まちとも こころのおもむくままに

==ボランティア時々写真撮影==
日々の暮らしの中で感じたこと、時々撮る写真などを綴っていきます。

50年間の振り返りから エピソード4 調整機能が求められる8050問題

2023-06-30 20:48:30 | 障害者福祉
8050問題とは、高齢の親とひきこもりや障害のある子が同居している世帯で、高齢者支援と障害者支援をともに行う必要がある世帯への対応が課題となることを指しています。
50年間の振り返りをする中でも、この課題を抱えた世帯への支援を数多く行ってきました。

ある世帯には、母親に介護のヘルパー、息子に障害者のヘルパーがそれぞれ派遣されていましたが、別の事業所からの派遣でした。そのためにヘルパー同士の連携がうまくいかなく、自分の範囲内の業務しかやらないということでなかなか大変でした。同じ事業所からの派遣であれば、息子の部屋だけ、母親の部屋だけ、息子の食事だけ、母親の食事だけというようなこともなく、それぞれが世帯全体を見ながら対応できるということで、ケア会議を開いて同じ事業所から派遣するように調整してきました。

また、高齢の母親と60歳前後の統合失調症の息子2人の3人家族への支援がありました。当時は地域包括支援センターができる前で、母親と息子たちにホームヘルプ等のサービスは行われていましたが、世帯全体を見てサービスを調整する役割が明確になっていませんでした。関係者に集まってもらいケア会議を開き、世帯の方向性を考えていきました。

8050問題が提起される前から、現場では高齢の親と障害のある子どもの世帯への支援を行い、その世帯の抱える様々な課題に対応してきました。介護保険、自立支援法などが整備され、個別のサービス提供の体制はできてきましたが、いまだに世帯全体のサービス調整を行う機能をだれが持つのか定かではありません。8050問題の対応にだれが調整機能を果たすのか、欠かせない課題です。

可睡ゆりの園にて




   


50年間の振り返りから エピソード3 トイレの窓から入って安否確認

2023-06-29 18:02:21 | 障害者福祉
安否確認のため訪問することもありました。

病院から、最近通院していないので様子を把握してほしいとの依頼があり訪問しました。聴力が衰えていて、玄関をたたくだけでは応答がありません。雰囲気から在宅している様子ですが状態が把握できないので、どうしたものか考えていると、トイレの窓に気が付きました。あそこから入れないか。アパートの2階に部屋があり、外階段の上に窓があります。窓が開いたので、よじ登って中に入りました。本人はコタツに入ってボーっとしていましたが、いきなりトイレからの訪問者にびっくりした様子。事情を話し、通院するよう伝えました。普段から障害者のグループ活動等でよく知っている方でしたので、そんなこともできました。

こんな事例もありました。一人暮らしの方で、部屋で横になったまま前日から動いていないことに気付いた隣人から警察に連絡があり、助け出されたというケースがありました。たまたま隣家の2階から見える場所に倒れていたため異変に気づくことができましたが、見えない所なら死に至る状況だったかもしれません。この方も日頃支援をしていた方で救出に立ち会いました。隣家からのぞき見られているようで、通常ならのぞき見しないように文句を言われるかもしれませんが、時にお節介が命を救うこともあります。

安否確認は対応が難しい面がありますが、生命を守るという点では躊躇なく踏み込むことも大事だと思います。また、近隣が異変に気づくこともあるので、近所付き合いは大事にしたいものです。

可睡ゆりの園にて




   


50年間の振り返りから エピソード2 ひとりで通院できた

2023-06-27 17:30:48 | 障害者福祉
高齢の母親と同居している息子(Aさん)。長く統合失調症の治療を受けていました。8050問題そのものの世帯です。Aさんは、自発的に行動することが苦手です。障害者のグループ活動に参加していましたが、その行き帰りや通院の時はヘルパーが同行していました。いずれも歩いて行ける範囲でした。

ある時、通院先の精神科が閉鎖となり、転院先を探していました。薬の調整等の必要性を感じていたので、遠方になりますが県立病院に行くことにしました。将来的には近くの精神科病院に通院することをめざしつつ、県立病院に入院を打診しました。院長の診察で入院の可否を判断してもらいましたが、通院で薬の調整を行うことになりました。状態を伝える必要があり、月1回の通院に同行することにしました。半年ほど、毎月1回の通院に同行しました。

処方が決まり、近くの病院に受診先を変更、それからはその病院に自分で通うことができるように支援が始まります。しばらく通院に同行し、病院に慣れてからタクシーで通院することにしました。タクシーは母親が呼び、帰る時は病院の相談員に依頼して呼んでもらうことにしました。1年近く、このような手立てを取りながら自分で通院できるようになりました。

何もできない人ではなく、自立できる方向性を定めて支援し、待つことが大切だと感じた事例でした。

可睡ゆりの園にて




   


50年間の振り返りから エピソード1

2023-06-25 17:45:05 | 障害者福祉
以前、自分自身の50年間の福祉相談支援を振り返っていることを書きました。
その後も書き加え推敲して約2万字の文章になりました。
その中のエピソードを一つここに書きます。

印象に残っているのは、団地に住んでいる7人家族。両親と長女次女次男に長女次女の子どもがそれぞれ1人という家族構成。父親、長女、次女、次男がそれぞれ精神的な病をかかえ、次女と次男は通院治療を受けていました。そこには頻繁に訪問し、それぞれの話を聞いていました。
そこで次々と問題が発生。長女次女の子どもたちに関わる問題が大変でした。不衛生な生活環境、母親である長女次女からのネグレクトや暴力。長女次女自身がどのように子どもに接してよいのかわからなかったというのが実態です。しばしば関係者で対応を協議してきました。その内、母親が孫2人を連れて家出、シェルターに避難しました。
母親と孫2人はアパートで独立して生活するようになりました。

残された父親と長女はしばらくしてそれぞれ病で亡くなります。
最終的にこの家に住むのは次女、次男の二人だけになりました。

この家を訪問し、いつも何とかならないかと考えていたのはゴキブリ退治。家に上がって話を聞くこともあり、その時に必ずと言っていいほどゴキブリがテーブルの上を走っていました。本人たちはあまり気にしていない様子。本人たちがその気にならなければ効果がありませんので、どうしたものかと思いながらもなかなか打つ手がありません。ある時、訪問時にゴキブリ捕獲用の粘着シートと殺虫団子を持っていき、本人たちと設置しました。多少効果があったようで、喜ばれましたが、経済的な問題もあり完全に駆除することはできませんでした。その後もゴキブリとの共存が続きました。
新たな制度ができて、障害者支援のヘルパーが導入できるようになりました。そこでやっと、衛生環境の改善も図られていきました。

この家庭のように、公的な支援で同じ担当者が10数年にわたって支援を継続する例はあまり見られないかと思います。私の場合は異動することなく同じ業務を続けていたので長期にわたって支援を継続したケースはけっこうありました。




   


NPO法人の総会

2023-06-22 19:43:30 | NPO法人
先週の土曜日にNPO法人“T”の総会を行いました。
20数名が参加した1時間半ほどの総会でした。
理事長として、総会議案の多くの部分を提案しました。

総会の議案を準備するのにだいぶ時間を費やしました。
それは、ここ数年、運営が厳しい状況が続いているためです。
事業所を一つだけ運営している小規模の法人ではどこも似たような状況で、利用者が定数いっぱいいて、毎日の利用者数が定数の8割以上いないと運営的に厳しくなります。
当事業所では日々通うことが困難な方も受け入れていて、日々の利用者が8割を越えることはあまりありません。
毎日通える人たちだけが利用できるようにすれば問題は解消するかもしれませんが、週1日だけでも通うことができ、その人にとって所属意識が芽生えてくるのであれば、支援を続けることが求められます。
通える日数を週1日から、2日、3日と増やしていく支援が大切です。

現在の報酬制度は、そのような支援内容を考慮したものではなく、単純に利用者数だけで給付額が決まってきます。
今まで支援内容を充実させることで勝負してきましたが、それだけでは運営が難しい状況が続き、新たな対策を講じないと運営が継続できない危機感を持っています。
いくつかの対策を講じていく方針を考えてきました。
これがけっこう大変でした。

総会で新たな方針が承認され、運営の改善に向けてスタートを切りました。

長光寺のアジサイ