脳死と植物状態の違いについては理解してもらえたと思います。
脳死については「少なくとも脳幹が機能していない」、
「自発呼吸がなく、人工呼吸器が必要」と書いたわけですが、
残念ながらあれは脳死の定義ではありません。
あくまでも植物状態との違いは何かという説明でしかありませんでした。
もうお気づきの人もいると思いますが、
「少なくとも」というビミョーな言い回しを用いていました。
あの言葉には重要な意味が込められていたのです。
それはどういうことかというと、
現在までのところ世界で「脳死」に関して統一的な見解はなく、
いくつかの争点をめぐって意見が割れていて、
それにしたがって複数の定義が存在しているのです。
まずは、脳死をめぐる争点ですが、これには2つあります。
1.脳幹死 (脳幹さえ死ねば脳死)か、全脳死 (脳幹も大脳も含めて全脳の死が脳死)か?
2.機能死 (脳の機能の不可逆的停止)か、器質死 (脳の細胞レベルでの死)か?
1は脳の部位に関する争点です。
植物状態との違いを重視して、脳幹さえ死ねば脳死だと考えるのが「脳幹死」の立場であり、
「脳死」と言う以上は脳幹だけでなくすべての脳を含めるべきだというのが「全脳死」の立場です。
2は脳死判定基準にも関わって、何をもって「死」と呼ぶべきかという争点です。
脳の機能(=働き)が止まることを「死」と呼ぶというのが「機能死」の立場であり、
脳という臓器が細胞レベルで死んでしまうことを「死」とするというのが「器質死」の立場です。
前者(=機能死)の場合、ただたんに脳の機能が止まっただけでは、
一時的(=可逆的)停止にすぎないかもしれないので、
(病気や麻酔等により脳の機能が一時停止することはいくらでもある)
例の「不可逆的」という形容詞を付して「脳の機能の不可逆的停止」を脳の死としています。
後者(=器質死)に関しては、脳死になった患者さんの頭をあとで解剖してみると、
脳がサラサラに溶けてしまっているケースが見られるので、
それが機能死(=脳の機能の不可逆的停止)の原因にもなっているはずで、
そちらの根本原因のほうこそが「死」という名にふさわしいと考えています。
このように2つの争点をめぐってそれぞれ2つの立場があるので、
組み合わせると4つの定義が出てくる可能性があるわけですが、
現在、世界中に存在する定義はそのうち以下の3つとなります。
A.脳幹の機能死 ex.イギリス
B.全脳の機能死 ex.日本やアメリカをはじめとして多くの国々
C.全脳の器質死 ex.ロシア、スウェーデン等
このように脳死の定義は世界でひとつに定まっておらず、
国によってバラバラなのです。
定義が違うことによって脳死の判定基準(=判定方法)も変わってきます。
つまり、脳死の判定方法も世界で統一されていないのです。
3つのうち上のほうが判定が簡便にでき、
下になるにつれて検査項目が増えてきます。
同じ状態の患者さんが国によって「脳死」と判定されたり、
まだ「脳死」ではないと判定されたりするということが起こりうるわけです。
今回はどの定義が「脳死」としてふさわしいかも考えてもらいますが、
国家試験に向けては、世界にいろいろな定義や判定方法がある、
なんていうことは覚えなくてもいいので、
日本の定義と判定基準だけ覚えておけばOKです。
日本における脳死の定義は「B.全脳の機能死」を採用していて、
正確には、「脳幹を含む全脳の不可逆的な機能停止」と定義されています。
これをどうやって判定するかという判定基準としては、
1985年に策定された「厚生省基準(竹内基準)」が現在でも使われています。
イ.深昏睡
ロ.自発呼吸の停止
ハ.瞳孔散大
ニ.脳幹反射の消失
(対光反射、角膜反射、毛様脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射、咳反射)
ホ.平坦脳波
ヘ.イ~ホの確認後6時間以上経過後に再検査
イは
「従来の人の死」で言う「動かない、話さない」が徹底した状態で、
叩こうが階段から突き落とそうがまったく反応しない状態です。
(それで痛がったりしたら完全に生きているわけですが…)
ロとハは心臓死の三徴候のうちの2つですね。
ロの代わりに人工呼吸器につながれていて、
そのために心拍は維持されているわけです。
ニによって脳幹の機能が消失していることを確認しています。
「A.脳幹の機能死」の定義であれば、ここまでの検査でいいのですが、
日本は「B.全脳の機能の不可逆的停止」の定義を採用しているので、
脳幹だけではなく大脳の機能の停止も確認しなければならないので、
ホの検査を行います。
こうして全脳の機能の停止を確認したわけですが、
これで脳死判定は終わりではありません。
なぜならイからホまですべて満たしたとしても、
それはまだ「可逆的」(=一時的)停止にすぎないかもしれないからです。
実際にイからホまですべて満たしたとしてもそこから回復してくる患者さんはいます。
回復するのであれば「死」ではないので、
これが「不可逆的停止」であることを確認するにはどうすればいいのでしょうか。
時間をおいて再検査します。
イ~ホで終わりでなく、ヘがあるのはそのためです。
何時間後に再検査するかはこれも国によってまちまちですが、
日本では6時間以上経過後に再検査となっています。
(これは世界最短。だいたい12時間後や24時間後が一般的)
時間をおいての再検査によって「不可逆的」な機能停止であることを証明できるのか、
これが先に書いた争点2の重要なポイントにもなっています。
国によっておく時間が違っていることからもわかるように、
6時間後に再検査して機能が戻っていなかったとしても、
ひょっとすると8時間後には戻ってきているかもしれません。
24時間後に戻っていなくても24時間30分後に戻ってくるかもしれません。
どれだけ長い時間を設定したとしても、
その後に戻ってくるという可能性を排除しきれないので、
「機能死」の立場を採る限り「不可逆性」を証明することはできないのではないか、
それゆえ、不可逆的機能停止を判断するためにも、
その原因である脳の細胞レベルでの死を確認すべきだというのが「器質死」の立場です。
これを判定するために脳血流の停止や脳代謝の停止を判定基準に加え、
PETなどの機材を用いて脳細胞が活動しているかどうかを検査しています。
さて、このあと脳死は人の死かどうかを考えてもらうわけですが、
その前に脳死とは何かという定義のところで、
脳死には3種類の定義があるということになってしまいました。
A~Cどの定義を選ぶのかということも含めて、
脳死は人の死なのかどうか考えてみてください。
ヒントとしては、自分だったらと考えずに、
自分の家族の死の判定だったらどれを選ぶかという観点に立つといいと思います。
それから、やはり脳死は人の死ではなく、心臓死のみしか認められない、
という考え方も当然ありだと思いますが、
その場合には脳死臓器移植は完全にできなくなる、
(生きている人から臓器を摘出して死なせたら殺人罪に問われる)
ということも念頭に置いた上で考えてみてください。