19977年からのスリランカの現状
19970年に独立し、無料の食料配給、大学あmでの無料教育、無料の医療サービス、が実施され、農業も手厚く保護されていた、。 だか、これが1977年からがらりと変わる。
世界銀行が考える貧困削減の最善策は「トリックル・ダウン理論」。
米の様に経済的価値が低い作物をやめ、高付加価値型の輸出作物への切り替え、米は輸入すべきだとのアドバイスが為された。
この転換を達成するには、小規模の稲作自給農家には離農してもらわねばならない。・
世界銀行の指導の元、政府は稲作農家の支援策をカットしていく。補助金は撤廃され、肥料価格は値上げされ、固定米価は廃止された。農業改良普及事業や、低利融資も廃止され、種子生産も民営化された。農民達は、役立たない種子に依存して、行き当たりばったりの農業をしているからとされたからである。
だが、それでも農地や灌漑用水を無料で使えるためになかなか農民達は、離農しない。
そこで、米国、世界銀行、ロックフェラー財団、フォード財団の援助によって「国際水マネジメント研究所」が設立される。
2000年にはも水の民営化販売計画がスタートし、代表には元世界銀行のロバート・マクナマラ総裁が就任した。また、
政府の農地売買規制も障害となるため、同じく民営化が実施された。
こうして様々な政策的取り組みの結果、キロ当たり11~14ルピーの生産コストに対して、農民達が8~10ルピーで販売せざるを得ない状況を作り出すことが出来た。
ちなみに、輸入ではなく米を輸出すべきだとのアドバイスを世界銀行から受けたタイのほうも余り上手くいっていない。豊かな暮らしを実現するためには、更に多くの所得が必要だとの想定のもとに、タイは輸出国とされ、米の輸出量は1995~2003年で233万トンも増えた。ところが、世帯あたりの借金は倍増し、全580万世帯のうち、負債を抱える農家が1995年の280万戸から2001年には407万戸へと増えた。
この理由も簡単で、農民達が農場で売る米価と輸出米亜kとにギャップがあって、輸出が利益に繋がらないためである。スリランカと同じように、アグリビジネスや、銀行、投資家だけが儲かり、土地無し農民は150万世帯にまで増えた。だが、世界銀行が介入し、緑の革命が始まるまでは違っていた。農民達は、森林や河川、農地等の天然資源に依存して自給していた。金持ちではなかったが、貧しくはなく、生きられるだけの十分な食料を得ていた。
スリランカも同じだった、「欲望を抑える仏教思想によって、スリランカ人たちはずっと自然と調和して暮らしてきた。金持ちではなかったが植えることは無かった」・・・・・
・・・・文明は農業で動く。
なんとなくここ20年間の日本の食料事情とダブって見えて仕方がないのは自分ひとりであろうか? 減反政策を採ってから40年余・・・日本人の主食は・・どうなっていくのでしょうか? もう一度しっかりと国民の皆さんは考えなきゃ、きっと取り返しのつかぬ事態が始まるでしょうね。
19970年に独立し、無料の食料配給、大学あmでの無料教育、無料の医療サービス、が実施され、農業も手厚く保護されていた、。 だか、これが1977年からがらりと変わる。
世界銀行が考える貧困削減の最善策は「トリックル・ダウン理論」。
米の様に経済的価値が低い作物をやめ、高付加価値型の輸出作物への切り替え、米は輸入すべきだとのアドバイスが為された。
この転換を達成するには、小規模の稲作自給農家には離農してもらわねばならない。・
世界銀行の指導の元、政府は稲作農家の支援策をカットしていく。補助金は撤廃され、肥料価格は値上げされ、固定米価は廃止された。農業改良普及事業や、低利融資も廃止され、種子生産も民営化された。農民達は、役立たない種子に依存して、行き当たりばったりの農業をしているからとされたからである。
だが、それでも農地や灌漑用水を無料で使えるためになかなか農民達は、離農しない。
そこで、米国、世界銀行、ロックフェラー財団、フォード財団の援助によって「国際水マネジメント研究所」が設立される。
2000年にはも水の民営化販売計画がスタートし、代表には元世界銀行のロバート・マクナマラ総裁が就任した。また、
政府の農地売買規制も障害となるため、同じく民営化が実施された。
こうして様々な政策的取り組みの結果、キロ当たり11~14ルピーの生産コストに対して、農民達が8~10ルピーで販売せざるを得ない状況を作り出すことが出来た。
ちなみに、輸入ではなく米を輸出すべきだとのアドバイスを世界銀行から受けたタイのほうも余り上手くいっていない。豊かな暮らしを実現するためには、更に多くの所得が必要だとの想定のもとに、タイは輸出国とされ、米の輸出量は1995~2003年で233万トンも増えた。ところが、世帯あたりの借金は倍増し、全580万世帯のうち、負債を抱える農家が1995年の280万戸から2001年には407万戸へと増えた。
この理由も簡単で、農民達が農場で売る米価と輸出米亜kとにギャップがあって、輸出が利益に繋がらないためである。スリランカと同じように、アグリビジネスや、銀行、投資家だけが儲かり、土地無し農民は150万世帯にまで増えた。だが、世界銀行が介入し、緑の革命が始まるまでは違っていた。農民達は、森林や河川、農地等の天然資源に依存して自給していた。金持ちではなかったが、貧しくはなく、生きられるだけの十分な食料を得ていた。
スリランカも同じだった、「欲望を抑える仏教思想によって、スリランカ人たちはずっと自然と調和して暮らしてきた。金持ちではなかったが植えることは無かった」・・・・・
・・・・文明は農業で動く。
なんとなくここ20年間の日本の食料事情とダブって見えて仕方がないのは自分ひとりであろうか? 減反政策を採ってから40年余・・・日本人の主食は・・どうなっていくのでしょうか? もう一度しっかりと国民の皆さんは考えなきゃ、きっと取り返しのつかぬ事態が始まるでしょうね。