今日は空もちょっと曇り気味で、時折雨の降るような天候でしたが。
空もこんな感じ。
でも、涼しい風が吹き渡っておりましたので。クーラーも入れずに昼も過ごせる感じでしたね。で、こんなに涼しいなら草を切らねば。
ということで、夕方には草を切る予定を組んで。
そういえば、昨日は私がせっせとヒーリングの仕事をしておりましたあいだに、子供と妻は映画を見にいっておりまして。
毎回、映画を見に行くとクレーンゲームをやって帰ってくるのですが。
その戦利品がこちら。
我が子が一発で落としたらしく。
「うむ、ブログネタを提供してくれるとは。」という親孝行なことしてくれました。
ニャンコ先生のティッシュケースですね。
どうやって使うかというと、こんな感じ。
友人帳が減っていくように、テッシュも減っていくということなのか?
面白いのでサロンで使うようにしておりますが。置くところがないですね。
まあ、床に転がしててもいい感じなので、そのあたりに転がっていると思います。
で、昼はひたすら事務仕事。ガイドイラストなども書いたり、セミナーの文章とかやり取りしたり。一人でやると結構メールのやり取りも時間かかりますので。
頭のスッキリしている午前中にしないと、夜やると送り間違いとかしてしまうのですよねぇ。とはいえ午前中でも送り間違いしてましたが。
変性意識を使っていると、だんだん左脳的な仕事が苦手になるので。それを補うべく、事務仕事もバランスよく入れながら仕事してます。
で、夕方になって、草刈スタート。
道路際を刈っておかないと、ご近所さんの迷惑になりますもので。
電動のやつでコードつないでせっせとやっていると、途中雨降ってくるし。
牛アブに手の血を吸われるし。
初めてアブが血を吸っているところを見ました。手袋の背が布になっている、その隙間に嘴突っ込んでチクっとさして吸うんですね。
急いで手袋外して追い払いましたが。痒くならないのでまあ、許してあげましょう。
その後も妻と道路に出た枝を払ったりしながら日が落ちるまで働いて。さっきシャワー浴びてブログ書いて居る感じです。
久々の労働なので。明後日くらいに手にきそうで怖いですね。
で、ふと見ると、あの虎の尾の花が咲いてまして。
そして、空を見ると虹も出ていて。
ひぐらしの声を聞きながら。
なんか、いいことあるんかな、なんて思える夕暮れどきでした。
さて、たまにはちょっと私の考えなども書いておきますが。
私を霊能者と勘違いされている方もいるので、ちょっと私の見え方、考え方をココに書いておきます。
私の認識では、
ガイド=霊 ではありません。
非物質的に影響を与えてくれる存在=ガイド
となりますので。
無意識下に影響を与える自分のアニマ、もしくはアニムスを個体として認識された姿。
でも何でもいいんですが。
要は個人情報の一形態だと考えておりまして。
それとのアクセスで、自分の感じていない情報源とアクセス出来るという感じ。
パソコンで言うとOSとかプログラムとかそのあたりのイメージですか。
ネット接続のためのプログラム的存在。
私は世界は「情報」であると感じてまして。
生きている人、この世界の人、は「情報」が「濃い」から多数の共通認識的なものを得られやすく。多くの方が同じものを同じものとして認識している。という気になってしまえる空間です。
濃いので、認識しやすいからですね。しかし、よく考えると自分の立っている位置で、太陽すら微妙に見えている姿は異なっているはずなので。同じものを認識しているはずがないのですよね。
この世界は、情報が濃いが故に、共通認識を得てしまい、共通の認識がないといけない、と思い込んでしまう世界。
だから、無意識という自分の情報源から見ると同じカップ、同じ太陽を見ても、「共通の認識はしていない」という正確な情報を無意識は得ているので。
そこで、自分の中に健在意識と無意識とのあいだに誤差が生じて、
それが病になったり、精神的に苦しむ原因じゃなかろうか。と思うわけです。
無意識は情報を正確に分析しているのに、健在意識はこの世界にある、人の決めた「イメージ」に縛られてしまうので、どうしてもその誤差が出てしまう。
であれば、無意識の認識している情報を、健在意識に「認識」させてしまえばいいわけで。
その手法はいろいろありますが、私のとっている方法は「過去生」とか「ガイド」「別の自分の生」という情報を認識することで、体験としてその「無意識下の情報」を「健在意識の状態」に引き出し、今この世界で見ている世界を、自分のなかで統合していく。
意識を統合していく。
それで今自分の意識を向ける方向を認識する手法を活用しております。
ヒーリングは、これを外部的なアクセスで活性化させる感じでしょうか。
これが、いわゆる、スピリチュアルの世界でよく言う「ハイアーセルフ」とか「トータルセルフ」とかの融合、って感じかなと思います。
これを、光の感じでイメージされたり、天使的なもので認識されたり。奇跡体験のように認識される方もいますが。
実際は自分の無意識と健在意識の統合ではないかな、と思うところです。
私の体験した感じでは、というところですが。
で、世界が情報、であると、いわば向こうの世界にいかれた方は、情報が今の世界よりも「薄く」なるので。
今の「濃い」人達からはその情報が認識しにくくなり、アクセスができなくなる。
そんな感じかと。
例えば、写真を撮影して、USBにデータ入れてPCで画像を立ち上げ、それをネットにアップしたとします。
ところが、USBがそこで落として踏んづけて破損して。データが消滅してしまったりしたとしますね。
USBにデータが入っている状態を「濃い」状態。それがアップロードされてネットにある状態を「薄い」状態としますと。
この場合肉体が死を迎え、魂があの世に行った、というイメージになります。
なので、はっきりとさわれる姿でPCとつなげて情報を得ることは叶わなくなりますが。
ネットに接続できる「ツール」を持っていると、その情報を受け取ることが可能になります。
それはネット接続可能な端末、アンドロイド携帯、iphone、PC、ipad何でもいいんですが。
それらツールと、閲覧ソフト、「サファリ」「インターネットエクスプロラ」「クローム」とかいろいろありますが。それがあれば、ネットに上がったデータを確認し、見ることができます。
いわゆる、今までのスピリチュアルで言われる手法やら心理学ヤラは、この端末とソフトのような感じで。
薄くなった情報をゲットするための手法という感じでしょうか。
私はアンドロイド携帯とiPhoneとipadとPCと持ってますが。
アンドロイドはイライラするのでネットサーフィンには使いません。アップルの端末が秀逸なので、そちらを優先して使ってますが。
そんな感じかなと思います。
この手法は苦手、だから別のを使おう、とか。
ネットの情報を得るには、なにも人に頼ることはなくて、自分で端末の使いかた、アクセスの仕方を勉強すれば誰でもそれなりに使いこなせるのと同じで。
向こうの世界、あの世が「薄い情報」であるなら。誰でも勉強すればアクセス可能。
なんですよね。
「私インターネット苦手だから」と言っている人は勉強をしないので永遠にそれを手に入れることはかなわないのと同じで。そして、そういう人はインターネットを必要以上に恐れたりしてしまったりするものですが。
実際触っている人は、日常なので不安も恐怖もないと思います。
無意識は情報を認識しておりますが。健在意識がそれを認識していない。
だから変性意識に入って無意識を認識しやすくすると、「薄い」情報にアクセスして向こうの人と会うことも可能となるのではないかと思います。
私の手法はそんな感じで。
全てを「情報」と置き換えて認識して、「濃い」「薄い」で判断してイメージをしております。
さっきの話ですが。写真をとってデータにした場合。
写真を撮影する被写体は「濃い」情報ですが。写真になった時点でそれよりも「薄い」情報になります。で、それを更にアップロードなんかすると、データを縮小しますので。
更に「薄く」なってきて。
と考えると、向こうの世界も情報であれば、
この世界の「濃い」認識よりも、かなり「薄い」認識しかできなくなることは否めないと思います。
この世界で、同じように向こうに行かれた方と会いたい。
と思っても、それは叶わぬことで。
どうしても、薄くなった情報とアクセスすることになるので。それなりの情報、そして自分の方に、情報を受け取る受け皿が存在しないと難しいものだと思います。
そして、自分の無意識はそういう情報を受け取りやすくても、顕在意識にそれを伝える際にどうしても情報が劣化してしまいますので。自分が「認識する」状態に持っていくにはいろいろと制限がかかってくるかと。
霊能力者、という方々は、幼少の頃からこの情報認識の手法を常に使っていて、それで情報を無意識と健在意識のあいだに通しやすくするルートを形成しているのではないかな、と勝手な推測ですが。
なので、そういう特性のない方は、変性意識に入り、それを認識する訓練が必要になってくることかと。私の場合は、それをヘミシンクCDでやってしまった、という感じですね。
ここでガイドとは。
ガイドというのはこの、無意識と健在意識を結ぶネットワークプログラムみたいなイメージでして。
アクセスポイントというか。無意識下の情報を整理して、健在意識が認識しやすい形に構成し、伝えてくれる、そういうものだと思ってます。
なので、キャラクターがあって。という感じで。
キャラクターのない人ももちろんいますよ。
自分につながるガイドを認識すると、そこから無意識へのゲートが開かれていくのではないかと思っています。
だからガイドイラストを、初期の頃から書いて人に送っている感じです。
無意識というバックグランドプログラムが、世界、宇宙にある情報ネットワーク世界から自分に必要な情報をかき集めて、個人サーバーに蓄積していて。
そこにアクセスする「キー」となる存在。
それをガイド、と認識しておりますが。
それを説明するのが面倒くさいので。
「ガイドにつながると、自分の生き方が見えやすくなりますよ。」
という一言で済ませております。
まあ、そういうことなんです。
過去世も、自分につながるネットワーク情報であり。それは個人だけでなく、家族、地域、日本、というどこのネットワークにつながるかで得られる情報もことなり。
ネットでも、使っている閲覧ソフトによってはアクセスできない部分もあったりするように(ぷららは、iPhoneからはこのブログかけません。)。
自分には見えない情報というのも結構あったりするものです。
だから、昔から向こうの薄い情報世界を認識するために、多くの方がプログラム(メソッドとか)を作り、ハード(宗教とか)を構築し。
アクセスを心がけていたのですが。
スペック勝負になるとネットへのアクセス云々よりも「俺のPCのほうがスペックは上」とか「俺のプログラムは最速」とか本来求めていた「薄い情報を、より薄い情報を正確にダウンロードしていく」という本筋から外れてしまっているような気もします。
ハードに固執、プログラムに固執しすぎると、本来の目的を達成する前にそっちで労力を使ってしまうというか。
今や何でもパーソナルな時代です。
なので、個人で自分の無意識と健在意識のパイプを作るメソッドを自分なりに構築していくのが望ましいと思いますし。
もっと自分の無意識を理解することも必要だと思います。
その、個人的なプログラムの構築技。
それを、あらゆる人が行っているワークであり。
私も行っているワークである。
そういうことですね。
なので、「霊的世界」とか「魂」「霊」とか「I/T」「フォーカス世界」とか全部私は「情報の一形態。薄い情報を人が認識した際の受け取り方の一つ」と認識してますので。
見え方はどうでもいいんじゃ?好きなのを選択されたら?
という感じです。
この考え方で「囚われ領域」の話をすると、また私流の展開になりますので、長くなるのでこの程度で。
「愛」についても「情報」との関係も説明できますが。
運命とか宿命とかカルマとか、そのあたりの説明もできるのですが。
それもしだすと長くなるので、また今度という感じで。
これで生まれ変わり、私の一冊目の場面について、などを説明すると、ほとんどSFになってしまいますので。
「これでライトノベル書けんかな?」とか考えてしまいますけどね。誰か書かれる方にはネタ提供します(笑)。
一言で言うと
「自分の好きな見方でいいのではないですか?」
という感じですか。
スピリチュアルな思考、というのは、私はこの「無意識と顕在意識を統合していく」というところにあるのかなと思っております。
それを、色々な人が、霊的な話やスピリチュアルなネタにするので。
「私はインターネットは苦手です」
という人がいるのと同じように、嫌悪感を示す人もいてしょうがないのかな、と思っております。
そういう方は、他の手法で健在意識を無意識につなげて行けばいいのですしね。
世の中にはいろいろな手法があって、それぞれの考えの人が生きている。
そして、その差を受け入れて行く事、すりあわせて行くことが必要なんじゃないかな、と思います。同じ考えになる必要はないのですよね。
違っても、行き着くところが同じならそれでいいと思います。
mixiではたまにしますが、最近ブログではこういう話を深くしたことってあんまり無かったですね。
最後に、今日の虹です。
空の虹はいい兆し。
私はそういう考えが好きですね。
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・ヒーリングサロン・ネコオルのセミナー情報、遠隔ヒーリングの内容などはこちら。
http://blog.livedoor.jp/nekooru/archives/5623812.html
<あの世スケッチ紀行>というブログもやってますので。興味のある方はこちらから。
レセプションセンターのスケッチも入ってます。
http://marunohikafe.webdeki-blog.com/
ぐにゃぐにゃしてよくわかんないものが、整然とする感じで好きな例えです。
いや、しかし。私は…
にゃんこ先生のティッシュケースに釘付けで(笑)
9月に夏目の一番くじ始まるらしいんで、それにかけます(=^ェ^=)
もう、阿蘇は秋ですか。
東京は、もう猛暑が続いています。
リトリーバルするとき、フォーカス世界に行ったことが分からない方は、c1世界を見ているので、C1世界にいるわれわれが、リトリーバルができるのですね。
この世は、情報化の世界です。
助けれられることは、大いに協力したいものですね。
知らない方が余計なフィルターや思い込みで歪められることも無いし。
ある程度の方向付けをするにはいいのでしょうけど。
ヘルパー先輩や彼との対話を読んでいると、常住不変の"実在"は本当のところは無いけど、因縁仮合の"存在"は取り敢えず有るものとして人生取り組みましょうというメッセージで溢れていると思いますけど。(^ ^)
仏教も元々は、実践の教えであり、後に部派仏教の一派で、理屈をこね回すアビダルマの代表とも言える「説一切有部」が三世実有論を説きますが、スマナサーラさんは、次のように批判していますね。
「アビダルマというものは、「仏教をとにかく論理で、知識で理解してやる」「他宗教(特に不滅の実体の存在を信じている)の批判や疑問に論理的に答えてやる」と思った学僧たちの間で現れた様々な研究成果のようなものですね。」と。
至極最もなんですが、そのスマナサーラさんも「般若心経は間違っている」なんていう本で、空即是色はおかしいとか主張してます。
この人もそんな学僧の一人なんでしょう。
それにしても虎の尾の花、初めて見ました!華麗で繊細なんですね~。
いつもありがとうございます(*^▽^*)
あまり仏教的な本は読んでないので、基本的に普通の人が知っている程度、「聖おにいさん」に出てくるネタで笑える程度の知識なので申し訳ないのですが。
今回、「世界は情報」という概念でくくってみましたが、その場合、ここで自分として存在しているものすらも、ただの情報の一側面にしか過ぎない。
という感じになりまして。
「自分」というのは実はそもそも最初から存在していなくて。多数の意識、情報がそこに集中して、それで反応が起こっているただの「情報アクセスポイント」じゃないのか。
という感じにイメージしております。
なので、生も死もなく、過去世も未来生も、ガイドも高次の存在も、
定義をしなければ存在せず。
定義をすれば存在する。
そんな感じでしょうか。
私は過去生を知ること、ガイドを知ること、未来性を見ること、体験すること、死後の世界と言われる部分を体験することで、結局
確固たる「自己」というものは存在しない。
という感じに思えております。情報のゆらぎの中に生まれた、ひとつの点である感じでしょうか。
だから、私は人の過去世も見えるし、人のガイドもアクセス可能になってます。それを理解したからですね。
初音ミクが一番今の人間の状態に近い、というのはそこでして。
初音ミクはただのキャラクターで、多くの人の意識が集まるアクセスポイントである。
故にそれは「自我」をもつが「自己」ではない感じなのではないか。
という感じですね。
私はガイドも過去世も、体験を通じて今の感覚に入っていきましたので。
トータルセルフを体感すると、私はこの自己のない感覚を感じられると思います。
それを、ワンネスとかそういう感覚に結びつけることもできますね。
自己がないので、すべてが自己とも言えますので。
と書いてますが、あくまで、私の体験では、ということです。
まあ、実際体験しないとなかなかわかりませんので。私もいろいろ体験して今に至ります。
なので、ブログ書いてワークやって、多くの人に「体験」を得てもらって、そこから自分なりの結論を引き出していただきたいなぁ、と思っております。
私は、欲があって、感情があって、怒り悲しみ、喜び、それで生きて苦しんだり楽しんだりしている。
そんな生き方の中に、多くの学びがあると思っています。
その日常の中にこそ、得るものがあると思ってますので。体験重視の人間です。
いろいろあって、それでも生きている人間、というのが一番素晴らしい存在だと思っていますので。
体験をしない瞑想を勧めている方と方向性は違うのですが。目指すところは同じ領域だと思ってますが。
どうなんでしょうね。
だから、まるの日さんがテーラワーダの経典群を読んだとして、「ああ、昔も同じようなことをブログに書いてた人がいたんだ。」と気づくだけではないでしょうか。
密教の大日経や金剛頂経、般若理趣経を読んでも「ああ、人間の欲を肯定しながら、無意識のエネルギーを顕在意識に組み上げて、欲を転換してしまう方法論をブログで限定公開した人もいたんだ。」と思う程度ではないかな。
ただ、これをヘミシンクを聴くだけでみんなそうなれるかは、別ですよね。変な方向に行く人もいるし(長~い時間かけて最終的に、修正される(三劫成仏)にしても)、みんながみんなこんなブログを書けている訳でもないですし。
ここは、やはりツールを使いこなす素質も必要だし、方向性を見定める能力もいると思うのです。
素質や能力の差を埋める一つの方法として先駆者の残したものをみれば、少なくとも方向性を定めるメルクマールや地図にはなるでしょう。
また、ちょっとスピ的な観点では、経典に書かれた概念がイメージとしてすんなり自分の中で消化されるなら、体験に準じた収穫もあるのではないかと思いますよ。
そういう意味で、テーラワーダの世界を垣間見るのも一つの経験かとは思います。
キリスト教にいたっては、むしろこのマンガから知識を吸収したりしていて。
やっぱり体験は大切な気がします。体験を積み重ねることで、理解不能な全体を推測するスペースが広がるような。
そんなとき経典のようなものを読むと、「な~るほど」と合点がいくのでしょうかね。
トータルセルフを完成させる、という表現も、肉体人間としての「自分」からみた方向性としては、ということでしょうか。
慣れないこと言ってしまいました。
コメント欄をあけたのは、
「娘さん、いい仕事しますね~」
とお伝えしたかったのです。
ニャンコ先生LOVEとしては、
ティッシュボックス……いいなぁ。
それにしても、クリエイターさんってすごいですね。
ティッシュを友人帳の一枚とする発想
(゜o゜;;スバラシィ
まるの日氏が書かれていることをもう一回しっかり読んでごらんよ。
仏教的にみても、なにもおかしいこと言ってないだろ?
あーだこーだ言わずに、毎日瞑想でも座禅でもヘミシンクでも何でもいいから続けていけばいいんだよ。
いいものが家にやってきましたね!
USBやコンピュータで例えると
非常にわかりやすいですね
あっちの世界に無理にアクセスしなくても
と思ってたのですが
事故で若くして逝ってしまった友人がいるので
どんな感じか聞いてみたくなりました。
(T_T)
読んでみたら分かるけど。
ミャンマーでパオの全過程を終了した日本人僧侶にも会って一緒に瞑想したり、話を聴いたこともありますけど、やはりちょっとスピな印象は拭えませんでしたよ。
ミャンマーからクムダ・セヤドーが来て8月の26日に京都の慶澄寺で1日パオ瞑想会があるので、興味があるなら出てみて、自分で確かめてみたらいかがですか?