一昨年まさおさまゼミは過去最多の卒論生・修論生を抱え、
そのなかで衝撃の卒業論文が提出されたなんてことがありました。
こういうやつね。
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それに比べて今年度はゼミ生数が久しぶりに落ち着いて、
学類4年生が2名、修士2年生が1名 (ちなみに学類3年生も1名のみ、修士1年は0) と、
若干寂しいけれど、指導するにはひじょうに適正な人数でした。
そのせいもあるかもしれませんし、たまたま今年の学生たちが優秀だったからかもしれませんが、
今年度の卒論・修論指導はものすごく順調に進み、
ギリギリまでバタバタしてるなんていう人がひとりもいませんでした。
とりわけ修論のほうは締め切りが早いので (卒論は1月末、修論は1月20日くらい)、
これまでの院生たちはみんな締め切り日の前日は泊まり込みで、
当日も締め切り時間のギリギリまでぼくの研究室と院生室のプリンターの間を行ったり来たりする、
というのが1月の風物詩だったわけですが、
今年の院生は早々に修論指導を終え、締め切りの数日前に悠々と教務課に提出してくれていました。
それに倣うかのように卒論生の2人も余裕もって提出してくれましたので、
今年は本当に手がかからずに卒論・修論指導を終えることができました。
長年教育に携わってくるとこんなに心安らかな1月を迎えられるなんてこともあるんだなあと、
自分の手柄でもないのにあたかも自分が頑張ったかのような感慨に耽っていたその時でした。
今年は修論の締め切り日が金曜日だったもので、
教務課に提出された修論が翌週の月曜日になって私の手元に届けられたのですが、
それを見て私は愕然としてしまいました。
その衝撃の修論がこれですっ
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えええっっっっ
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まさかの表紙なしですかっ
もうプリントアウトした紙に穴を開けて紐で結んだだけのペラッペラの修論です。
これは初めて見ました。
まさおさまももう教職歴22年になりますが、これはやられました。
斬新です。
驚いたことにこの院生は他大学から入学してきた人とかいうのではなく、
福大の人間発達文化学類をちゃんと卒業した人であり、
しかもまさおさまゼミ出身の人なのです。
さらに言うならば、最初に掲げた衝撃の卒論を提出した人と同期の別人です。
だから卒論の時にはちゃんと表紙を付けて1本の紐で結んで正しく提出してくれていたのです。
なのになぜこうなるっ
衝撃を隠せないまますぐに本人にこんなメールを送りました。
「スゲェびっくりしたんだけど、修論なんで表紙付けなかったの?」
するとこんな返事が返ってきました。
「表紙の件ですが、教務課からの修論提出に関する通知に、
卒論の時の様なきっちりとした指定がなかったのと、
3月に提出する製本済の保存用論文が正式なものになるから、
今回の分はペラペラの紙でいいのかなと勘違いしておりました。」
なるほど、ちゃんと理由があるんですね。
教務課としては、院生はみんな卒論を提出した経験があるので、
いちいち細かく指定しなくてもいいだろうと思っていたのかもしれませんし、
あるいは、あれを何も言わずに受理したということは、
院生の言うとおり、3月に提出するきちんと製本したやつが正式な修論であって、
1月提出分は審査のための仮修論にすぎないと考えているのかもしれません。
ひょっとすると修論には表紙を付けるべきだというのは、
たんに私だけが勝手に前提している個人的信念にすぎないのかもしれません。
とはいえ、紐で結んであるのに表紙がないととても読みにくいですし、
(いっそ紐で結ばずクリップ留めしてあるだけならば読みやすさは抜群ですが…)
卒論と違い修論は副査の先生方にもお渡ししなければならないので、
その時にこれだとまさおさまゼミは何やってるんだと笑われそうでちょっと小っ恥ずかしかったので、
あの衝撃の卒論みたいにこのままの形で保存しておくのはあきらめて、
改めて表紙を付けてもらうことにしました。
いやあ、それにしてもいろんなことが起きるものだなあ。
教育においてはありとあらゆるケースを想定して、きめ細かく指導しなければならないのだと、
つくづく思い知らされるとともに、はたしてそんなことは可能なのかと途方に暮れる今日この頃でした。
P.S.
ところで個人情報を隠すために画像処理していて気がついたのですが、
うちの大学に 「人間発達研究科」 なんていう大学院はありませんね。
この人はどこの大学院生だったのでしょうか?
というイヤミはさておき、
まさおさまゼミでは誤字脱字は1字につき1点減点と定められていますので、
「文化」 の2文字の脱字によりさっそく2点減点しておきたいと思います。
そのなかで衝撃の卒業論文が提出されたなんてことがありました。
こういうやつね。
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それに比べて今年度はゼミ生数が久しぶりに落ち着いて、
学類4年生が2名、修士2年生が1名 (ちなみに学類3年生も1名のみ、修士1年は0) と、
若干寂しいけれど、指導するにはひじょうに適正な人数でした。
そのせいもあるかもしれませんし、たまたま今年の学生たちが優秀だったからかもしれませんが、
今年度の卒論・修論指導はものすごく順調に進み、
ギリギリまでバタバタしてるなんていう人がひとりもいませんでした。
とりわけ修論のほうは締め切りが早いので (卒論は1月末、修論は1月20日くらい)、
これまでの院生たちはみんな締め切り日の前日は泊まり込みで、
当日も締め切り時間のギリギリまでぼくの研究室と院生室のプリンターの間を行ったり来たりする、
というのが1月の風物詩だったわけですが、
今年の院生は早々に修論指導を終え、締め切りの数日前に悠々と教務課に提出してくれていました。
それに倣うかのように卒論生の2人も余裕もって提出してくれましたので、
今年は本当に手がかからずに卒論・修論指導を終えることができました。
長年教育に携わってくるとこんなに心安らかな1月を迎えられるなんてこともあるんだなあと、
自分の手柄でもないのにあたかも自分が頑張ったかのような感慨に耽っていたその時でした。
今年は修論の締め切り日が金曜日だったもので、
教務課に提出された修論が翌週の月曜日になって私の手元に届けられたのですが、
それを見て私は愕然としてしまいました。
その衝撃の修論がこれですっ
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えええっっっっ
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まさかの表紙なしですかっ
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もうプリントアウトした紙に穴を開けて紐で結んだだけのペラッペラの修論です。
これは初めて見ました。
まさおさまももう教職歴22年になりますが、これはやられました。
斬新です。
驚いたことにこの院生は他大学から入学してきた人とかいうのではなく、
福大の人間発達文化学類をちゃんと卒業した人であり、
しかもまさおさまゼミ出身の人なのです。
さらに言うならば、最初に掲げた衝撃の卒論を提出した人と同期の別人です。
だから卒論の時にはちゃんと表紙を付けて1本の紐で結んで正しく提出してくれていたのです。
なのになぜこうなるっ
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衝撃を隠せないまますぐに本人にこんなメールを送りました。
「スゲェびっくりしたんだけど、修論なんで表紙付けなかったの?」
するとこんな返事が返ってきました。
「表紙の件ですが、教務課からの修論提出に関する通知に、
卒論の時の様なきっちりとした指定がなかったのと、
3月に提出する製本済の保存用論文が正式なものになるから、
今回の分はペラペラの紙でいいのかなと勘違いしておりました。」
なるほど、ちゃんと理由があるんですね。
教務課としては、院生はみんな卒論を提出した経験があるので、
いちいち細かく指定しなくてもいいだろうと思っていたのかもしれませんし、
あるいは、あれを何も言わずに受理したということは、
院生の言うとおり、3月に提出するきちんと製本したやつが正式な修論であって、
1月提出分は審査のための仮修論にすぎないと考えているのかもしれません。
ひょっとすると修論には表紙を付けるべきだというのは、
たんに私だけが勝手に前提している個人的信念にすぎないのかもしれません。
とはいえ、紐で結んであるのに表紙がないととても読みにくいですし、
(いっそ紐で結ばずクリップ留めしてあるだけならば読みやすさは抜群ですが…)
卒論と違い修論は副査の先生方にもお渡ししなければならないので、
その時にこれだとまさおさまゼミは何やってるんだと笑われそうでちょっと小っ恥ずかしかったので、
あの衝撃の卒論みたいにこのままの形で保存しておくのはあきらめて、
改めて表紙を付けてもらうことにしました。
いやあ、それにしてもいろんなことが起きるものだなあ。
教育においてはありとあらゆるケースを想定して、きめ細かく指導しなければならないのだと、
つくづく思い知らされるとともに、はたしてそんなことは可能なのかと途方に暮れる今日この頃でした。
P.S.
ところで個人情報を隠すために画像処理していて気がついたのですが、
うちの大学に 「人間発達研究科」 なんていう大学院はありませんね。
この人はどこの大学院生だったのでしょうか?
というイヤミはさておき、
まさおさまゼミでは誤字脱字は1字につき1点減点と定められていますので、
「文化」 の2文字の脱字によりさっそく2点減点しておきたいと思います。