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映画 『神様のカルテ2』 を見てきました。
残念ながら前作 『神様のカルテ』 では相当がっかりさせられましたので (こことここ参照)、
そもそもこの続編を見るつもりはなかったのです。
ただ、出不精の私が珍しく何もない週末に1人で街に繰り出して時間を持て余し、
映画でも見るかという気になったけれども、
フォーラム福島に行ってみてもディープな映画はやっておらず、
たまたま 『神様のカルテ2』 をやっていて時間的にもちょうどよかったので見てみることにしたのです。
が、これは見てよかったです。
前作とは比べものにならないほど優れた映画化作品となっていました。
前作はとにかく監督が悪いのか俳優が悪いのか知りませんが、
主人公の栗原一止がただひたすら疲れ切った地方病院内科医として描かれてしまっていて、
現代医療の矛盾の中でギリギリ踏ん張っている理想主義者という側面が描き切れていませんでした。
(ボソボソと呟くようなセリフ回しが多く、聞き取れないところも多々ありました。)
今回の映画ではおそらく意識的に方向修正がなされたのだと思いますが、
櫻井翔が演じる栗原一止ではなく、原作で描かれていた栗原一止として受け入れて、
すんなりと映画の世界に入っていくことができました。
あと前回こんなふうに書きました。
「[原作との] 設定変更で一番気になったのは、栗原の上司の一人である内藤先生を、
完全に排除してしまったことでした。
原作では、本庄病院の内科には大狸先生と呼ばれる貫田先生と、
古狐先生と呼ばれる内藤先生がいて、
この2人が 「いつでも安心して受診できる病院を作ろう」 という理念の下、
「24時間、365日対応」 というムチャな医療を支えてきたことになっていました。
ところが映画はこの2人を1人にまとめてしまって、
古狸先生1人だけという設定に変えてしまったのです。
古狐先生がいないと 『2』 は成り立ちません。
したがってもう 『2』 は映画化できないかもしれません。」
『2』 を映画化するにあたってここは一番の難所でしたが、
大狸先生+古狐先生=古狸先生 (=貫田先生) に内藤先生の大役を務めさせ、
その盟友役は信濃大学付属病院の高岡先生に振ることによって何とか帳尻を合わせていました。
(そもそも原作には高岡先生なんて登場しません。)
原作を知っている私にとっては違和感は禁じ得ませんでしたが、
原作を知らない人であればこれで十分自然に見ることができたのではないでしょうか。
ほかに主人公が住むボロアパートの新たな住人となった屋久杉君のエピソードが、
尺の関係だったのか何となく尻切れトンボに終わった感も残りましたが、
ま、これは前作での学士殿の扱いの変更にも似ていて、この脚本家のクセなのかもしれません。
脚本家のクセと言えば、原作ではタイトルの 「神様のカルテ」 が何を意味するのか、
『1』、『2』、『3』 と読んでもいっこうに明らかになっていないのに比して、
映画では前作でも 「神様のカルテ」 を明示するエピソードが加えられていましたし、
今作でもその点をきちんと補うようなセリフが追加されていました。
いずれもそれが原作者の意図だったとは到底思えませんが、
この脚本家はそうしたところをはっきりと表現したいタイプの人なのでしょう。
私のような単純な人間にはそれでいいかもしれませんが、あまり文学的とは思えません。
そういった細かいケチはいくらでもつけられるでしょうが、
映画としてはとてもよかった (よくなった) と思います。
前の映画ではほとんど泣けませんでしたが、
今回は原作の感動そのままに、もう泣きっぱなしですよ
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まだしばらくやっているようです。
ご覧になる場合はハンカチかティッシュをお忘れなく。