今回は、私が務めていた企業であった、恥ずかしい話しです。
大学で技術系の学科を卒業したのに、技術とは縁遠いい部署で過ごし、偉くなって工場長に就任した方の話しです。 私は、この工場長は刑事訴追をされるべきだったと考えています。
この工場の勤務時間は8am~5pm(1時間休憩)でしたが、この工場長は就任直後から一時間以上前に出社して、9pm以降に帰宅されていました。
設計部のフロアーの一角にガラス張りの工場室が有ったため、設計の監視が自分の使命の様に考えていたと思われます。勿論、設計部長は別におられました。
【工場長が決めた設計部の勤務時間】
着任後しばらくして設計部の管理職を集め、「設計の勤務時間は8am~8pmとする、8pm前に帰宅する者がいる課は”暇な部署”と見なす。人員削減も有りうる!」と言い渡しました。
各課では、女性以外の社員に「暇な時でも8pmまでは残ってくれ」と口頭の指示が出ました。
この設計部は昔から『残業代は、一律に月3時間』と決まっていました。勿論、この都合の良い慣習はそのままでした。
この会社では、印刷された用紙に、どの仕事に何時間、会議に何時間、その日の合計勤務時間などを書く『日報』を毎日提出させていました。工場長は『日報』のデータをエクセルにインプットさせ一か月毎の表にして、各担当者の勤務状況を把握する資料にしていました。
勿論、この資料は秘密にされていましたが、工場長が出張された時に、工場長室に忍び込んでコピーを取った人がいました。そのコピーを見せてもらったのですが、1か月に1日か2日しか休みを取っていない社員もいました。設計部の男性社員の平均残業時間は優に100時間を超えていました。
労働組合は『日報』の存在は知っていましたが、無視していました。労働基準監督署は『日報』を書かせていることは知っていた様で、『残業代が、一律・月3時間』は少なすぎると抗議してくれ、月5時間か月6時間になり皆で喜びました。
テレビでサービス残業が取り上げられる度に、妻は「残業代が全部貰えていたらもう一軒家が建てられたのに!」と言います。 私が妻に内緒で計算してみたら、三軒は建てられている事になりました。
【工場長による机の上の書類チェック】
始業時間の一時間以上前に出社して、新工場長は何をされていたか? 座席表を持って、設計部の机の上の書類をチェックして、記録を取っていたのです。
設計では、外部に計算や検討を依頼し、その結果を待っている等々の理由で保留にしている図面や計画書などがあります。各担当者は、それらの書類を、机の目立つ位置に置いて忘れないようにしていました。
同じ書類が一週間も机の上にあったら、『仕事が全然進んでいない』=『仕事をしてい無い』と工場長は判断されたわけです。管理職の会議で、仕事をしていないと判断した担当者の名前をあげて、「〇〇は設計には不向きだ」等々まくし立てたようです。
各課では口頭で、「机のうえの書類は、帰る時に上の物を下にするように」と指示が有りました。長期出張する時は、書類は全て机の中に入れるか、大きな図面は倉庫に持って行く事になりました。
人間ですから、つい忘れます。その都度、工場長は上司の課長に「管理がなっていない! ◎◎は仕事をしていない!」と大声で怒鳴り付けていました。工場長が離任されるまで、ずっと机の上の書類のチェックは続けられました。
【最低の社員を課長に昇格させた】
品質保証課に全く仕事の出来ない社員がいました。彼が車通勤だったのが、この話のポイントです。
品質保証課は6pmには店じまいして、部屋に鍵を掛けるのが常でした。彼は、新工場長が赴任した直後から、6pm頃、設計部に来て新工場長が退社されるまで(2時間以上)無言で待っていました。 設計のほぼ全員が、仕事で彼から痛い目に合っていましたから、誰も話し掛けませんでした。
彼は、朝も自分の車で駅まで工場長を迎えに行き、夜は帰られるまで待って駅まで送っていたのです!
一年ほどして、なんと!彼を品質保証課の課長に昇格させてしまったのです!
工場長は彼に実績を付けさせるために、重要な案件の据え付け工事と検収試験を仕切らせようとしました。どの顧客からも必ず、「代わりの人を派遣して欲しい」と要請が来ました。工場長は、その都度、優秀な担当者を派遣しましたが、彼を引き揚げさせませんでした。課長の彼が最後までやり遂げた様に装いたかったのだと思います。
工場長は3年程で栄転されましたが、その後数年間、品質保証課の課長は彼のままでした。 何よりも残念だったのは、設計部の先輩達が長年・地道に進めてきた『技術志向の風土」をズタズタにして去られた事でした。
大学で技術系の学科を卒業したのに、技術とは縁遠いい部署で過ごし、偉くなって工場長に就任した方の話しです。 私は、この工場長は刑事訴追をされるべきだったと考えています。
この工場の勤務時間は8am~5pm(1時間休憩)でしたが、この工場長は就任直後から一時間以上前に出社して、9pm以降に帰宅されていました。
設計部のフロアーの一角にガラス張りの工場室が有ったため、設計の監視が自分の使命の様に考えていたと思われます。勿論、設計部長は別におられました。
【工場長が決めた設計部の勤務時間】
着任後しばらくして設計部の管理職を集め、「設計の勤務時間は8am~8pmとする、8pm前に帰宅する者がいる課は”暇な部署”と見なす。人員削減も有りうる!」と言い渡しました。
各課では、女性以外の社員に「暇な時でも8pmまでは残ってくれ」と口頭の指示が出ました。
この設計部は昔から『残業代は、一律に月3時間』と決まっていました。勿論、この都合の良い慣習はそのままでした。
この会社では、印刷された用紙に、どの仕事に何時間、会議に何時間、その日の合計勤務時間などを書く『日報』を毎日提出させていました。工場長は『日報』のデータをエクセルにインプットさせ一か月毎の表にして、各担当者の勤務状況を把握する資料にしていました。
勿論、この資料は秘密にされていましたが、工場長が出張された時に、工場長室に忍び込んでコピーを取った人がいました。そのコピーを見せてもらったのですが、1か月に1日か2日しか休みを取っていない社員もいました。設計部の男性社員の平均残業時間は優に100時間を超えていました。
労働組合は『日報』の存在は知っていましたが、無視していました。労働基準監督署は『日報』を書かせていることは知っていた様で、『残業代が、一律・月3時間』は少なすぎると抗議してくれ、月5時間か月6時間になり皆で喜びました。
テレビでサービス残業が取り上げられる度に、妻は「残業代が全部貰えていたらもう一軒家が建てられたのに!」と言います。 私が妻に内緒で計算してみたら、三軒は建てられている事になりました。
【工場長による机の上の書類チェック】
始業時間の一時間以上前に出社して、新工場長は何をされていたか? 座席表を持って、設計部の机の上の書類をチェックして、記録を取っていたのです。
設計では、外部に計算や検討を依頼し、その結果を待っている等々の理由で保留にしている図面や計画書などがあります。各担当者は、それらの書類を、机の目立つ位置に置いて忘れないようにしていました。
同じ書類が一週間も机の上にあったら、『仕事が全然進んでいない』=『仕事をしてい無い』と工場長は判断されたわけです。管理職の会議で、仕事をしていないと判断した担当者の名前をあげて、「〇〇は設計には不向きだ」等々まくし立てたようです。
各課では口頭で、「机のうえの書類は、帰る時に上の物を下にするように」と指示が有りました。長期出張する時は、書類は全て机の中に入れるか、大きな図面は倉庫に持って行く事になりました。
人間ですから、つい忘れます。その都度、工場長は上司の課長に「管理がなっていない! ◎◎は仕事をしていない!」と大声で怒鳴り付けていました。工場長が離任されるまで、ずっと机の上の書類のチェックは続けられました。
【最低の社員を課長に昇格させた】
品質保証課に全く仕事の出来ない社員がいました。彼が車通勤だったのが、この話のポイントです。
品質保証課は6pmには店じまいして、部屋に鍵を掛けるのが常でした。彼は、新工場長が赴任した直後から、6pm頃、設計部に来て新工場長が退社されるまで(2時間以上)無言で待っていました。 設計のほぼ全員が、仕事で彼から痛い目に合っていましたから、誰も話し掛けませんでした。
彼は、朝も自分の車で駅まで工場長を迎えに行き、夜は帰られるまで待って駅まで送っていたのです!
一年ほどして、なんと!彼を品質保証課の課長に昇格させてしまったのです!
工場長は彼に実績を付けさせるために、重要な案件の据え付け工事と検収試験を仕切らせようとしました。どの顧客からも必ず、「代わりの人を派遣して欲しい」と要請が来ました。工場長は、その都度、優秀な担当者を派遣しましたが、彼を引き揚げさせませんでした。課長の彼が最後までやり遂げた様に装いたかったのだと思います。
工場長は3年程で栄転されましたが、その後数年間、品質保証課の課長は彼のままでした。 何よりも残念だったのは、設計部の先輩達が長年・地道に進めてきた『技術志向の風土」をズタズタにして去られた事でした。