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まるの日<へミシンクとミディアムな暮らし> まるの日圭(真名圭史)の公式サイト

ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

久々の晴れ

2011-06-22 19:28:14 | マダムとの対話

雨が続いてましたが、今日はちょっと晴れ間もでてまして。
実家にウイロウ(小人の出る映画ではありません)を届けにいってきました。
母親が「名古屋に行くならウイロウ買ってこい!」との指令がありましたので。
最近のウイロウはおいしくなっているんですよね。まえ名古屋に行った時も、新しいウイロウを土産に頂きましたけど。
前よりおいしくなっていてびっくりしました。
お土産といえば、今回名古屋で行った時には、熊本銘菓を持って行ってティータイムにみんなで食べたのですよね。
午後に一回休憩を入れると、なんだか寝オチも少なくなるようなので、これからそういう機会を入れて行こうかな、と思うところ。
今度北海道や東京で行うときも、なんかもって行こうかな。
忘れるといけないので、前々日くらいに「なんかもってこい!」とコメント入れていただけると助かります。ケロロ軍曹でも有名な「いきなり団子」はかさばるので難しいですけどね。


さて、今日はCDお買い上げの落書きに、ちょっとマダムなんかを書いておりましたので。
そのついでに対談です。

ちなみに、最近ルリカさん登場回数が少ないせいか知名度がかなり下がってきておりまして。知らない方も結構居ます。
そうなると、マダムなんか「誰、それ?」となりそうなので解説。

マダムは、いわゆる陰側の存在で、私のガイドの裏側というか。
水無月さん(ハイアー的存在)がもつ光の属性の反対の闇と言うか、いわゆるダークネスな属性をもつような存在です。
水無月さんもマダムも名前は本来ないのですが、私が勝手に名前付けてますので。
呼び方はなんでもいいんですけどね。

マダムとの対話は左のカテゴリーを見ていただくと、大人の会話を楽しむ事ができます。
ちなみに、水無月さんは清楚な和服美人なんですが。マダムはIカップのセクシーダイナマイトボディ(死語か)です。

さて、そういう事で今回接触を試みますと、なぜか海辺。
そこにある白いテーブルで対談のようです。
すると、白いパーカーを羽織って、マダムが颯爽と歩いてきます。今日は水着で、布地の面積が明らかに少ない感じ。
はちきれんばかりのボディが惜しげもなくさらされてますが。

「それ、着てる意味あるんですか?」
と私が聞くと
「隠すことで、エロ度が増すのよ。」
とお答えして私の斜め前に座ります。
確かに、言いたい事は分かります。

むこうにはリエさんの姿もありまして。警戒していると、マダムがアヤシイ笑みを浮かべながら

「そんなに警戒しなくていいじゃない。今日はお目付け役が来ているから、何もしないわよ。」
と言われて、背後を見ると、そこにはルリカさん。
なるほど。ある意味、テーブルを挟んで陰と陽の結界が貼られている感じでしょうか。

「ところで、マダムに質問ですが。恋愛ってなんですかね?」
「深い愛の形の一つよ。」
「そうですか。私は良く『幻想』、って言って、たいてい妻を始め、女子の方にけちょんけちょんに言われるので普段はあまり話題にしたくない事なんですが。
そもそも、今生きている世界も幻想であって、家族愛も幻想、人類愛も幻想。怒りも悲しみも幻想。そこにある大切なものを感じている感覚も幻想、そういう事を考えているので恋愛も1つの幻想だなあ、と思っているんですけどね。
2次元を愛する人も、それはその人の愛の形なので、それをとやかく言う事でもないし。恋愛歴の多さが人間を成長させてくれる場合もありますが、それが必要でない人も居る訳で。
ただ、今の消費社会では恋愛をしていろいろと消費してもらう方が社会的に循環するし。
文化的にも発展するし。
全体的に利益のある方向に進むから、「1つの恋愛像」を認めて、それを強く進めているのだと思うのですけどね。
世に言う、多数派の論理で恋愛が語られているところに、私のようなひねくれ者は反発するわけですよ。
恋愛が商売になっていて。それに気付かず、「1つの恋愛像」至上主義のいろいろな情報に惑わされて苦しんでいる方も実際に居て。

それを見ていると、今の世の中の恋愛観をちょっと皮肉って言いたくなる事もあるんですけどね。

1つのやりかただけが恋愛の形でないと思うのですよ。男女だけでなくてもいいし。
何親等がどうとかいう、肉親関係の何かもありだとは思うのですよ。
男性だけでも。女性だけでも、生物を超えた関係でも。
それにはそれぞれの恋愛の形があって。

それを行うと、世の中が訳わからんようになるから制限がかかっているだけで。

幻想で生きているからそこ、そこにある幻想を大切にして、自分だけの幻想を認め、人の幻想も認め、そして互いの持つ幻想も認めると、『真実』とかそういう不変であるような幻想を探す事も、決まりごとを求めなくても良くなるんじゃないかな、と思って。
すると、恋愛にももっと自由になって、自分なりの方向性で世界を見て感じて恋をできるようになると思うのですが。いかがでしょう?」

「それもあなたの幻想ね」
「そう言われると元も子もないですけど。」
「人が幻想で生きているなら、幻想でないものは存在しないのかしら?」
「幻想で無いものとは?」
「自分で考えて」
「振っておいてそれですが。じゃあ、肉体とか。愛とか。」
「肉体ってどこまでが肉体? 愛って何?」
「肉体は体の自分が感じられる範囲が肉体では?」
「自分が感じられない、たとえば脳細胞の中にある電気信号の動きなんかは、あなたの肉体ではないのかしら?」
「それは医学が調べているから、それも肉体だと認識できますよね。」
「あなたが感じているのではなくて、人が感じた事をあなたは自分が感じたように思っているだけじゃない?」
「それ言われると、自分の肉体なんてほとんど感じる事できませんけど。」
「では、愛とは?」
「相手の心を受け入れる事。」
「相手の心をどれくらい受けいれるの?」
「そんなん分かりませんがな。」
「そう、あなたの言う幻想で無いもの、と言うものさえもあなた以外の存在が決めた幻想の中で判断されているものでしょう。」
「幻想でできている世界ってのは分かりましたけど。本当の事というのはどこで見分けるのですかね?」
「本当の事さえも幻想と思うと、見分けがつくわね。」
「ほとんど禅問答になってません?」
「人の基準だけを受け入れるのではなくて、あなたの基準で判断するものも受け入れて、そのバランスを取って行けば形はみえてくるんじゃないかしら。」
「その基準ってどこで探すので?」
「それくらい自分で探さないとだめよ。」
「だって、高次の存在なら、「ほら、あなたの基準はこれくらいですよ。」とか言えるんじゃないの?」
「もしもそれを言っても、あなたが納得しなければそれは実行されないでしょう?あなたに、「あなたは来年5億稼いでいるのよ」と言ったとして。それをあなたが自分で受け入れない限りはそれは実現しないのだし。」
「本当に5億稼げるの?」
「そうやって言う限りは無理ね。」
「普通、裏付けがないと信じられないでしょうに。」
「そう、あなた達は自分で体験に裏付けをしていかないと、それを受け入れられない存在なの。だから、あなたは体験をして、自分で基準を広げていくしかないのよ。」
「じゃあ、これからもっと基準を広げたら、5億いけますか。」
「広がればね。」
「体験でしか基準が広がらないのならば、恋愛している人達はその基準を広げる事をしているという感じでいいんでしょうかね?」
「この場合の恋愛の定義は?」
「商業的恋愛観ではなくて、愛するモノと共に存在したいという欲求を叶えている事、みたいな感じでしょうか。」
「その愛するモノってなに?」
「愛する者以外の何があるって言うんですか。」
「あなたの定義するそれは、実はただの欲求を相手に反映しているだけなのかもしれないわね。」
「それも大切では?自分の欲求を反映して、それで自分の持つものを体験できるんだし。」
「欲と愛は同じなの?」
「愛欲って言葉はありますから、同じではないですよね。」
「ならば、愛しているのに、そこに欲が出るのは愛ではないのじゃない?」
「それ言い始めると、定義の設定から決め直さないとだめじゃないですか。」
「そういうものよ。あなた達の過ごしている世界は、それぞれが関係する相手と定義を決める事で成り立っているでしょう。約束事をたくさん決めて、それが順調に動く事で世界を形成している。」
「それが無いと社会が無秩序になって大変なことになるのでは?」
「じゃあ、今の恋愛観も必要だから存在しているのではなくて?」
「うーむ。そう言われるとそうですけど。その約束事に入りきれない方々が苦労している世界を見ると、なんとかならんかな、と思うところなんですよ。」
「恋愛は愛を深めるという形では素晴らしいものです。
そこに性的な関係があっても無くても。互いを高め合い、そこで結ばれる心には何も他の存在からの干渉を受ける必要はありません。
自分のやりたいように、進みたい方向に進んで行けばいいのだと思いますよ。」
「でも、それで子供ばんばん作って放置されたら困るじゃないですか。」
「それは、あなた達の社会がそういう作りになっていないからでしょう。
子供は生まれるべきタイミングですべて生まれています。それを否定するのはあなた達であって、それを受け入れるのもあなた達。問題があると思えば、それに対して行動を起こせばいいでしょう。」
「でも、実際に生まれてきて殺されたり、捨てられたりする赤ん坊とか居ると、私はとてもやるせない気持ちになりますけど。。
中絶も基本的には嫌ですが、世の中にはしょうがない事も存在していますから。それらも必要とは思っています。
が、私の感情では「そんな事する前に、中で出すなよ!」って事なんですよ。
で、だいたいこういうときは女性がいつも被害者の側に立つのですし。
男がもっと考えるべきであって、女性もそれについて一言言えるくらいになって無いといかんと思うのですよ。

だから、無責任なセックスをする恋愛論に対して、一言言いたいというのはあるんですけどね。
やるならゴムつけろって事で。中で出すなってことで。
だから、日本のエイズ患者増加しているんですし。こういう危機感の無い甘い恋愛行為に対して、私はかなり怒りを感じるところなんですよ。
恋愛を否定しているわけではなくて、それについて、命を預かっているという感覚を持ってほしいなあ、と言う事で。」

「それもあなたの捕らわれ意識ね。」
「そういわれるとは思ってましたけど、たまには言いたい事も言いますよ。」
「ならば、そうならないように行動すればいいじゃない。」
「しているつもりですよ。」
「ならば、それでいいじゃない。」
「あっさりしてますね。」
「行動したい人が行動して、それに対して考えを述べて、そして、それで社会の意識が変化して。
その繰り返しが歴史であり、人の営みなんだから。あなたの言いたい事もたまには言うべきなのよ。」
「どうもブログではかきにくい話題は避けてしまいますからね。」
「あなたの溜まっているものは、私が全部受け止めてあげるから。大丈夫よ。」
「すっごい安いAV的なセリフに聞こえるんですけど。」
「私はあなたの奥底にあるネガティブな感情を受け止めている存在。あなたの怒り、悲しみ、そういう心はすべて私が相手をしてあげるから。それを隠す必要も、何もないの。
なんでも出して、それで相手の反応を見て。
そこで自分で考えて。それでいいじゃない。言いにくい事なんてものは、全部自分で決めている事なんだから。
それを言うと自分が不利になると思うから言えないのでしょう?」
「そりゃあそうでしょうね。でも言いたい事言ってたら世の中喧嘩になりません?」
「それを受け入れる心を皆さんが持っていればも無いないわよ。」
「それできたら楽ですね。」
「相手が自分の一部だと思えば、そういう事も出来るようになるわよ。」
「それをどうやれば会得できるのですかね。」
「自分の一部を相手に投影し続けること。それが嫌になる事もあるけど、それをすべて受け入れられるようになれば、それでいいんじゃない?
恋愛もそう。たくさんの人と会って、接して、愛も欲もぶつけ合って。いろんなものをぶつけ合っていると、それから自分が確立されていくんだから。」
「それって、恋愛でなくてもいいですよね。」
「心と肉体のぶつかり合いがあるから、恋愛のほうがより効果あるわよね。
なんでも体験なんだから。」

「で、なんで席を立つんですか?」

「あなたのすべてを受け入れてあげようと思ったからよ。」

「いえ、今日は結構ですので。これでお暇しますっ。」

と言う事で、今回はルリカさんと共に脱出してきましたが。
ネガティブな部分、そういうところもたまには見ないといけませんね。

今回は私の中にある一部にスポットが当たった感じです。
マダムと話す時はこちらの状況もいい感じのときでないと押し倒されてしまいますからね。
生々しい話はこっちの方々と話すことが多いですが。

「で、ルリカさんの意見は?」
「相手の乳がでかいからって、言っている事を素直に信じる必要はないのよ。」
「それとこれは関係あるので?」
「見てたじゃない。」
「そりゃあ、ありがたいものはちゃんと拝んでおかないと。」
「エロおっさん。」
「下ネタを言うあなたが何を言いますか。」
「あら、ブログに書く時は言わないわよ。」
「それ書いたら年齢制限かかってしまいますから。」
「あなたの書き方が悪いんでしょう?」
「ルリカさんは話し相手として良い感じなんですよ。それ以上は望みませんから。」
「あら、私だって、あなたのすべてを包み込んであげることはできるのよ。」
「その胸で?」
「やってみなけりゃ分かんないじゃない!! ほら、出しなさいよ!!」
「そりゃ勘弁を~。」

と言う感じで。
ルリカさんも結構直接的表現で下ネタを言います。
どっちが陰ガイドなんだかなぁ。
と思う事もしばしばです。





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6 コメント

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今日はアダルトな話題ですね。 (念仏者)
2011-06-22 21:06:23
恋愛は誰もが出来ることではないと思います。僕はこの身体になって若い時は被害妄想に陥っていました。そんなこんなで30超えて童○だったので風俗に行きました。そうしたら、特に何ともなかったんで、長い間、自分の被害妄想に囚われていたんだと気付いたんです。それ以来、風俗通いは続いています。所詮、向こうは商売でやってるんで、心は虚しいですけどね。

はっきりいって、今の私を恋愛対象として見てくれる女性はいないと思います。今の私には定職がありませんから。

世の中、どう見ても条件が悪いのに繋がっている男女関係もある。それはもう、過去世の因縁といっていいでしょう。星野富弘さんの例など。

不快な話をして、すみませんでした。アダルト繋がりで書いてしまいました。
返信する
久々のマダム登場ですね。 (goron)
2011-06-22 22:20:47
昔、寝ていたら急に横で気配がして、見たら
全裸のセクシー美女が現れました。
(多分、変性意識下で)
「早く、こっちに気づいて。」という感じの
雰囲気をかもし出しています。
私は、「これが噂のサキュバスかぁ?干からびた
おじいさんにはなりたくないし、ここは無視しよう。僕は何もみえてませんよ~。全く断じて見えて
おりません。」と自分に言い聞かせ無視する事
数分。
全裸セクシー美女はブチ切れて、消えていきました。
ガイドだったんでしょうか?
皆様のガイドに常に全裸で目のやり場に困る
セクシー美女がおられましたら是非ご一報を(笑)
返信する
まるの日さん、こんにちは。 (りんパパ)
2011-06-22 22:57:36
 久々のマダムさんの、登場ですね。
 昔の言い方をすると、ボイン、ボインのダイナマイトボディのマダムさんですね。
 今日は、大人の会話ですね。
 でも、よく読むと実に深いことを言っていますね。
 私は、恋愛関係はご無沙汰しております。
 今は、別に興味ないですね。
 今は、ねこちゃんオンリーです。 
  
返信する
マダムさん、久しぶりの登場ですね。 (ELLY)
2011-06-23 01:07:20
なんとなくキューティー・ハニーのイメージです(笑)。
うらやましい…セクシーナイスボディ?

『自分の一部を相手に投影し続けること。それが嫌になる事もあるけど、それをすべて受け入れられるようになれば、それでいいんじゃない?
恋愛もそう。たくさんの人と会って、接して、愛も欲もぶつけ合って。いろんなものをぶつけ合っていると、それから自分が確立されていくんだから。』

実感をしています。
人間関係、すべてそうですね…。
深いです。
マダムさん、ありがとう。
まるの日さん、記事にしてくれてありがとうございました。。。
返信する
皆様コメントありがとうございます。 (marunohi)
2011-06-23 16:11:13
マダムのイメージは・・・うーむ、難しいですね。
誰が似ているかなあ。叶姉妹やらアンジェリーナジョリーほどがっちりしてないし。
アンハサウエィほどアニメみたいな顔でもないし。
そのあたりを混ぜたような感じでしょうか?

イヤラシイわりには結構良い事いうので。
たまに接触すると自分の一面を見ることができて良いものです。
お楽しみも付いてくるかも?
返信する
(こう言っていいのか断言できませんが)「高位の存在」はよく「判断基準は自分では決めろ。」と言いますね。わかるような気もします。 (賈 文和)
2011-06-23 21:57:16
坂本正道氏などの著作を読んだりすると大抵「これはこうだ。」とか「あなたはこうだ。」とか断言して「我々を教え導く」存在には大なり小なり問題があるようで、特に我々をその存在の価値判断に取り込もうとする場合が多いようです。…まぁ、巨大な記憶、思考力と念動力を与える代わりに最終的には自分のRAMに取り込んでしまう某コミックスの準ラスボスに近いような気もしますね…。
あれで言えば、伝承族になるもならんも自分で決めろ、自分の判断と責任だと言っているようなものでしょうか。
面白いもので、老荘思想だと「伝承族になどなるものじゃない。」で、禅だと「伝承族になるも良し、ならぬも良し。最終的にはどっちでもそれを超越する。」なんですね。「高位の存在」に言わせるとそれすら「どっちを選ぶのも自分で決めることだ」なんでしょうが。
返信する

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