なんだか、ゆっくり休むと翌日会社に行きたくなくなる今日この頃。
もう一日くらいゆっくりしたいものですね。まあ、今週は水曜日も休みいれているので、今月は結構ゆっくりしているはずなのですがこの疲労感は何?と思いますね。
とりあえず仕事で忙しいのは精神的にもマシなのですが、先週の無料奉仕Dayが響いたのでしょう。
やらされている感のあるものは、大変疲れますから。
良く言われるように「これをやらねばならない!」と気持ちを切り替えて、ポジティブに行くといいですよ。とありますが、それも最初のうちはいいのですが、何度も繰り返されると人間は疲弊してくるものですよね。
どのように、ネガティブな感情とお付き合いするか、まずはこのあたりから始めるほうが、後々ポジティブに移行できるのではないかと。
「ネガティブ=悪い」 ではなくて 「まあ、そういう気持ちもいいもんだよね。」くらいに思っていたほうが無理が無くていいですね。
そういう感情に蓋をしていくと、いずれは何らかの形で噴出しますから。
昨日は薪ストーブをつけますと言う話書いておきながら、あの後気温がそれほど下がらなかったので、まだ火をいれていなかったりします。
世の中、思った通りにはならないものですね。
さて、今日のヘミシンク
朝からヘミシンク問答をGHさんとやっておりましたが、これは本のネタですので、ちょっとここには書きませんで。
なぜかというと、まだ私の中で整理できていないのと、15分以上ICレコーダーに記録されているので、文章家するとトンでもない長さになりそうですし。
まあ、いずれ日の目を見ると思います。
そこで、ちょっと考察的事項を。
私が「愛の光」「創造の源」などと呼んでいるところがありますが、あれは強い光にしか見えません。
「なんでなんかなぁ?」とたまに思ったりしますが。
その人の持つ宗教感に当てはめて、神でも女神でも、そういう姿で見えても問題ないんじゃ?と思いますし。
それとも、モンローさん、モーエンさんの影響なんかなあ、と思ったりもします。
基本的に、高次の存在は光を伴っています。これはなぜか?
宗教的な縛り?光=善だから?
でもどの宗教でも高次の方々は光ってますよね。
私が思うに、莫大な情報量を受けた時に、それを処理しきれず私達は『光』に見えるのではないのかと、勝手に予想しています。
そして、あふれる情報に自分が認められるがゆえに、愛と心地よい感触を味わうのではないかと。
たとえ話。
一地域で、一つの思考に満たされている集落で、近いものとしか接触していない人が居ます。その方はその集落の思考、知識、人間関係は抜群に秀でています。その地域のリーダー的存在です。地域で力も持っており、裕福です。
一方、世界中をぶらぶらして生活してる人が居ます。
あらゆる世界を歩き回り、見て聞いて、そして旅を続けています。その方は特に特技も何もなく、はっきり行って貧乏です。
この二人、あなたはどちらのほうが友達になれそうな気がします?
私は、なんとなく「後者かなあ、」と思います。
なんででしょうね?
先の方は、なんとなく拒絶されそうなイメージとか、固定した思考で語られそうなイメージをもってしまいそうです。
しかし、後者の場合は話聞くだけでも面白そうで、思考が開けている感じを受けます。
私達は、なんのかんの言いつつも、やはり人に認められ、受け入れられたいものです。
それが両親であったり友人関係であったり。社会であったりいろいろですが。
そして、情報が多くある人のほうが自分を受け入れてくれそうな感じがします。
世界中の旅の知識を持ち、あらゆる空気を吸ってきた人にはその人が得てきた膨大な情報があります。
もちろん、地域密着型のかたも、その地域に対しての知識は膨大です。
しかし、その地域に居る方にとって必要な知識は、意外と他の地域から見てみるとあまり必要でない場合も多数あります。
その人にとって必要な知識を多く持つ人と対話すると、自分が開けている感じがする。受け入れられている感じがする。
もりけんさんや佐野さんと東京で対話した時に感じた「受け入れられ感」はこういうところなのかな、と思ったりしました。
そのとてつもなく桁違いになったものが、「愛の光」「創造の源」ではないのかなあ、と思ったりします。
だから、愛を感じ、幸せをかんじるのかと。
エネルギー、というもの自体が「情報」なのではないのかな、と思いますもので。
GHさんと今日対談していて、そんな事を考えた日でした。
もう一日くらいゆっくりしたいものですね。まあ、今週は水曜日も休みいれているので、今月は結構ゆっくりしているはずなのですがこの疲労感は何?と思いますね。
とりあえず仕事で忙しいのは精神的にもマシなのですが、先週の無料奉仕Dayが響いたのでしょう。
やらされている感のあるものは、大変疲れますから。
良く言われるように「これをやらねばならない!」と気持ちを切り替えて、ポジティブに行くといいですよ。とありますが、それも最初のうちはいいのですが、何度も繰り返されると人間は疲弊してくるものですよね。
どのように、ネガティブな感情とお付き合いするか、まずはこのあたりから始めるほうが、後々ポジティブに移行できるのではないかと。
「ネガティブ=悪い」 ではなくて 「まあ、そういう気持ちもいいもんだよね。」くらいに思っていたほうが無理が無くていいですね。
そういう感情に蓋をしていくと、いずれは何らかの形で噴出しますから。
昨日は薪ストーブをつけますと言う話書いておきながら、あの後気温がそれほど下がらなかったので、まだ火をいれていなかったりします。
世の中、思った通りにはならないものですね。
さて、今日のヘミシンク
朝からヘミシンク問答をGHさんとやっておりましたが、これは本のネタですので、ちょっとここには書きませんで。
なぜかというと、まだ私の中で整理できていないのと、15分以上ICレコーダーに記録されているので、文章家するとトンでもない長さになりそうですし。
まあ、いずれ日の目を見ると思います。
そこで、ちょっと考察的事項を。
私が「愛の光」「創造の源」などと呼んでいるところがありますが、あれは強い光にしか見えません。
「なんでなんかなぁ?」とたまに思ったりしますが。
その人の持つ宗教感に当てはめて、神でも女神でも、そういう姿で見えても問題ないんじゃ?と思いますし。
それとも、モンローさん、モーエンさんの影響なんかなあ、と思ったりもします。
基本的に、高次の存在は光を伴っています。これはなぜか?
宗教的な縛り?光=善だから?
でもどの宗教でも高次の方々は光ってますよね。
私が思うに、莫大な情報量を受けた時に、それを処理しきれず私達は『光』に見えるのではないのかと、勝手に予想しています。
そして、あふれる情報に自分が認められるがゆえに、愛と心地よい感触を味わうのではないかと。
たとえ話。
一地域で、一つの思考に満たされている集落で、近いものとしか接触していない人が居ます。その方はその集落の思考、知識、人間関係は抜群に秀でています。その地域のリーダー的存在です。地域で力も持っており、裕福です。
一方、世界中をぶらぶらして生活してる人が居ます。
あらゆる世界を歩き回り、見て聞いて、そして旅を続けています。その方は特に特技も何もなく、はっきり行って貧乏です。
この二人、あなたはどちらのほうが友達になれそうな気がします?
私は、なんとなく「後者かなあ、」と思います。
なんででしょうね?
先の方は、なんとなく拒絶されそうなイメージとか、固定した思考で語られそうなイメージをもってしまいそうです。
しかし、後者の場合は話聞くだけでも面白そうで、思考が開けている感じを受けます。
私達は、なんのかんの言いつつも、やはり人に認められ、受け入れられたいものです。
それが両親であったり友人関係であったり。社会であったりいろいろですが。
そして、情報が多くある人のほうが自分を受け入れてくれそうな感じがします。
世界中の旅の知識を持ち、あらゆる空気を吸ってきた人にはその人が得てきた膨大な情報があります。
もちろん、地域密着型のかたも、その地域に対しての知識は膨大です。
しかし、その地域に居る方にとって必要な知識は、意外と他の地域から見てみるとあまり必要でない場合も多数あります。
その人にとって必要な知識を多く持つ人と対話すると、自分が開けている感じがする。受け入れられている感じがする。
もりけんさんや佐野さんと東京で対話した時に感じた「受け入れられ感」はこういうところなのかな、と思ったりしました。
そのとてつもなく桁違いになったものが、「愛の光」「創造の源」ではないのかなあ、と思ったりします。
だから、愛を感じ、幸せをかんじるのかと。
エネルギー、というもの自体が「情報」なのではないのかな、と思いますもので。
GHさんと今日対談していて、そんな事を考えた日でした。
私は、できればいいけど、できなくても仕方ない、なんとかなるさ。ケセラセラと、思うようにしています。けっして、いい加減では、ないんですよ。ベストを尽くして、できなければしょうがない、ということです。
高次元の方々の光ですが、確かに、東西共通して、光り輝いて表現されていますね。
膨大な情報量が、私たちは、処理できなくて光って見える。さすが、まるの日さん、するどい考察ですね。
後、光についてコメントしますね?
体験は能力によって限定されますが、哲学的お話なら誰でも同じ事を考えられるからです。まるの日さんと同じような高次体験は出来ないけれど、同じ考えを共有できるって感じがいいですね。もちろんお話の構成が上手いので、すんなり理解できるんですけれどね。
あと、いつも気になるのですが、会社のお話して同僚にバレませんか?それとももうオープンな感じなんでしょうか。
ゴーイングホームのF27で物質の宇宙を手に持つシーン、宇宙が藍色の玉で、非物質の方は螺旋っぽい模様がうっすらある白い光として捉えています。
私は前者の人に「お前は分かってくれるよな、なんだったら跡を継ぐか?」と職人気質の人に見込まれやすいたちです(笑)
でも、もりけんさんや佐野さんのように特技ある金持ちが理想ですけど...それより見識がまだまだ?
クラインのツボが内面と外面が結局はつながっているように。
すると後は相性とか自分の好みの問題なのかも知れませんね。
そういう私自身は、実は後者なんですけどね。
いずれにしろC1に生きている限りは、ヘミシンクのエクスサイズに加えて普通の日常生活の中で、自分の内面を深く見つめ続けていかない限りは、熟成された深みには到達できないように思っています。
但し、場所や時間、見つめるべき内容の大小は問われないにしても、それには”ある程度の”手順と要領が必要であるようにも思います。
そういえば以前に、ヘミシンクの先達でそういう類のメッセージをくれた方がいらっしゃいました。
有り難いことです。
内面の探求は、どこにいようが何をしようが、実は誰にでも出来るものなんですよね。
たとえ話、書いていて「この地域限定のおじさんも、実はすごいんだよなあ」と思ったりしていましたので。
なんでも一流になるのは自己の探求なんですよね。
ヘミシンクをやっていると、だんだん外の世界よりも内面の探求に入ってしまうような感じになってきます。
なんとなく「ヘミシンクって禅だなあ」と思うところはこういうところかと。
それに、自分の師について学んだ後は自分で探求しないとその先はありませんからね。
でも、これを現実世界に活かさないと意味無いわけでして。
そのバランス感覚も見につけたいものですね。