自信はないが、おそらく松本もとの筆跡だろ。興味のある人は調べてみるとよい。勝木先生への謹呈本だ。
中身は妻もとが書いた4月1日~6月10日までの養蚕日記だ。
野党的な反抗を繰り返した平塚雷鳥・西川文子らとは真逆の、学校側、体制側の意見を代弁するようなある意味”模範的な”女性であった。『新婚初養蚕記』だが、養蚕にかかわる歌人たちの短歌は紹介されているが、中身は文芸的感興が欠けた、いささか味気ない養蚕の作業日記。
二列目中央に東京高等蚕糸学校(現在の国立東京農工大学の前身)2年(大正3年)時、皇居紅葉山御養蚕所訪問記念の集合写真だ。
松本恒吉は結婚後7年目に当たる大正12年に没しているが、なかなか根回し好きの企業家精神旺盛な農場経営者さんだったようだ。松本らは温情主義的地主あるいは模範的農民を演じていた。
日露戦役 婦人の力(出征兵士に届いた家族・恋人からの書簡集だ。彼女たちの手紙が弊衣)
どうしてそういうことになったのかはわからないが「所有土地台帳」「小作台帳」などはいずれも洛陽堂刊。「報徳歌留多」とか「農業福引」・・・・・著書を天覧に供したり、序文に著名人・大家に頼むなどマメな人だったようだ。