まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q .最近疑問に思ったことは?

2016-09-06 17:03:14 | 性愛の倫理学
最近、疑問に思ったことですか?
倫理学なんていう学問をやっていると、たいがい何にでも疑問を抱いてしまいますので、
最近って言ってもけっこういろいろあるよなあ。
まあ 「何でも倫理学」 なので何でもいいのですが、
それじゃあ、若い皆さんに聞いてみたい疑問ということで、
最近、雑誌に記事が載り、それがワイドショーなんかでも取り上げられていた以下の話題について、
疑問に思ったことを書いてみることにしましょう。

「ゲス川谷絵音 20代美女のお持ち帰り真っ最中に直撃取材《一問一答》」
  (週刊女性2016年9月13日号)

今年の年始に大々的にニュースとなり、その後そのお相手の方とも別れ、
配偶者の方とも別れたというロックスターの方に関するその後の情報です。
私としては基本的にこの問題全体がどうでもいい話だと思っており、
人のプライバシー (特に性愛関係というきわめてプライベートな問題) を暴き立てて金儲けをする、
現代マスコミの質の低下、およびそういう低俗なニュースに飛びつく民度の低さ、
という以外の問題意識を持っていないのですが、
たまたまテレビで、取材者と川谷さんのやりとりを詳細に紹介していて、
そこにものすごく疑問を感じたので、この問題を取り上げることにします。
2人のやりとりの詳細は以下です。

(以下、記事より引用)
─川谷さん、タクシーの中の女性は新しい恋人ですか?

「いや、そういう感じじゃないですけど……。友達ですね」

 突然、声をかけたにもかかわらず、特に驚いた様子はない。

─ここは、川谷さんが住んでいるマンションですよね?

「あ、はい」

─普通は、ただの友達をこんな時間に家に入れないと思うのですが。お泊まりするってことですよね?

「そうですね……。はい」

 重ねて追及すると、バツが悪そうに認めた。友達と言い張るのはさすがに苦しい状況だ。ありあまるロマンスは隠しようがない。

─本当に恋人ではないんですか?

「はい、実際リアルに……。彼女とそこまでは進んでいないです」

─では、これから恋人に発展していく可能性があるということですか?

「それは相手次第ですね」
(引用終わり)

とりあえず以上です。
2人のやりとりがおかしいというよりも、この取材者の質問の仕方が不思議でしょうがありません。
どうやらこの取材者には 「ただの友達」 か 「恋人」 かという二者択一の枠組みしかないようです。
それって今どきの感覚と合ってますか?
皆さんはそのどちらかしかないと思いますか?

実際に川谷さんたちが自宅マンションで何をしたかはまったくわかりませんが、
ここでは話を簡単にするために、
「2人でお泊まり」=「性行為をする」 と仮定して話を進めていきたいと思います。
さて、セックスをする相手は 「恋人」 だけなのでしょうか?
21世紀の日本においてそんなことを信じている人はどれくらいいるのでしょうか?

戦前や終戦後くらいまでだったら、結婚するまでセックスをしてはいけない、
という倫理観が (特に女性に対しては) 存在していたようです。
私の親の代くらいまではたぶんそういう常識が残っていたかもしれません。
しかし、私が思春期を迎えた頃にはそんな倫理はとっくに崩壊して、
婚前交渉は当たり前という時代を迎えていました。
ただし、たしかにその時代は婚前交渉はごくフツーのことになっていましたが、
それでも 「性行為をしていいのは恋人だけ」 という倫理・常識はまだ残っていました。
みんながそれに従っていたわけではありませんでしたが、
全体の風潮としては 「性交相手は恋人だけ」 という締め付けはあったように思います。
それって1970年代から80年代くらいの話です。
一世代前の話ですね。
「セックスフレンド」(略してセフレ) という概念がなかった頃のお話ですよ。
あの時代に育った者として私もいまだに 「性交相手は恋人だけ」 という感覚をもっている気もします。
でも、それが古い倫理感だということはわきまえているつもりです。

「セフレ」 という概念がいつ頃、日本に定着したのか調べてみたけれどよくわかりませんでした。
おそらく1990年代頃ではないかと思われます。
今はもうすっかり定着してますよね。
あの取材者の方は 「セフレ」 という概念を知らないのでしょうか?
そもそもあの人は何歳なのでしょうか?
「新しい恋人ですか?」 という問いかけに対して、
「いや、そういう感じじゃないですけど……。友達ですね」 と答えられたら、
その時点でセフレだとわかりませんかね?
恋愛関係ではないけれどセックスはする相手。
まだ恋愛関係が芽生えていないだけで今後どうなるかわからないのかもしれないし、
あるいは金輪際、恋愛に発展するつもりもましてや結婚するつもりもないかもしれないけど、
でもとりあえずセックスはする相手。
そういう関係があり得るというのは日本の常識じゃないんですか?
この取材者はそういう常識を共有していないぐらいの老人なんでしょうか?
「友達ですね」 という返しに対して、
「普通は、ただの友達をこんな時間に家に入れないと思うのですが」 って、
なんでそこで 「セックスフレンド」 ではなく 「ただの友達」 の話にもっていっちゃうんですか?
川谷さんは 「ただの (性的関係のない) 友達」 と言い張ったわけではなく、
「セックスフレンド」 も含む広い意味で 「友達ですね」 と答えたんだろうと思うのです。
このマヌケで非常識な質問者に対して、川谷さんはその後もとても真摯に丁寧に答えています。
まだ恋人関係ではないということ、今後恋人関係に発展するかどうかは相手次第だということ。
他人のプライバシーを暴き立てて金儲けをしてやろうと企んでいる人間に対して、
本当に真面目に本音を答えています。
それなのにこの取材者のまとめはこうなっちゃうのです。
「“相手次第” ということは、少なからず川谷にはその気があるのだろう。」
ここで言う 「その気」 とは恋人関係へと発展していく気ということですが、
この時点でその気があるかどうかなんて本人にだってわからないんじゃないでしょうか。
セックスをしたら必ず恋人にならなきゃいけないんですか?
あなたは何時代の生まれなんだ?

この取材者が現代日本人のような気がしないのは、2つの意味においてです。
ひとつは、「結婚するまでセックスしない」 のが当たり前の時代においてだって、
その後の 「恋人としかセックスしない」 という時代においてだって、
一握りのモテる人たちがいて、そういう人たちは婚姻関係や恋愛関係とは関係なく、
自由にいろいろな相手と性行為をしているようだ、ということを世間は認識していました。
たとえば私の頃でいうならば、ロックスターのまわりにはグルーピーという人たちがいて、
毎晩パーティをやってるらしいという噂は伝わってきていました。
プロ野球の選手も遠征先のそれぞれの町に女性がいるという噂は、
まことしやかに囁かれていたじゃないですか。
そういう現場に踏み込んで、「彼女は恋人ですか? 今後結婚されるご予定ですか?」
なんて聞いた人がいたでしょうか?
それは自分の価値観や常識を押し付けているだけですよね。
羨ましい、妬ましいと思う気持ちは理解できないわけではありませんが、
仮にも公的に情報を流布しようと思うのであれば、
そういうジェラシーや取材者側の価値観は表に出さないようにする必要があるでしょう。

第2に、そういうモテモテのロックンローラーの一夜限りのアバンチュールではなく、
基本的には本人も、取材者の 「性交相手は恋人だけ」 という価値観を共有しているものとして、
その場合でも恋人ではない人とセックスをするということはありうると思うのです。
今どきの恋人たちというのはどういう手順を踏んでいるのでしょうか?
まず先に 「じゃあ付き合おうね」、「私たちは恋人になったんだよね」 ということを確認してから、
そのあとで肉体関係を結ぶという順番で話は必ず進んでいくのでしょうか?
もしもそれで 「身体の相性」 が合わないということが後から判明したりしたらどうするのでしょうか?
今回は 「性交相手は恋人だけ」 という価値観を2人が持っているということが前提ですから、
するとよけいに恋人との身体の相性というのは重大な問題になってくるはずです。
それを確認する前に恋人になってしまっていいんですか?
だから今どきの恋愛というのは、口約束よりも先に肉体関係を結ぶことから出発する、
というのはよくあることのような気がするのです。
私ぐらいの老人だってそういうことがありましたから、今どきの若者はよけいにそうだろうと思います。
今回のケースはひょっとするとそういう段階でのやりとりだったのかもしれません。
だとすると、「そこまで進んでいない」 人を 「こんな時間に家に入れ」 て何がいけないんでしょうか?
この取材者はそういう恋愛が生まれるまでのプロセスを経験したことがないのでしょうか?

以前に私はこのブログで、「デイティング・ピリオド」 についてご報告したことがあります。
簡単にまとめると、欧米には交際前にセックス込みのお試し期間がある、というお話です。
興味のある方はぜひ読んでみてください。
残念ながら日本にはこのようなシステムははっきりと存在してはいませんが、
そういう名前 (概念) が存在していないだけで、
多くの人がもうこれに類したことを実践しているのではないでしょうか。
こういうシステムが存在してこそ、「性交相手は恋人だけ」 を実現することが可能となります。
それなしにただ 「性交相手は恋人だけ」 という価値観のみを押し付けていると、
せっかく恋人になれてもすぐに性の不一致で別れる、ということの繰り返しになるでしょう。
「性交相手は恋人だけ」 の世界を実質的に実現するためには、
「恋人になる前に試しに性交してみてもよい」 という、
本来の価値観には反する予備的制度を導入する必要があるのです。

話が長くなってしまいました。
いただいたご質問は 「Q.最近疑問に思ったことは?」 でした。
これには以下のようにお答えして、この長い話を締め括ることにしたいと思います。

A.最近の雑誌やテレビで、「性交相手は恋人」 であるべきだという前提での報道が目に付きますが、
  皆さんをはじめとする若者や現代の日本人全般は、
  はたしてそのような倫理観を本当に有しているのかどうか、というのが最近懐いた疑問です。

ぜひ皆さんの考えをコメント欄などに書き込んでみてください。