今日は朝から雨。なぜか会社に早く行けたので、朝一でヘミシンクをやってみました。こういう日は何かがありそうな気がします。
とりあえず今日は自殺者とそうでない人はなぜいるのか。そういう疑問を持って挑みました。昔から、自殺はいけないと、たいていの宗教に書いてあります。それにスピリチュアル系の人も自殺は試練を途中で放棄することになるから駄目だとか、自殺者は死んだあとも長いこと苦しんでいるとか、自縛霊になるとか、いい話は一個も聞きません。でもその考え方だと、「この世の中に起こる事象ははすべて上手く行くように作られている。」という考え方と矛盾するように思えてきます。以前は、素直に「自殺はいけない事だ!」と思っていましたが、最近ヘミシンクでレトリ―バルをしたり、F27の各センターを訪れたりしているうちに、どうやら自殺も悪というわけではなさそうだ、と思えるようになってきました。そうすると、なぜ人は自殺をするのか、自殺する事は本当に罪なのか?自殺者は輪廻の落伍者なのか?そういう疑問を持つようになりまして、今日はその答えが得られそうな気がしましたのでF21フリーフローのCD聞いてみました。
今日はF21にゆく途中では扉などは見えずに、光のもやとぼんやりとした人影が見えました。そしてF21に到着すると、そこには巨大な遺跡のようなものがありました。数百メートルくらいありそうな石の土台と上に数基のピラミッド。これは何かなあ?と思って観察していると、ぼんやりとした人影が近づいてきました。そして、「この遺跡は私達が作ったものだよ。」と言います。前回登場のエランさんのお仲間のようで、F27までのデザインをした人のうちの1人とか。ぼんやりとした人影に見えるときもあれば、突如おかっぱ頭の子供に見えたり、イメージが固定できません。その人(話しにくいので今後は“彼”と呼びます。ちなみに性別は不明。)は高次から来たせいか、下のフォーカスレベルの波長に調整が上手くいかないようです。まあ、容姿はあまり気にせずに、話をしてゆきます。彼は私を誘って、F21のカフェに向いました。そこで、テーブルに向かい合わせに座ると、「ここも私達がデザインしたんだよ。」と話されて、「君が知りたいことを教えてあげよう。」と言いました。そこで、私が自殺者について尋ねると、
「自殺という手段を選んだとしても、それはディスクのプログラム上なんら問題は無い。その人は自殺するようにプログラムされているのだから、正常にシステムが動いている結果だ。」
いきなり衝撃発言。さすが上のレベルの人は言う事がストレートです。そして、話は続いて、
「自殺をする人がいるね。その結果、家族はある気付きを得るだろう。周りの人々も感情に強い衝撃を受けるだろう。そして何かをしなければいけないと思うようになる。それは他の自殺者を救済する道だったり、自分の人生を見直したり、または後を追ったり。死後、霊になってからも、君のようにレトリ―バルする人がいたりして、F27のヘルパー達がレベルを上げる手助けにもなる。自殺者1人はすべての世界に激しいインパクトを与える。ある意味、それを選んでいるのだよ。自殺者は脱落者などではない。自ら世界へインパクトを与えるために自らそうなるべく選んできた人なのだ。 今、君がこういうことを考えるのも、自殺する人がいるからだろう?」みたいなことを言って、いました。そのあとも、
自殺者にはおおまかに分けて2通りの人がいて、①、死後の世界と現世の堺が曖昧になっている人。②、意識に捕らわれて流されて死んで行く人。そして、①の人は地球とは違う高次の世界から来た人の場合もあるとか。別の世界ではあの世とこの世の堺がはっきりとしていないところもあり、その感覚で地球生命系に入り込んだ場合、目的を果たすとすぐに自ら死を選らんでしまう事もあるとか。そういう人はすぐに自分で死んでいることに気づくので、そのままF27に行って地球の輪廻の輪に入り込むと。②の場合が厄介で、ある特定の霊団に捕まってしまい、その意識に強い影響を受け、その結果死を選んでしまった場合は捕らわれ領域に入り込みやすく、また死後も苦しむ自殺者というのもこれ。でも、②のほうでもヘルパーや人がレトリ―バルするので、ただ手順がちがうだけで結局は輪廻の輪にはいるのでさほど問題は無い。だそうです。
ここで大切なのは、自殺したひとの話を聞いて、どう思ったのか、そしてどのような感情が強く表れたのかを自分で理解する事。自殺は悪いと思えば、自殺者を減らす運動に参加してもいいし、残された家族を救いたいと思えばそれをすればいい。また、自殺者を軽蔑するのならばそれでもいい。自分の内面から出る直感に従って行動する事が大切だとか。
「私から見ればすべては上手く行っている。」そう彼が言ったと同時に、地球のイメージが浮かんできました。それからどんどんと離れて行き、太陽系、銀河と広がってゆきます。
「地上にいた時の視線では、地平線しか見えず、星は天を回るものだと認識できる。しかし、地球を飛び出すと、それは丸い星であり、それは太陽系の一部であり、銀河の一部である。すべてが決められたように動き、例外など何も無い。」
私の体と宇宙が一体となるイメージを受けました。まあ、今認識できる範囲で精一杯生きろということでしょうね。一見、彼のいう言葉は冷たいように聞えますが、実際に近くで聞いていると、なんともいえない抱擁感のあるエナジーが感じられます。すべての存在を等しく認めている感じとでも言いましょうか。善悪を超越した感じです。
そこで、ちょっとモーエンさんの本に書いてあった、探査機として見捨てられた人の事(I/Tの、他のメンバーが卒業する時に、戻って来ずに捕らわれたままでいた人の事)について話が。捕らわれた人ということで自殺者の話ついでに。
「彼らは見捨てられる訳ではない。探査機としての役目をもって、捕らわれているのだ。その時に得られた情報、感情、体験などすべてが本体のI/Tに送られている。ついてこられないので捨てられるわけではない。彼の存在は別の形(情報?)としてI/Tメンバーの中に存在している。形が変化しただけなのだ。」と。
そんな話をしていると、突如彼の背後から強い光がスポットライトのように伸びてきました。眩しくてつい目を細めると、彼が「もう、戻らなければいけない時間だな。」と言って立ち上がりました。そして私を見て、「君も来るかい?」と手を差し出してきます。私は迷うことなく「はい。」と答えて手を握りました。彼は微笑んで、光の方へ飛び出します。フォーカスレベルをどんどん上がってゆく感じです。F35を過ぎて、F42も過ぎて、レベルが7上がるたびに一旦止まってくれます。レベルが上がるごとにだんだん光の圧力が強くなってきます。F35から4階層上がったところで、ついに私は身動きできなくなりました。光の圧力がものすごくて動けないのです。眩しいしきついし、でも彼は目の前で何の事のなしに動いています。この段階で彼の姿がはっきりとしてきました。白いローブのような服を来た、いわゆる天使のような姿。金色の後光がさしています。
「どうやら君はここまでが限界のようだね。もっとレベルの調整をする練習が必要だな。」
彼は振り返って、「さて、ここでお別れだ。」というので、私が、名前は何ですか?と尋ねると微笑んで、「また今度会う時に」と言って光のむこうに消えてゆきました。それからナレーションで引き戻されて、F12に。そこでモンローさんいないかな、と探してみると、むこうにある林の中でベンチに座っていました。私が近づくと、満面の笑顔で「おめでとう!」と言って手をがっちり握ってきました。何の事か良く分からないでいると、モンローさんはそのまま立ち去ってしまい、なにがおめでとうなのか分からずじまい。
そして元に戻ってきました。
余談ですが、家に帰ると私の好きな、ふかしただけのジャガイモがたくさんと、なぜか赤飯が炊いてありました。妻が、「もち米と豆があったから作った。」と言っていましたが。これを見て、「もしかして、モンローさんの「おめでとう!」はこれのこと?」と思ってしまいました。これだけで終わったらがっかりですね。
今日彼に連れて行ってもらった場所は、F35から4階層上がったところですから、4×7+35=63 でフォーカス63までいけたようですね。でも光が強すぎて私には何も見えませんでした。もっと修行が大切のようです。それにモンローさんに「おめでとう」と言われた内容に心当たりがないのですよね。F63にいけた事とかよりももっと大きな何かが起こっていて、それに対する祝福の言葉のように聞えました。私、何かしましたかね?あ、それと前に書いたロト6は見事に外れましたのでそれではないですね。
今日のイラストはF21で見かけた遺跡と私と彼の出会いの場面です。左にいるのが彼ですね。でも実際は中性的な雰囲気がしますので彼というのもちょっと違和感があります。さしあたり第三者という意味もこめて“彼”てことで。

とりあえず今日は自殺者とそうでない人はなぜいるのか。そういう疑問を持って挑みました。昔から、自殺はいけないと、たいていの宗教に書いてあります。それにスピリチュアル系の人も自殺は試練を途中で放棄することになるから駄目だとか、自殺者は死んだあとも長いこと苦しんでいるとか、自縛霊になるとか、いい話は一個も聞きません。でもその考え方だと、「この世の中に起こる事象ははすべて上手く行くように作られている。」という考え方と矛盾するように思えてきます。以前は、素直に「自殺はいけない事だ!」と思っていましたが、最近ヘミシンクでレトリ―バルをしたり、F27の各センターを訪れたりしているうちに、どうやら自殺も悪というわけではなさそうだ、と思えるようになってきました。そうすると、なぜ人は自殺をするのか、自殺する事は本当に罪なのか?自殺者は輪廻の落伍者なのか?そういう疑問を持つようになりまして、今日はその答えが得られそうな気がしましたのでF21フリーフローのCD聞いてみました。
今日はF21にゆく途中では扉などは見えずに、光のもやとぼんやりとした人影が見えました。そしてF21に到着すると、そこには巨大な遺跡のようなものがありました。数百メートルくらいありそうな石の土台と上に数基のピラミッド。これは何かなあ?と思って観察していると、ぼんやりとした人影が近づいてきました。そして、「この遺跡は私達が作ったものだよ。」と言います。前回登場のエランさんのお仲間のようで、F27までのデザインをした人のうちの1人とか。ぼんやりとした人影に見えるときもあれば、突如おかっぱ頭の子供に見えたり、イメージが固定できません。その人(話しにくいので今後は“彼”と呼びます。ちなみに性別は不明。)は高次から来たせいか、下のフォーカスレベルの波長に調整が上手くいかないようです。まあ、容姿はあまり気にせずに、話をしてゆきます。彼は私を誘って、F21のカフェに向いました。そこで、テーブルに向かい合わせに座ると、「ここも私達がデザインしたんだよ。」と話されて、「君が知りたいことを教えてあげよう。」と言いました。そこで、私が自殺者について尋ねると、
「自殺という手段を選んだとしても、それはディスクのプログラム上なんら問題は無い。その人は自殺するようにプログラムされているのだから、正常にシステムが動いている結果だ。」
いきなり衝撃発言。さすが上のレベルの人は言う事がストレートです。そして、話は続いて、
「自殺をする人がいるね。その結果、家族はある気付きを得るだろう。周りの人々も感情に強い衝撃を受けるだろう。そして何かをしなければいけないと思うようになる。それは他の自殺者を救済する道だったり、自分の人生を見直したり、または後を追ったり。死後、霊になってからも、君のようにレトリ―バルする人がいたりして、F27のヘルパー達がレベルを上げる手助けにもなる。自殺者1人はすべての世界に激しいインパクトを与える。ある意味、それを選んでいるのだよ。自殺者は脱落者などではない。自ら世界へインパクトを与えるために自らそうなるべく選んできた人なのだ。 今、君がこういうことを考えるのも、自殺する人がいるからだろう?」みたいなことを言って、いました。そのあとも、
自殺者にはおおまかに分けて2通りの人がいて、①、死後の世界と現世の堺が曖昧になっている人。②、意識に捕らわれて流されて死んで行く人。そして、①の人は地球とは違う高次の世界から来た人の場合もあるとか。別の世界ではあの世とこの世の堺がはっきりとしていないところもあり、その感覚で地球生命系に入り込んだ場合、目的を果たすとすぐに自ら死を選らんでしまう事もあるとか。そういう人はすぐに自分で死んでいることに気づくので、そのままF27に行って地球の輪廻の輪に入り込むと。②の場合が厄介で、ある特定の霊団に捕まってしまい、その意識に強い影響を受け、その結果死を選んでしまった場合は捕らわれ領域に入り込みやすく、また死後も苦しむ自殺者というのもこれ。でも、②のほうでもヘルパーや人がレトリ―バルするので、ただ手順がちがうだけで結局は輪廻の輪にはいるのでさほど問題は無い。だそうです。
ここで大切なのは、自殺したひとの話を聞いて、どう思ったのか、そしてどのような感情が強く表れたのかを自分で理解する事。自殺は悪いと思えば、自殺者を減らす運動に参加してもいいし、残された家族を救いたいと思えばそれをすればいい。また、自殺者を軽蔑するのならばそれでもいい。自分の内面から出る直感に従って行動する事が大切だとか。
「私から見ればすべては上手く行っている。」そう彼が言ったと同時に、地球のイメージが浮かんできました。それからどんどんと離れて行き、太陽系、銀河と広がってゆきます。
「地上にいた時の視線では、地平線しか見えず、星は天を回るものだと認識できる。しかし、地球を飛び出すと、それは丸い星であり、それは太陽系の一部であり、銀河の一部である。すべてが決められたように動き、例外など何も無い。」
私の体と宇宙が一体となるイメージを受けました。まあ、今認識できる範囲で精一杯生きろということでしょうね。一見、彼のいう言葉は冷たいように聞えますが、実際に近くで聞いていると、なんともいえない抱擁感のあるエナジーが感じられます。すべての存在を等しく認めている感じとでも言いましょうか。善悪を超越した感じです。
そこで、ちょっとモーエンさんの本に書いてあった、探査機として見捨てられた人の事(I/Tの、他のメンバーが卒業する時に、戻って来ずに捕らわれたままでいた人の事)について話が。捕らわれた人ということで自殺者の話ついでに。
「彼らは見捨てられる訳ではない。探査機としての役目をもって、捕らわれているのだ。その時に得られた情報、感情、体験などすべてが本体のI/Tに送られている。ついてこられないので捨てられるわけではない。彼の存在は別の形(情報?)としてI/Tメンバーの中に存在している。形が変化しただけなのだ。」と。
そんな話をしていると、突如彼の背後から強い光がスポットライトのように伸びてきました。眩しくてつい目を細めると、彼が「もう、戻らなければいけない時間だな。」と言って立ち上がりました。そして私を見て、「君も来るかい?」と手を差し出してきます。私は迷うことなく「はい。」と答えて手を握りました。彼は微笑んで、光の方へ飛び出します。フォーカスレベルをどんどん上がってゆく感じです。F35を過ぎて、F42も過ぎて、レベルが7上がるたびに一旦止まってくれます。レベルが上がるごとにだんだん光の圧力が強くなってきます。F35から4階層上がったところで、ついに私は身動きできなくなりました。光の圧力がものすごくて動けないのです。眩しいしきついし、でも彼は目の前で何の事のなしに動いています。この段階で彼の姿がはっきりとしてきました。白いローブのような服を来た、いわゆる天使のような姿。金色の後光がさしています。
「どうやら君はここまでが限界のようだね。もっとレベルの調整をする練習が必要だな。」
彼は振り返って、「さて、ここでお別れだ。」というので、私が、名前は何ですか?と尋ねると微笑んで、「また今度会う時に」と言って光のむこうに消えてゆきました。それからナレーションで引き戻されて、F12に。そこでモンローさんいないかな、と探してみると、むこうにある林の中でベンチに座っていました。私が近づくと、満面の笑顔で「おめでとう!」と言って手をがっちり握ってきました。何の事か良く分からないでいると、モンローさんはそのまま立ち去ってしまい、なにがおめでとうなのか分からずじまい。
そして元に戻ってきました。
余談ですが、家に帰ると私の好きな、ふかしただけのジャガイモがたくさんと、なぜか赤飯が炊いてありました。妻が、「もち米と豆があったから作った。」と言っていましたが。これを見て、「もしかして、モンローさんの「おめでとう!」はこれのこと?」と思ってしまいました。これだけで終わったらがっかりですね。
今日彼に連れて行ってもらった場所は、F35から4階層上がったところですから、4×7+35=63 でフォーカス63までいけたようですね。でも光が強すぎて私には何も見えませんでした。もっと修行が大切のようです。それにモンローさんに「おめでとう」と言われた内容に心当たりがないのですよね。F63にいけた事とかよりももっと大きな何かが起こっていて、それに対する祝福の言葉のように聞えました。私、何かしましたかね?あ、それと前に書いたロト6は見事に外れましたのでそれではないですね。
今日のイラストはF21で見かけた遺跡と私と彼の出会いの場面です。左にいるのが彼ですね。でも実際は中性的な雰囲気がしますので彼というのもちょっと違和感があります。さしあたり第三者という意味もこめて“彼”てことで。

自分ではわからないのに誰かが見つけてくれた、というのはよくあることなので、自分の体験がよくわからなくてもとにかく聞き続けるのって大事だなあと思います。
まるさん、私もパソコンを買えましたらブログを始めたいと思います。勧めてくださってありがとうございます。(^^)
ゲートウェイ、とりあえずウェーブ1を購入しました。体験したフォーカス10(心は覚醒しながら、身体は眠っている)は、私的には懐かしいような感じで。子供の頃から、わりと金縛りになりやすかったり、幽体離脱しかけた事もあるような体質だったためでしょうか。
で、自分はそういう変わり者の子供だった事もあって、小学生の頃から自殺願望はありました。まるさんと同世代位ですが、そういう願望から抜け出せたのはここ数年のことです。周囲に理解して欲しいのに理解されない、つらい、生きづらい。でも自殺なんて考えるのも逃げだ、甘い、周囲に迷惑かける、生きなくちゃ。そんな葛藤をずっと持って生きてきました。(長文すみません。文字数制限があるようなので、一度切ります)
奥様も、無意識ながら祝ってくれているのですね。
私もmixiにですが、日記を書くようになりました。そしたら、何か体験したいという欲というか焦りがなくなりました。
まるさんの文体、そこから見える人柄、大好きですよ~(こんなコメントされても困りますよネ。最近オーブニング・ザ・ハートを聴いているからかしら?)
まるさん!
あなたは、あなた自身が思うより大きな存在です。
って、ゴーイングホームのナレーションまんまですが(^^;)
でも63まで逝けるなんて、もはやまるさんは歴史上の人物にまで昇格決定ですよ。
(ってなんかえらいわかりづらい文章でごめんなさい)
完全な悪、善ってのもないんじゃないかな~と考えたのを思い出しました。ううむ、伝わるかな、これ。
普段の生活に差し支えないよう、どんどん上のほうまでいってらっしゃいませ^^
私も以前は自殺の人をちょっと下に見ていた頃もありました。でも今では色々な体験をすることで、偏見なく見られるようになりました。こういうところもヘミシンクしていて良かったなあと思うところです。今では、だいぶ世の中が過ごしやすくなりましたね。あと、私は会社勤めでサラリーマンやっている何の能力も無い普通の人間なので皆さんと同じです。ちょっとひねくれているので独学やっているだけですよ(笑)。
それと、私のブログが人の役に立っているようで嬉しいですね。