今回は、私の大好物の”芋粥”とジネンジョ掘りの話しです。 我が家の・お嫁さん二人に芋粥を食べて貰って、感想を聞きたかったのですが、二人とも食べた事があり、「好きですが、噛めないので胃を悪くしますね」と言いました。 (我が家の芋粥は、まだ食べて貰っていません。) 芋粥を食べたら、必ず胃薬を飲んで下さい。
【芋粥が大好物です!】
我が家では、ジネンジョかツクネ芋を擂鉢で擂って、出汁(だしじる)を加えて、少量の御飯に芋汁をタップリ掛けたのを”芋粥”と呼んでいました。 父の大好物で、私も好きです。 何故か?母と姉達は殆ど食べませんでした。
家の東側の石垣の上に馬酔木(アセビ)の垣根が有り、父はその根元でツクネ芋を育てていました。収穫する為には、石垣を壊す必要が有りましたが、父は他の場所では育てませんでした。 ジネンジョ堀りは、私の仕事でした。 小学低学年の頃から、近くの2才年上の男子について急な山に入り、掘って来ました。 父は、何時も喜んでくれました。
結婚後、家内が私の母の味で”芋粥”を作ってくれる様になって、うす塩の干し”うるめいわし”を添えてくれる様になりました。 『芋粥+うるめいわし』は絶品です!
(余談 :故郷の茶粥) 紀州では、ほうじ茶か番茶で少量の米を炊いたのを『茶粥(ちゃがゆ)』と呼んで、今でも人気が有ります。 私の故郷では、『おかいさん』と呼んでいました。 戦後の食糧難の時代には茶粥に薩摩芋を入れていました。それを、近所の家では『芋粥』と呼んでいました。
(余談 :番茶) どの家でも、畑の周囲に茶を植えていて、新芽を摘んで”お茶”を作りました。集落の数軒が大きな釜を持っていて、庭に仮設の竈(かまど)を築き、何軒かの主婦たちが協力して一年分の”お茶”を作ったのです。 茶葉の水分を飛ばしたら”番茶”になり、さらに過熱する(焙じる)と”ほうじ茶”になります。 私の集落では”番茶”を作りました。 茶摘みには子供達も参加しました。
【芥川龍之介の芋粥】
私は少しませていたので、姉が借りてきた芥川龍之介の『芋粥』を小学五、六年生の時に読みました。 我が家の芋粥を食べながら、”五位”を想像しました。 ずっと後になって知ったのですが、五位が好きだったのは、植物を煎じて作った甘い汁で、ジネンジョを煮たものだった様です。 (私は食べた事が有りませんが、多分好きにはなれないと思います。)
【飯屋のトロロ定食】
入社後、結婚するまでの4年間ほど寮生活でした。バスや電車が無くなる時間まで働いて、30分ほど掛けて歩いて寮に帰る日が多かったのですが、途中に遅くまでやっている小さな飯屋が有って、何時も『トロロ定食』を頂きました。
米と麦を混ぜて炊いたご飯(麦御飯)に、粘り気の強いヤマノイモを擂って出汁に溶かした物を少量掛け、焼き鰯、味噌汁、沢庵が添えられていました。 母の作ってくれた”芋粥”とは全く違う物でしたが、鰯が良く合っていました。
【ヤマノイモ】
ヤマノイモ科に属する食用の芋には、大きく分けて4種類有ります。 地方によって呼び名が違うので、”ややこしい”です。 私の故郷では、ジネンジョを『ヤマイモ』とか『ヤマノイモ』と呼びます。 近所に鳥取県出身の方がおられ、毎年12月になると「到来物のヤマイモです」と言って、スーパーで売っている”ナガイモ”とソックリの芋を頂きます。 粘り気が非常に強く、子供の頃に食べたジネンジョの様に美味しいです。 (私は、ジネンジョを栽培した物ではと思っています。 ”芋粥”にして頂いています。)
ヤマノイモ科は雌雄異株です。 白い小さな花が咲きます。 ジネンジョとナガイモには種子が出来、種子から育てる事も出来ます。 種子は、風で飛びそうな形状をしています。 (ツクネ芋とイチョウ芋は雌株しか無いので、種子は出来ません。)
ツクネ芋以外は、蔓に沢山”零余子(むかご)”を付けます。(私は、ツクネ芋の零余子を見た事が有りません。)
① ジネンジョ(自然薯) :雌株+雄株が有り→種子、零余子(ムカゴ)が出来ます。
② ツクネ芋 :雌株のみ、零余子(ムカゴ)は殆ど出来ません。
③ イチョウ芋(大和芋) :雌株のみ、零余子(むかご)が出来ます。
④ ナガイモ(長芋) ::雌株+雄株が有り→種子、零余子(ムカゴ)・・・スーパーで売っています。
粘り気が最も強いのは、ジネンジョで、その次がツクネ芋です。 ジネンジョは、赤土で育ったのが一番美味しかったと記憶しています。(赤土には殆ど肥料分が無いのに不思議です!)
【ジネンジョの繁殖と成長】
ジネンジョは種子とムカゴ、何方でも繁殖します。山の上の方でも自生していますから、種子は遠くまで飛べるのでしょう。 ムカゴが地面に落ちて、次の春、芽を出したとします。 蔓が近くの木の幹に絡みつき、上へ上へと伸びて行きます。葉が太陽の光に当たる所まで蔓が伸びると、芋が成長し始めます。これが、次の年の親芋になります。 11月の中旬から葉が枯れ始め、12月頃には蔓も枯れて、蔓は根本からバラバラになって、地上に落下してしまいます。
次の年に親芋から芽が出て、親芋に蓄えた養分を貰って蔓が成長します。蔓の付け根に新しい芋が出来て、親芋の横を下へ下へと成長します。 秋ごろには、親芋は殆どの養分を蔓に与えて、皮だけになってしまいます。 新しい芋は、親芋よりも地下深くまで伸びて、太くなります。 (人間の一生に似ていますね!)
何年かすると、蔓は太くなり、芋は2メートル近くまで長くなります。 平地で深さ2メートルの穴を掘るのは難しいですが、急な斜面なら長い芋を比較的簡単に掘り出せます。
【ジネンジョ掘り】
私は、和歌山県の山村で育ったのですが、11月頃になると、男の子供達が山に入ってジネンジョを掘りました。 (私の集落では、大人はジネンジョ堀りはしませんでした。) 2メートル近い芋は、せいぜい一日に1本か2本しか掘れません。 私は、何時も芋の一番上の方を30cmほど折って、穴に埋め戻してやりました。 親芋になって、次の年から又、成長してくれます。
小腹が空くとムカゴを食べました。 喉が渇いたら、谷の水を手で掬って飲みました。 食べ物を得る遊びは、”しんどくても”楽しいかったです!
(余談 :蛇の冬眠) 蛇や蛙が冬眠する事を学校で教えて貰ったと思いますが、殆どの人はドンな状態で、ドンな所で冬眠しているか?ご存知無いと思います。ジネンジョを堀っていたら、時々・蛇や蛙が出てきました。 蛇の直ぐ近くに蛙が冬眠している事も有りました。 「来年、目が覚めたら”こいつ”を食ってやろう!」と蛇は目論んでいるんだと、年上の子供は言ったいました。 多分、嘘です。 (元気な蛇は殺して遊びましたが、動かない蛇と蛙を見付けたら、何時も直ぐに穴を掘って、埋めてやりました。)
(余談 :川石) 山の上の方でジネンジョを掘っていると、丸くなった”川石”が所々に落ちていました。 大昔は、この付近を川が流れていたのだと、知る事が出来ました。 「どれだけの年月を掛けて、あんな下の方を川が流れる様になったのかな?」と、自然の力の大きさに感動しました。
【ジネンジョ掘りの名人】
四歳年上の男性が、私が育った集落の最長老になっています。彼は、小学生の頃からジネンジョ堀りの名人でした。 2メール近いジネンジョを、傷一つ付けないで、木に括り付けて持ち帰っていました。 町から、ジネンジョを買い付けに来る人に売って、小遣い稼ぎをしてたのです。 (私達が掘った物には、必ず傷が有ったので、買い取って貰えませんでした。)
ジネンジョは周囲の岩や石を避けて、前後左右に曲がって成長します。 スーパーで売っている様に、真っすぐい棒の様では無いのです。 断面は丸かったり、平べったかったりするので、気を付けながら掘っても、傷を付けてしまいます。 名人に、何回も弟子入りをお願いしたのですが、結局・一回も連れて行って貰えませんでした。
【ツクネ芋を栽培しています。】
我が家の居間の窓の下に、二坪ほどの小さな花壇が有ります。 (我が家では『ハタケ』と呼んでいます。) 夏季は胡瓜かゴーヤを植えてグリーンカーテンにしていました。(冬季は玉葱を育てて来ました。) 連作障害か(?)、胡瓜は生育が悪くなりました。 ゴーヤは今でも元気に育つのですが、家内も私もゴーヤが余り好きで無く、近所に配っても、喜んでくれる方が少ないので、数年前から”ツクネ芋”を育てています。
ツクネ芋を育てるのは意外と簡単です。 グリーンカーテンにはなりますが、11月頃まで葉が枯れないので、少し問題です。
最初の年は、スーパーから小ぶりのツクネ芋を2個買ってきて、それぞれ四等分して、大きなプランターと”ハタケ”に分けて植えてみました。 11月に掘ってみると、プランターの方はスーパーで買って来た物より小さかったですが、地植えした方は結構な大きさになっていました。
一番大きかった芋を擂り下ろしていたら、黒っぽく変色して来ました。多分、灰汁(あく)が強いのだと思い、少し食べて見ましたが美味しく有りませんでした。 インターネットで調べたらツクネ芋には、余り肥料を与えたら駄目と書いていました。 次の年から、発酵油粕の固形肥料を少量、年に1回だけ与えています。
去年、芽の出る前(3月頃)に、ハタケに植えた1個が猫に掘り起こされ、乾燥して萎びていました。駄目元で埋めたら、芽が出て、スクスクと育ち、大きな芋になっていました。 植物の生命力の強さには、時々驚かされます。
ツクネ芋にも連作障害が有る様ですが、今の所、生育は順調です。 「土に有機物が沢山入っているためか?」と勝手に判断しています。 病気は一度も発生していません。 毎年、蛾の一種のキイロスズメが葉を食べます。 薄い草色の保護色ですが、大きな黒い糞を落とし、私の中指ほどの大きさになるので、簡単に見付ける事が出来ます。 一度・徹底的に退治すると、(我が家の場合は)その年はもう発生しません。
【我が家の”ハタケ”】
家の西側の半分と南側に幅1メール、東側の半分に幅2メールほどの花壇を作っています。そして、居間の窓の下に”ハタケ”が有ります。 40年ほど前に家を建てた時、周囲に畑が沢山あり、毎年、少しずつ家が建ちました。 不要になった畑の土を頂いてきて、花壇と”ハタケ”に入れました。 レンガを沢山買って来て、最初は横に寝かせていたのですが、土が増えてきたので今ではレンガを立てています。 特に”ハタケ”は水はけを良くするために、レンガを二段に立てて、庭より40センチ以上・土を盛り上げています。
家内は花が好きなので、最初の頃は一年草の花や、紫陽花等を化学肥料で育てていました。(家内は”土弄り(つちいじり)”が嫌いな方なので、花壇の手入れは私の担当です。) 数年もすると、ミミズや蝉の幼虫が殆どいなくなってしまいました。 以来、化学肥料は出来るだけ少なくして、バーク堆肥、骨粉、発酵油粕で育てています。(時々、魚粉、牛糞、鶏糞も使います。)
竹村電機製作所の土壌酸度測定器でペーハー(PH)の管理もしています。 PH計は4,000~8,000円程で入手出来ます。 化学肥料を多用される方には、お勧めします。
【芋粥が大好物です!】
我が家では、ジネンジョかツクネ芋を擂鉢で擂って、出汁(だしじる)を加えて、少量の御飯に芋汁をタップリ掛けたのを”芋粥”と呼んでいました。 父の大好物で、私も好きです。 何故か?母と姉達は殆ど食べませんでした。
家の東側の石垣の上に馬酔木(アセビ)の垣根が有り、父はその根元でツクネ芋を育てていました。収穫する為には、石垣を壊す必要が有りましたが、父は他の場所では育てませんでした。 ジネンジョ堀りは、私の仕事でした。 小学低学年の頃から、近くの2才年上の男子について急な山に入り、掘って来ました。 父は、何時も喜んでくれました。
結婚後、家内が私の母の味で”芋粥”を作ってくれる様になって、うす塩の干し”うるめいわし”を添えてくれる様になりました。 『芋粥+うるめいわし』は絶品です!
(余談 :故郷の茶粥) 紀州では、ほうじ茶か番茶で少量の米を炊いたのを『茶粥(ちゃがゆ)』と呼んで、今でも人気が有ります。 私の故郷では、『おかいさん』と呼んでいました。 戦後の食糧難の時代には茶粥に薩摩芋を入れていました。それを、近所の家では『芋粥』と呼んでいました。
(余談 :番茶) どの家でも、畑の周囲に茶を植えていて、新芽を摘んで”お茶”を作りました。集落の数軒が大きな釜を持っていて、庭に仮設の竈(かまど)を築き、何軒かの主婦たちが協力して一年分の”お茶”を作ったのです。 茶葉の水分を飛ばしたら”番茶”になり、さらに過熱する(焙じる)と”ほうじ茶”になります。 私の集落では”番茶”を作りました。 茶摘みには子供達も参加しました。
【芥川龍之介の芋粥】
私は少しませていたので、姉が借りてきた芥川龍之介の『芋粥』を小学五、六年生の時に読みました。 我が家の芋粥を食べながら、”五位”を想像しました。 ずっと後になって知ったのですが、五位が好きだったのは、植物を煎じて作った甘い汁で、ジネンジョを煮たものだった様です。 (私は食べた事が有りませんが、多分好きにはなれないと思います。)
【飯屋のトロロ定食】
入社後、結婚するまでの4年間ほど寮生活でした。バスや電車が無くなる時間まで働いて、30分ほど掛けて歩いて寮に帰る日が多かったのですが、途中に遅くまでやっている小さな飯屋が有って、何時も『トロロ定食』を頂きました。
米と麦を混ぜて炊いたご飯(麦御飯)に、粘り気の強いヤマノイモを擂って出汁に溶かした物を少量掛け、焼き鰯、味噌汁、沢庵が添えられていました。 母の作ってくれた”芋粥”とは全く違う物でしたが、鰯が良く合っていました。
【ヤマノイモ】
ヤマノイモ科に属する食用の芋には、大きく分けて4種類有ります。 地方によって呼び名が違うので、”ややこしい”です。 私の故郷では、ジネンジョを『ヤマイモ』とか『ヤマノイモ』と呼びます。 近所に鳥取県出身の方がおられ、毎年12月になると「到来物のヤマイモです」と言って、スーパーで売っている”ナガイモ”とソックリの芋を頂きます。 粘り気が非常に強く、子供の頃に食べたジネンジョの様に美味しいです。 (私は、ジネンジョを栽培した物ではと思っています。 ”芋粥”にして頂いています。)
ヤマノイモ科は雌雄異株です。 白い小さな花が咲きます。 ジネンジョとナガイモには種子が出来、種子から育てる事も出来ます。 種子は、風で飛びそうな形状をしています。 (ツクネ芋とイチョウ芋は雌株しか無いので、種子は出来ません。)
ツクネ芋以外は、蔓に沢山”零余子(むかご)”を付けます。(私は、ツクネ芋の零余子を見た事が有りません。)
① ジネンジョ(自然薯) :雌株+雄株が有り→種子、零余子(ムカゴ)が出来ます。
② ツクネ芋 :雌株のみ、零余子(ムカゴ)は殆ど出来ません。
③ イチョウ芋(大和芋) :雌株のみ、零余子(むかご)が出来ます。
④ ナガイモ(長芋) ::雌株+雄株が有り→種子、零余子(ムカゴ)・・・スーパーで売っています。
粘り気が最も強いのは、ジネンジョで、その次がツクネ芋です。 ジネンジョは、赤土で育ったのが一番美味しかったと記憶しています。(赤土には殆ど肥料分が無いのに不思議です!)
【ジネンジョの繁殖と成長】
ジネンジョは種子とムカゴ、何方でも繁殖します。山の上の方でも自生していますから、種子は遠くまで飛べるのでしょう。 ムカゴが地面に落ちて、次の春、芽を出したとします。 蔓が近くの木の幹に絡みつき、上へ上へと伸びて行きます。葉が太陽の光に当たる所まで蔓が伸びると、芋が成長し始めます。これが、次の年の親芋になります。 11月の中旬から葉が枯れ始め、12月頃には蔓も枯れて、蔓は根本からバラバラになって、地上に落下してしまいます。
次の年に親芋から芽が出て、親芋に蓄えた養分を貰って蔓が成長します。蔓の付け根に新しい芋が出来て、親芋の横を下へ下へと成長します。 秋ごろには、親芋は殆どの養分を蔓に与えて、皮だけになってしまいます。 新しい芋は、親芋よりも地下深くまで伸びて、太くなります。 (人間の一生に似ていますね!)
何年かすると、蔓は太くなり、芋は2メートル近くまで長くなります。 平地で深さ2メートルの穴を掘るのは難しいですが、急な斜面なら長い芋を比較的簡単に掘り出せます。
【ジネンジョ掘り】
私は、和歌山県の山村で育ったのですが、11月頃になると、男の子供達が山に入ってジネンジョを掘りました。 (私の集落では、大人はジネンジョ堀りはしませんでした。) 2メートル近い芋は、せいぜい一日に1本か2本しか掘れません。 私は、何時も芋の一番上の方を30cmほど折って、穴に埋め戻してやりました。 親芋になって、次の年から又、成長してくれます。
小腹が空くとムカゴを食べました。 喉が渇いたら、谷の水を手で掬って飲みました。 食べ物を得る遊びは、”しんどくても”楽しいかったです!
(余談 :蛇の冬眠) 蛇や蛙が冬眠する事を学校で教えて貰ったと思いますが、殆どの人はドンな状態で、ドンな所で冬眠しているか?ご存知無いと思います。ジネンジョを堀っていたら、時々・蛇や蛙が出てきました。 蛇の直ぐ近くに蛙が冬眠している事も有りました。 「来年、目が覚めたら”こいつ”を食ってやろう!」と蛇は目論んでいるんだと、年上の子供は言ったいました。 多分、嘘です。 (元気な蛇は殺して遊びましたが、動かない蛇と蛙を見付けたら、何時も直ぐに穴を掘って、埋めてやりました。)
(余談 :川石) 山の上の方でジネンジョを掘っていると、丸くなった”川石”が所々に落ちていました。 大昔は、この付近を川が流れていたのだと、知る事が出来ました。 「どれだけの年月を掛けて、あんな下の方を川が流れる様になったのかな?」と、自然の力の大きさに感動しました。
【ジネンジョ掘りの名人】
四歳年上の男性が、私が育った集落の最長老になっています。彼は、小学生の頃からジネンジョ堀りの名人でした。 2メール近いジネンジョを、傷一つ付けないで、木に括り付けて持ち帰っていました。 町から、ジネンジョを買い付けに来る人に売って、小遣い稼ぎをしてたのです。 (私達が掘った物には、必ず傷が有ったので、買い取って貰えませんでした。)
ジネンジョは周囲の岩や石を避けて、前後左右に曲がって成長します。 スーパーで売っている様に、真っすぐい棒の様では無いのです。 断面は丸かったり、平べったかったりするので、気を付けながら掘っても、傷を付けてしまいます。 名人に、何回も弟子入りをお願いしたのですが、結局・一回も連れて行って貰えませんでした。
【ツクネ芋を栽培しています。】
我が家の居間の窓の下に、二坪ほどの小さな花壇が有ります。 (我が家では『ハタケ』と呼んでいます。) 夏季は胡瓜かゴーヤを植えてグリーンカーテンにしていました。(冬季は玉葱を育てて来ました。) 連作障害か(?)、胡瓜は生育が悪くなりました。 ゴーヤは今でも元気に育つのですが、家内も私もゴーヤが余り好きで無く、近所に配っても、喜んでくれる方が少ないので、数年前から”ツクネ芋”を育てています。
ツクネ芋を育てるのは意外と簡単です。 グリーンカーテンにはなりますが、11月頃まで葉が枯れないので、少し問題です。
最初の年は、スーパーから小ぶりのツクネ芋を2個買ってきて、それぞれ四等分して、大きなプランターと”ハタケ”に分けて植えてみました。 11月に掘ってみると、プランターの方はスーパーで買って来た物より小さかったですが、地植えした方は結構な大きさになっていました。
一番大きかった芋を擂り下ろしていたら、黒っぽく変色して来ました。多分、灰汁(あく)が強いのだと思い、少し食べて見ましたが美味しく有りませんでした。 インターネットで調べたらツクネ芋には、余り肥料を与えたら駄目と書いていました。 次の年から、発酵油粕の固形肥料を少量、年に1回だけ与えています。
去年、芽の出る前(3月頃)に、ハタケに植えた1個が猫に掘り起こされ、乾燥して萎びていました。駄目元で埋めたら、芽が出て、スクスクと育ち、大きな芋になっていました。 植物の生命力の強さには、時々驚かされます。
ツクネ芋にも連作障害が有る様ですが、今の所、生育は順調です。 「土に有機物が沢山入っているためか?」と勝手に判断しています。 病気は一度も発生していません。 毎年、蛾の一種のキイロスズメが葉を食べます。 薄い草色の保護色ですが、大きな黒い糞を落とし、私の中指ほどの大きさになるので、簡単に見付ける事が出来ます。 一度・徹底的に退治すると、(我が家の場合は)その年はもう発生しません。
【我が家の”ハタケ”】
家の西側の半分と南側に幅1メール、東側の半分に幅2メールほどの花壇を作っています。そして、居間の窓の下に”ハタケ”が有ります。 40年ほど前に家を建てた時、周囲に畑が沢山あり、毎年、少しずつ家が建ちました。 不要になった畑の土を頂いてきて、花壇と”ハタケ”に入れました。 レンガを沢山買って来て、最初は横に寝かせていたのですが、土が増えてきたので今ではレンガを立てています。 特に”ハタケ”は水はけを良くするために、レンガを二段に立てて、庭より40センチ以上・土を盛り上げています。
家内は花が好きなので、最初の頃は一年草の花や、紫陽花等を化学肥料で育てていました。(家内は”土弄り(つちいじり)”が嫌いな方なので、花壇の手入れは私の担当です。) 数年もすると、ミミズや蝉の幼虫が殆どいなくなってしまいました。 以来、化学肥料は出来るだけ少なくして、バーク堆肥、骨粉、発酵油粕で育てています。(時々、魚粉、牛糞、鶏糞も使います。)
竹村電機製作所の土壌酸度測定器でペーハー(PH)の管理もしています。 PH計は4,000~8,000円程で入手出来ます。 化学肥料を多用される方には、お勧めします。