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まるの日<へミシンクとミディアムな暮らし> まるの日圭(真名圭史)の公式サイト

ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

エランさんの老師現る?

2008-11-07 22:27:38 | へミシンク質問箱
 昨日の煙突掃除で腕が痛くなりましたね。不安定な梯子の上だとへんな力の入り方するからでしょうけど。なので、お菓子の生地を混ぜる時に手が痛いですね。
最近は朝も暗くて帰りも暗いので風景が楽しめないので残念です。その代わり、キツネとかは良く見ますけど。
夏のキツネはしっぽの太いネコかと思うくらいほっそりしていますが、そろそろ毛が生えてきています。走り方に特徴があって、ぽんぽんと跳ねるような感じで走っていきますね。
さて、そんな日のヘミシンク。今日は朝からフォーカス21のCD聞いてみました。今日はアファメーションする前から三角錘と正方形のシンボルをイメージして。
最近新キャラが出てきているので、その確認と三角錘の使用法を試すためにです。彼にでも会って、話が聞ければなあ、と思いつつ「まるの日カフェ」に到着。常連さんにケーキセットを出して歩いていると、急に誰かにぶつかってしまいました。非物質世界で人にぶつかるのも珍しい、と思って相手を見るとエランさんでした。
そして今日はエランさんに捕まってそのまま上に連れて行かれます。
次に見えたイメージはI/Tクラスターの柱。中にはディスクがぎっしり積み重なっていて、それが一つの管のようにすら見えます。これはエランさんの受け持ちで、私の所属するクラスターですね。
で、それを一人の人物が手にとって覗いたり叩いたりして確認しています。縮尺がおかしいですが、まあ、立体映像とかイメージみたいなもののようです。エランさんはその前で言葉を待っているように見えます。エランさんより格上の存在みたいです。
 その人物は「中にまだスカスカした所があるな。そこを早く埋めてしまわないといかんんのお。」と言いました。私がその喋り方に聞き覚えがあると思ってその人物の顔を見ると、それは以前登場した、あのシンボルを説明してくれた老師です。
 どうやらI/Tスーパークラスターの代表者のようです。ついにここまで来ましたねえ。私の場合は I/T=水無月さん I/Tクラスター=エランさん I/Tスーパークラスター=老師 となるようですね。しかし、擬人化した姿とはいえ、エランさん(ゴールドクロス)の上が老師というところになんだかセイント星矢世代だなあ、と思うところです。
 別にこの老師の顔色は悪くないですよ。
で、この老師からいろいろと言われて、エランさんは恐縮しています。こういう姿みるの初めてですね。やっぱり老師は偉いのでしょうか?
 その後、こそっとエランさんは私に「君が早く自分のディスクを完成させないと、私の空きが埋まらないのだよ。早くしてくれないか?」と言われてしまいました。
そうは言われても、私がどうやってディスクを完成させればいいのやら。もっとレトリーバルでもしろということでしょうかね?
エランさんとの話が終った後、老師が私に話しかけてきました。あのシンボルは、この老師とかの存在を認識しやすくするためのツールなのだとか。他にも使える人はいるだろうが、準備の整った人でないと使いこなせないだろう。等と言っていました。他にも、ヒーリングの効果もあるので、いろいろ使って見るといい、とも。危ないものでは無さそうですね。
 次に、老師は私を連れて、蜂の巣状になっているスーパークラスターの上へやってきました。それはわたしが上を歩けるくらい大きく、人くらいの大きさの蜂が作った巣の上を歩いているような感じになっています。さっき、エランさんの柱(I/Tクラスター)がどこに使われているかというと、辺の集まる頂点に置いてあります。蜂の巣に見えるのは、こうやって置いてある柱からエネルギーの連絡情報網が隣の柱に伸びていてそれが巣の壁になっているから。なら隣同士でくっつけが良いのに、このように空洞があるのは何のためだろう?と私が思っていると、一匹の蜂が飛んでくるイメージが現れました。蜂は巣にハチミツをため込んでいきます。そこで、閃きました。このスーパークラスターが次の段階に進むためには、この巣がエネルギーで一杯にならないといけないようです。
 その管理をしているのがこういう老師のような存在みたいですね。
老師いわく、このクラスターを担当しているのは一人だけではなく、まだ何人もいるそうです。
 せっかく新たな高次の存在に会えたので、2012年問題を聞いてみました。2012年に地球から卒業すると、このスーパークラスターを形作る事に影響したりするんですか?と。すると、
「一体何から卒業するつもりじゃ? その事を考える事が必要じゃのう。」
となにやら意味ありげな事を髭をなでながら言っていました。まあ、良く考えろと言う事でしょうか?
そうこうしていると戻って来いナレーションが聞えてきましたので、戻ってみますと、ガーデンにモンローさんがいるのが見えました。紅葉した葉っぱを見ています。なので、私もガーデンへ向いました。
 「美しいねえ。」私の姿を見ると、そう言ってくれました。
そこで、私が「モンローさんはI/Tスーパークラスターの代表者かと思っていましたよ。」と私が言うと、モンローさんはニッと笑って、「私はガイドさ。向こうの世界(フォーカス世界)のね。」とか。

イラストはそのスーパークラスターを散歩していた時の絵です。こんな感じということで。




<連絡事項>
そして、「リアルまるの日カフェ」の詳細を
・日時:11月16日 日曜日 午後2時より
・場所: 南阿蘇村 「工房ネコオル」 http://www5.plala.or.jp/nekooru/ 地図もありますので、ホームページをご確認してください。

・内容:お茶を楽しみながら、ヘミシンクの話題を。他の方と話すことで、ちょっとした気付きが得られたりしますよ。雰囲気のいい場所なので、午後のティータイムにももってこいです。

・予約方法:工房ネコオルホームページよりメールにて問合せか、お電話にて御予約を。店が狭いので、先着6名様までとなっております。お茶の準備などありますので、店のほうに直接お願いします。私のブログからは申し込めませんのでお気をつけ下さい。電話などでも「まるの日カフェの集まりに関して」、と言えば通じますので。
ちなみに、ここにはメタミュージックCDがちょっと置いてありますので興味のあるかたは、電話で確認してから行ってみて下さい。突然店を閉めていたりしますので、確認しておいたほうが良いです。

・料金:お茶(珈琲)、ケーキセットで800円となっています。お茶飲み放題。
お店に来られてからお支払いはお願いします。

と以上のようになっております。興味のあるかたはぜひ。






 


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12 コメント

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こんにちは。今日も予想外の展開に胸がわくわくです。 (tensho)
2008-11-08 14:28:59
私も驚きました。
老師がそんなに上のレベルの人だったとは。
ゴールドクロスの上とはとても思えませんでした。

2012年問題は、ある意図のある人たちの情報操作だと思っています。精神世界の人や陰謀論(?)信奉者がなぜそのようにあわてているのか不思議でなりません。
それよりも現実問題のほうが切実と思っています。たとえば、イラン攻撃とその後の展開(海上封鎖や大型のテロ、戦争など)、本格化しつつある世界恐慌、新型の病気や地震、食料や水不足などです。

ところで、
三角錐のアクセスシンボルは、中に正方形でしたか、正四面体でしたでしょうか。
アクセスパスワードはなかったでしょうか。
ぜひまた老師に助言を聞いてください。

肩こりや胃腸の不具合にこのエネルギーが使えないものかと思案しています。
返信する
tenshoさんコメントありがとうございます。 (marunohi)
2008-11-08 20:00:34
2012年の話に気持ちを向けるのもいいですが、まず自分の生きている足元を見るのも大切だと思いますね。
独立個人の考え方が必要と思います。
三角錘のシンボルは、正三角形の三角錘のなかに、正方形が入っています。パスワードは聞いていませんが、それをイメージしてエネルギーを充填させるような感じで使えるようです。
その先の使い方はまだ実験中ですね。ブログ内でちょこちょこ書いてゆきますね。
返信する
Unknown (一読者)
2008-11-08 21:12:09
 復刻☆銀河ネットワーク情報保管庫の2008/1/9「タイプ」が統合意識の構築というものに触れています。実はつい先日ここまで読み終わったばかりなのですが、統合意識についての解説でもっとも詳しい記事だと思われます。
 この統合意識は、禅で言うところの「正しく見る」といったところでしょうか。こういった日常感覚が卒業・・・それがあればですが・・・に必要なのでしょうか。スターシードや宇宙に関しては全く身に覚えがないので触れようがないですが、このブログの核の部分は禅に近い感じがします。

 それともう一つ、まるの日さんが見せてもらった1000年後の地上に様子ですが、そこに気になることがあります。みんな何かが似ている・・・ということが書いてあったと思います。もしかすると、それぞれが一つの性質に近づいている原因も禅に求められるかも知れません。個人の雫が全部ひとつの海になったのかも知れない、という感じがします。
 以下、コピーしてとっておいた記事を投稿します。この記事の内容は、実感できるようなできないような不思議な感覚があります。
返信する
観照と無心についての質問・・・和尚ラジニーシ講話    (一読者)
2008-11-08 21:17:10
禅宣言p302-305より(市民出版社)


(質問)
 観照の中で私は無を体験しました・・・というのはつまり、「意識しながら待つ」という単純な状態以外には何も認識できなかったということです。私はマインドや身体や感情の出来事を観照し、また体外体験も観察しましたが、こうしたものの有様をはっきり理解することができません。

マインドと比べ、無心の在り様はどんなものでしょうか?それは能動的なマインドとは反対の、受容的、受動的なマインドでしょうか。あるいは、どこまでもノー・マインドなのでしょうか。もし知覚するマインド・・頭脳がなかったら、いったいどうして意識は情報を受け取り認識するのでしょうか。


(和尚)
あなたは、ひとつの質問の中でたくさん尋ねすぎている。
最初に覚えておくことはこうだ。私が観照しなさいと言うとき、始めのうちあなたが観照するのは、身体や、マインドや、ハートのものごとや、感情や、思考だ……層また層、それをひたすら観照する。
返信する
Unknown (一読者)
2008-11-08 21:17:54
そして最後に、あなたはただ純粋な「鏡」を見つける・・・観照それ自体だ。それを純粋な鏡と呼ぶのも、観照しているものが何もないからだ。この「無」(何もないこと)こそ、あなたの本性だ。

この無からすべてが生じ、そしてこの無へとすべてが溶けてゆく。そして無になる覚悟があるなら・・・生きながらでも・・あなたの生には、平安と、静寂と、優雅の香りがただよう。

世の教育システム、一般通念はこぞって、あなたに対し、野心的になるよう、何者かになるよう強制する。でも何者かになることは、静かなプールに不安の小波を作ることだ。野心が大きければ、不安の波も大きくなる。欲望のせいで狂気にさえもなりかねない。何者かになろうと試みることは、不可能を試みることだ。なぜなら、あなたはもともと何者でもないからだ。
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Unknown (一読者)
2008-11-08 21:18:41
人はみな無であるけれども、その無に関する禅の見解は、ほかに類を見ないものだ。禅は何の野心も教えないし、ほかの何者かになれとも教えない。禅がひたすらあなたに示していることはこうだ・・・自分の存在の一番深いところで、あなたは今も無だ。あなたは今も原初の純粋さを担い、それは「私」という観念によってさえも、汚染されていない。
 
だから観照しているときに、あなたは「私は無を体験した」と言うけれども、無を体験したとすれば、あなたは存在しないはずだ。無を体験するとは、あなたがいなくなって、無があるということだ・・・水面に波が現れては消えるようなものだ。
 
無を観照するのはあなたではない。あなたはまた小さな「私」を創り出しているが、その中には野心の世界がまるごと入っている。無を体験するとは、「あなたがいない」ということにほかならない。

そして、途方もない歓喜がやってくる。なぜなら、心配や欲望や緊張にかかわっていたエネルギーがすっかり解き放たれ、踊りになり、至福になり、静寂になり、途方もない洞察になるからだ。
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Unknown (一読者)
2008-11-08 21:20:30
しかし、それはいかなる「私」とも関係はない・・・根っこのない純粋な白雲で、自由の中に浮かび、理由もなければ方向もない。<存在>の全体がその家となる。それはもはや、自らを分かつことがない。この非分割こそ仏性の究極的な開花だ。自分がいないと知ることは、もっとも偉大な知だ。
 
質問の中であなたは、このすべてを知覚する者は「誰もいない」のか尋ねている。もしこの「誰もいない」が、何かを知覚するとしたら、それはまだ「誰もいない」になっていない。もし何も残っていなかったら、知覚する者もおらず、すべては<存在>の中に溶け去る。

禅は世界で唯一、<存在>に即した宗教だ。すべての宗教はあなたの欲望を糧としている・・・分離したい、個々別々でいたい、特別になりたい、自己を実現したい、聖者になりたい・・・こうしたすべては、臆病な欲望だ。
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Unknown (一読者)
2008-11-08 21:21:06
禅とは勇敢なステップだ。勇敢さでそれに勝るものはない。無と静寂への量子的飛躍だ。「誰が静かなのか」と聞くようであれば、あなた静かではない。「誰がこのすべてを知覚し、観照しているのか」と聞くようであれば、あなたはまだ、私が示している無には至っていない。
 
そして、これはちょっと考えればわかることだが、存在することでいったい自分が何を得たのか・・・災難だ。禅が示してくれるのは、非存在の道、災難のすべてから抜け出す道、静寂の道だ。
 
誰もいなくなったとき、瞑想はその開花に至る。この「誰もいないこと」の花、無の花こそ<存在>の高みの究極的なな表現だ。そうでなければ、あなたはいつまでも小さな「誰か」のまま、閉じ込められている。
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Unknown (一読者)
2008-11-08 21:22:04
どうして全体にならないのか。大海に落ちることが可能であるのに、なぜいつまでも雫のままで、いろいろな種類の死を恐れ、陽光の中に蒸発するのを恐れているのか。ちょっと大海に飛び込んで、消え去ればいい。大海そのものになればいい。これは同じことを言い換えたまでだ。「無になれ」というのは「すべてになれ」ということだ。

<存在>の中に花と咲き、鳥といっしょに空を飛び、雲になり、大海になり、川となる。けっして、「私」をともなった何か特別な人になるのではない。「私」こそが問題だ・・・そしてまわりにたくさんの問題を創り出す。

そもそも禅の体験とは、無―私、無―自己の状態に入っていく体験だ。そうすると問題もなくなる。尋ねる者もいなければ、答える者もいない。
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 ・・・分かるような分からないような、という感覚だけです。 (一読者)
2008-11-08 22:01:59
 ところで1000年後の未来というとアセンション(というものがあれば)した後の世の中を見ているわけで、2012年はともかく西暦3000年には「地球はアセンションしたんだな~」という感覚はありますか?

 相手の立場に関わらず、個人的に口を滑らせたい時に随時呼ばれる選ばれた政治記者として、その目での自己判断はいかがでしょうか。

 読者としてあの未来記事を読んだ限りでは、アセンションしたというよりも悟りに至っているんじゃないかと思います(笑。
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