最初の受験は15歳の時に高校受験でした。
次は三年後で大学受験を二つ・・・見事に二つともにはねられて拙く浪人生活でした。
受験校での通知電報を依頼して・・・幾週間後だったか”花散る”の文言の電報を
受け取りがっくり。その年予備校に通うときに痛切に感じたのが学生服の襟にバッチ
がないという虚しさでした・・・
だから今でも思いますよ、絶対にこういう制度は良くないあたら青春時代をこういう風に
過ごさせてはいけないと・・・。
そうやってある意味苦しい一年間を過ごして次の年に大学受験を二つ・・・
一つを受けて次のを受けに行っているときに家から電報で合格の通知有とのことだった
が喜びは皆無で空しさを感じたのを覚えています。
二つ目の受験の時に後ろの席の奴が入ってきたときや受験の合間に鼻歌を歌いながらいて
・・・・なんじゃ?都会にはこういう奴らがいるのかと田舎者人間の自分はあきれると
同時にびっくりしてました。
合格発表は在京の叔母が見に行ってくれて電話を受けたら
”受験票番号前と後ろがあるが自分のはない”とのこと・・・
ということで気持ちが乗らぬままに先の合格校に行くことにしました。
ちなみにずいぶんと後になってわかったことですが、後ろん受験生は九州出身の今でも
活躍している芸能人の某氏でした・・・受験というプレッシャーも何のその
あのくらいでなければ厳しい芸能界の世界は泳いでいけないのでしょうね。
最後の受験は学生時代に受けた自動車学校の試験です・・・・
三科目あって100点、100点、92点の結果・・・・
わが生涯最高の点数での結果でした(92点は実地試験で二か所のミスで減点8)
社会への旅立ちや途中での資格試験なんてものは受験でもなんでもないと思っています。
若い時の受験は無理があっては決して良くないことでしょう・・・
受験地獄なんて時代からずいぶんと日時は進行したがもっともっと生徒の立場になっての
方法を検討を要するのではないかとおもう。挫折を経験することが人間にとって若い時の
特権かもしれないが、受験ん成功・失敗は決して挫折の範疇に入れてはいけない。
学問は強制されるものでなく自我で学ぶものだろう・・・
故に現制度はナンセンスそのものであろう・・・・・・と今でも自分は信じている。