今回は、私の子供の頃の田舎の集会と、家を建てた頃からの都会の町内会の話しです。田舎の集会は生活に関係した重要なものでしたが、現在の町内会は『エゴ(ego)』のぶっつけ合いの様で、主な問題は”家庭ゴミ”の様です。お祭りの盛んな地域では、今でも町内会は重要な存在の様ですが!
【田圃の用水路】
私の育った山奥の集落の田圃は、川上の少し大きな谷から水を取っていました。用水路の長さは10キロメートル以上有りました。5か所の集落が共同で利用していました。
集落の集会の、最大の課題は用水路の維持/管理と水の配分でした。毎年、田植えシーズンの前に、五つの集落の代表が、日時と分担の場所を決めて、用水路の草を引いたり、ドロを除去しました。各家から何人出るかは、集落の集会で決めていました。私には姉が5人いるのですが、男は私だけでしたから、小学生になった頃から、母と私が参加しました。ワイワイ、喋りながらの仕事でしたから、結構楽しかったです。
五集落の集会で、各集落に割り当てる(24時間制の)取水時間を決めるのです。例えば、7日の18時~23時はA集落が取水して良いと言う様に。そして、集落で、各家の取水時間を決めました。
自分の家の時間になったら、真夜中でも取水口を開閉しなけれなりません。時々、”ずる”をする人が出ましたが、大喧嘩にはならなかった様です。
山の上に、結構立派な五集落の神社が有りました。毎年、数十人集まって、お祭りをして、最後に餅まきをしました。五集落の住人が「大切な用水路を維持/管理しなさい!喧嘩しないで、用水路の水を分かち合いなさい」と言うために昔の人達が建立した神社だったと思います。1975年頃に、家内を連れてお参りしましたが、現在は無くなっている様です。
(余談) 1950年代に大渇水があって、米が殆ど収穫出来ない事がありました。その後、川から用水路にポンプで水を汲み上げる設備を村が設けたので、五集落の結束は必要でなくなって来ました。
【集落の道】
集落には、軽自動車がやっと通れる程の道が2本有りました。石垣が崩れたりすると、集落の集会で修復の相談をしていました。
殆どの家で、農耕用の牛を飼っていましたので、道端の雑草は自由に刈り取って飼料にしていました。奪い合いになる事は、全く有りませんでした。
(余談) 小学生低学年の頃、父と二人で羊の子供を2頭貰って来て、私のペットにしました。最初は、小さくて可愛らしかったのですが、直ぐに大きくなってしまいました。勿論、我が家でも牛を飼っていました。私は、大きな竹籠と鎌を持って、集落の道の草を刈り取って、羊と牛にやりました。父から、羊を週2回ほどは散歩させる様に言われていたのですが、美味しい草を見付けたら動こうとしなくなりました。羊はペットには向きません、主人の言う事は完全に無視しますから。
【子供達の仕事】
小学生の子供達で、①集落の氏神さんの草引き、②集落の墓の草引き、③田圃の畔の野焼きを毎年しました。何時やるかは、大人達で決めていました。草引きは蚊に刺されながらの仕事で大変でしたが、野焼きは楽しかったです。野焼きの時は、大人達は遠くで見守っていました。高学年の子供達が、低学年の子供達が火傷しない様に注意/指導して火を付けて回るのです。
(余談) 各集落に氏神さんが有りました。 私の田舎だけの風習かも知れませんが、初宮参りはその家の氏神さんに参りました。男子が町に出て一家を構えても、ふる里の氏神さんに参るのです。私の集落では、赤ちゃん、嫁さん(母)、父親の母(祖母)の三人が、お菓子を持って氏神さんに参りました。初宮参りには、決して男は参加しませんでした。(氏神さんにお供えしたお菓子は、子供達が早い者勝ちで奪い合いました。)
【集落の集会】
私の育った集落の集会には、集会場、規約、積立金、会長制も有りませんでした。集会が必要な時は、「何日の何時に、誰々の家に集まって下さい」と、誰かが言えば良いのです。お金が必要な事は滅多に有りませんでしたが、”奉加帳”の様な物を作って回覧しました。
皆でやる作業に人を出せない家も有りましたが、誰も文句は言いませんでした。老人だけの家や、ご主人が亡くなった家の田植えは、「○○家の田植えを××日にやる」と誰かが言って、近所の人達が手伝いました。私も、そんな田植えに毎年参加しました。無駄話をしながらやったので、楽しかったです。
【集会場】
男達の出稼ぎが始まって、経済的に少し余裕が出来てきたら、集落の奥さん達が”婦人会”を作りました。月に一二度、誰かの家に集まって、お喋りしながら、持ち寄った食材で昼食を作るのです。学校では給食が出ましたから、小さい子供と自分達の分を作れば良いのです。年に一二度、学校が休みの時に、小学生達の分も作ってくれました。
1960年代に、村の補助金で集落に集会場が出来ました。8畳くらいの畳敷きの部屋と台所と洗面所が有りました。結局、婦人会専用の部屋の様になりました。現在でも、有ります。田舎に帰って、女性達と話すと、婦人会は楽しいと言っています。(私は、老婆会だと思うのですが!)
(余談) 私の故郷は山奥の限界集落の様な所ですが、1980年頃に簡易水道が出来て、1990年代の中頃?に簡易下水処理施設が出来て水洗トイレになりました。集落の集会場のトイレはウオシュレットになっているかも知れません。
**************
【家庭ゴミの回収は色々です】
私は、神戸市に一戸建ての住居が有りますが、単身赴任の様な形で大阪市の小さな賃貸マンションの管理人を(ボランティアで)しています。息子達はそれぞれ別の市で、分譲マンションに住んでいます。共通しているのは、家庭ゴミの問題です。息子達のマンションの周辺には一戸建て住宅が無いので、町内会は無い様です。
大阪市で管理している賃貸マンションの周辺には、賃貸や分譲マンションが複数建っていますが、一顧建て住宅も多く、町内会が有ります。マンションの住人は町内会には入っていません。マンションには、ゴミ置き場が設けられていますが、一戸建ての場合は、町内会のゴミ置き場は無く、昔から各家の前にゴミを出しています。古い賃貸の長屋が並んだ一角にも、ゴミ置き場は有りません。
神戸市の場合は、町内会でゴミ置き場(クリーンステーション)を決め、市に届ける事になっています。私の家の町内では、『燃えるゴミ(生ゴミ)』はクリーンステーションに出しますが、古紙は各家の前に出し、『プラゴミ』、『缶・瓶・ペットボトル』と『燃えないゴミ』は他の町内と共有のクリーンステーションに出します。『古着、布製品』は別の所に出します。
神戸市は杓子定規で、分別に厳しいです。少し変な物が入っていると、そのゴミ袋は持って行ってくれませんので、当番が分別し直しています。大阪市は、分別が無茶苦茶なゴミ袋でも、根負けするのか?一週間ほど放置すると結局は持って行ってくれます。
京都府の某市に、私が庭の管理をしている一戸建ての家が有ります。バブル期に大手企業が開発した200戸以上の閑静な団地です。ゴミ袋は、各家の前に出します。この市は経済的に苦しいので、ゴミ回収費用の一部を上乗せした(少し高い)専用のゴミ袋の使用を義務付けています。
兵庫県に、大手企業から税金が沢山入る、小さな裕福な市が有ります。その市の某中小企業に昔勤務しました。会社から出るゴミは産業廃棄物として有料で引き取ってもらうのが普通ですが、町内のゴミ置き場に出す事を市は黙認していた様でした。(その会社の女性パート従業員が、仕事を終わった後、ゴミ置き場の掃除をボランティアでしていました。)
【法律と町内会と家庭ゴミ】
後述の様に、2年ほど前に、町内会のゴミ置き場を移動させる件で揉めたので、関連の法律を読んで見ました。ゴミ置き場については、全国的な一律な規定は無いのです。
★ 町内会 :総務省・『地方自治法』の第260条
★ ゴミ置き場 :環境省・『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』の第4条、第6条、第6条の2が関連しそうですが、明確な規定は有りません。
● 神戸市は条例でゴミ置き場(クリーンステーション)について規定しています。
【町内会に入れてもらいました!】
1985年に家を建てた時に、町内会に入れてもらいました。大きな屋敷に住んでいた方が亡くなられ、敷地を五等分して、3区画には遺族が家を3軒建て、2区画を売りに出しました。私が買う1年前に、隣が1区画を買って家を建てていました。
私の家が完成して、手土産を持って町内会長に挨拶に行くと、「町内会には入れない」と言い出しました。ゴミが出せなくなってしまうので、日を改めてお願いに行き、「どういう条件なら入れて頂けるか?」聞いて見ました。「町内会長や会計に立候補しないと誓約するのなら入れましょう!」と言われました。会長の一存で、何でも決めて良い「一種の独裁国家の様だ!」と思いました。
隣の家も町内会に入れて貰えなかったので、別の町内会のゴミ置き場に、コッソリと置いていたそうです。私の話を聞いて、早速お願いに行きました。(同じ条件でした。)
その後直ぐに、近所の大きな「公園の掃除に参加してくれますか?」と言う回覧が来ましたので、「参加」に丸を付けました。私はボランティアのつもりでしたが、掃除が終わると封筒に入ったお金(千円?)とタオルをくれました。市から出ていたのです。数日すると、私が欲張りだと言う噂が広がってしまいました。公園の掃除は、老人達の小遣い稼ぎで、私が横取りしたと言う意味でした。市から出る金は決まっていたので、私が参加したために、一人あぶれてしまったのです。
その後も町内の老人達が公園の掃除をしていますが、参加者募集の回覧は二度と回りませんでした。町内会として市から委託されていると思いますが、参加者は古くからの住人達が勝手に決めているのでしょう。
【町内会の会計をやらされました】
2000年頃に突然、我が家と隣で町内会長と会計をやれと言って来ました。古い住人達が年老いて、役員が出来る人が少なくなった為です。隣の奥さんと家内がジャンケンして、我が家は会計をする事になりました。規約などは全く無く、名簿と貯まった会費だけでした。会費は少額でしたが、使い道が無い為に200万円以上残っていました。私名義の通帳を作って、それに入れる様に言われました。
任期は2年でした。古い住人の一人から「次の会長と会計を、この二軒に依頼する様に」と指示が有りました。引き継ぎをして、二三か月後に会計を担当する事になった奥さんが家出してしまいました。古い住人の一人が、仕方なく会計をやっていた様です。任期終了になる直前に、奥さんが帰って来られた、町内会費は手付かずで残っていることが分かりました。
【町内会のゴミ置き場】
町内に市の所有する更地が有り、その一角を町内のゴミ置き場(クリーンステーション)として使用する許可を得ていました。市がその更地を民間企業に売却する事になり、当時の町内会長が「売却の契約書にクリーンステーションの使用を引き継がせる」と言う念書(?)を書いてもらいました。
分譲住宅が出来て、購入者からクリーンステーションの移設要求が町内会長に提出されました。
(ドロドロした話し) 私は政治絡みの仕事を長年やってきましたので、裏のドロドロした世界を普通の方より知っています。A市に古手の市会議員(B議員)がいたとします。B議員はC工務店から恩義を受けていて、便宜を図る必要が有ります。B議員は勝手に、A市の所有する”土地D”を格安の価格で、C工務店に払い下げる事にしました。C工務店は、どんな家を建てて分譲すれば幾らぐらいの利益が有られるか計算します。C工務店は、E不動産会社に”土地D”の買取を依頼します。B議員は、A市に”土地D”をE不動産会社に払い下げる様に働き掛けます。 (高額の土地の場合は、公開入札を装うのが普通です。)
”土地D”の一部をF町内会に使用許可を出している時は、A市の担当者が、F町内会に「売却しても、購入者に使用許可を継続する条件付きで売却する」と説明し、F町内会から要求が有ると、その諭旨を明記した書類を書きます。土地を購入したE不動産会社は、C工務店に転売します。その時、A市が要求した条件を無視しした契約書が作成されるのです。
F町内会に市の担当者が説明に来た時、F町内会が「その一角だけ町内会に売却して欲しい」と言うと、「そんな必要は有りません」と誤魔化します。土地の一部が欠けたら、C工務店が計画している家が(建ぺい率の関係で)建てられ無い恐れが有る事を、市の担当者は知っているのです。
【町内会が初めて開かれました】
2017年に、「クリーンステーションの移設の件」と言う町内会が初めて開かれました。毎回、殆ど何も決まらなかったので、4回ほど集まりました。町内会長は80歳程のエゴの塊の様な方です。積極的に町内会長になりたい人がいない事を理由に、今の町内会長は自分で勝手に任期を延長して、既に数年続けています。
① 町内会の分割が彼の目論見でした。町内会を二つか三つに分割して、それぞれ新たなクリーンステーションを設けたかったのです。分割案には異論が多かったので、私が「多数決で決める」提案をしましたが、会長は「町内会は全員一致でなければならない」と言い張って、集会の度に分割案を持ち出しました。町内会の会員は50軒ほどですが、「市から会員数が多過ぎるから、分割する様に口頭で指示されている」とまで言い出しました。(多分、噓だと思いました。)
② クリーンステーションはゴミが回収された後、当番の方が家から水をバケツに入れて運び、掃除する事になっています。年老いて掃除が難しい人は免除していましたが、夫婦で遠方に良く旅行される元気な方も、免除になっていました。「誰が、どういう基準で決めているのか?」と言う質問がでましたが、回答しませんでした。
③ クリーンステーションの掃除を、「シルバー人材センターに依頼して欲しい」と言う意見が多数有り、会長が費用を調べる事になったのですが、何の報告も無く、掃除当番は今でも続いています。
④ 町内に、細い道しか無い為、現在の建築基準法では新たな家が建てられない土地があります。淡路大震災で、そこに立っていた7軒ほどの家が全滅して、4軒分の土地にマンスリーマンションが建ちました。賃貸アパートの場合は、専用のクリーンステーションを設けるのが神戸市のルールの様ですが、「借家人が町内のクリーンステーションを利用するのは禁止すべきだ」と言う意見が出ました。「前の会長が許可したのだから、私は関係無い」と言って口を閉ざしました。「所有者は町内会費を払って無い様だし、掃除も免除しているのは可笑しい」と言う人がいましたが、会長は無視しました。
⑤ 「沢山貯まっている町内会費を個人名義の通帳に入れているのは好ましくないし、地方自治法が改正されて、法人化が簡単に出来る様になっているから、我が町内会も法人化しよう」、「町内会の規約を作ろう」と言う提案も有りましたが、会長は「法人化も規約も必要ない」と議題にしませんでした。
結局、奇特な方が「私の家の前の道路をクリーンステーションにして下さい」と言ってくれたので、問題は丸く収まりました。
【田圃の用水路】
私の育った山奥の集落の田圃は、川上の少し大きな谷から水を取っていました。用水路の長さは10キロメートル以上有りました。5か所の集落が共同で利用していました。
集落の集会の、最大の課題は用水路の維持/管理と水の配分でした。毎年、田植えシーズンの前に、五つの集落の代表が、日時と分担の場所を決めて、用水路の草を引いたり、ドロを除去しました。各家から何人出るかは、集落の集会で決めていました。私には姉が5人いるのですが、男は私だけでしたから、小学生になった頃から、母と私が参加しました。ワイワイ、喋りながらの仕事でしたから、結構楽しかったです。
五集落の集会で、各集落に割り当てる(24時間制の)取水時間を決めるのです。例えば、7日の18時~23時はA集落が取水して良いと言う様に。そして、集落で、各家の取水時間を決めました。
自分の家の時間になったら、真夜中でも取水口を開閉しなけれなりません。時々、”ずる”をする人が出ましたが、大喧嘩にはならなかった様です。
山の上に、結構立派な五集落の神社が有りました。毎年、数十人集まって、お祭りをして、最後に餅まきをしました。五集落の住人が「大切な用水路を維持/管理しなさい!喧嘩しないで、用水路の水を分かち合いなさい」と言うために昔の人達が建立した神社だったと思います。1975年頃に、家内を連れてお参りしましたが、現在は無くなっている様です。
(余談) 1950年代に大渇水があって、米が殆ど収穫出来ない事がありました。その後、川から用水路にポンプで水を汲み上げる設備を村が設けたので、五集落の結束は必要でなくなって来ました。
【集落の道】
集落には、軽自動車がやっと通れる程の道が2本有りました。石垣が崩れたりすると、集落の集会で修復の相談をしていました。
殆どの家で、農耕用の牛を飼っていましたので、道端の雑草は自由に刈り取って飼料にしていました。奪い合いになる事は、全く有りませんでした。
(余談) 小学生低学年の頃、父と二人で羊の子供を2頭貰って来て、私のペットにしました。最初は、小さくて可愛らしかったのですが、直ぐに大きくなってしまいました。勿論、我が家でも牛を飼っていました。私は、大きな竹籠と鎌を持って、集落の道の草を刈り取って、羊と牛にやりました。父から、羊を週2回ほどは散歩させる様に言われていたのですが、美味しい草を見付けたら動こうとしなくなりました。羊はペットには向きません、主人の言う事は完全に無視しますから。
【子供達の仕事】
小学生の子供達で、①集落の氏神さんの草引き、②集落の墓の草引き、③田圃の畔の野焼きを毎年しました。何時やるかは、大人達で決めていました。草引きは蚊に刺されながらの仕事で大変でしたが、野焼きは楽しかったです。野焼きの時は、大人達は遠くで見守っていました。高学年の子供達が、低学年の子供達が火傷しない様に注意/指導して火を付けて回るのです。
(余談) 各集落に氏神さんが有りました。 私の田舎だけの風習かも知れませんが、初宮参りはその家の氏神さんに参りました。男子が町に出て一家を構えても、ふる里の氏神さんに参るのです。私の集落では、赤ちゃん、嫁さん(母)、父親の母(祖母)の三人が、お菓子を持って氏神さんに参りました。初宮参りには、決して男は参加しませんでした。(氏神さんにお供えしたお菓子は、子供達が早い者勝ちで奪い合いました。)
【集落の集会】
私の育った集落の集会には、集会場、規約、積立金、会長制も有りませんでした。集会が必要な時は、「何日の何時に、誰々の家に集まって下さい」と、誰かが言えば良いのです。お金が必要な事は滅多に有りませんでしたが、”奉加帳”の様な物を作って回覧しました。
皆でやる作業に人を出せない家も有りましたが、誰も文句は言いませんでした。老人だけの家や、ご主人が亡くなった家の田植えは、「○○家の田植えを××日にやる」と誰かが言って、近所の人達が手伝いました。私も、そんな田植えに毎年参加しました。無駄話をしながらやったので、楽しかったです。
【集会場】
男達の出稼ぎが始まって、経済的に少し余裕が出来てきたら、集落の奥さん達が”婦人会”を作りました。月に一二度、誰かの家に集まって、お喋りしながら、持ち寄った食材で昼食を作るのです。学校では給食が出ましたから、小さい子供と自分達の分を作れば良いのです。年に一二度、学校が休みの時に、小学生達の分も作ってくれました。
1960年代に、村の補助金で集落に集会場が出来ました。8畳くらいの畳敷きの部屋と台所と洗面所が有りました。結局、婦人会専用の部屋の様になりました。現在でも、有ります。田舎に帰って、女性達と話すと、婦人会は楽しいと言っています。(私は、老婆会だと思うのですが!)
(余談) 私の故郷は山奥の限界集落の様な所ですが、1980年頃に簡易水道が出来て、1990年代の中頃?に簡易下水処理施設が出来て水洗トイレになりました。集落の集会場のトイレはウオシュレットになっているかも知れません。
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【家庭ゴミの回収は色々です】
私は、神戸市に一戸建ての住居が有りますが、単身赴任の様な形で大阪市の小さな賃貸マンションの管理人を(ボランティアで)しています。息子達はそれぞれ別の市で、分譲マンションに住んでいます。共通しているのは、家庭ゴミの問題です。息子達のマンションの周辺には一戸建て住宅が無いので、町内会は無い様です。
大阪市で管理している賃貸マンションの周辺には、賃貸や分譲マンションが複数建っていますが、一顧建て住宅も多く、町内会が有ります。マンションの住人は町内会には入っていません。マンションには、ゴミ置き場が設けられていますが、一戸建ての場合は、町内会のゴミ置き場は無く、昔から各家の前にゴミを出しています。古い賃貸の長屋が並んだ一角にも、ゴミ置き場は有りません。
神戸市の場合は、町内会でゴミ置き場(クリーンステーション)を決め、市に届ける事になっています。私の家の町内では、『燃えるゴミ(生ゴミ)』はクリーンステーションに出しますが、古紙は各家の前に出し、『プラゴミ』、『缶・瓶・ペットボトル』と『燃えないゴミ』は他の町内と共有のクリーンステーションに出します。『古着、布製品』は別の所に出します。
神戸市は杓子定規で、分別に厳しいです。少し変な物が入っていると、そのゴミ袋は持って行ってくれませんので、当番が分別し直しています。大阪市は、分別が無茶苦茶なゴミ袋でも、根負けするのか?一週間ほど放置すると結局は持って行ってくれます。
京都府の某市に、私が庭の管理をしている一戸建ての家が有ります。バブル期に大手企業が開発した200戸以上の閑静な団地です。ゴミ袋は、各家の前に出します。この市は経済的に苦しいので、ゴミ回収費用の一部を上乗せした(少し高い)専用のゴミ袋の使用を義務付けています。
兵庫県に、大手企業から税金が沢山入る、小さな裕福な市が有ります。その市の某中小企業に昔勤務しました。会社から出るゴミは産業廃棄物として有料で引き取ってもらうのが普通ですが、町内のゴミ置き場に出す事を市は黙認していた様でした。(その会社の女性パート従業員が、仕事を終わった後、ゴミ置き場の掃除をボランティアでしていました。)
【法律と町内会と家庭ゴミ】
後述の様に、2年ほど前に、町内会のゴミ置き場を移動させる件で揉めたので、関連の法律を読んで見ました。ゴミ置き場については、全国的な一律な規定は無いのです。
★ 町内会 :総務省・『地方自治法』の第260条
★ ゴミ置き場 :環境省・『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』の第4条、第6条、第6条の2が関連しそうですが、明確な規定は有りません。
● 神戸市は条例でゴミ置き場(クリーンステーション)について規定しています。
【町内会に入れてもらいました!】
1985年に家を建てた時に、町内会に入れてもらいました。大きな屋敷に住んでいた方が亡くなられ、敷地を五等分して、3区画には遺族が家を3軒建て、2区画を売りに出しました。私が買う1年前に、隣が1区画を買って家を建てていました。
私の家が完成して、手土産を持って町内会長に挨拶に行くと、「町内会には入れない」と言い出しました。ゴミが出せなくなってしまうので、日を改めてお願いに行き、「どういう条件なら入れて頂けるか?」聞いて見ました。「町内会長や会計に立候補しないと誓約するのなら入れましょう!」と言われました。会長の一存で、何でも決めて良い「一種の独裁国家の様だ!」と思いました。
隣の家も町内会に入れて貰えなかったので、別の町内会のゴミ置き場に、コッソリと置いていたそうです。私の話を聞いて、早速お願いに行きました。(同じ条件でした。)
その後直ぐに、近所の大きな「公園の掃除に参加してくれますか?」と言う回覧が来ましたので、「参加」に丸を付けました。私はボランティアのつもりでしたが、掃除が終わると封筒に入ったお金(千円?)とタオルをくれました。市から出ていたのです。数日すると、私が欲張りだと言う噂が広がってしまいました。公園の掃除は、老人達の小遣い稼ぎで、私が横取りしたと言う意味でした。市から出る金は決まっていたので、私が参加したために、一人あぶれてしまったのです。
その後も町内の老人達が公園の掃除をしていますが、参加者募集の回覧は二度と回りませんでした。町内会として市から委託されていると思いますが、参加者は古くからの住人達が勝手に決めているのでしょう。
【町内会の会計をやらされました】
2000年頃に突然、我が家と隣で町内会長と会計をやれと言って来ました。古い住人達が年老いて、役員が出来る人が少なくなった為です。隣の奥さんと家内がジャンケンして、我が家は会計をする事になりました。規約などは全く無く、名簿と貯まった会費だけでした。会費は少額でしたが、使い道が無い為に200万円以上残っていました。私名義の通帳を作って、それに入れる様に言われました。
任期は2年でした。古い住人の一人から「次の会長と会計を、この二軒に依頼する様に」と指示が有りました。引き継ぎをして、二三か月後に会計を担当する事になった奥さんが家出してしまいました。古い住人の一人が、仕方なく会計をやっていた様です。任期終了になる直前に、奥さんが帰って来られた、町内会費は手付かずで残っていることが分かりました。
【町内会のゴミ置き場】
町内に市の所有する更地が有り、その一角を町内のゴミ置き場(クリーンステーション)として使用する許可を得ていました。市がその更地を民間企業に売却する事になり、当時の町内会長が「売却の契約書にクリーンステーションの使用を引き継がせる」と言う念書(?)を書いてもらいました。
分譲住宅が出来て、購入者からクリーンステーションの移設要求が町内会長に提出されました。
(ドロドロした話し) 私は政治絡みの仕事を長年やってきましたので、裏のドロドロした世界を普通の方より知っています。A市に古手の市会議員(B議員)がいたとします。B議員はC工務店から恩義を受けていて、便宜を図る必要が有ります。B議員は勝手に、A市の所有する”土地D”を格安の価格で、C工務店に払い下げる事にしました。C工務店は、どんな家を建てて分譲すれば幾らぐらいの利益が有られるか計算します。C工務店は、E不動産会社に”土地D”の買取を依頼します。B議員は、A市に”土地D”をE不動産会社に払い下げる様に働き掛けます。 (高額の土地の場合は、公開入札を装うのが普通です。)
”土地D”の一部をF町内会に使用許可を出している時は、A市の担当者が、F町内会に「売却しても、購入者に使用許可を継続する条件付きで売却する」と説明し、F町内会から要求が有ると、その諭旨を明記した書類を書きます。土地を購入したE不動産会社は、C工務店に転売します。その時、A市が要求した条件を無視しした契約書が作成されるのです。
F町内会に市の担当者が説明に来た時、F町内会が「その一角だけ町内会に売却して欲しい」と言うと、「そんな必要は有りません」と誤魔化します。土地の一部が欠けたら、C工務店が計画している家が(建ぺい率の関係で)建てられ無い恐れが有る事を、市の担当者は知っているのです。
【町内会が初めて開かれました】
2017年に、「クリーンステーションの移設の件」と言う町内会が初めて開かれました。毎回、殆ど何も決まらなかったので、4回ほど集まりました。町内会長は80歳程のエゴの塊の様な方です。積極的に町内会長になりたい人がいない事を理由に、今の町内会長は自分で勝手に任期を延長して、既に数年続けています。
① 町内会の分割が彼の目論見でした。町内会を二つか三つに分割して、それぞれ新たなクリーンステーションを設けたかったのです。分割案には異論が多かったので、私が「多数決で決める」提案をしましたが、会長は「町内会は全員一致でなければならない」と言い張って、集会の度に分割案を持ち出しました。町内会の会員は50軒ほどですが、「市から会員数が多過ぎるから、分割する様に口頭で指示されている」とまで言い出しました。(多分、噓だと思いました。)
② クリーンステーションはゴミが回収された後、当番の方が家から水をバケツに入れて運び、掃除する事になっています。年老いて掃除が難しい人は免除していましたが、夫婦で遠方に良く旅行される元気な方も、免除になっていました。「誰が、どういう基準で決めているのか?」と言う質問がでましたが、回答しませんでした。
③ クリーンステーションの掃除を、「シルバー人材センターに依頼して欲しい」と言う意見が多数有り、会長が費用を調べる事になったのですが、何の報告も無く、掃除当番は今でも続いています。
④ 町内に、細い道しか無い為、現在の建築基準法では新たな家が建てられない土地があります。淡路大震災で、そこに立っていた7軒ほどの家が全滅して、4軒分の土地にマンスリーマンションが建ちました。賃貸アパートの場合は、専用のクリーンステーションを設けるのが神戸市のルールの様ですが、「借家人が町内のクリーンステーションを利用するのは禁止すべきだ」と言う意見が出ました。「前の会長が許可したのだから、私は関係無い」と言って口を閉ざしました。「所有者は町内会費を払って無い様だし、掃除も免除しているのは可笑しい」と言う人がいましたが、会長は無視しました。
⑤ 「沢山貯まっている町内会費を個人名義の通帳に入れているのは好ましくないし、地方自治法が改正されて、法人化が簡単に出来る様になっているから、我が町内会も法人化しよう」、「町内会の規約を作ろう」と言う提案も有りましたが、会長は「法人化も規約も必要ない」と議題にしませんでした。
結局、奇特な方が「私の家の前の道路をクリーンステーションにして下さい」と言ってくれたので、問題は丸く収まりました。