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2019年も残すところあと一か月です。

2019-11-30 23:55:17 | 地震の予兆は当たらない

もう放置しっぱなしの企画、地震や自然災害を扱ったブログ企画ですが、久しぶりに少しは書こうかと

思い立ったは良いが、如何せん継続して調べて書く習慣が途切れてしまったので感覚が戻ってきません。

でもなんとなく2019年今年は12月の1ヶ月を残して災害に繋がる大きな地震は無かったけど台風の当たり

年だったなと思い返すばかりです。勿論千葉県を直撃した台風19号と21号の事です。

さて今年一年の地震を思い返すようにいやいや今頃になって調べてみれば3つほど気になる地震があった。

・7月28日 三重県南東沖  深さ393km  震度4  M6.6

・7月13日 奄美大島北西沖 深さ256㎞  震度3   M6.0

・6月04日 鳥島近海    深さ445km  震度4  M6.2

3つとも震源までの深さが100km以上の深層性の地震ですが、その中でも三重県南東沖の地震に関しては

フィリピン海プレートとユーラシアプレートの接する南海トラフ海溝近くに震源地を置くが、最大深度を

観測した地点は震源から約600㎞東北に進んだ宮城県丸森町だった。こうした震源地と揺れを感じる地点

が離れている事を異常震域という。

 

マグニチュード5.0以上で陸地に震源を持つ直下型の地震は6つだった。

1月03日熊本地方   M5.1 深さ10km  震度6弱

2月21日胆振地方   M5.8 深さ33km  震度6弱 

4月28日十勝地方   M5.6 深さ102km  震度4

5月25日千葉北東   M5.1 深さ38km  震度5弱

6月17日茨城県北   M5.1 深さ77km  震度4

8月15日青森三八上北 M5.5 深さ93km  震度4

 

最大震度とマグニチュードを記録したのは山形で起きた地震でした。

6月18日山形県沖  M6.7  深さ14km  震度6強

残り1ヶ月でこの累計が変わるかどうか。最大震度を記録した山形の地震を超える事は少し難しいと 思うのだが油断は大敵です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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中曽根康弘 101歳で死す。

2019-11-30 23:11:38 | 国内国際情勢

決して死ぬまで口外せず腹の中に収めて秘密にする時、人は“墓場まで持って行く”と表現する。

34年の歳月を超えても日航機123便墜落事故に関する陰謀や疑惑にまみれた異質な存在感を持っていた

総理大臣中曽根康弘は多くの疑惑を弁明することもなく死去した。101歳の大往生だった。

中曽根は日航機事故から3日後の1985年8月15日の戦後40年目の終戦記念日に閣僚による靖国神社の公

式参拝を電撃的に行った。そしてこれが最初で最後の閣僚による靖國公式参拝となる。

結論から言えば、戦前戦中と政治に利用された過去のある神道の信用回復を求めて内閣による公式参拝

を慣行にしようと目論んだのかもしれない。生前の中曽根の主張である戦後政治の清算の一つとして“

靖國公式参拝”があったとしても不思議では無い、しかしそれは時期早々の“勇み足”だったと判断し

なくてはいけない。もしも公式参拝が戦後50年目の節目に米国を始め戦勝国と協議を重ねた上で実施さ

れた場合に、今の靖国神社と政治の関係は大きく変わったかもしれない。

 

あれから34年後の2019年の夏に中曽根康弘の死亡する数か月前に長年行方が知れていなかった閣僚の靖

国神社参拝問題に関する懇談会の議事録通称“靖国懇”の一部が発見された。普通の人には余り聞き慣

れない言葉ですが、たしか90年代後半の橋本内閣時代にも一度この“靖国懇”の存在が話題になった。

1993年の細川護煕内閣が誕生して自民党の55年体制が崩壊したお蔭でこれまで機密事項であった文書の

存在が公にされることは民主主義の開かれた政治の理念に適っていると盛り上がった。しかし政府は“

靖国懇”の存在は認めたが実物やその内容に関しては公開されることは無かった。

 

だから正確に言うと90年代後半に発覚した“靖国懇”が20年以上も封印されていたが、当時の総理大臣の

中曽根康弘総理大臣の死を目前にしてその一部が公開されることになった。2019年の夏に発見された訳で

は無いが、あたかも今発見されたような言いぶりに少し警戒を強める必要がある。85年の内閣議事録の靖

国懇10年後に発見されるもその内容を20年間封印され続けて来た訳だからそれなりの内容があるものだと

考えて良い、しかもまだ一部だけしか見つかっていない。全容解明には程遠いのは仕方がないが、やはり

“靖国懇”は中曽根康弘の事だけでは無く日本の近代史を知る上で無くては成らないモノだと思う。

 

死人に口無しでもう中曽根康弘本人から話を聞くことは出来なくなってしまったが、この“靖国懇”が日

航機123便の墜落事故の真相ばかりでなく日本政治の闇が絡んでると考えることが妥当だと思う。まだ一部

だけの発見だが、平積みになっている本の上にでも置いてあったかのような軽率な態度で扱われてはいけ

無いモノだと思う。 大体こういうモノは政治家本人の自宅に隠し持っているケースが多い。しかし英訳された

ものを既に米国は所持していると思う。 そして今後もこの問題を引き摺るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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