昨夜の「鎌倉殿の13人」で梶原景時のラストが描かれました。
景時の功罪はともかくとして、才能ある武将だったことは確かです。
景時の終焉ノ地として梶原山については、今までも時々掲載してきました。
ラスト放映に合わせて改めて掲載します。
表題の写真は瀬名方面からの梶原山。
こちらは清水区側からの梶原山。
梶原山は、静岡市清水区大内と葵区瀬名を隔てる山並みの中にあります。
梶原景時が家臣とともに京に向かう途中で、駿河の国の入江一族の武士と闘う中で敗北濃厚となり、この山を終焉ノ地としてたどりついたといわれています。
山頂には、景時最後の様子が記された看板が掲示されています。
看板は、最後の戦いが繰り広げられた場所が見渡せる場所にあります。
山頂には終焉ノ地と記された石碑と供養塔があり、地元の有志のみなさんが作成した供養ののぼり旗が立てられていました。
この地は、梶原景時とは縁もゆかりもない場所でしたが、この山で自刃したということでずっと供養が続けられてきました。
景時親子の遺体は家来が埋葬し、家来は安倍川西岸の丸子に隠れ住んで供養を続けていたということが伝えられています。
終焉ノ地を梶原山と称し、山頂は公園として整備され、石碑も建立されるなど、景時の鎌倉幕府創設への功績が評価されているものではないでしょうか。
「鎌倉殿の13人」放映に合わせて、地元の有志のみなさんがこんなパンフレットを作成しました。
山頂に向かう山道にシモツケが咲いていました。
山頂近くに駐車場があり車で行けるので、暑い中でしたが、ここを訪れる人が三々五々みえていました。
なお、景時追討で戦績をあげた入江一族の吉川は、その功績から西国に所領を与えられ、毛利家とつながりのある吉川氏として名を成していきました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます