5日から始まった地元長野での作品展。
知人や友達から綺麗な花が次々届く。その中には家族一同の文字も。
こんなに花に包まれる事はめったに無いので、嬉しさが倍になる。
3連休と言う事もあって、人は次から次からやってくる。
同級生もいる。担任だった先生もいる。以前写真を撮っていてくれたカメラマンも。そして、今までの仕事仲間や近所のおばさんや、見たことのある人も次々と。
みんな満面の笑み・・・・・。
私は、学校でも職場でも目立った存在ではなかったので、一応に「あなたがねぇ~・・・」と皆首を横に振る。
確かに・・・・でも目立っているのは私ではなく人形ですから~。
今回の長野の会場は今までに無く広い会場だ。
増山のおばあちゃんが亡くなって、一緒にやっていたパネル展が無くなったので、その分、人形を大胆に並べた。
以前のように、会場外で何分もイライラして待ってもらうのは、心苦しかったので、今回はそれが回避でき良かった!
とは言ってもマスコミや会場側の宣伝のおかげで、本当に毎日いっぱいだ!
おかげさん・・・・としか言いようが無い。
そんな中、背広をキチッと着た、80歳くらいの男性が、肘を付きながら一つ一つゆっくり作品を見入っていた。
気になり声をかけた。
「おじいさんの目がなみだ目になった」・・・・そして懐かしい・・・とぽつりと言った。
それ以上、話すことが出来なかった。もらい泣きしそうで・・・・
そのおじいさんの事私は何も知らないのに。
会場をぶらぶらとしているとそんな光景が珍しくない。
私の人形は自分の物でなく、見てくれたみんなの物になってきていることを感じずにはいられない今日この頃である。
知人や友達から綺麗な花が次々届く。その中には家族一同の文字も。
こんなに花に包まれる事はめったに無いので、嬉しさが倍になる。
3連休と言う事もあって、人は次から次からやってくる。
同級生もいる。担任だった先生もいる。以前写真を撮っていてくれたカメラマンも。そして、今までの仕事仲間や近所のおばさんや、見たことのある人も次々と。
みんな満面の笑み・・・・・。
私は、学校でも職場でも目立った存在ではなかったので、一応に「あなたがねぇ~・・・」と皆首を横に振る。
確かに・・・・でも目立っているのは私ではなく人形ですから~。
今回の長野の会場は今までに無く広い会場だ。
増山のおばあちゃんが亡くなって、一緒にやっていたパネル展が無くなったので、その分、人形を大胆に並べた。
以前のように、会場外で何分もイライラして待ってもらうのは、心苦しかったので、今回はそれが回避でき良かった!
とは言ってもマスコミや会場側の宣伝のおかげで、本当に毎日いっぱいだ!
おかげさん・・・・としか言いようが無い。
そんな中、背広をキチッと着た、80歳くらいの男性が、肘を付きながら一つ一つゆっくり作品を見入っていた。
気になり声をかけた。
「おじいさんの目がなみだ目になった」・・・・そして懐かしい・・・とぽつりと言った。
それ以上、話すことが出来なかった。もらい泣きしそうで・・・・
そのおじいさんの事私は何も知らないのに。
会場をぶらぶらとしているとそんな光景が珍しくない。
私の人形は自分の物でなく、見てくれたみんなの物になってきていることを感じずにはいられない今日この頃である。
それは いつから始まったのだろう
私の手から 命の表情が 溢れ初めたのは
もしも その時を問うなら
それは 終りのない 始まりなのかも
私は 何に 突き動かされているの???
わたしから 出るものを、わたしは創るだけ
でも わたしも 泣いたりしてるの…
私は神じゃないもの…
始まったものは止められない
そういうもんでしょ?
辛いこともあるけど 仕方のないことよ
始めてしまったんだから…
私は創って 生きていくの
私の「涙」が枯れないように、と。
さて まゆ姫の作品にみな何を見るのか 懐かしさ 哀愁 過去、、、いや未来もあるのでは と思うのでござる「老い」拙者の思うところは、、、以下拙者のブログからの引用
ーーーーーーーー
確かに老いと共に肉体的ジレンマ(痛い 思うように動かない などなど)
精神的ジレンマ(疎外感 思い通りにならないはがゆさ)
いずれ訪れる死に対する恐怖感
これだけのものを いずれ誰でも味わうわけです
老いを受容出来るには 長い道のりに思います
確かに誰でも老いるわけですから「老い」何の話題性もなく 実際 闘病とか拙者みたいな特異体験に話題視されるのが常ではあるが 「誰でも」と言うのは曲者で 個人には全てが初体験であり、、、
つまりは誰でも老いるからと言って「老い」を軽視しない 他人事 遠すぎる先の事ととらえず いづれはそれらのジレンマと戦わなければ と言う事を意識してないと 終りよければ、、、にならないし 今日は死ぬのにいい日だ になりもうさん
ーーーーーーー
まゆ姫の人形たちは 自分も間違いなく老いる事と
こんなおじぃちゃんに こんなおばぁちゃんになりたいと描かせてくれるのです
誰でも迎える「老い」その老いに夢と希望をくれる まゆ姫の人形達なので ござりまする、、、
腰 痛くござらんか
いいですね!この詩・・・・
ほとんど毎日、横繋がりのブログを覗いていて、コメントも読ませていただいている中で、解ってしまう事ってありますよね。また、聞いてもらいたくなる事も。
素敵なブログ仲間に出会えたこと、幸せに思います。
海坂藩士どのへ
腰はもう復活したでござる。心配かけ申した・・・・
ぶくさんダメだよう・・・・つい口調が同じくなっちゃう
老いというのは、人生を真っ当できた人のみたどり着けるものではないでしょうか。
しかし、今の年寄り達を見ていると孤独で、寂しい人が多すぎる気がします。
それは、家族関係にもよるのかもしれませんが、妬んだり、恨んだり・・・近い人間にしか興味を示さないそんな老いもあるんですね。
ぶくさんをみていると、体は利かなくても、家族の絆を深め、前向きに生きてる証を示している姿・・・・どこまであなたはやるの?と思っています。
郷愁を求めて足を運んでくれるお年寄り、
また、自分の老いた、逝ってしまった親を思うあまり、人形に依って映される思い出を偲ぶ・・・
あの会場には、色んなオーラが集まっている。
華やかさよりも、厳かな雰囲気?
賑やかさよりも、穏やかさ!
何故か、不思議な気持ちになりますね。
忘れられそうな、家族の温もり、人の優しさを
求めに来られてるんでしょう!
作者の気持ちがしっかり、伝わって来てますよ。
あっ、増山のおばあちゃんは亡くなられたんですか?
いつまでも、現役で頑張って欲しかったね。
見習わないとね。
さかのぼって、9月末に試験範囲が発表され、寝ても覚めても、あの変てこな文字が頭から離れません。今日ようやくその試験が終わりました。多分追試でしょうが。
「ありがとうの手紙」にご褒美が出て、10月16日に主催者とお会いすることになっています。あの一文は本来私の独り言にしようと、投稿をためらっていましたが、家族の強い勧めで出させて頂きました。
自由も希望も、本当に良い子です。自慢ばかりでこの場合「兄バカ」とでも言うのでしょうか。ご飯を食べないで買ってくれた気持ちを思うと、両親も私も胸が痛みます。そんな経験もきっとどこかで生きるのかなと、キリスト教にある「隣人愛」を守り通した二人がくれた、大きなプレゼントだと思います。
30万円は大金ですが、11月1日二人の10歳の誕生日に使いたいと思います。
皆さん、まゆまゆ先生ありがとうございました。
「私の人形は自分の物でなく、見てくれたみんなの物になってきていることを感じずにはいられない」
このお気持ちから来ているんだな~と思います。
芯があって、それでいて謙虚なお人柄。
作品展を重ねれば重ねるほど、お人形たちに想いが積もることと思います。
あの人形たちと、今度いつ会えるんでしょう。
長野まで行きたい~。
miraiさん、ヘブライ語の試験お疲れ様でした。
(難しそう~
miraiさんが兄バカになるのも仕方ないほど(失礼!)
自由くんと希望くんは良い子ですね。
miraiさん、お元気そうで何よりでした。良かった
まゆみ先生のお人形を見るたび、もっともっと沢山の人達に知ってほしいなあと思います。人形の傍にすら行く事が出来ない人達にも見せてあげたいですね。病気でベッドで頑張ってる人や、いろんな事に立ち向かって頑張ってる人達にも、お人形から伝わる昔懐かしい思いや人など、優しい心を取り戻してくれ、純な心にかえしてくれるというか、つかの間でもほっと一息つける時間を、もっと多くの人にもあげたいなあと偉そうで生意気ですが、まゆみ先生の「ふたたび展」を読ませていただきそんなこと考えました。感動で泣いた後でもきっと笑顔が戻ってくれるはずですものね。泣きながらでも元気が出て、帰りの足取りは軽いんです
接待やら、色々と大変だったことでしょう。
それにも増して、嬉しい出会いもあったことでしょう。
話は、変わりますが「ターシャ・チューダー」も、物作りの始まりは人形だったそうです。絵本書いて庭作りする人かと思ってましたが……
人形作りが原点か~?知らなかったー。
昨日、木曽の友達が行って来て、報告が有りました!
平日なのに、中年女性で混雑していたそうです。ちなみにその本人も中年女性です!(老年か?)
彼女も、東京にいる実母が痴ほうが出てきて、兄夫婦が面倒を見ているので、実物の「万華鏡」の人形の前で色々な思いが込み上げてきたそうです。
その様な数々の人間ドラマを、あの人形達が体言しているのから、見る人達に感動を与えるのでしょう!
未来君へ
あの賞は文章を書いたのは君でも、書かせたのは希望君であり自由君なのだからと、2人の誕生日にお祝いをしてあげるという気持ちが「ありがとう大賞」なんですね。
君の文章の中でチョット気になったのが「胸が痛い」という表現です。意味はわかるのですが、「胸がジーンと熱くなる」「心の片隅がチクチク痛む」という様な気持ちではないかと、おじさんは想像するのですが、如何でしょうか?君の書いた本で、自分の気持ちをこのように豊かな表現で文章化する若者がいるのか!と驚いたおじさんとしては、ただ「胸が痛む」という表現は物足りない様なきがするので、何かいい表現を考えて頂けたらと思います。
私は物書きでもないし、偉そうな事を言うのが好きなだけの素人ですが・・・
「あの人形達が体言しているのだから」か「体言しているから」のどちらにしようかと思って「だから」にするつもりでした!
「僧は推す月下の門」にしようか?「僧は敲(ひらく)く月下の門」にしようか、迷っていたのと同じなのです。
(意味わかんない!)