仮説なのだろうが、笑って納得してしまった。スマホから得られる一日の情報量は、平安貴族の一年分に相当するらしい。裏付ける一次資料が有るとも思えないが、現代人が日々膨大な言語情報に曝されているのは事実である。それじゃ何か見聞する度に「をかし」とか「あはれ」とか心を動かされる余裕も無いわな。逆説的ではあるが、だからこそ情報の山を掻き分けて「エモい」話を探し出して共有すると云う行動を取るのかも知れない。情報過多であるが故に不感症になっており、より刺激が強いトピックじゃなければ満足出来ない体になっている可能性も有る。その気になれば日常の中にも心を揺り動かす出来事は見出せるものだと思うが、やり方を間違えると過敏症になって涙と鼻水が止まらなくなる等、生活に支障が出ないとも限らない。情報に対する感受性を適切に制御しなくてはならない面倒臭い時代なのだと云う仮説を提唱して、今日も情報の山を掻き分けるのである。