの良し悪しが良く分かりません。別に行かなくてもちゃんと生きていますし。
これって、小さい頃から地元で育って、小中高で同じ仲間がいて、とか言う人にとっては再会の場としていいのでしょうけど、私のような転勤族の子供はそういう再会を喜ぶと
いう習慣が無いものなんですよ。
なんと言っても、過去の友人とはもう会えないですからね。その人にとっても、私は過去の数年間一緒に過ごした友人、程度の認識ですしね。時間の流れとはそういうものです。
こういう生き方を「寂しい人だ」と思うのかどうかは、その人の生きている環境次第です。
だからといって、私に友人がいないわけではないですよ。大学時代の面子とは今会っても昔の関係でいられますから。
「一人寂しいやつのほうがヘミシンクが上達する。」と思われると困りますので、一応言っときます。
で、今日のヘミシンク。
ここのところ、ヘミシンクをする目的を見失っているような気がするので、モンローさんに会いに行く事にしました。
自分は、なんの為にいまヘミシンクをしているのかなあ、とたまに思う事があるんですよね。それと、なぜか今の時期、毎年テンションが下がることも弱気になっている原因でしょうか?
正月休み明けから働いていて、息切れするのがちょうどこの頃なんでしょうかね。
ちょっと気分転換もかねて、フォーカス27にあるモンローさんの隠れ家に行ってみます。
フォーカス27なので、ゴーイング・ホームの「帰還」後半10分くらいを聞いてみます。
で、妻が「なんで向こうで私を連れて行ってくれないのか」と以前から言うもので、一緒にモンローさんところに遊びに行く事にしました。私がこれをやり始めた時間(6:15頃)は寝ているから意識を誘い出すのには丁度いいでしょう。
フォーカス21あたりで妻と合流して、いざ隠れ家へ。
美しい花の咲く庭で、ナンシーさんとモンローさんの二人が出迎えてくれました。
妻はナンシーさんとハグなんかしていますが、私は握手でお二人に挨拶します。
このへんは、その人の習慣によるのかと思います。
で、妻とナンシーさんは植物の話で意気投合したようで、外の庭を散策に行ってしまいました。
私はモンローさんに誘われて、家の中に入ります。裏口から入ったので、キッチンを通って暖炉のあるリビングに行きます。
キッチンのテーブルには、何かの焼きたてパイと、ティーセットが置いてありましたが、今回はその横を通り過ぎまして、モンローさんとリビングのソファーに向かい合わせに座ります。そして、嬉しそうにモンローさんが高そうなブランデーらしきものをもって来ました。
「彼女らが戻ってくる前に、ちょっといただこうか。」と言ってニヤッと笑います。
それから、私達は二人でブランデー片手に対談することに。なんか贅沢ですね。
「なんか、最近、ヘミシンクをなんでやっているのか、ふと疑問に思うときがあるんですよね。」みたいな事を言うと、
何のためにやっているのか、などと考えるからいけないのだ。と言われ、
「心のままに、気が付いた事を探求する。そういう使い方をすればいい。」とも。
最近、レトリーバルがしたい、とか飢えのレベルに行きたい、とかいう目的が沸いてこない。という事を言うと、
「目的がないと、ヘミシンクができないのかい? ならば、日常生活を君は常に目的を持って生きているのかな? 君にとって、ヘミシンクはもう日常生活の一部となっている。いまさら目的を探す必要もないだろう。」と返されてしまいました。
そうですね、日常になりすぎているから、たまにこうやって考えてしまうのでしょうね。
専業主婦がふと「私はこのまま主婦だけの生活でいいのだろうか?」と思ったりするのと似ているのかもしれません。
ヘミシンクが特別な時は、やること自体が目的で常に新しい発見があり楽しかったですが、慣れてくると「次ぎ何やろうかなあ。」とか考えてしまいますからね。
なんでも、モチベーションを継続させていくのは難しいものです。
で、モンローさんとその後もいろいろ話していると、
「人は人の体験であり、君と違うのは当然。本を書いているような、メッセージ性の強い文章を書く人が体験記を書く。それは、他の人にとってはとてもインパクトのあるものとなるだろう。しかし、その分受け入れにくい人も存在する。
しかし、君の場合は柔軟で柔らかな文章だ。なので、さほどインパクトを人に与えるものでもない。しかし、すぐにその人に馴染んでしまう。
前者がノリ、君が水だと思ってもらうと良い。それを布の上に垂らしたらどうなる?ノリは染み込まないが、存在感はある。水はすぐに染み込んでしまうので、存在感は無い。しかし、布の広い範囲を潤す事ができる。ノリはその場所だけだ。
ゆるやかなもののほうが、広く受け入れられやすくなる。だから、私は君と接触しているんだよ。」
といわれてしまいました。まあ、私の体験はこういう要点の無いようなもので良いということなんでしょうね。ブログでも、「なんか凄い体験をしないとここに書けないのじゃないか?」とか考えずに、自分の思うこと、気が付いたことから何かを得て、それを書けばいいんですよね。
私はブランデーを一気に飲み干して(まったく味はわかりませんでしたが、瓶の形からいって、ブランデーだと思いました。)言いました、
「今日は、ここに来て、だいぶ楽になりました。」
すると、モンローさんはニコッと笑って、
「お役に立ててうれしいよ。」
とグラスを掲げながら言ってくれました。
しかし、1年前は、こうやってモンローさんと酒を酌み交わしながら対話をするなんて思いもしませんでしたけどね。
そうこうしていると、妻とナンシーさんが家に入ってきました。だいぶ長い事外で話していてみたいですね。
そして、私達はキッチンのテーブルに移動して、ナンシーさん手つくりのパイをご馳走になることに。今日はミートパイだそうです。
そして、お茶を飲みながら私達は雑談をしていました。
お二人の暖かい雰囲気が感じられて、とても心地よい空間です。なんとも贅沢な時間ですね。
そして、CDが終わりましたので私は先に帰る事に。仕事が待っていますからね。
「またおいで。」
モンローさんにそう言われながら、今日は戻ってきました。今思い出しても、あの良い感じの雰囲気が思い出されて、ハートのあたりがむずむずします。
CDの長さで言うと、こちらの世界では10分間の出来事なんですが、私にとっては数時間の体験と等しいものを得る事ができました。ヘミシンクって、やっぱり良いですね。
私は成人式に行かなかった人間ですので、こういうセレモニーの良し悪しが良く分かりません。別に行かなくてもちゃんと生きていますし。
これって、小さい頃から地元で育って、小中高で同じ仲間がいて、とか言う人にとっては再会の場としていいのでしょうけど、私のような転勤族の子供はそういう再会を喜ぶと
いう習慣が無いものなんですよ。
なんと言っても、過去の友人とはもう会えないですからね。その人にとっても、私は過去の数年間一緒に過ごした友人、程度の認識ですしね。時間の流れとはそういうものです。
こういう生き方を「寂しい人だ」と思うのかどうかは、その人の生きている環境次第です。
だからといって、私に友人がいないわけではないですよ。大学時代の面子とは今会っても昔の関係でいられますから。
「一人寂しいやつのほうがヘミシンクが上達する。」と思われると困りますので、一応言っときます。
で、今日のヘミシンク。
ここのところ、ヘミシンクをする目的を見失っているような気がするので、モンローさんに会いに行く事にしました。
自分は、なんの為にいまヘミシンクをしているのかなあ、とたまに思う事があるんですよね。それと、なぜか今の時期、毎年テンションが下がることも弱気になっている原因でしょうか?
正月休み明けから働いていて、息切れするのがちょうどこの頃なんでしょうかね。
ちょっと気分転換もかねて、フォーカス27にあるモンローさんの隠れ家に行ってみます。
フォーカス27なので、ゴーイング・ホームの「帰還」後半10分くらいを聞いてみます。
で、妻が「なんで向こうで私を連れて行ってくれないのか」と以前から言うもので、一緒にモンローさんところに遊びに行く事にしました。私がこれをやり始めた時間(6:15頃)は寝ているから意識を誘い出すのには丁度いいでしょう。
フォーカス21あたりで妻と合流して、いざ隠れ家へ。
美しい花の咲く庭で、ナンシーさんとモンローさんの二人が出迎えてくれました。
妻はナンシーさんとハグなんかしていますが、私は握手でお二人に挨拶します。
このへんは、その人の習慣によるのかと思います。
で、妻とナンシーさんは植物の話で意気投合したようで、外の庭を散策に行ってしまいました。
私はモンローさんに誘われて、家の中に入ります。裏口から入ったので、キッチンを通って暖炉のあるリビングに行きます。
キッチンのテーブルには、何かの焼きたてパイと、ティーセットが置いてありましたが、今回はその横を通り過ぎまして、モンローさんとリビングのソファーに向かい合わせに座ります。そして、嬉しそうにモンローさんが高そうなブランデーらしきものをもって来ました。
「彼女らが戻ってくる前に、ちょっといただこうか。」と言ってニヤッと笑います。
それから、私達は二人でブランデー片手に対談することに。なんか贅沢ですね。
「なんか、最近、ヘミシンクをなんでやっているのか、ふと疑問に思うときがあるんですよね。」みたいな事を言うと、
何のためにやっているのか、などと考えるからいけないのだ。と言われ、
「心のままに、気が付いた事を探求する。そういう使い方をすればいい。」とも。
最近、レトリーバルがしたい、とか飢えのレベルに行きたい、とかいう目的が沸いてこない。という事を言うと、
「目的がないと、ヘミシンクができないのかい? ならば、日常生活を君は常に目的を持って生きているのかな? 君にとって、ヘミシンクはもう日常生活の一部となっている。いまさら目的を探す必要もないだろう。」と返されてしまいました。
そうですね、日常になりすぎているから、たまにこうやって考えてしまうのでしょうね。
専業主婦がふと「私はこのまま主婦だけの生活でいいのだろうか?」と思ったりするのと似ているのかもしれません。
ヘミシンクが特別な時は、やること自体が目的で常に新しい発見があり楽しかったですが、慣れてくると「次ぎ何やろうかなあ。」とか考えてしまいますからね。
なんでも、モチベーションを継続させていくのは難しいものです。
で、モンローさんとその後もいろいろ話していると、
「人は人の体験であり、君と違うのは当然。本を書いているような、メッセージ性の強い文章を書く人が体験記を書く。それは、他の人にとってはとてもインパクトのあるものとなるだろう。しかし、その分受け入れにくい人も存在する。
しかし、君の場合は柔軟で柔らかな文章だ。なので、さほどインパクトを人に与えるものでもない。しかし、すぐにその人に馴染んでしまう。
前者がノリ、君が水だと思ってもらうと良い。それを布の上に垂らしたらどうなる?ノリは染み込まないが、存在感はある。水はすぐに染み込んでしまうので、存在感は無い。しかし、布の広い範囲を潤す事ができる。ノリはその場所だけだ。
ゆるやかなもののほうが、広く受け入れられやすくなる。だから、私は君と接触しているんだよ。」
といわれてしまいました。まあ、私の体験はこういう要点の無いようなもので良いということなんでしょうね。ブログでも、「なんか凄い体験をしないとここに書けないのじゃないか?」とか考えずに、自分の思うこと、気が付いたことから何かを得て、それを書けばいいんですよね。
私はブランデーを一気に飲み干して(まったく味はわかりませんでしたが、瓶の形からいって、ブランデーだと思いました。)言いました、
「今日は、ここに来て、だいぶ楽になりました。」
すると、モンローさんはニコッと笑って、
「お役に立ててうれしいよ。」
とグラスを掲げながら言ってくれました。
しかし、1年前は、こうやってモンローさんと酒を酌み交わしながら対話をするなんて思いもしませんでしたけどね。
そうこうしていると、妻とナンシーさんが家に入ってきました。だいぶ長い事外で話していてみたいですね。
そして、私達はキッチンのテーブルに移動して、ナンシーさん手つくりのパイをご馳走になることに。今日はミートパイだそうです。
そして、お茶を飲みながら私達は雑談をしていました。
お二人の暖かい雰囲気が感じられて、とても心地よい空間です。なんとも贅沢な時間ですね。
そして、CDが終わりましたので私は先に帰る事に。仕事が待っていますからね。
「またおいで。」
モンローさんにそう言われながら、今日は戻ってきました。今思い出しても、あの良い感じの雰囲気が思い出されて、ハートのあたりがむずむずします。
CDの長さで言うと、こちらの世界では10分間の出来事なんですが、私にとっては数時間の体験と等しいものを得る事ができました。ヘミシンクって、やっぱり良いですね。
ヘミシンクによる体験は、人、色々だとこの頃実感するようになりましたが、ただすごい体験ばかりを読んでもあまりにギャップが多すぎると今度は逆に読者と書く方とのギャップが広がりすぎてしまいコネクションが切れてしまうような感じもしないわけでもありません。だから、まるさんのスタイルは、C1にしっかり足がついていてその上のヘミシンクと言う感じですから、元気出してください。何気ないような生活の中から何かを感じること、それを学ぶ道具の一つがヘミシンクと、まるさんのブログで学びましたからね!
マルさんのホワ~ンとした文章が好きです。わかりやすさと親しみを感じます。適度にゆるゆる(失礼!)したところが大好きなんですヨ。
それはやはり人間として向上心があるからなのでは?無い人はそこで安住して疑問を持たなくなると思うんですが、何かを達成したと思った途端、目標を失うと精神や感情が平易になってしまうため、次に自分を駆り立てるバネというか、生き甲斐になるようなものが欲しくなる。ということはよくあることかも知れませんが、、でも、私からすると羨ましい状況に常にいるのに・・・・。
あと、まるさんのヘミシンク体験のよさは明るくて楽しいところと、大上段にたって大儀を言う感じでなく、サラっと人間の内奥に触れるよなことも実は鋭く語っているところですよね。人間ですから波があって当然なので、また高揚してくると思いますので、その波に乗ってください。
少し、疑問に思ったのですが、今回のように奥様と二人で何らかの体験をした場合、お互いにその時の経験を覚えているものなのでしょうか?
こちらに戻ってきてから、奥様とその時のことについて語り合ったりしますか?
もし良かったろ教えて頂けると幸いです。
一時的な落ち込み感も今日はなくなりましたので、今後は、変な事にも興味をもって、ばりばりしますよ。ありがとうございます。
でも、人間ですから、波長の下がるときもありますね。
ゆるさを気に入っていただき、ありがとうございます。
フォーカス100以上に行ったあとも、本を書いたあとも。ブログに書くと、なんだか暗い感じになりそうなので、今まで書いておりませんでしたが。
まあ、こういう気分の時でも、ヘミシンクは有用という事を書いてみようかとも思って、今回はあえて弱気なものを書いてみましたが。
思いのほか心配していただいて、ありがたい限りです。
もうモンローさんと会った事で、リズムは元にもどりましたよ。
大抵は、妻が断片的に覚えているかなあ、程度ですが。
今回の件では、妻は「なんだか気持ちいい感じがした。」「何か食べ物が出てきた気がした。」という感じの夢を見ていたようです。
最近、妻が寝ている間に私の探索に勝手についてくるようになったみたいです。
なので、夢の断片が、微妙に合致してきたりするんですよね。
夢の世界もフォーカス世界も同じですからね。
私は毎年、1月17日前後に色々起こります。内面的で個人的体験が多いのですが、もしかすると、この時期は、エネルギー的に何か節目なのかな・・・?と、勝手に思っていましたが。
神戸の震災もこの日でしたね。
やはり、何かのエネルギー的な節目なのかもしれませんね。今度彼にでも聞いてみないといけませんね。