今、朝6時ですが(会社でブログ書くのはこの時間帯が多いです。)、嵐です。
今日は夏祭り。これじゃあお客さん(といっても従業員家族向けのイベントですけどね)、来ないって。
という気分です。
社員だけなら、結構めちゃめちゃでもなんとかなりますけどね。家族がいる場合はそう適当な事もできませんし。
で、今日のヘミシンク
とりあえず、適当にipodをいじっているとフォーカス27の音(ゴーイングホーム)が流れてきました。そういえば、久々だな、と思いつつ聞いてみると意識がレセプションセンターに向かいました。
その広場を眺めながら歩いていると、隣にルリカさんが来ました。そして、中にある一つの部屋に案内してくれます。
そこは真っ白い空間。というか、白い光で輝く礼拝堂のような場所です。
奥には巨大な十字架。細かい細工のあるクリスタルのように輝く窓ガラス。クリスタルで作ったようなステンドグラスが天井や壁にあり、全体が白く輝く空間です。
美しいのですが、少し違和感が。
「なんで、私はこういうキリスト教的なイメージが多いのか?」という感じで。
すると、ルリカさんが、私の過去生にキリスト教というのが結構なキーワードになっているそうです。今の生でキリスト教に興味がないのは、その必要が無いからだとか。
そんなもんなんでしょうね。
でも、潜在的に無意識の領域ではキリスト教的なイメージが深く存在しているのでしょうかね?ガイドも天使系を結構見てますし。
こうやって、人は今の自分以外のところからの影響も多く受けながら生きているのでしょうね。
そして、その礼拝堂にはシスターが何人かいて、そこで祈りをささげています。
で、その中の一人と接触することができたので、話を聞くことに。この人、有名人だよな。と思いつつも普通に話します。
すると、外の芝生広場のようなところに案内されました。歩きながら話しましょう、という事で。
「キリスト教てきな愛の導き方は、偏ってないですか?」と私が聞くと、
「愛の導き方、という考え方が偏っていますね。」と切り替えされてしまいました。
その方が言うには、愛というのは常にそこにあるモノで、そこに導くとか気付かせるとかそういう事ではないのだとか。
常にそこにある、愛は本来平等に降り注ぎ、陰る事は無い。
でも、それが陰ったと感じている人が世の中に存在する。
「そういう場合に、愛にむかってその人を導くのではなくて、私達はその人のところに愛を導くのですよ。」
そう言って、シスターは微笑みました。
愛を導くこと。それにより、自分には愛が来ていないと思う人々を愛で包み込み、ゆっくりと感じてもらうのだそうです。
「人にはそれぞれに合った時間が流れています。私達の都合で人を導こうなどと考えたりすると、それは愛ではなくなってしまいますよね。自分の時間に人を縛る事になります。
それが必要な場合もありますが、それぞれにある時間を大切に使って愛を感じてもらうようにしたいものですね。人の時間と比べる必要もありません。
愛の本質というものを気にする必要もありません。そこにある愛をただ、感じていればいいのですよ。」
とシスターは言いました。なんだか、下手な高次の存在よりも良いこと言われますね。やはり、人間としてこの世で生を受けたかたの言う言葉のほうが、私達にはしっくり来るのかもしれませんね。
その後も少しお話をして、また会えますか?と聞くと、「あなたが望めばいつでも。」
と言われました。
なんだか愛にあふれた方でしたね。一つの思考に捕らわれていない、自由な感じを受けました。
人間、こうありたいものです。
今日は夜遅くまで祭りなので、ブログもこんな感じでかなりな手抜きになってますが、明日からそろそろ探索に入ろうかな、と思っています。
ま、日食ウイークはC1で忙しかったので、ちょうど探索も休憩、という感じでしたね。
これも仕組まれた事なのか?
今日は夏祭り。これじゃあお客さん(といっても従業員家族向けのイベントですけどね)、来ないって。
という気分です。
社員だけなら、結構めちゃめちゃでもなんとかなりますけどね。家族がいる場合はそう適当な事もできませんし。
で、今日のヘミシンク
とりあえず、適当にipodをいじっているとフォーカス27の音(ゴーイングホーム)が流れてきました。そういえば、久々だな、と思いつつ聞いてみると意識がレセプションセンターに向かいました。
その広場を眺めながら歩いていると、隣にルリカさんが来ました。そして、中にある一つの部屋に案内してくれます。
そこは真っ白い空間。というか、白い光で輝く礼拝堂のような場所です。
奥には巨大な十字架。細かい細工のあるクリスタルのように輝く窓ガラス。クリスタルで作ったようなステンドグラスが天井や壁にあり、全体が白く輝く空間です。
美しいのですが、少し違和感が。
「なんで、私はこういうキリスト教的なイメージが多いのか?」という感じで。
すると、ルリカさんが、私の過去生にキリスト教というのが結構なキーワードになっているそうです。今の生でキリスト教に興味がないのは、その必要が無いからだとか。
そんなもんなんでしょうね。
でも、潜在的に無意識の領域ではキリスト教的なイメージが深く存在しているのでしょうかね?ガイドも天使系を結構見てますし。
こうやって、人は今の自分以外のところからの影響も多く受けながら生きているのでしょうね。
そして、その礼拝堂にはシスターが何人かいて、そこで祈りをささげています。
で、その中の一人と接触することができたので、話を聞くことに。この人、有名人だよな。と思いつつも普通に話します。
すると、外の芝生広場のようなところに案内されました。歩きながら話しましょう、という事で。
「キリスト教てきな愛の導き方は、偏ってないですか?」と私が聞くと、
「愛の導き方、という考え方が偏っていますね。」と切り替えされてしまいました。
その方が言うには、愛というのは常にそこにあるモノで、そこに導くとか気付かせるとかそういう事ではないのだとか。
常にそこにある、愛は本来平等に降り注ぎ、陰る事は無い。
でも、それが陰ったと感じている人が世の中に存在する。
「そういう場合に、愛にむかってその人を導くのではなくて、私達はその人のところに愛を導くのですよ。」
そう言って、シスターは微笑みました。
愛を導くこと。それにより、自分には愛が来ていないと思う人々を愛で包み込み、ゆっくりと感じてもらうのだそうです。
「人にはそれぞれに合った時間が流れています。私達の都合で人を導こうなどと考えたりすると、それは愛ではなくなってしまいますよね。自分の時間に人を縛る事になります。
それが必要な場合もありますが、それぞれにある時間を大切に使って愛を感じてもらうようにしたいものですね。人の時間と比べる必要もありません。
愛の本質というものを気にする必要もありません。そこにある愛をただ、感じていればいいのですよ。」
とシスターは言いました。なんだか、下手な高次の存在よりも良いこと言われますね。やはり、人間としてこの世で生を受けたかたの言う言葉のほうが、私達にはしっくり来るのかもしれませんね。
その後も少しお話をして、また会えますか?と聞くと、「あなたが望めばいつでも。」
と言われました。
なんだか愛にあふれた方でしたね。一つの思考に捕らわれていない、自由な感じを受けました。
人間、こうありたいものです。
今日は夜遅くまで祭りなので、ブログもこんな感じでかなりな手抜きになってますが、明日からそろそろ探索に入ろうかな、と思っています。
ま、日食ウイークはC1で忙しかったので、ちょうど探索も休憩、という感じでしたね。
これも仕組まれた事なのか?
ところで、よく色んなスピ系で出てくるのが「愛」と言う言葉ですが、正直、私にはそれがピンときません。言葉でいくらいわれても何が愛・・何をして愛・・というのだろう?感じるといわれても、どういう風に感じるのが愛なのだろう?などと思ってしまいます。
定義なんかあるわけじゃないとは思いますが、スピ系の話しはどれもかなり抽象的、独善的に響いてしまうのです。しかしルリカさんとかの言葉を聞いているとかなり面白くて興味深く、「愛・・・」とか言うよりも説得力あります。
しかし、、そのそこにある「愛」っていったいどこにあるのでしょうか・・・?
ちょと斜めな嫌な質問かもしれませんけど、、いつも思ってしまうのです。
ただ、それぞれの人に合った時間を大切に使って愛を感じてもらうというのは難しそうですね。
要は、自分の都合でなく、相手に合わせて相手のことを考えて思いやりを持って接するということでしょうか?
オープニングザハート聴いてますが、愛を感じたときを思い出せって言われても、それっていつを思い出せばいいんだよ・・・っていつも悩んでしまいます。
お祭りいかがでしたか?
けっこう降っていたので心配です(*_*)
ただいま1週間くらいのブログをさかのぼって全部読んできました。
シスターさんいいこと言ってますね。
2冊目の出るのを楽しみにしております。
そこにある愛をただ感じればいいのです。
すごい!!
まだ一回目のゲラチェックが終わったくらいですしね。
愛。これは私も聞かれても答えにくいところですね。
「無条件の愛」、でも「条件付の愛」、でも愛と名のつくものは全部「愛」だと思っていいのかな、と思います。
私も3年前までは「愛なんで、ケッツ!」という思考でしたが、今は「愛とは世の中を動かす基本のエネルギーの事」という風に思えるようになりました。
愛を既成概念で考えずに、愛もお金や電気と同じ、エネルギーの一種、と捕らえているといいと思います。
エネルギーですから、いろんな見え方しますよね。
こればっかりは経験が必要です。
まあ、ぼちぼち成功、みたいな感じでしょうかね?
私はエネルギーの一つの形で、世界を構成している基本的な要素なのかな、と思っています。
って、そう言うほうがややこしいですかね。
久々に高次のメッセージを聞いた気がしましたね。