ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

うむ、いかん、またしても!

2018年01月13日 20時27分59秒 | 田舎暮らし
ちょっと寝過ごして、8時ちょっと前に起きて、縁側のガラス戸を開けると、
うむ、いかん!
土の中から水がふきあっがっている。
どうやら水道菅が破裂したようだ。
いったいいつから吹き出したのか?
いかん!
まずは元栓を閉める。
すぐに昨日の工事をした人にい電話。
さては何かやらかしたなぁ~
昨日の所とは別の所だけど・・・
1時間ほど後今度はまじめに工事。
昼までかかった。
でもこれでなんとか工事は終わって水は普通にでるようになった。
でもこの水道代、きっと夜中からずっと出っぱなしの水道代、そしてこの工事代。

いったいいくらかかるんだろうね?
請求書が怖い!
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死神(4)

2018年01月13日 18時53分05秒 | 雑感
「でもまあせっかく来てくれたのだから、ここは一緒に酒など飲んでいろんな話を聞きたいな。
貧乏神様・・・じゃなかった!死神様、こんな仕事しているといろんな苦労あったでしょう?
だってせっかく来てくれたのに誰も感謝してくれないのだからね。
ちょっと顔を見せただけで蛇蝎のごとく嫌われる、
招かれざる客として冷たく追い払われる、
ねぇ、ねぇ、そんな仕事嫌じゃない?
そこら辺の苦労話をまずは聞きたいな。
一緒に黄泉の国への旅立ちはそのあとでいいじゃない。
ともあれまずは酒!」
・・・といって焼酎のお湯割りを進めると、
「いや、いや、今は勤務中だから・・・」と呑もうとしない。
意外とこの死神、仕事人間なんだなぁ~、固い奴だなぁ~
「でも神々の世界では道路交通法なんてないだろう?
第一、車なんてないだろう?
これから一緒に黄泉の世界に車ではなく、歩いて旅立つのなら、
そこはそれ、酔いに任せて一緒に楽しく旅立とうじゃない?」
「うむ、それもそうだなぁ~、まあちょっとだけなら・・・いや、いかん!天照大神様が知ったらちょっと面倒なことになる」
「えっ、えっ、それなら言いつけるぞ!
手抜きして順番を入れ替えてることを、天照大神様に言いつけるぞ!」
「いやいや、ちっと待て!」(と慌てて答える)「まあそれはそれとして、今日は最後の仕事、まあゆっくり酒を飲みながら黄泉の国に連れ出しても、まあそれはそれでいいか・・・なんて気がしてきたな」
「そうそう、そうなんだよ、それでいいのだよ。他の神々様には黙っとくからね。
といっても、別に今生に未練があっていってるわけじゃないよ。あるわけないじゃない!こんな世の中なんかに。
でもね、せっかく来てくれたのだから、ここはまたとない機会だから・・・
死に神様の苦労話や来世のことなどいろいろ聞きたいのだよ。
(ここはなんとしても死神様を酔っぱらわせてお引き取り頂こう!)そう、まずは焼酎を一杯」
「うむ」と死神様は手作りの焼酎の杯を手にとって(ちょっと失敗作だけど、まあいいか!)
ごく・ごく・ごく・・・
「うむ!うま~い!!」
(えっ、この焼酎はとっても安酒。これを美味いなんて、ほんとこの貧乏神様・・・じゃなくって死神様は貧しい食生活を送ってきたんだなぁ・・・

*またしても酔いが回ってきたので、あとは続きです。
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アーネスト・サトウの明治日本山岳記

2018年01月13日 03時44分35秒 | 本の中から
「アーネスト・サトウの明治日本山岳記」を読んだ。
アーネスト・サトウは「一外交官の見た明治維新」の著作で有名だけど、
この本はアーネスト・サトウが書いた日本ガイドブックの一部、富士山と周辺、日本アルプス、吉野~熊野、日光・尾瀬などを抜粋したもの。
登山好きの人にはお勧めの本。

車のない時代、車の代わりというとせいぜい人力車、それも山道だとそうもいかない。ひたすら歩く。
ただ必ず案内人と荷担ぎ人を雇っている。
今では登山には詳しくないのでよくわからないけど、案内人を雇うことはまずないだろうし、必要なものはみなリュックに詰めて自分で持つと思うけど、
でも標識などが整備されていなかったら、きっと今でも案内人は必要なのだろう。

サトウが歩いた道は今では失われた道も多いという。
訪れた集落も今どれほど残っているのだろう?
とまった旅館や民宿~というより個人の百姓家も克明に記されている。
昔は旅館が(山小屋も)とても多かったようだ。
それもそのはずで旅はもっぱら徒歩、それだけ泊まる日数も多くなる。
そして今では旅館ではめったに見られないカやハエやアブ、ノミ、シラミに悩まされたことなどが書かれている。
これらの旅館や百姓家も今どれほど残っているのだろう?

この本には残念ながら写真がない。
当時手軽なカメラがなかったのかもしれないけど、サトウはスケッチブックを持参してたので、スケッチはしていただろう。
せめてスケッチをのせてくれてたら、それもなかったら現在の写真でものせてくれてたらもっと面白かったのに・・・

ともあれ明治の登山記。
富士山はもちろんのこと立山などとっても険しい山にも意外と多くの人が(信仰目的ではあっても)登山していたし、山小屋も多かったことに興味をもった。

サトウは登山記だけでなく北海道から九州までも多くの旅行記を残しているらしい。
故郷の長崎は幕末から明治維新にかけてよく本に取り上げられ、たいてい読んだけど明治中期のころのことはほとんど読んだことがない。
サトウが当時の長崎のことを、幕末からどう変わってきたか、どう感じたか、読んでみたいものだ。
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