日本でも「モナリザ」の作者として有名なルネッサンス時代を代表する天才芸術家レオナルド・ダビンチが描いた
イエス・キリストの肖像画が1763年に英国王室から取引後に長年行方知れずになっていたが、250年の時を隔てて2005年に
再び人々の前に姿を現した。ダビンチの作品としては唯一の個人所有となっていたレオナルド・ダビンチの「サルバトール・
ムンディ」と名付けられた救世主の絵は絵画としては史上最高額の510億円の値を付けてクリスティーズのオークションで
落札された。その絵画の偉大さや歴史お値段の高さも然ることながら、あのダビンチの書いたキリストの肖像画となれば更に
興味がある。あれだけ造形美に優れていた天才芸術家が描くキリストの顔とは一体どのようなものだろうか? 場合によっては
世界の人々のキリストに対する宗教観さえ変えてしまう影響力とインパクトがあるのではと期待していたが、見た瞬間一番の
特徴であるはずのアゴ髭の印象が薄く、頬は決して痩せこけてはおらず、むしろ血色が良くぼやけた輪郭の中性的な顔立ち加えて
左手にはキリストとしては見慣れない水晶玉を持っていた。 第一印象は「これ誰?」だった。キリスト様とは思えなかった。
※因みに画像の貼り付けは省略です。wwwめんどくさい。
私の想像したキリスト像は十字架に磔になったキリストの痩せこけた顔と肋骨に死を前にして憐れみの目で天を仰ぎ見る
その姿だった。キリストに最後の瞬間が訪れる歴史的な臨場感と慕う人々の悲しみが滲み出るような作品かと思った。しかし
どうみても良い物食べてそうな小奇麗で死にそうもない男性の姿にリア充をを想像させる存在だった。
時として言葉は本来持つ意味とは違った使い方をされ、間違った使い方の方が一般的に定着してしまう場合がある。
デビット・フィンチャー監督の『セブン』では、スロットマシンのジャックポットでお馴染みの「7」の数字が普段はラッキー
ナンバーとして好まれているが、実はキリスト教では7つの大罪を示す不吉な数字だった事が扱われている。
親指を立てるハンドサインはグッドなどの良い肯定的な意味を持ち、それを逆さまにして地に親指を向けるとバッドのブーイングに
使われるしかし実は親指を上に向けて立てるグッドのハンドサインこそがローマ法王の示すコロッセオでの死刑を意味するものだった。
ルネッサンスの意味は「再生」「復活」であり、それは芸術にも宗教にも及ぶ。もしかするとレオナルド・ダビンチはキリスト教の
復興としてイエス・キリストのイメージを変えたかったのかもしれない。 終末観は重要視せずに十字架に磔にされ人々の罪を
贖うイエス・キリストでも無く、神々しくも理想的で健やかな人物像こそ救世主の名に相応しい容姿であると考えたのかもしれない。
ダビンチの宗教観を知る上では決定的な作品になった。
イエス・キリストの肖像画が1763年に英国王室から取引後に長年行方知れずになっていたが、250年の時を隔てて2005年に
再び人々の前に姿を現した。ダビンチの作品としては唯一の個人所有となっていたレオナルド・ダビンチの「サルバトール・
ムンディ」と名付けられた救世主の絵は絵画としては史上最高額の510億円の値を付けてクリスティーズのオークションで
落札された。その絵画の偉大さや歴史お値段の高さも然ることながら、あのダビンチの書いたキリストの肖像画となれば更に
興味がある。あれだけ造形美に優れていた天才芸術家が描くキリストの顔とは一体どのようなものだろうか? 場合によっては
世界の人々のキリストに対する宗教観さえ変えてしまう影響力とインパクトがあるのではと期待していたが、見た瞬間一番の
特徴であるはずのアゴ髭の印象が薄く、頬は決して痩せこけてはおらず、むしろ血色が良くぼやけた輪郭の中性的な顔立ち加えて
左手にはキリストとしては見慣れない水晶玉を持っていた。 第一印象は「これ誰?」だった。キリスト様とは思えなかった。
※因みに画像の貼り付けは省略です。wwwめんどくさい。
私の想像したキリスト像は十字架に磔になったキリストの痩せこけた顔と肋骨に死を前にして憐れみの目で天を仰ぎ見る
その姿だった。キリストに最後の瞬間が訪れる歴史的な臨場感と慕う人々の悲しみが滲み出るような作品かと思った。しかし
どうみても良い物食べてそうな小奇麗で死にそうもない男性の姿にリア充をを想像させる存在だった。
時として言葉は本来持つ意味とは違った使い方をされ、間違った使い方の方が一般的に定着してしまう場合がある。
デビット・フィンチャー監督の『セブン』では、スロットマシンのジャックポットでお馴染みの「7」の数字が普段はラッキー
ナンバーとして好まれているが、実はキリスト教では7つの大罪を示す不吉な数字だった事が扱われている。
親指を立てるハンドサインはグッドなどの良い肯定的な意味を持ち、それを逆さまにして地に親指を向けるとバッドのブーイングに
使われるしかし実は親指を上に向けて立てるグッドのハンドサインこそがローマ法王の示すコロッセオでの死刑を意味するものだった。
ルネッサンスの意味は「再生」「復活」であり、それは芸術にも宗教にも及ぶ。もしかするとレオナルド・ダビンチはキリスト教の
復興としてイエス・キリストのイメージを変えたかったのかもしれない。 終末観は重要視せずに十字架に磔にされ人々の罪を
贖うイエス・キリストでも無く、神々しくも理想的で健やかな人物像こそ救世主の名に相応しい容姿であると考えたのかもしれない。
ダビンチの宗教観を知る上では決定的な作品になった。