新緑も眩しく、すっかり桜並木も緑の色に染まっています。
クヌギとか、どんぐりの類も新緑を出していて、通勤途中にある原生林は。秋とは違う生き生きとした美しさにあふれています。
最近は気候の変化も大きいので朝霧がかかっていたりして。「まるで屋久島みたいだなあ」と感じるところ。
一般人立ち入り禁止なので、旧林野庁(今なんでしたっけ?)からの入山許可書が必要な山です。なので、普通の人は川(というか渓谷?)を挟んで眺める感じ。
毎朝見るたびに、いいエネルギー頂いてます。
今日は風邪もすっかり良くなりまして。多少咳が残っているくらい。
昨日は寝るときなどに「咳の出る原因」を喉と対話しておりました。
「何それ?」と思うかもしれませんが、咳というのは体の不調をしめしてます。その原因が心因性の場合も多いわけでして。もちろん咳止め飲めば収まりますが、ここはヘミシンクやってそういう世界に足を踏み込んだ人間としては「肉体との対話によるレトリーバル」
を実行することに。
まあ、難しいことは何もなく、ただ痛い喉に対して「なんでそうも咳を出さないといけないのか?」と聞いていくだけです。これは普通の意識状態でも出来ます。
慣れていないうちは、紙とペンを持ってそこでの内容を書き込んでいって、あとで読み返せばいいのですから。
その中に何かのヒントが隠れています。何を書いてもいいのです。喉の痛みの原因が、「ダークサイドに引き込もうとする父親の策略」とか「小人が300人くらい詰まっている」とか突拍子もないことでも、とりあえず書いておくとそこになんらかのつながりを見つけられますので。
その中で、「どうも自分の自我がでてるなあ」と思うところにチェックを入れて、自我とそうでないものを自分で分けてみる作業。それを繰り返すと、だんだんと自分の何かとの対話が可能になってきます。
私は頭の対話に慣れているので、そのままの状態でどんどん進めていきますが。
で、その内容はやはり話をする時に自分に制限をかけているという感じのことに行き着きました。
普通の方と話す際、私はどうしても物の見方が妙なので、一般的な方と日常会話をするのが苦手でして。私の普通の感覚で話すとどうしてもズレていくのですよね。「あ、しまった、話題外してる。」って感じで。
そこで、「自分が話すと、どうも場が盛り下がるなあ。」と思って聞き役に回ることが多いのですが。特に初対面の場合。
今回はそういうところを手厳しく指摘されまして。
「そんな事考えているから話しがつながらないのだ」と『喉』からおこられました。
気持ちは重要、ということで、人との日常会話の場合は引け目を持たずに、ということですね。
意外と、これ難しいですけどね。やはり、初対面の人に「悪く思われないようにしよう」と思うから引け目を感じてしまうわけで。
そのあたりの意識を、自分でレトリーバルなんぞしておりました。
まあ、一回や2回やったところでいきなりそういう人間になれるわけではありませんが、その後に咳はだいぶ収まりました。
また、何かの機会にこれやらないといけませんね。
咳をただの風邪の症状と思わずに、何かの声だと思うと、病ともまた仲良くできる可能性はありますね。自分の体ですからね、末永く仲良くしていきたいものです。
ちなみに、ヘミシンクやっているかた、スピリチュアル系の方と話す時はなんの迷いもないですけどね。私の妙な見方が普通の世界ですので(笑)。
私の小さい頃から、昔からある課題は「日常会話を普通にこなす」ことなんですよね。
未だに、それを学んでいるところです。一生のテーマかもしれませんね。
さて、最近レトリーバル系でいうと、中国の地震がありましたが。
その際の私の話もちょっと書いておきます。
最近はこれも普通の出来事になってしまったので、あえてブログで書くほどでもなくなってきましたが。
最初、ラジオで仕事中に第一報を聞いたときは死者500人くらいというお話しでしたが。
ちょっとレトリーバルしに行く前に、一回様子見にいってみたらかなりの惨状に見受けられました「こりゃあ、2000人規模でしょう」と思った次第。
その後の報道で、やはり亡くなった方の数は増えてしまいましたが。こういうのは見間違いとかで外れてほしいところなんですけどね。
で、最近私は生きている人が発見されやすくなるようにする、事をメインにやっております。
もう亡くなったかたは、早かれ遅かれフォーカス27に行くわけですし。ひどい言い方をすれば、「ほうっておいてもそれ以上ひどくなることは無い」わけですし。2,3日以内ならば、こっちは後でも出来ますから。
それよりも生きているかたが助かる方が先です。こちらは一刻を争いますからね。
で、私のやり方は、生き埋めになっている方が居そうなところに目印を立てていくやりかた。
それで、救助に来た人がその目印を「感じる」ことができるようにと思いまして。
目印、といっても非物質的なので、私達で言うと「そこに何かある気がする」というキッカケになるための目印です。
そうやって、生きている方にはエネルギーを送り、目印を立てたりして、そういう事をしたりしてます。
「レトリーバル、やりかた分からんけどなあ。」と言う方は、せめて生きている方が発見されやすくなるように、イメージをしていただければと思います。
多くの方がイメージを送る事で、それが一つの場を作り、発見されやすい雰囲気をそこに作り出しますので。
レトリーバルで活躍されているかたも多くいらっしゃいますので、そういう方に「スムーズに仕事が運びますように」とイメージ送るだけでもいいと思います。
ちょっとした気持ちを送るだけで、それだけでその活動の助けになるものですから。
「自分にできない」ではなくて、「自分にもできること」からはじめると意外とヘミシンク体験も進むものですよ。
さて、一応本の紹介もしとかないと忘れられそうなので。

まるの日流あの世の過ごし方、的なものですね。あまりめんどくさい事は書いておりませんので、さらっと読んでいただければと思います。
5月の中旬~ くらいに本屋にならぶと思いますが、まだアマゾンには予約でてないですね。
クヌギとか、どんぐりの類も新緑を出していて、通勤途中にある原生林は。秋とは違う生き生きとした美しさにあふれています。
最近は気候の変化も大きいので朝霧がかかっていたりして。「まるで屋久島みたいだなあ」と感じるところ。
一般人立ち入り禁止なので、旧林野庁(今なんでしたっけ?)からの入山許可書が必要な山です。なので、普通の人は川(というか渓谷?)を挟んで眺める感じ。
毎朝見るたびに、いいエネルギー頂いてます。
今日は風邪もすっかり良くなりまして。多少咳が残っているくらい。
昨日は寝るときなどに「咳の出る原因」を喉と対話しておりました。
「何それ?」と思うかもしれませんが、咳というのは体の不調をしめしてます。その原因が心因性の場合も多いわけでして。もちろん咳止め飲めば収まりますが、ここはヘミシンクやってそういう世界に足を踏み込んだ人間としては「肉体との対話によるレトリーバル」
を実行することに。
まあ、難しいことは何もなく、ただ痛い喉に対して「なんでそうも咳を出さないといけないのか?」と聞いていくだけです。これは普通の意識状態でも出来ます。
慣れていないうちは、紙とペンを持ってそこでの内容を書き込んでいって、あとで読み返せばいいのですから。
その中に何かのヒントが隠れています。何を書いてもいいのです。喉の痛みの原因が、「ダークサイドに引き込もうとする父親の策略」とか「小人が300人くらい詰まっている」とか突拍子もないことでも、とりあえず書いておくとそこになんらかのつながりを見つけられますので。
その中で、「どうも自分の自我がでてるなあ」と思うところにチェックを入れて、自我とそうでないものを自分で分けてみる作業。それを繰り返すと、だんだんと自分の何かとの対話が可能になってきます。
私は頭の対話に慣れているので、そのままの状態でどんどん進めていきますが。
で、その内容はやはり話をする時に自分に制限をかけているという感じのことに行き着きました。
普通の方と話す際、私はどうしても物の見方が妙なので、一般的な方と日常会話をするのが苦手でして。私の普通の感覚で話すとどうしてもズレていくのですよね。「あ、しまった、話題外してる。」って感じで。
そこで、「自分が話すと、どうも場が盛り下がるなあ。」と思って聞き役に回ることが多いのですが。特に初対面の場合。
今回はそういうところを手厳しく指摘されまして。
「そんな事考えているから話しがつながらないのだ」と『喉』からおこられました。
気持ちは重要、ということで、人との日常会話の場合は引け目を持たずに、ということですね。
意外と、これ難しいですけどね。やはり、初対面の人に「悪く思われないようにしよう」と思うから引け目を感じてしまうわけで。
そのあたりの意識を、自分でレトリーバルなんぞしておりました。
まあ、一回や2回やったところでいきなりそういう人間になれるわけではありませんが、その後に咳はだいぶ収まりました。
また、何かの機会にこれやらないといけませんね。
咳をただの風邪の症状と思わずに、何かの声だと思うと、病ともまた仲良くできる可能性はありますね。自分の体ですからね、末永く仲良くしていきたいものです。
ちなみに、ヘミシンクやっているかた、スピリチュアル系の方と話す時はなんの迷いもないですけどね。私の妙な見方が普通の世界ですので(笑)。
私の小さい頃から、昔からある課題は「日常会話を普通にこなす」ことなんですよね。
未だに、それを学んでいるところです。一生のテーマかもしれませんね。
さて、最近レトリーバル系でいうと、中国の地震がありましたが。
その際の私の話もちょっと書いておきます。
最近はこれも普通の出来事になってしまったので、あえてブログで書くほどでもなくなってきましたが。
最初、ラジオで仕事中に第一報を聞いたときは死者500人くらいというお話しでしたが。
ちょっとレトリーバルしに行く前に、一回様子見にいってみたらかなりの惨状に見受けられました「こりゃあ、2000人規模でしょう」と思った次第。
その後の報道で、やはり亡くなった方の数は増えてしまいましたが。こういうのは見間違いとかで外れてほしいところなんですけどね。
で、最近私は生きている人が発見されやすくなるようにする、事をメインにやっております。
もう亡くなったかたは、早かれ遅かれフォーカス27に行くわけですし。ひどい言い方をすれば、「ほうっておいてもそれ以上ひどくなることは無い」わけですし。2,3日以内ならば、こっちは後でも出来ますから。
それよりも生きているかたが助かる方が先です。こちらは一刻を争いますからね。
で、私のやり方は、生き埋めになっている方が居そうなところに目印を立てていくやりかた。
それで、救助に来た人がその目印を「感じる」ことができるようにと思いまして。
目印、といっても非物質的なので、私達で言うと「そこに何かある気がする」というキッカケになるための目印です。
そうやって、生きている方にはエネルギーを送り、目印を立てたりして、そういう事をしたりしてます。
「レトリーバル、やりかた分からんけどなあ。」と言う方は、せめて生きている方が発見されやすくなるように、イメージをしていただければと思います。
多くの方がイメージを送る事で、それが一つの場を作り、発見されやすい雰囲気をそこに作り出しますので。
レトリーバルで活躍されているかたも多くいらっしゃいますので、そういう方に「スムーズに仕事が運びますように」とイメージ送るだけでもいいと思います。
ちょっとした気持ちを送るだけで、それだけでその活動の助けになるものですから。
「自分にできない」ではなくて、「自分にもできること」からはじめると意外とヘミシンク体験も進むものですよ。
さて、一応本の紹介もしとかないと忘れられそうなので。

まるの日流あの世の過ごし方、的なものですね。あまりめんどくさい事は書いておりませんので、さらっと読んでいただければと思います。
5月の中旬~ くらいに本屋にならぶと思いますが、まだアマゾンには予約でてないですね。
生きている方を救出する、方法もあるんですね。
こんど、このレトリーバルをやってみますね。
まるの日さん、本注文しますよ。
http://ameblo.jp/putty-co/archive3-200912.html#main
が、出てきたイメージがうまく解釈できず^^;
結局本番は今までにない出来で歌えたのですが、しばらくはまともな会話が出来ないくらいの状態が続いていたのです。
まるの日さんは、ちゃんと消化できていてすごいですね!
レトリーバルも最近試みています。(まだまだ何も出来ていませんが・・)
イメージするだけでも効果があるんですね。やってみます^^
私の場合、その何気ない会話、というのが苦手ですねぇ。つい聞く側メインになってしまうもので。
でも、これでも以前よりましになってますので、これもへミシンンく効果かな、とは思っています。
自分のいやな感情が出た場合、それを光でくるんで、上に昇華させるようなイメージ、とか過去生を見てから、その過去生をレトリーバるするのがいいですね。
まあ、人それぞれ、得意不得意はありますもので。
でも今ここにいるのは意味がありますからね。その意味を見つけながら生きるのもまた楽しみかと。