- 松永史談会 -

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沼隈郡今津村野取帳にみる土地丈量法

2018年04月12日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
野取帳に記載された一里塚を含んだ土地の図面だ。所有者は小川松蔵。小川恒松の親父の名前だ。赤点は測量箇所を表示。甲乙丙は面積の計算単位とした区画を示す。土地を直角三角形と長方形の集合体に還元をしつつ地積を求めたことが判る。


一里塚のサイズは長さ-幅共に「1〇5△」。図面から直径1〇5△の円形だったことが判る。1/2×{16〇2△×(3〇9△+2〇5△5タ(類似記号)}≑52坪2分(甲部分の面積)。ということから〇は間、△は尺、タ(類似記号)は寸という長さの単位名の略号だったことも判る。

甲乙丙の小計=91坪9合、279番地の田地の総面積260坪7合、内2坪3合。この2坪3合は一里塚部分の地積(正方形:1.5間×1.5間として計算)を指す。円周率の知識を持ち合わせなかったと見え、一里塚敷地面積をこのように計算する結果になったのだろう。

1228番→1230番地(場所的には字東坂の東村境)のいわゆる山畑。油屋(屋号)川本源五郎の所有だが,注記として荒左衛門とある。荒左衛門という名称は今津村野取帳では元禄検地帳に無記載の無主地をその所在地と共に架空の所有者名で登録するときに慣用したものだが、このケースの場合は所在地名は苗字としては無記載だ。不整形の土地だったのだろう。山畑内を直角三角形と長方形に区画した訳だが、イロハニホ・・・ヨタレソツまでの16に区分して地積計算をしている。こういう作業は村内の特定の住民の手で行われたもようだ。台帳上判明しているのは大久保平櫛氏とか三島治平らが村内に居住したそういう測量作業の専門家だった。


1352-1353番地の測量は測定箇所が多く結構手間のかかるものだったようだ。




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