こんにちわ。
三月に入って 春らしい気候が続いています。
‥らしい とは? と思う方もいらっしゃるかも知れませんので
一応 弁明と言いますか講釈を述べてみたいと思います。
そもそもい1年を四分割して 四季としています。
整理してみますと、
春・三月、四月、五月。夏・六月、七月、八月。秋・九月、十月、十一月。冬・十二月、一月、二月。
これは気象庁が発表して国会で制定された‥訳じゃないでしょう。じやぁ誰が決めたんだ?
そんなこと思う人は大勢いるみたいで質問箱の解答に
季節の4等区分(四季、春夏秋冬)は元々世界各地にあったようですが、
当時は「太陰暦」を使用していましたので暦と季節にズレが生じます。
そこで中国の戦国時代に「二十四節気」という区分法が考案されました。
1年の季節を24に分類し、それぞれ季節を表す名前がつけられました。
(「立春」「春分」「夏至」「秋分」「立冬」「冬至」など) これを基に1年の季節を
4つ(春・夏・秋・冬)に定めたわけです。 この「二十四節気」は日本でも採用されています。
〈資料参照〉
補足としまして中国の戦国時代とは、紀元前の八世紀~三世紀くらいで、それに近い頃の馴染みのあるのは
秦の始皇帝ですが
始皇帝が即位したのは紀元前221年。この紀元前というところが 凄いですね。そのころ日本は、
弥生時代(時代といっても中国の時代とは全く意味が違います)のころで、王国も都市国家なるものもありません。
大陸や南方方面から稲作が伝わって来たか?どうかのころでした。
有名な邪馬台国の女王 卑弥呼が中国に使いを出したのが 中国の三国時代で
その中の魏という国に行ったのが紀元230年ごろ‥つまり日本には国どころか大きな集落があったくらいの
レベルで文字はないし、喧嘩する武器もない食器はたぶん土器くらいでした。その頃中国では戦いも
結構大掛かりにありましたし、教養として 詩や短歌、法律や辞書、一年の数え方、気候の移り変わりや星の動きなど
色々な文化や政治、法律なども整備されていたようです。そんな先進国から何とか習おうと使いを送って
あれこれと授かってきました。その中で一年を数えるやり方や 四季があることを遣隋使のころに学んだようです。
中国は元々中華思想というワシらが世界の中心にあるという考え方があって周辺国(当時日本は倭と呼ばれていました)
は蛮族と称して侵略するよりもあいさつに訪れたら 礼を以って迎えて宝物や色々な教えを授けました。
来る者は拒まず雄大に構えていたのですね。
そんな訳で四季は中国から伝わってきました。 そして春は三月、四月、五月なのですが
三月の始まりは未だ冬の気候が残っているので、小雪がチラついたり暖かかったり風がビュービュー
吹き荒んだりして三寒四温というのもここから来たようです。
早く暖かくなってゆっくりと過ごしたいですねぇ