ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

本焼き

2018年09月27日 19時54分06秒 | 陶芸
今日は本焼き。
作陶の時は、なんかとってもいいものができそうで、ワクワクだけど、
素焼きが終わって、釉薬をかけて・・・
するとだんだん自信がなくなってくる・・・
う~~~ん・・・

そして本焼き、来週窯出し・・・
う~~~ん・・・
いつも決まって、窯出しの時は自分自信の才能のなさにまったくうんざりさせられる。
そしてこの世を思いきり呪いたくなる。

しかし・・・そのうち・・・きっと・・・いい作品ができるのはないかと・・・
ついつい・・・思ってしまう。

そうそうきっとできるよね。
そのうちとってもいい作品ができるよね。
ざまぁみろ~!と思えるようないい作品が・・・
きっとそのうちできるよね・・・
きっとそのうち・・・

できるかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法華経

2018年09月27日 17時50分12秒 | 本の中から
たまたま、(ふと血迷って・・・)法華経を読んだ。
法華経は昔読んだことがある。
読み下し文と口語訳で。
そしてその印象はというと・・・
う~~~ん、よくわからぬ、まさに難解難入!
いったいこの法華経から菩薩や法華経を讃える文章を除いたら、いったい何が残るのだろう?
文底秘沈などと言われると、う~~~んとわからぬままに納得せざるを得ない。

しかしこのよくわからないところが、ありがたいのかもしれない。
今回読んだのは、「全品現代語訳・法華経」(大角修・訳)
とってもわかりやすく書いている。
初めて法華経を読む人にはおすすめ。
でも・・・なんか・・・やっぱり・・・よくわからぬ。
このよくわからぬところが法華経の魅力なのかもしれない。

昔読んだときは観音経(観世音菩薩普門品第二十五)に魅かれたというか違和感を持った。
観音様さえ拝んでいたら願い事がすべてかなう。
それなら他の品はどうなるのだろう?
さんざん仏・菩薩、法華経をたたえてきた他の品は?

この「観世音菩薩普門品第二十五」が独立して「観音経」として読経されてきたのもわかるような気がした。
今、寺で圧倒的に多い仏像は釈迦牟尼仏ではなく薬師如来と観音菩薩。
はるかに~はるかに~遠い~遠い~未来に仏になるといわれるよりも、現世で願いが叶う、病気が治る、
その方がずっといい!
それで観音菩薩を拝むのはよくわかる。
それに日本はもともと女系文化。
観音様というと思うのはやっぱり美しい女性。
日本のキリスト教の世界でも「イエス様」よりも「マリア様」が信仰の対象になってきた。
そしてその折衷案なのか「マリア観音」というものが信仰の対象になってきた。
こう考えると今の天皇は男系で続いてきたけど、
天照大神以来、女系の方がよかったのではないのかな?とついつい思えてくる。

まあそんなことは置いといて、今回読んで興味を持った持ったのは、陀羅尼本第二十六。
なんか訳の分からぬ呪文満載。
こんな訳のわからぬ呪文にとっても魅かれる。
そしてこれらを歌にしてみたいと思った。
(ここら辺が普通の人と違うのかな・・・自分でも自分をわけの分からぬ人間だと思ってるから・・・)
でもね宮沢賢治はこの呪文をしゃれた詩にしているのだよ。
祭りと言う詩にね。
そしてこの詩で賢治は効果的にこの呪文を循環させた。
この詩を読むとますます歌にしたくなった。

この陀羅尼本、訳のわからぬところがいい。
想像力を思いっきり弾ませられるのがいい。
そうそう歌にしようね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする