これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

正月に働いた事が有りますか?

2023-01-07 12:02:18 | 人生
【はじめに】
 今回は、私の年末年始の記憶を書きます。

 私の管理している大阪の賃貸マンションに、30歳前後の男性が一人で住んでいます。入居する時「接客業です」と言っていました。9時頃に出掛けて→→22時頃に帰宅します。休みは木曜日だけで、年末年始は休み無しですから、年間310日以上働いています。

【正月の屋台】
 私は無神論者なので最近は初詣には行きません。子供が小さい頃は毎年行きました。子供にとっては、『屋台』は正月の楽しみの一つですね! 初詣の屋台は、宗教に関係なく楽しい/素晴らしい風習だと思います。

 ある屋台の前を通りかかると、「さっき一万円札を渡したのに、貴方は五千円札と間違えて釣りをくれた。僕が渡した一万円札には印が付いている。」と言う客がいました。私の目の前で、女性の店主が金を入れている木箱を開けて、印の付いた一万円札を探し始めました。木箱にビックリするほど沢山『札』が入っていました。屋台は儲かるんですね!

 印の付いた一万円札が見つかっても、釣り銭を間違えた証拠にはなりません。私は『詐欺』ではないのか?と疑ってしまいました。

【明治神宮→浅草→成田山】
 私は19歳頃に、東京の2室しか無い小さなアパートで、1年間ほど自炊した事が有ります。共同のトイレと炊事場が有りましたが、風呂は近くの銭湯に行く必要が有りました。出稼ぎ労働者達と肉体労働をしました。

 正月休みに何もする事が無かったので、大混雑すると言われていた東京の初詣を見に行く事にしました。31日の22時頃に出発して→→明治神宮の賽銭を投げ込む場所の前に0時頃に到達しました。

 当時、参道は一方通行でした。おぼろげな記憶ですが、原宿駅で下車して代々木駅の方に歩いたと思います。噂通り凄い人込みで、私の前に若い芸者と思われる着物姿の女性を二人連れた、和服の大店の旦那と思われる方が歩いていました。周りの人達が大きな声で旦那を冷やかすのです。旦那を目掛け蜜柑を投げる輩もいて、私の頭に当たった記憶が有ります。

 多分今でも同じだと思いますが、本殿の前に筵を敷いて、その手前に縄を張ったのが賽銭を投げ込む場所です。一番前まで行ける人は少なく、後ろの方から硬貨を投げていました。私は、どれだけ賽銭が集まるのか見たかったので、一番前まで無理して進みました。初詣が始まったばかりの時間でしたが、ビックリするほど沢山賽銭が入っていました。

 次に向かったのは浅草寺です→→その後、成田山新勝寺に行きました。途中、屋台で休憩して、朝食と昼食を頂きました。その後で川崎大師に向かう予定だったのですが、疲れてしまって帰路につきました。(雑踏の中を歩くのは疲れます!)

 アパートに帰って、牛乳を温めないでガブガブ飲みました。体が冷えていたので、酷い腹痛と下痢になって→→二日間寝て過ごしました。姉が、「お賽銭を入れなかったので罰が当たったのよ!」と言いました。

【藪入り(やぶいり)】
 私の父は1901年(明治34年)生まれです。尋常小学校を中退して、和歌山県・南部町の商店に丁稚奉公に入りました。その頃はまだ藪入り(やぶいり)が来るのを待っている子供や親がいたのです。藪入りは、『旧暦の1月16日』と『旧暦の7月16日』ですから、丁稚達は正月も働いたのでしょう!?

 藪入り以外に、月に何回か丁稚に休みが与えられた様です。休みの日、父は10kmほど歩いて田辺市の『辻の餅』と言う店に『おけし餅』を食べに行ったそうです。私が小さい頃、私を田辺市に連れて行くと、『辻の餅』に寄って『おけし餅』を御馳走してくれました。

 店の奥に10人程が座れる椅子が置いていて、何時も老齢の女将さんと父は世間話をしていました。女将さんが茶をだしてくれて、私は『おけし餅』を沢山食べました。私は今でも、田辺市に行ったら必ず『おけし餅』を買って帰ります。

(余談 :お盆) 浄土真宗では盆や法事にお餅を仏壇に供え、その餅を『おけそく』と呼ぶそうです。 田辺市では宗派に関係なく、盆に『おけし餅』を買って食べる様です。妻の実家が田辺市に有るので、私は盆には早起きして、『おけし餅』を買って来ました。未明から作ったら、追加は作らないので、早く行かないと売り切れてしまうのです。段々・この習慣は下火になって来たので、今は午後からでも買えるかも知れません。

(余談 :店は正月二日から) 私が子供の頃、故郷の龍神村には商店が20軒以上有ったと思います。現金商売では無くて『掛売』でしたから、12月の末には店主は集金で大忙しでした。疲れてしまって、多分どの店も元日は『寝正月』だったのだと思います。正月二日から店は開いていた様に記憶しています。

 街の丁稚を使っていた大きな店も、元日は休みだったと思います。丁稚達も『寝正月』だったのでしょう!

 父は山林労務者を10人以上雇っていました。賃金は盆前と12月の末に支払っていました。その金で商店の支払いをしたのです。

【年末年始の賃金】
 製鉄所や製紙工場は24時間の連続操業をしています。機械のメンテナンスや改造工事は、一般に運転を止める正月、お盆、ゴールデンウイークの時期に行います。

 正月工事の時は、昔から全国的に特別な日当が支払われました。31日~2日は3倍、30日と3日は2倍、29日と4日は1.5倍だったと思います。 工事費が嵩むので、正月工事は段々と少なくなって来ました。

 私は製紙機械の設計開発に通算9年間ほど携わりました。富士市の製紙工場で3回正月工事の現場監督をやった事が有ります。正月に営業しているビジネスホテルや安宿が少なくなっていました。現役か元か忘れましたが、市会議員が銭湯を相続して、隣接地にビジネスホテルを建てていました。ホテルのロビーから直接、銭湯の脱衣所に入れる様になっていました。

 このビジネスホテルは料理が美味しくて、リーズナブルな料金だったので、普通の時はなかなか予約出来ませんでしたが、年末年始はガラガラでした。そんな分けで、私は3回の正月工事の時、利用させてもらいました。

 年末年始は従業員の多くを休ませて、配膳を御主人がされました。31日~3日まで通常の2倍ほど高い料金でした。 但し、夕食には毎回大きな伊勢海老を一尾(いちび)焼いた料理が出ました。最初の二日は幸せな気分でしたが、4日目になると普通の料理が食べたくなりました。 ご主人は、何時も私の傍に座って、「大赤字です!」と言っていました。

 会社は12月29日~1月5日まで休みでした。1月2日か3日に社長が『10万円』入った紙袋を持って工事現場に来て、各自に渡しました。

 現場作業者は、休日手当、残業手当が貰えた上に『10万円』頂けるので喜んでいました。 設計担当者は、出勤した事になっていなかったので、休日手当も残業手当も出ないのです。通常の出張費は支給してもらいましたが、ビジネスホテル代は2倍以上もして、「間尺に合わない!」と思いました。 勿論、会社は設計の人件費を顧客に請求していました。

 正月休みが全く無いと、「区切りの無い、何か可笑しい!一年」の様に思えました。


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