あの日から3年が経ちました。
あの日あの時、ちょうど私はこの研究室にいて、ゼミの3年生の卒論指導をしていました。
(そういえば今年の3年生とは春休み中なんのアポもしていないけどそれでいいのだろうか?)
あの長い揺れのなか、絶対にこの建物は倒壊するだろうと思っていました。
その後、何度もやってくる大きな余震のたびに今度こそつぶれるのでは、
今度こそつぶれるのではとおびえていました。
自宅のマンションも同様です。
余震がやってくるたびにキーキー音を立てて軋んでいました。
ふだん私たちの仕事や暮らしを支えてくれている場が建物ごと倒壊するのではという恐れは、
私たちの根幹を揺るがすものです。
あって当たり前であったものがいつなくなるかわからないという感覚は、
それまでの人生で一度も感じたことのないものでした。
それ以上に恐ろしかったのが原発事故でした。
停電のなかラジオで福島第一原発が制御不能になっているのを聞いたとき、
今までまったくそのことを気にもしていなかった自分を羞じました。
それと同時に、いつ爆発するのだろうという得体の知れない恐怖に包まれました。
そのとき想像していた爆発はあの水素爆発のようなものではなく、
原爆が爆発して発生するキノコ雲のようなイメージでした。
私たちの命も生活するこの場ももろとも吹っ飛ばされるのではないかと恐れていました。
今のところまだそうならずにすんでいますが、
放射性物質の飛散によって多くの生活の場が失われたのはたしかです。
福島市には私も含めて多くの人が今も生きていますが、
それによってこの先どんな健康被害が生じるのかはまったくわかっていません。
しかも原発事故はまだ発災中で、収束からはほど遠い状態であり、
今後さらにどんな事態が発生するか五里霧中であると私は思っています。
さて、今週の土曜日に 「てつがくカフェ@ふくしま特別編4」 を開催します。
今年はいつもとちょっと趣向を変え、
第1部は 「持続可能性の哲学への道」 と題するシンポジウムを、
第2部は 「忘れる力は必要か?」 というテーマの哲学カフェを行います。
第2部のテーマについては世話人の渡部がブログにテーマ設定の理由を書いていますので、
そちらをご覧ください。
ここでは第1部の趣旨について簡単にご紹介させていただきます。
「てつがくカフェ@ふくしま」 ではこれまで3回ほど 「特別編」 を開催してきました。
それは法政大学サステイナビリティ研究教育機構との共催でした。
法政大学は私の母校ですが、恩師である牧野英二さんがそのサス研に所属しており、
(恩師なので 「先生」 とお呼びしたいところですが、てつカフェ精神にのっとりここでは 「さん」 で)
その縁で福島ビューホテルなどの高額の会場費をサス研から出していただいたり、
牧野ゼミの後輩たちを引き連れて世話人として参加してくれたりしていたのです。
その牧野さんがこのたび 『「持続可能性の哲学」 への道』 という本を上梓されました。
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内容はまさに専門書で、カントをはじめディルタイ、ハイデガー、アーレントなど、
名だたる哲学者たちとの哲学的対話の書となっています。
が、その根幹にあるのは、まさにあの東日本大震災や原発事故が突きつけた課題に対して、
哲学者としていかに応答するかという問題意識です。
まえがきには次のように書かれています。
「2011年3月11日に起こった東日本大震災、大津波、福島第一原発事故など未曾有の出来事によって、あらゆる学問、科学技術の存在意義や有効性が研究者だけでなく生活者の立場からも問い直されている。言い換えれば、従来型の 「持続可能性」(sustainability) や 「持続可能な社会」(sustainable society) のモデルや考え方は、もはや妥当性をもちえず、「3.11以後」 の社会にふさわしい新たな 「持続可能性」 や 「持続可能な社会」 のあり方が提示されなければならない。本書の目的は、そのための道筋を哲学・倫理学・感性学の立場から示そうとする試みである。」
このような壮大な意図をもって書かれた本ですので、
「てつがくカフェ@ふくしま特別編」 で取り上げるのにふさわしいと判断しました。
これまでは専門用語は使わないというのをモットーにやってきましたが、
昨年8月には 「哲学書 de てつがくカフェ」 という試みもやってみて、
意外と皆さまの反応もよかったので、それに後押しされての企画です。
もちろん、できるだけわかりやすく、専門家でない方々にも理解できるよう工夫するつもりですので、
ぜひこの機会に哲学者のナマの声に触れてみてください。
本を持っていなくても読んでいなくても大丈夫です。
なお、本をお持ちの方は、はじめに、序論、第12章、あとがき、くらいは目を通しておいてください。
第2部の哲学カフェは、第1部とは独立にやるつもりですので、
第1部の議論を聞いていなくても理解できなくても話し合いに参加可能ですので、そちらもご心配なく。
コーヒー無料ですので、ぜひお気軽にご参加ください。