まるの日仙台紀行
と言う事で。
5日は朝から仙台の、津波の被害を受けた地域を見せていただくことになっておりましたので。
その予定で外を見ると。
まあ、びっくり。しんしんと降り積もる雪。
空からは鳥の羽毛のような、綺麗な雪が音もなく舞い降りて。
それは大地を覆い尽くして行きます。
ホテルで朝食を食べていると、皆さんそとを見て途方に暮れている様子が見えて面白かったですが。
「私のせいではないよな。」
と思いつつ。
朝からニュースを見ると、この日は仙台では七十何年ぶりかで記録を塗り替える、3月の降水量を記録する予定なのだとか。
「私のせいではないよなぁ~。きっと。」
等と思いつつ、部屋で外出の準備ですが。
午前中が雪で、午後から雨という話だったのですが。
出発時はまだ雪。
そして、「雪だったので仕事が休みになりました」、という仙台で今回お世話になりました方と合流して雪道を移動です。
今回もベンツの助手席で移動しましたが。やはり安定していて滑っていても横滑り防止装置がほとんど作動しないのにびっくりしておりました。
これ、クラウンとかだったら絶対ぺかぺか光っているよ。という状態でしたが。
まあ、積もるしシャーベット状だし。
最初はおいしいパン屋さんでコーヒー飲みつつゆっくりとして。
パン美味しかったです。コーヒーも無料とは思えないクオリティでしたので。得した気分ですね。
そして、その近くにあるお店に寄って、本場ドイツのやり方で作られているベーコンやソーセージを購入して。
この日はもっと違うところに移動する予定でしたが、まあ、雪は積もるし。雨に変わるしで。
とても車では上がれないくらい雪の積もっているところもあって。
パンとお買いもので仙台を満喫しておりました。
そして、塩釜神社で今回案内して下さる方と合流。
この方、シェブロンアメジストハートを最後にじゃんけんでゲットした幸運の方なのです。
そこから、その方の車に乗り換えて、被災地を見学しながら空港まで送っていただく手筈に。なのでベンツでの旅はここまでとなりました。
しかし、待ち合わせ場所が塩釜神社。懇親会でお隣に来られた方とも強い関係があったのもこの神社で。
今回は何かご縁のあるところっぽい感じを受けましたが、この時は雨だったので散策はできませんでしたけどね。
今度青々とした緑の時期に仙台に来てみたいものです。
そして、ここから被害にあった地域を見せていただきます。
今の状態を、リアルに感じていただくため、写真を多めに載せることにしますが。
週末等に合同レトリーバルや祈りのイメージをされる方は、この写真を見て、感じるところで動いていただけたらいいな、と思います。
当時の様子を車内で聞きながら。
ちょっとその日に、現場が違っていたら今こうやって一緒に車に乗っていないのですよね。
みたいな話も聞いて。
当日のリアルな話も聞くと、あの時の映像だけで感じたものとは違う、リアルな世界を感じられるものでした。
水道とかガスの復旧とか。プロパンガスは結構大丈夫とか。
移動中に「このあたりも津波が襲ってきて」という地域も見せていただきましたが、今では普通の通りになっておりまして。
一年で復旧するところは早いなあ、と思った次第。
そして、徐々に海岸へと移動していきます。
トヨタの新車が流されていたとか。その影響でガードレールが至るところで曲がっていて。そのままの状態で残されています。
途中、ビール工場が津波に襲われて、缶ビールが一面に散乱していた事。
そしてそれを拾って、飲みながら避難していた人もいたりとか。
そういう話を聞くと、人間のたくましいところを感じるところで、ちょっとホッとしますね。
最初は街中での壊れた建物を見ながら。

仕事をしているところは復興してましたが。撤退したところなどは、そのまま倉庫も壊れたまま残されていて。あの時のまま時間の止まった空間と、人の生活する空間が同居している感じでした。

そして、港へと移動です。

港は、すでに船等も片付けられてましたが、巨大な船が打ち上げられていたとか。
ビニールシートと、そして無人の家家。

一階の部分が完全に水に浸かっていた様子が感じられて。10メートルを超える津波とは、いったいどのようなものなんだろうか。と恐ろしくなるところです。
次に、海辺にある小学校のある場所へと案内されました。

体育館や校舎は破壊され。人気のない学校は雪に覆われてひっそりとたたずんでいました。

子供達の声の聞こえない学校。


そして、その周りにあった住宅地の跡地。

土台のみを残して、そこに朝降った雪が白く残り。
今回、雪が降ったのはこのリアルな状態を、柔らかく受け入れられるように天が計らってくれたのかもしれない。
と思ったりしました。
ここには生活があって、多くの人が住んでいて。
こういう現場は実際に見ないとなかなか、体感できないものです。
がれきが撤去された後も、人の気配のあった空間。その感じがまだ残っていて。

この写真にある中央のところには白い十字架が立っていて。
私はここでバイオリンを奏でる少年の姿を感じておりました。
この土地に癒しと安らぎを与えるメロディーを奏でる少年。
その姿は白い雪の中に存在し。その音は静かに広く広がっていく。

そんな事を感じたところです。
癒しのために、見えない存在達の中でも働いている人が居て。

移動中に見えたガソリンスタンドの廃墟。

そして、広がる農地は塩害のために作物も作れないのだとか。

津波で壊された家々の土台が並び。高速道路がその境目だった。と言う話も聞いて。
人の生死と言うものに関しても考えさせられたものです。

そして、移動中に撮影したこの写真。
中央に1つだけ建物が残っていて。
この様子が、まるで葉祥明の絵のようで。
この廃墟の中に、なぜか美しさを感じたところでした。
白い雪がすべてを優しく覆い隠して。安らぎと浄化の雨。
そんな気のした一日でした。
場所と時間あればライアーを奏でようと思ったのですが。雨ではどうしようもないので、今回は見てきた様子をアップすることで、皆さんの何かの参考になればと思います。
仙台空港もすっかり普通に動いていて。
そして、私は乗り継ぎのある伊丹まで最初に飛んで、そこから熊本に。
時間にして3時間くらい。
早割でとると、飛行機でも25,000円以内で移動できますから。意外と近いのだな、と言う事を感じた次第です。
行ってみると、意外と世界は近くて。
でも、そこに関心を向けないと、その場所は存在しないのと同じで。
あの時から一年、
写真から感じる、何かを受け取っていただけましたらいいな、と思います。
早いものです。
一年後にまるの日さんが、仙台の被災地にいるのも、何か意味があるのですね。
今でも、写真を見ると生々しいですね。
百聞は一見にしかずといいます。
現地に行くと、津波の恐ろしさが分かりますね。
「白い雪がすべてを優しく覆い隠して。安らぎと浄化の雨。」そういう気持ちであの日を振り返りたいと思います。
2010年に義母を連れて、亡き主人との思い出の地の仙台・松島・塩竈と訪れました。2011年も一人で行こうと思っていた矢先の震災でした。今年は伺えるかな…と思いながらも、勇気が出ません(なので仙台ワークに参加できませんでした)。
雪のお陰で、少し柔らかく現状を受け入れられた感じがします。
ありがとうございます。
最近読んだ「ブッダの首飾り」という著書の第10章には異次元の実体についてくわしく書かれ、また他にも生きる理由や、108回の転生、高次元に昇るか低次で少しずつ宇宙のチリにされていくか等が書かれています。
とりあえず1度チェックしてみて下さい。それで、これは必要ないと判断されるなら、それでもいいと思います。
ノーシスについては、足を引っ張るためのアンチ派の攻撃が多いらしく、中傷やニセモノの情報も氾濫していますので、その辺は見極めてご判断下さい。