すべての希望への変換です

野菜天国になるように頑張りますが・50円安のままで行くでしょうか?500円安になりました
人生の谷底に近いようです。

旅といってよいのか?

2018-09-29 06:41:53 | 日記

自分が初めて海外に行ったのは仕事で50年ほど前になります。

思えば随分と昔であり、ずいぶんと良き時代だったんだなと・・・。

約1か月間の東南アジアへの仕事で、会社の現地代理店での宿泊が半分と

代理店社員との同行移動でビジネスホテル宿泊が半分でした。

何しろすべてが初めてのこと・・・当然英語も現地での商用語の中国語もしゃべれず

付け刃で覚えた2か月の自己研鑽だけが頼りの話術しかないので。

当時は未だドル換算360円時代で、海外持ち出し制限が行われていた時代・・

会社から持たされた5000ドルの代理店へのリベートを隠し持ち(その時の罪の

意識は全くなかったのが我ながら堂々としたものでしたが)当時日本航空の多分

ボーイング727でなかったかと思うが羽田からの出発でした。

何しろ初めてのことゆえに浮かれた気分もなくおとなしく座席に座っていてものでした。

ほぼ満員で日本人というのは東南アジアに行く吾々6人(それぞれが各国に散らばる)

周りはほとんどが白人種・・隣に座っていたのが唯一の有色インドの方でした・・

大学の教授をなさっているとかで当方の片言の英語で何とか少しだけの会話は成り立って

それなりに理解を深めれたのを覚えています。

強烈な印象は鹿児島上空を飛んでる時に見た鹿児島の(南から目る九州南部)形が地図で見たのと

全く寸分も違わぬことでしたね・・・・空を飛んでいるんだという実感を感じた一瞬でした。

また、トイレに立った時に通路で白人の中年の女性が笑顔で目礼されたのにはびっくり!!!

国の習慣や人種の差を如実に感じたもんです(今でもこの方に会ったらわかると思います)

また当時スチュワーデスといっていた女性の方の笑顔も本当に思い出します・・・この方にも

今お会いできても解かりますね。

なんといってもそれなりに自分に強烈な印象を残してくれた会社とこの出張旅行はその後の我の

人生に大きな分岐点となったような気がしてます。

一歩日本を離れて自国を見てみることの意義は絶対にあると信じております。

 

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トウガラシの茎に白い花が

2018-09-24 07:44:14 | 日記

昨日重装備で(蚊がすごくて上下のカッパを着て、頭にもフードをして)ちょっとだけ畑に

出動でした。

ようやく成長し40㎝くらいにまで大きくなり葉っぱもしれなりに付いたトウガラシの茎のてっぺんに

小さく白い花がいくつもついています・・・・約10本くらいあるトウガラシの茎に全部です。

何で? なんで今頃?

今頃からじゃ実に成長するのは無理でないだろうか?

いったい何でだろうか? 

わか多分わからぬままに今秋も終わっていくのでしょうね。

ところが・・・

なすが今頃になって見事にできてます・・・畑の写真のように一つが手の平で

摘まめぬくらいの太さと長さです。

こういうのは、ずっと以前に秋の深まり頃になったことが有ります・・・

当時、我が家から40分くらい離れたところにある動物園の動物たちの糞が山積みされて

半発酵でどなたでもお持ちくださいと書いてありました。

皆さんに使用感をお願いしたいと記しても有りました。

4~5年間くらい継続してたでしょうか? その糞を近くを通り度に我が乗用車(トランクに)

に肥料袋3~4袋頂いてきて散布しておりました・・・

最初はあんまり変化なしと思っていたが、なすがあんまり育ってない年でしたが夏の終わりごろに

なすの周りに厚めにバラ撒いた結果、これまでも見た事の無いくらいのナスがぶら下がったのです。

あの時は初めてでした・・・我ながら・感動ものだったことを覚えています。

その後その動物園の動物たちの糞が山積みされることは無くなりました・・・民家がほとんど

無い所でしたが思うにクレームが出たのでは?

確かに匂いは強烈でした。

自分が袋に詰めている隣の山ではクレーン装置の付いた4トントラックで大きな袋に詰め込んで

クレーンで持ち上げてもっていく方も有りました・・・

たぶん畑農家の方だと思いますが。

動物園の予備駐車場なので車は入れるしアスファルトなのである意味便利でした・・・ただ匂いだけは

強烈だし、雨ざらしなので染み出てきた水で長靴が必要な状態にもなったりもしてました。

残念ですが・・・その後積んであることは全くなくなりました。

 

自分にとってはその時以来のなすの出来栄えなので(時期も随分とずれて他の方々はも撤去されてます)

もうちょっと数量が有れば、知り合いの方にお送りしたかったんですが。

でもなんとなくなすの栽培方法がちょことだけ? わかったかなの現在です。

でもこれが継続くしなきゃ・・・きっと来年になるとまたすべてが変化しているんでしょうね。

ハルサーの神よ!  来年もしっかりとご指導くださいね。

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燻炭作りで完成

2018-09-19 04:46:22 | 日記

一昨日に従兄弟がもみ殻を20袋持ってきてくれました。感謝・感謝です。

今年もおかげさまで燻炭が製造できます・・・昨日朝から(早い時間にしないと

陸風が無くなってしまい海風に変わるので)とりかかりました。

風向きが変わるとご近所の住宅に煙が向かうのです。

昨年までの使用していた炭製造機がやはり熱の為に煙突を乗せる部分が破損し提出

今年は中に鉄の棒を刺し込み本体と危なげながら接合させて始めました。

全部で7袋使用して200㍑のドラム缶いっぱいでした・・・今回はちょっと

少なめです・・・いつもは5袋でいっぱいになるのに・・・。

でもこれで11月頃のタマネギの植え込みに使用できるし、来春の野菜造りにも

使用させてもらえます・・・・本当にありがたいことです。

今年で燻炭作りは十何年になるだろうか?

有機栽培・なんてことを実施し始めてからまるまる19年・・・思えば長い時間を

経たものです・・・・わけもわからずにただ何となく農薬の弊害や化学肥料使用への

将来への不安、更には野菜本来の持っている基本の変化への恐れ・・・

等々・ド素人が行うことでもないだろうが。

勿論あちこちで有機栽培を実践していらっしゃる方々は有りましたが・・それぞれが

独自の方法を持っていらっしゃったが我は我なりの小さな家庭菜園での実践方法を

確率出来たらと・・・ある意味無駄な挑戦をしてたのかも?

この歳月でもほとんど確率は無理みたいです・・・もう身体が附いていきません・・

こうやってみて、いかに先人の方々の偉業は大なるかを再確認だけはできました。

日本の大部分での作業は一年に一度・・・気が遠くなるようなありんこの歩みですよね。

商家なら3代続けばほぼ老舗・さらに法人化の企業は3年経過すれば立派な地元に根差した

会社として認可されるが・・・・農家だけは、3年や5年・いや3代でもまだまだ新参者

けっして完成とは言えませんね。

とまたまた永遠のテーマを無理難題で提起しますが、我が国は近い将来どうなっているのでしょう?

思えば、考えれば・・・本当に恐ろしいくらいのことが今の子供たちの未来に提出待っているような

気がしてなりません。

 

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小学校に上がる前に

2018-09-17 06:20:00 | 日記

未だ5歳ころだっと思うが・・・教えてもらった彦星、織姫の物語りは小さい頃の

思い出としてずっと心の片隅に存在してました。

何で?なんで一年に一度しか会えないの? 会いたければすぐに会いに行けばよいのでは?

川だって舟で渡れば? なんて思っていました。

小学校に上がって文字を覚えて最初の頃に読んだんだと思うが、七夕様の物語り・・

懐かしいです。

夏休みになると(旧の七夕祭りが8月の7日なので)裏の竹藪から手頃な竹を母親に

採ってもらい、学校でもらった(多分当時は購入したのだと思うが)何種類かの色の折り紙を

短冊にしたり、すだれにしたり、輪っかを作って組み合わせて鎖模様にしたりして竹の枝に

結びつけて出来上がり・・・。

前の庭の隅っこ(でも4分の3くらいの真ん中)に母親に杭を打ってもらい竹を結んでももらって

出来上がりでした。

その当時はすべてが手作りで東京からくる従兄弟達が持ってくるセルロイド製の飾り物自体は

非常にまぶしく目に映ったことを覚えています・・・近所の他の家の物からみると本当に派手で

賑やかだったのが、ちょっぴり自慢げに思えたのも覚えてします。

この飾りを付けた竹を8月の7日に海までもって行き、もうあらぶれた土用波の海に流すのです。

なんだかすっごくもったいなかったこともずっと覚えてします。

こうやって流したのが、天の川につながっていて彦星と織姫の会えるための橋になるんだと聞いた

ような気がします。

 

あの時から幾十年を経て我が身が同じような体験をしているのもなんとも不思議な物語です・・・

宇宙という人間にとっては想像を絶するような壮大なスペクタルな物語の一端に我が存在してるのが

1700km離れていても宇宙の中では、本当にありんこの涙にもならぬことなんでしょうが・・・。

我にとっては大スペクタルの何千億個の星雲よりもすっごい出来事なのです。

天の川は単なる銀河系・・・我は宇宙すべての星雲の言葉では言い表せぬくらいの壮大なる夢想!

きっと宇宙全体の中心に居るのは、織姫(織姫観音)と我の二人と思い描いております・・

ユウートピアのすべての元はあの天国に一番近い場所であることを確信しております。

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あの壮大な星空は現実なのかと?

2018-09-15 05:44:25 | 日記

40代の頃に東京へ行くときには安房峠を越えて塩尻・中央道から・・・という

走り方をしておりました。

他に走っている車は皆無で長距離トラックの方々はとうに通過してしまった時間帯ですから。

自家用車であの道を100㎞近くのスピードで、今では即逮捕でしょうね。

夜の暗い時間3時に出発し東京着は朝9時ごろです・・・

当時関越道は完成してましたが、順調で4時間、代金は1万円超え・・無駄な出費です。

神岡から走って安房峠変登り口辺りにはどんなに遠くの人口光は一切入りません。

建築物や穴倉以外であんなにも人口光が無いのを見たのは初めてです。

道端に止まってくるマンライトを消すと目に入る限りでの下半分は本当に真っ暗で何にも

見えず上半分は一面の星の固まりと言うしかないくらいに何千億個かと思われる星が

360度散らばっている風景はまことに夢の世界みたいなものでした。

頭のてっぺん辺りには北北東辺りから、南の方~それとも南の方辺りから北北東の方~

なのか?天の川が流れています・・・・まるで本物の川のように・・・やはり宇宙の

大神秘というべきでしょう。

自分が住む辺りでも物心ついたころから、約20年間は旧盆に親4人での墓参り時には

(祖母。母、兄、自分・・・当時は夜でした)満天の星空と共に見えていたものです。

見事に天の川は流れておりました・・・これが宇宙これへの原点なんだと思って、

将来は宇宙に関する仕事?がしたいと子供心にあこがれを思って眺めながら歩いていたものです。

(勿論宇宙に関する仕事とは何なのか知りもしません・・漫画で見る火星探検隊や月世界探検、

更に覚えた太陽系の各惑星探検、遠くは冥王星までの探検)

当時はマンガでしたが今ではSFの世界・・・でも人間のやってることは1㎜も進歩

してませんね・・

それほど人間とは愚かで、動物の醜い部分だけを宇宙から見たらありんこの時間をかけても

進歩してないですね。懐古主義といわっるかもしれませんが現世での最高の自然界この宇宙空間と

いわれるものでないでしょうか?

これが見えなくなくなる時代が来てるのか? それとも来るのか? 人類に警鐘を発していた

宇宙は今何を考えているでしょうか?

地面に上のありんこの戦いが全てと思っている頭͡こイキリの各国の自称エリート集団

の他称ばか集団には永遠に理解もできなきゃしようともしない・・・

との状況がこの青き地球壊滅の時代まで続くのでしょうか?

 

 

 

 

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