昨日は満月、そして、今日も明るい月が出ています。
月の動きは人のエネルギーにも変化を与えて。
そして命の動きにも影響を与えるといいます。
子供が生まれるとき、そして、人が向こうの世界へ旅立つ時。
今朝、私の祖母が向こうの世界へと旅立ちまして。
それで、今日はお通夜に行ってました。
明日は葬式なので、またちょっとブログネタも変わってくるかと思います。
祖母は入院して、実は東京に行っている時に「危篤」状態になりましたが、翌日までにはなんとか少し回復してくれまして。
ヒーリングと、無意識になっている祖母の意識に会いに行きました。
そこで、「自分がセミナーとかしている間には絶対むこうにいかんでよ。」という話をしたり。
祖母はかなり長い間介護施設に入っておりまして。実はほとんど通常の意識状態では無い、寝たきりの生活をしておりました。
なので、元気な時の面影はすっかり無くなってしまっておりましたが。
私が非物質的に接触するときは、元気な時の、まだ阿蘇弁をバリバリしゃべる元気な時です。
こう言うときにヘミシンクをやっていると良かったなあ、と思うのが。
よく母親等が言うのが「弱っていくところを見ていると、その姿がずっと意識に残ってしまって。」と言う事。
しかし、父方の祖母の時もそうでしたが、実際に向こうの世界で会うと、いつも元気な時の姿で出てきてくれるので。
私にとっては、その衰弱している姿よりもこの元気な姿のイメージのほうが強くあります。
目の前にあるものだけに、自分の意識を重ねてしまうとそれに捕らわれてしまいますが。
その向こうにある本人の意識と接触すると、その捕らわれたものは自分の意識を反映したものだったんだな、と思わせられます。
で、そこですこし今後の話をしたりして。
で、夜はそのまま寝てしまって、翌日はヘミシンクセミナーがあるので、そちらの準備をして。
そして、ヘミシンクセミナー終了後に病院に会いにいきました。
でも、すでに意識はほとんどない状態。
そこで久しぶりに従姉妹たちと会って。
ちょっとヒーリングの意識状態に持って行きましたが、やはり肺炎なので、そこが真っ黒く感じて。
でも、少しでも苦しくないようにならないかとエネルギーを送ってわずかでも回復すればと思っておりましたが。
そのまま、今日の朝、向こうの世界へと旅立って行きました。
今後はフォーカス27でしか会えなくなってしまいますけど。
「いつでも会える」、と言う感覚と、「もう会えない」という感覚でいるのは、だいぶ自分の中では違うものだなと感じます。
「じーさんな甘かつばちっと食べ過ぎで太り過ぎ。もちっと歩かんといかんって言うといて。」
と笑いながら言う祖母の姿が私には感じられて。
月夜の光の中。
そんな体験もしていたりします。
満月の中、魂はその光に包まれて向こうへと歩み始める。
そんな事をちょっと考えてしまったりしました。
ただ今、私の東京での10月セミナーの募集もやってます。こちらも見てくださいませ。
http://pub.ne.jp/marunohi/?entry_id=3874411
まるの日圭のヘミシンクCD販売はこちら。アロマスプレー、まるの日圭新刊、オープニングザハート新パッケージもの入荷!
http://marunohikafe.cart.fc2.com/
ヒーリングサロン・ネコオルにて、まるの日圭のセッションお申込みはこちら
http://blog.livedoor.jp/nekooru/archives/5623812.html
お悔やみを申し上げます。
でも、満月の日に、旅立たれたのは、良かったのかもしれませんね。
月には、神秘的な力があるといいます。
人間は、月の影響を受けています。
特に、女性は。
それでも、親しい人が、亡くなられるのは、さびしいですね。
お通夜とか、告別式の日は、故人の事を思い出してあげましょう。
気が気でなかったかとは思いマスが・・・
でもま 27でまたいつでも会えるって 最高ですね
ここが ヘミシンクの驚愕の世界なんでしょうね
一般のひとなら 肉体の死が全て終わりって もう
会えないのだ・・という無念ですが
死んでも会えるって やはりヘミシンクの最高の
宣伝になるとは思いますが
ま ちょっとは修業が必要か
私の両親が亡くなった時は、ヘミシンクの存在を知りませんでした。
もし知っていたら受け止め方が違っていたことでしょう。
私は今は迷いの状態で、将来も崖っぷち感が強いので、そういう意味で「早くガイドに会いたい…」なんて思っていますが(別にガイドも助けてくれるわけではないと思うけれど)、今日のまるの日さんのブログを読んで、ヘミシンクってこういう側面もあるんだな、と改めて思いました。とにかく続けようと思います。
御祖母様のご冥福お祈りいたします。
向こうの世界はこちらの続きで有るとしっていても。
肉体が消滅する様を見るのは、やはり何か心が痛むというか。
そういうところはありますね。
理性と知っている事と、感情の動きは関係ないですからね。
その感じている事を感じている自分に、今を感じるところでもあります。