おはようございます^^
六月に入りました。昨日の天気予報によりますと、来週には ここも(関西地方です)梅雨入りに入る…(笑)そうです。
なるほど、そう云えば昨日もその予兆があって曇り空の一日でした。
振り返って先週はカラッとした毎日で気温は猛烈に上がっていましたが五月らしく 湿度の少ないだけ過ごしやすい日々でした。
今年は冬は寒く春は暖かくこの分ですと梅雨は梅雨らしいかな^^ と思ったら春先に思わぬ寒波が列島を襲いましたよね。
人間の記憶とは実にあやふやなもので(私だけかな)よほど何かに書き留めておかないと 忘れてしまうようで 時間が経ってしまいますと
あれ程 肩をすぼめて歩いていた辛さを忘れてしまうようで 苦しみをいつまでも覚えていては参ってしまうから忘却として処理するのは
自己防衛の本能ですかね。
人間は忘れる葦…と誰かの言葉をうろ覚えながら 引用しようと念のため調べてみたら、な、なんと 人間は考える葦であるの間違いでした。
もうちょっとで 恥を掻くところでしたが、手軽に確認できる今の世の中は実に便利になっています。そして 改めてみてみましたら なんで
人間は葦なんだろう?と思いませんでしたか。この単純な疑問でさえいまなら軽く答えています。その説明を引用しますと
「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、だがそれは考える葦である」として、自然において脆弱(ぜいじやく)だが思考する存在としての人間の本質を表現したもの。
読んでみて はは~んとわかりますよね。そういえば人間が動物の中で一番弱いとは実感として思えませんが 例えば冬のころ丸裸で外に放り出されたら数分で
死んでしまうでしょう。普段は服を着て家の中に棲み 暖を採って冬の寒さ知らず食べたいものを腹いっぱい食べて快適な生活を営んでいます。
仮にそれだけの知恵がなかったら丸裸のまま洞窟のなかで枯れ葉なんかを集めて凍えながら寒さを凌いで…
こんな暮らしは二千年くらい遡ったら当たり前の暮らしだったと思います。
近代では自然の中で暮らすとは 今の感覚では山の中でちゃんとした家の暮らしでの話ですから贅沢なもの 昔とは全然違うのは当然なのですが、
太古の暮らしをそのまま再現してみればほとんどの現代人は残れないでしょうね。
パスカルの時代から百数十年を経て考えた結晶が更に利便性豊かな生活になっている分 私たち人間は葦よりも一層脆弱な人間になっているのって皮肉な話ですねぇ。