【はじめに】
今回と次回は木を育てる仕事について書きます。 農作業や漁作業は時々テレビで放映されますが、林業作業を見た方は少ないと想像するので、私の子供の頃を思い出して書きました。
北米などで大型の機械を使って、大規模な伐採をしている映像を、何回か映画やテレビで見た事が有りますが、日本では今でも林業作業は手作業が基本の様です。
私の故郷の龍神村森林組合は、近年赤字が続いていましたが、木材価格が高騰しているお蔭で、前期は少しだけ黒字になったそうです。
【関連記事】
森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。
★ 森林破壊と再生 :2021年6月12日投稿
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は! :2018年6月23日
【私の経験】
父は軍人で、戦後(1946年の始め頃に)母と5人の娘達を連れて紀州の故郷に帰りました。戦友や部下が沢山戦死していたので、やりきれない日々を送っていたと想像します。 父は既に45歳になっていたのですが、帰省して直ぐに待ち望んでいた男の子(私)が生まれました。 どれだけ嬉しかったか想像に難く有りません。
父は一家を養うために木材と山林の商売を始めて、成功しました。 小学校に入るずっと前(三歳頃)から、父が雇った人達の山仕事の状況を見て回るのに私を連れて行くようになりました。 小学3年生の頃に商売は辞めてしまいましたが、都会に住む方の山の管理(山番)は続けたので、中学を卒業する頃まで、二人で山に行きました。 杉を植えるべき場所は?、檜はどんな所に植えるのが良いか!、赤松は高く売れないが山の頂上でも育つ、等々・・・色々教えてくれました。
1953年頃に、父は家の近くの雑木が生えた3町歩(3ha)程の山を買って、裾野部分・1町歩を文筆して集落の人達に売りました。近所の家は、畑にして、サツマイモやジャガイモを作りました。 我が家も1反部(10a)ほど畑を造りました。 そこで、杉や檜の苗を育てたのです。 戦争で都市部の住宅が破壊されていたので、木材の需要が多く、私の村でも盛んに伐採され、植林しました。 それで、杉や檜の苗の需要も多かったのです。
苗は根が大切です。 栄養分が多いい土で苗を育ててはいけません。 開墾してすぐの赤土の多い畑で育てる苗が良いのです。 私の独断と偏見かも知れませんが、人間も何の不自由も無い裕福な家で育つとグータラ息子になるか、チョットした事で引きこもりになる恐れが有ります。貧乏人の子供は、逞しく生きる術を自然に学びます。
我が家の杉と檜の苗は『挿し木』でしたが、種から育てる事(実生苗)も出来ます。 父は、「実生苗の方が、植林後の成長が早い」と言っていました。真否は分かりません。 成長が早すぎると、年輪の幅が広くなってしまうので、良質の木材にはなりません。 同じ理屈で、南向きの山は成長が早く、北向きは逆になります。 父は、「南向きの山は買うな!」と言っていました。
前述の山の雑木が生えた2町歩は、父・母・私の3人で、少しずつ雑木を伐採して、植林しました。 雑木は薪と『椎茸ほだ木』に利用しました。 二、三年間ほど、父は炭窯を自分で造って炭を焼きました。
私は、小学生になる頃から中学を卒業するまで、10年間ほど、雑木の伐採、植林、下刈り、枝打ちを手伝いました。
1953年頃から、父は、現在の原木栽培のやり方で椎茸栽培を始めました。 この栽培方法は1943年に森喜作と言う方が開発したそうです。 当時はまだ龍神村では殆どやっていなかったと思います。 家の中に乾燥室を作って、本格的に椎茸栽培に取り組みました。始めた頃は結構儲かった様でした。
【① 植林】
1年~2年間畑で育てた杉や檜の苗を、春と秋に山に穴を掘って、1本ずつ植えます。
平坦な土地に杉や檜を植えるのだったら、田んぼに稲を植える様に等間隔で植えれば良いのでは?と思います。 イタリアの平地の林を見たら、等間隔に整然と木が並んでいました。 私の故郷では、結構いい加減な間隔で、苗を密集して植えます。
村に鍛冶屋が有ったので、父は子供でも扱える小ぶりの鍬を作ってくれました。 その鍬で、私は小学校に入る前から植林を手伝いました。 そんなに大きな穴を掘る必要は無いので、子供でも出来ます。 ただし、足場の悪い急な斜面に植える時は、子供では難しかったです。
【② 下刈り】
杉や檜の苗の高さは20cmほどしか有りません。 植えた後、直ぐにススキ等の背丈の高い草が生えて来ます。 雑木を伐採した後に植林すると、雑木の株から芽が出て、1年もすると1m以上に成長してしまいます。 日陰では杉や檜は成長しないので、植林後・数年間は毎年、草や雑木を切り払う必要が有るのです。これが『下刈り』です。
下刈りと同時に、幹が曲がったり、成長の遅い杉や檜を切り捨てます。下刈りは間伐の初期段階でもあるのです。 柄の長さが1m以上有る鎌『下刈り鎌』を振り回して、草や雑木を切り払います。結構・体力が必要な作業です。 急峻な山の、足場の悪い所でするので、危険な作業です。
現在は、エンジン付きの草刈り機を用いて下刈りをしている様です。
(余談) 鍛冶屋で小学生の私の体格に合わせた、特注の下刈り鎌を父が買ってくれました。 自分用の下刈り鎌を持っている子供はいなかったので、誇らしく/嬉しかったです。
【③ 枝打ち】
樹木には枝の出る芽(側芽/腋芽)が有り、上の方の枝を切ったり、枯れたりすると、側芽が動き出して枝が出来ます。 日本で植林される杉や檜の側芽(腋芽)は非常に特殊です。 植林して何年か後に枝が十枝になっていたとします。 下から5枝を切り落とすと、その高さまで新しい枝は出来ません。 木が成長するにつれて、下から枝を切っていきます。 これが『枝打ち』です。
木が若い頃は子供でも枝打ちが出来ますが、木が成長してくると木に登って作業する必要があり、子供では無理です。 更に成長すると、ターザンの様に、木から木に飛び移って仕事を続けます。 木の上でタバコを吸って休憩していました。地上には滅多に降りて来ませんでした。 最後の枝打ちの時は、20m~30mの高さまで登るのです!
(余談 :木登り器) 和コーポレーション社が木登り用の道具『与作』を発売しています。 ホームページで、与作を使って木に登っている動画が見られます。 ターザンの真似をしないで、安全に枝打ちが出来そうです。
幹に傷を付けない様に、慎重に鋸で枝を切り落とします。 枝打ちは、切り口が傷みやすい初夏から紅葉が始まる迄の時期を外して行います。 数年間隔で、枝打ち→間伐→枝打ち・・・を繰り返します。枝打ちと間伐を調整して、木目の幅が均一になる様に育てます。
木が成長して幹が太くなると、切り落とされた枝の付け根は木部に取り込まれて、何処に枝が有ったのか分からなくなります。 安価な板や柱には『節(ふし)』が有りますが、節は枝の痕跡です。 芯の近くには節が有りますが、枝打ちを繰り返して100年とか200年間育てると、節の無い高級な板や柱が得られます。
(余談) 『枝打ち』と言う言葉から、鉈(なた)やえび鉈で枝を切り落とす様に考えられると思いますが、傷を付けない為に鋸を使います。 現在は小型のチェーンソーを使用しているかも?
(余談 :北山杉) 川端康成の『古都』を読んで、京都の中川に北山杉を見に行った事が有ります。 杉にとっては、非常に残酷な育て方をしていました。 枝を天辺にチョットだけ残し、幹が太くならない育て方(栄養失調すれすれの育て方)をしているのです。 それで、「苦しい/助けてと言い続けて、幹に縦の皺が沢山出来るのか?」と勝手に思いました。
(余談 :JR京橋駅の針葉樹) JR京橋駅近くの環状線の土手の下に、檜科の結構太い木が十数本植わっています。下の方の枝は邪魔になるので、時々切り落としている様ですが、広葉樹の様に側芽から新しい枝が毎年生えて来ています。 これらの木は、枝打ちしても節の無い木材は得られません。 この木の名前を知っている方がおられたら、(コメント欄に記入して、)教えて下さい。翌檜(あすなろ)でしょうか?
(余談 :節穴から覗く) 大学の夏休みに帰省した時、友人と、地元では扇ヶ浜と呼ばれている所に海水浴に行きました。 節だらけの板と柱で出来た仮設の脱衣小屋が有り、板で男女の部屋を仕切っていました。 高校の男の同級生が数人来ていて、蒸し風呂の様な脱衣小屋の内で、汗ダラダラになって仕切り板の節目に錐で穴を開けようとしていました。
節は固いので錐でも、穴を開けるのは難しいです。私は品行方正では有りませんが、彼らを手助けしませんでした。 暫くして、「穴が開いた!」と言うので覗いて見ました。 女性は、スカート等を着けたたままで下着を脱いで、水着を着て、それからスカート等を脱ぐことを知りました。期待はずれだったのです! 節穴から除くと視野が狭いので、「お前の目は節穴か!」と言うのでしょうか?
今回と次回は木を育てる仕事について書きます。 農作業や漁作業は時々テレビで放映されますが、林業作業を見た方は少ないと想像するので、私の子供の頃を思い出して書きました。
北米などで大型の機械を使って、大規模な伐採をしている映像を、何回か映画やテレビで見た事が有りますが、日本では今でも林業作業は手作業が基本の様です。
私の故郷の龍神村森林組合は、近年赤字が続いていましたが、木材価格が高騰しているお蔭で、前期は少しだけ黒字になったそうです。
【関連記事】
森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。
★ 森林破壊と再生 :2021年6月12日投稿
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は! :2018年6月23日
【私の経験】
父は軍人で、戦後(1946年の始め頃に)母と5人の娘達を連れて紀州の故郷に帰りました。戦友や部下が沢山戦死していたので、やりきれない日々を送っていたと想像します。 父は既に45歳になっていたのですが、帰省して直ぐに待ち望んでいた男の子(私)が生まれました。 どれだけ嬉しかったか想像に難く有りません。
父は一家を養うために木材と山林の商売を始めて、成功しました。 小学校に入るずっと前(三歳頃)から、父が雇った人達の山仕事の状況を見て回るのに私を連れて行くようになりました。 小学3年生の頃に商売は辞めてしまいましたが、都会に住む方の山の管理(山番)は続けたので、中学を卒業する頃まで、二人で山に行きました。 杉を植えるべき場所は?、檜はどんな所に植えるのが良いか!、赤松は高く売れないが山の頂上でも育つ、等々・・・色々教えてくれました。
1953年頃に、父は家の近くの雑木が生えた3町歩(3ha)程の山を買って、裾野部分・1町歩を文筆して集落の人達に売りました。近所の家は、畑にして、サツマイモやジャガイモを作りました。 我が家も1反部(10a)ほど畑を造りました。 そこで、杉や檜の苗を育てたのです。 戦争で都市部の住宅が破壊されていたので、木材の需要が多く、私の村でも盛んに伐採され、植林しました。 それで、杉や檜の苗の需要も多かったのです。
苗は根が大切です。 栄養分が多いい土で苗を育ててはいけません。 開墾してすぐの赤土の多い畑で育てる苗が良いのです。 私の独断と偏見かも知れませんが、人間も何の不自由も無い裕福な家で育つとグータラ息子になるか、チョットした事で引きこもりになる恐れが有ります。貧乏人の子供は、逞しく生きる術を自然に学びます。
我が家の杉と檜の苗は『挿し木』でしたが、種から育てる事(実生苗)も出来ます。 父は、「実生苗の方が、植林後の成長が早い」と言っていました。真否は分かりません。 成長が早すぎると、年輪の幅が広くなってしまうので、良質の木材にはなりません。 同じ理屈で、南向きの山は成長が早く、北向きは逆になります。 父は、「南向きの山は買うな!」と言っていました。
前述の山の雑木が生えた2町歩は、父・母・私の3人で、少しずつ雑木を伐採して、植林しました。 雑木は薪と『椎茸ほだ木』に利用しました。 二、三年間ほど、父は炭窯を自分で造って炭を焼きました。
私は、小学生になる頃から中学を卒業するまで、10年間ほど、雑木の伐採、植林、下刈り、枝打ちを手伝いました。
1953年頃から、父は、現在の原木栽培のやり方で椎茸栽培を始めました。 この栽培方法は1943年に森喜作と言う方が開発したそうです。 当時はまだ龍神村では殆どやっていなかったと思います。 家の中に乾燥室を作って、本格的に椎茸栽培に取り組みました。始めた頃は結構儲かった様でした。
【① 植林】
1年~2年間畑で育てた杉や檜の苗を、春と秋に山に穴を掘って、1本ずつ植えます。
平坦な土地に杉や檜を植えるのだったら、田んぼに稲を植える様に等間隔で植えれば良いのでは?と思います。 イタリアの平地の林を見たら、等間隔に整然と木が並んでいました。 私の故郷では、結構いい加減な間隔で、苗を密集して植えます。
村に鍛冶屋が有ったので、父は子供でも扱える小ぶりの鍬を作ってくれました。 その鍬で、私は小学校に入る前から植林を手伝いました。 そんなに大きな穴を掘る必要は無いので、子供でも出来ます。 ただし、足場の悪い急な斜面に植える時は、子供では難しかったです。
【② 下刈り】
杉や檜の苗の高さは20cmほどしか有りません。 植えた後、直ぐにススキ等の背丈の高い草が生えて来ます。 雑木を伐採した後に植林すると、雑木の株から芽が出て、1年もすると1m以上に成長してしまいます。 日陰では杉や檜は成長しないので、植林後・数年間は毎年、草や雑木を切り払う必要が有るのです。これが『下刈り』です。
下刈りと同時に、幹が曲がったり、成長の遅い杉や檜を切り捨てます。下刈りは間伐の初期段階でもあるのです。 柄の長さが1m以上有る鎌『下刈り鎌』を振り回して、草や雑木を切り払います。結構・体力が必要な作業です。 急峻な山の、足場の悪い所でするので、危険な作業です。
現在は、エンジン付きの草刈り機を用いて下刈りをしている様です。
(余談) 鍛冶屋で小学生の私の体格に合わせた、特注の下刈り鎌を父が買ってくれました。 自分用の下刈り鎌を持っている子供はいなかったので、誇らしく/嬉しかったです。
【③ 枝打ち】
樹木には枝の出る芽(側芽/腋芽)が有り、上の方の枝を切ったり、枯れたりすると、側芽が動き出して枝が出来ます。 日本で植林される杉や檜の側芽(腋芽)は非常に特殊です。 植林して何年か後に枝が十枝になっていたとします。 下から5枝を切り落とすと、その高さまで新しい枝は出来ません。 木が成長するにつれて、下から枝を切っていきます。 これが『枝打ち』です。
木が若い頃は子供でも枝打ちが出来ますが、木が成長してくると木に登って作業する必要があり、子供では無理です。 更に成長すると、ターザンの様に、木から木に飛び移って仕事を続けます。 木の上でタバコを吸って休憩していました。地上には滅多に降りて来ませんでした。 最後の枝打ちの時は、20m~30mの高さまで登るのです!
(余談 :木登り器) 和コーポレーション社が木登り用の道具『与作』を発売しています。 ホームページで、与作を使って木に登っている動画が見られます。 ターザンの真似をしないで、安全に枝打ちが出来そうです。
幹に傷を付けない様に、慎重に鋸で枝を切り落とします。 枝打ちは、切り口が傷みやすい初夏から紅葉が始まる迄の時期を外して行います。 数年間隔で、枝打ち→間伐→枝打ち・・・を繰り返します。枝打ちと間伐を調整して、木目の幅が均一になる様に育てます。
木が成長して幹が太くなると、切り落とされた枝の付け根は木部に取り込まれて、何処に枝が有ったのか分からなくなります。 安価な板や柱には『節(ふし)』が有りますが、節は枝の痕跡です。 芯の近くには節が有りますが、枝打ちを繰り返して100年とか200年間育てると、節の無い高級な板や柱が得られます。
(余談) 『枝打ち』と言う言葉から、鉈(なた)やえび鉈で枝を切り落とす様に考えられると思いますが、傷を付けない為に鋸を使います。 現在は小型のチェーンソーを使用しているかも?
(余談 :北山杉) 川端康成の『古都』を読んで、京都の中川に北山杉を見に行った事が有ります。 杉にとっては、非常に残酷な育て方をしていました。 枝を天辺にチョットだけ残し、幹が太くならない育て方(栄養失調すれすれの育て方)をしているのです。 それで、「苦しい/助けてと言い続けて、幹に縦の皺が沢山出来るのか?」と勝手に思いました。
(余談 :JR京橋駅の針葉樹) JR京橋駅近くの環状線の土手の下に、檜科の結構太い木が十数本植わっています。下の方の枝は邪魔になるので、時々切り落としている様ですが、広葉樹の様に側芽から新しい枝が毎年生えて来ています。 これらの木は、枝打ちしても節の無い木材は得られません。 この木の名前を知っている方がおられたら、(コメント欄に記入して、)教えて下さい。翌檜(あすなろ)でしょうか?
(余談 :節穴から覗く) 大学の夏休みに帰省した時、友人と、地元では扇ヶ浜と呼ばれている所に海水浴に行きました。 節だらけの板と柱で出来た仮設の脱衣小屋が有り、板で男女の部屋を仕切っていました。 高校の男の同級生が数人来ていて、蒸し風呂の様な脱衣小屋の内で、汗ダラダラになって仕切り板の節目に錐で穴を開けようとしていました。
節は固いので錐でも、穴を開けるのは難しいです。私は品行方正では有りませんが、彼らを手助けしませんでした。 暫くして、「穴が開いた!」と言うので覗いて見ました。 女性は、スカート等を着けたたままで下着を脱いで、水着を着て、それからスカート等を脱ぐことを知りました。期待はずれだったのです! 節穴から除くと視野が狭いので、「お前の目は節穴か!」と言うのでしょうか?