ランチの後、海辺を歩いて、海辺のカフェでコーヒーを飲み(すごく高かった。1杯3ユーロ50サンチーム・590円、でも雨宿り代だと思えばしかたない?)、土産物屋を見て、車に戻る。岬になった部分を一回りしたい気もしたが、長い車の列を見て、断念する。家に向かうが、道が混んでいてとても時間がかかった。もっと道路が空いていたら、いろいろと見て回れたのだが。次回はシーズンオフに来よう。
今日の天気はのちときどき
先週の金曜日から3日ほどいい天気が続いた後、日曜日に晩にはたいへんな嵐(強風と雷雨)が来て、月曜日は曇りでときどき土砂降りの雨になった。そして、火曜日は曇りで始まったものの、午後は晴れ。水曜日と木曜日も同様。というわけで、これはこの1週間のうちで一番天気の悪かった月曜日のお出かけ記録。
月曜日は日本の祭日だったので、最初から仕事はないだろうと見越して休みを取ることにした。海の日だったからというわけではないけど、夫の提案で大西洋岸に行くことにした。目的地は、ボルドーの南西約30キロほどのところに位置する入り江である。
この入り江の南側を海沿いに車を走らせたのだが、引き潮だったこともあり、全然海が見つからない。結局、大西洋近くのアルカションまで来てしまった。着いたのが1時近かったので、まずはシーフードレストランに駆け込む(フランスで12~2時のランチ時をはずすと食いっぱぐれることが多いから。でも、ここは観光地なので心配は無用のようであった)。シーフードレストランが軒を連ね、どこにするか迷うほど。
お目当ての牡蠣を食べる(写真はメインコースの魚とムール貝)。Rの入っていない月に牡蠣を食べるのは心配だったが、ここは牡蠣の産地で新鮮だから、Rが入っていなくても大丈夫なのだそうだ。後から聞いた話だが、2軒隣のメリルの友達が、マン島(イギリス本島とアイルランドの間に浮かぶ島)で牡蠣を食べてあたり、土曜日に亡くなったそうである。産地から遠いところだと、腐りやすい夏場はやっぱり牡蠣を食べないほうがいいらしい。ここでも、やはり牡蠣には刻んだエシャロットの入った酢とレモン、パンにはバターが付いてきた。
沿道には小さな出店があって、午前10時から午後1時の間だけ生牡蠣を売っていたりする。
ちなみに、この店ではメインコースにジャケットポテト(生クリームベースのソースが少しかかっていた)が添えられていた(写真中、プラスチックのやしの木が刺さっているもの。店の名前が「カリプソ」なので、南国テーマに添った趣向なのだろう)。フランスでジャケットポテトを見たのは初めてだったので、珍しかった。
先週の金曜日から3日ほどいい天気が続いた後、日曜日に晩にはたいへんな嵐(強風と雷雨)が来て、月曜日は曇りでときどき土砂降りの雨になった。そして、火曜日は曇りで始まったものの、午後は晴れ。水曜日と木曜日も同様。というわけで、これはこの1週間のうちで一番天気の悪かった月曜日のお出かけ記録。
月曜日は日本の祭日だったので、最初から仕事はないだろうと見越して休みを取ることにした。海の日だったからというわけではないけど、夫の提案で大西洋岸に行くことにした。目的地は、ボルドーの南西約30キロほどのところに位置する入り江である。
この入り江の南側を海沿いに車を走らせたのだが、引き潮だったこともあり、全然海が見つからない。結局、大西洋近くのアルカションまで来てしまった。着いたのが1時近かったので、まずはシーフードレストランに駆け込む(フランスで12~2時のランチ時をはずすと食いっぱぐれることが多いから。でも、ここは観光地なので心配は無用のようであった)。シーフードレストランが軒を連ね、どこにするか迷うほど。
お目当ての牡蠣を食べる(写真はメインコースの魚とムール貝)。Rの入っていない月に牡蠣を食べるのは心配だったが、ここは牡蠣の産地で新鮮だから、Rが入っていなくても大丈夫なのだそうだ。後から聞いた話だが、2軒隣のメリルの友達が、マン島(イギリス本島とアイルランドの間に浮かぶ島)で牡蠣を食べてあたり、土曜日に亡くなったそうである。産地から遠いところだと、腐りやすい夏場はやっぱり牡蠣を食べないほうがいいらしい。ここでも、やはり牡蠣には刻んだエシャロットの入った酢とレモン、パンにはバターが付いてきた。
沿道には小さな出店があって、午前10時から午後1時の間だけ生牡蠣を売っていたりする。
ちなみに、この店ではメインコースにジャケットポテト(生クリームベースのソースが少しかかっていた)が添えられていた(写真中、プラスチックのやしの木が刺さっているもの。店の名前が「カリプソ」なので、南国テーマに添った趣向なのだろう)。フランスでジャケットポテトを見たのは初めてだったので、珍しかった。
村の広場。真ん中はフードコートのようになっていて、周りのレストランがそれぞれテーブルを出している。小さな村にしては、多すぎるくらいのレストランの数。
これで4時間のドライブはおしまい。家に帰るが、フランスの田舎道というのは迷いやすい。
これで4時間のドライブはおしまい。家に帰るが、フランスの田舎道というのは迷いやすい。
フランスのもっとも美しい村(の一つ)と看板が立っていたオーブテール(Aubeterre sur Dronne)。
サンテミリヨンのように、小高い丘の上、石畳の坂道の両脇に家が寄り添うように建っている。ガラス吹き職人の工房、製陶場などの工芸関係の店が多いが、観光の目玉は、岩の中に作られた教会だろう。ここは外だけ見て通り過ぎたが、時間があったら、入場料を払ってゆっくり中を見てみたいところだ。岩の上に教会の建物が見えるが、岩肌にもステンドグラスが入っていて、岩の中にも教会の一部があることが伺われる。駐車場にはイギリスナンバーの車がたくさん止まっていた。
サンテミリヨンのように、小高い丘の上、石畳の坂道の両脇に家が寄り添うように建っている。ガラス吹き職人の工房、製陶場などの工芸関係の店が多いが、観光の目玉は、岩の中に作られた教会だろう。ここは外だけ見て通り過ぎたが、時間があったら、入場料を払ってゆっくり中を見てみたいところだ。岩の上に教会の建物が見えるが、岩肌にもステンドグラスが入っていて、岩の中にも教会の一部があることが伺われる。駐車場にはイギリスナンバーの車がたくさん止まっていた。
この日は町の夏祭りの初日という話だったのだが、何もやっていない。ただ、沿道に人が出ている。どうやら、自転車レースがあるらしい。歩道にテーブルと椅子を出したホテルのバーで、ビールを飲みながらサイクリストたちの到着を待つ。地元の人たちは長いことただ道端に立ったり座り込んだりしているのだが、座ってビールを飲めるこんなすばらしい場所があるのに、どうして誰もやって来ないのか不思議。
おびただしい数のオートバイが次々にやってきた。中には警察のバイクもまじっている。トゥール・ドルドーニュの警備ということである。
フランスのトップサイクリストは今日はロンドンに行ってトゥール・ド・フランスに参加しているはずなので、この人たちはそれ以下ということになるのだろうが、それでも速い。50人以上のサイクリストがわずか数秒の間に走り抜けていった。
おびただしい数のオートバイが次々にやってきた。中には警察のバイクもまじっている。トゥール・ドルドーニュの警備ということである。
フランスのトップサイクリストは今日はロンドンに行ってトゥール・ド・フランスに参加しているはずなので、この人たちはそれ以下ということになるのだろうが、それでも速い。50人以上のサイクリストがわずか数秒の間に走り抜けていった。
次はサントーレイ(St. Aulaye)という、ドローヌ川を挟んで向こうはシャラント県になるドルドーニュ県端の町に行く。川沿いには、泳いだり大きな滑り台で川に飛び込んだりできる場所があり、ちょっとした観光地のようである。
見所は、写真の市庁舎(写真)とロマネスク教会、ローマ街道、古い橋のようだ。
見所は、写真の市庁舎(写真)とロマネスク教会、ローマ街道、古い橋のようだ。
今日の天気は降ったりやんだり
昨日は久々に朝から晴れで、(信じているわけではないが)天気予報も一日中晴れということだったので、我が家から40キロほど北西に向かって、ドルドーニュ県とシャラント県の県境方面に出かけた。
まずは、エシュールニャック(Echourgnac)の近くにあるトラピスト修道院(写真)へ。ここも、北海道のトラピスト修道院同様、乳製品、特にチーズの製造で有名らしい。残念ながら、この日は暑い日で、自動車の中で半日は持たないだろうと購入はあきらめた。
何か集会があった模様で、フランス人の初老の男女が次々に教会から出てきて、併設の集会場へと向かっていた。24部屋ある宿泊設備を備えているとのことである。
教会は質素な作りで、あまり大きくも無く、特筆することなし。土産物屋があるほかは、特に見るところもなかった。というわけで、10分ほどでここはスルー。
追記:後日スーパーでこの修道院で作られたチーズを見かけた。なんと5ユーロ(836円)以上もする。そりゃ、おいしいはずだ。
昨日は久々に朝から晴れで、(信じているわけではないが)天気予報も一日中晴れということだったので、我が家から40キロほど北西に向かって、ドルドーニュ県とシャラント県の県境方面に出かけた。
まずは、エシュールニャック(Echourgnac)の近くにあるトラピスト修道院(写真)へ。ここも、北海道のトラピスト修道院同様、乳製品、特にチーズの製造で有名らしい。残念ながら、この日は暑い日で、自動車の中で半日は持たないだろうと購入はあきらめた。
何か集会があった模様で、フランス人の初老の男女が次々に教会から出てきて、併設の集会場へと向かっていた。24部屋ある宿泊設備を備えているとのことである。
教会は質素な作りで、あまり大きくも無く、特筆することなし。土産物屋があるほかは、特に見るところもなかった。というわけで、10分ほどでここはスルー。
追記:後日スーパーでこの修道院で作られたチーズを見かけた。なんと5ユーロ(836円)以上もする。そりゃ、おいしいはずだ。
ときどき土曜日の朝8時にペドロランドを出発し、夜8時に無事フランスの我が家に到着しました。今度も何かハプニングがあるのではないかと期待されていた皆様、ご期待に副えなくて申し訳ありません。わたしとしては、ハプニングがないほうが助かります。
これまでは地中海沿いの高速道路を利用し、フランスのナルボンヌで内陸に折れ、トゥールーズを通るという経路を取っていたのだが、今回はこれを変更することにした。フランス北西部のブリタニー地方に住むイギリス人の友人夫婦が、フランスの厳しい冬を避け、ペドロランド近辺に3ヶ月の予定で滞在中なのだが、彼らが大西洋岸沿いのルートを取ってきたということで、そのルートを試すことにしたのだ。バレンシアの北から内陸部に入り、サラゴサを経て、牛追いで有名なパンプローナを通り、まっすぐ北上すると大西洋岸に出る。そこはほとんどフランス国境である。ここからボルドーまでは200キロ弱。我が家まではさらに70キロほどだ。
このルートでいい点は、スペイン内の走行距離が長いため、スペインの安いガソリンの恩恵を思い切り享受できる(フランス国境直前のガソリンスタンドで満タンにしたのは言うまでもない)、そして高速道路の有料部分が少ないということで、かなり費用を節約できた。おまけに、海岸沿いルートとは景色が異なる。特に、スペイン・フランス国境近辺のバスク地方は、ピレネー山脈の西端にあたり、雪を頂いた(覆われたというほどは残っていなかった)山々が間近に迫る。とても美しい風景だ。フランス国境からボルドー近辺までの大西洋岸には一面に松林が広がる。なんとなく日本の松原を思い出してしまった(五大松原は三保の松原しか行ったことがないが)。
途中、ハプニングらしいハプニングといえば、サラゴサで道に迷ったこと。ここで間違った道をとらなかったら、30分は節約できただろう。大きな都市はどこの国でも同じだが、多くの幹線道路が環状線道路に交わり、非常に迷いやすい。最悪の場合は、都市の中心部に迷い込んでしまうケースである。たまたま目的地が看板に表示されていればラッキーだが、そうでない場合はどこへ行ったらよいのかまったくわからない。サラゴサでもバルセロナとマドリードはあちこちの道路標識に載っているのだが、バルセロナにもマドリードにも行きたくない場合はお手上げである。30分ほど試行錯誤を繰り返して、やっとパンプローナ方向の高速道路に乗ることができた。
天気のほうは、ペドロランドを出発したときは小雨まじり、その後しばらく雨が止んだ後、バレンシアの手前から大雨になり、スペイン一帯が大きな雨雲に覆われているのではないのかと思われた瞬間に雨が止んだ。ときに日も差す。気温のほうは、スペイン中央の山間部を通ったときには、車外の気温を示す車の温度計が3度まで下がったが、その後はだんだん暖かくなり、9度まで上がった。
昨日(日曜日)の気温は最高で4度だった。ペドロランドでもここ1週間は寒かったが、それでも12~13度である。寒さが違う。朝は霜が降りている。暖炉で薪をたくさん燃やして、やっと家が暖まった。
これまでは地中海沿いの高速道路を利用し、フランスのナルボンヌで内陸に折れ、トゥールーズを通るという経路を取っていたのだが、今回はこれを変更することにした。フランス北西部のブリタニー地方に住むイギリス人の友人夫婦が、フランスの厳しい冬を避け、ペドロランド近辺に3ヶ月の予定で滞在中なのだが、彼らが大西洋岸沿いのルートを取ってきたということで、そのルートを試すことにしたのだ。バレンシアの北から内陸部に入り、サラゴサを経て、牛追いで有名なパンプローナを通り、まっすぐ北上すると大西洋岸に出る。そこはほとんどフランス国境である。ここからボルドーまでは200キロ弱。我が家まではさらに70キロほどだ。
このルートでいい点は、スペイン内の走行距離が長いため、スペインの安いガソリンの恩恵を思い切り享受できる(フランス国境直前のガソリンスタンドで満タンにしたのは言うまでもない)、そして高速道路の有料部分が少ないということで、かなり費用を節約できた。おまけに、海岸沿いルートとは景色が異なる。特に、スペイン・フランス国境近辺のバスク地方は、ピレネー山脈の西端にあたり、雪を頂いた(覆われたというほどは残っていなかった)山々が間近に迫る。とても美しい風景だ。フランス国境からボルドー近辺までの大西洋岸には一面に松林が広がる。なんとなく日本の松原を思い出してしまった(五大松原は三保の松原しか行ったことがないが)。
途中、ハプニングらしいハプニングといえば、サラゴサで道に迷ったこと。ここで間違った道をとらなかったら、30分は節約できただろう。大きな都市はどこの国でも同じだが、多くの幹線道路が環状線道路に交わり、非常に迷いやすい。最悪の場合は、都市の中心部に迷い込んでしまうケースである。たまたま目的地が看板に表示されていればラッキーだが、そうでない場合はどこへ行ったらよいのかまったくわからない。サラゴサでもバルセロナとマドリードはあちこちの道路標識に載っているのだが、バルセロナにもマドリードにも行きたくない場合はお手上げである。30分ほど試行錯誤を繰り返して、やっとパンプローナ方向の高速道路に乗ることができた。
天気のほうは、ペドロランドを出発したときは小雨まじり、その後しばらく雨が止んだ後、バレンシアの手前から大雨になり、スペイン一帯が大きな雨雲に覆われているのではないのかと思われた瞬間に雨が止んだ。ときに日も差す。気温のほうは、スペイン中央の山間部を通ったときには、車外の気温を示す車の温度計が3度まで下がったが、その後はだんだん暖かくなり、9度まで上がった。
昨日(日曜日)の気温は最高で4度だった。ペドロランドでもここ1週間は寒かったが、それでも12~13度である。寒さが違う。朝は霜が降りている。暖炉で薪をたくさん燃やして、やっと家が暖まった。
10月31日火曜日。この日は朝食抜きで、朝9時ぴったりに迎えに来たタクシーに乗って、郊外の修理工場に向かう。修理の承認のサインをした後、近くの高層住宅街の中にあるバーに入って、コーヒーを飲む。近くの公衆電話からロンドンのオフィスに電話を入れ、修理工場に戻る。今日はホテルもチェックアウトしてしまったし、ここ以外に居場所がない。今日中に修理を終えてもらわないと、明日は万聖節で国民の祭日だから、バルセロナにさらに2泊することになりそうだ。
プレッシャーを感じてくれたのか、ほかの車に優先して修理に取りかかってくれたようである。スターターモーターが故障したのだが、中を掃除して再び車に取り付けると言う。本当は多少金がかかっても、新品に取り替えてくれたほうがありがたかったのだが、部品のストックがなかったのかもしれない。
こうして、12時半に修理が終わり、再び旅路に着く。ありがたいのは、すぐに修理に取りかかってくれた修理工場の人々。スペイン人を見直した。わたしたちの車の修理が終わると、すぐに次の車を運び入れて、修理に取りかかっていた。スペイン人と言うと「マニャーナ」文化と言われるが、ここではそれは当てはまらないようだ。
そして、保険会社。一度だけ連絡のミスがあったが、それでもよく面倒を見てくれた。車が故障しても、何の心配しなくてすんだ。ホテルでもタクシーでも何でも希望を伝えればすぐに手配をしてくれる。ただで観光旅行をしたかったら、目的地近辺で車を故障させるに限る。ホテル代も交通費もただだ。今回はお客さんたちが待っているので、急いで自宅に帰らなくてはならなかったのが残念だ。そうでなければ、あと数日バルセロナに泊まっても悪くはなかった。
アリカンテに近づくと、外の気温を示す、車の温度計が23度から急に29度に上がった。一瞬また車が故障したのかとひやりとしたが、実際に外は暑かった。
午後6時半、ついになつかしのペドロランドに到着。1週間前に到着していたお客さんたちと感動の対面を果たす。たまたま近所には多くの人たちが来ていて、お隣のオランダ人のトーシュ、お向かいのオランダ人のヤンとティーニ、ドイツ人のウィルフレッドとエヴェリン、同じくドイツ人のヘルムートと再会の挨拶をする。トラブル続きだっただけに、今回は本当に家に到着してうれしい。
実はこの話には後日談がある。3日後にまた車が動かなくなった。スターターモーターが再び壊れたのだ。幸い自宅を出るときにエンジンがかからなくなったので、今度はレッカー車のお世話にはならないで済んだ(結果、急遽お客さんが借りていたレンタカーに大人6人子供2人が乗って外出することになった)。
今度は新しいスターターモーターに交換しないといけなさそうだ。が、ここなら修理を手伝ってくれるご近所の人もいるし、通訳を買って出てくれるスペイン人の友人もいる。車がなくて不自由だろうと、お隣のトーシュも自分の車を使ってよいと申し出てくれた。現在イギリスにいる2軒隣りのパットの車を使うこともできる。スペインの家は小さいし、庭も狭いし、家屋は建て込んでいて近所はうるさいが、ここにはすばらしい友人たちがいる。
プレッシャーを感じてくれたのか、ほかの車に優先して修理に取りかかってくれたようである。スターターモーターが故障したのだが、中を掃除して再び車に取り付けると言う。本当は多少金がかかっても、新品に取り替えてくれたほうがありがたかったのだが、部品のストックがなかったのかもしれない。
こうして、12時半に修理が終わり、再び旅路に着く。ありがたいのは、すぐに修理に取りかかってくれた修理工場の人々。スペイン人を見直した。わたしたちの車の修理が終わると、すぐに次の車を運び入れて、修理に取りかかっていた。スペイン人と言うと「マニャーナ」文化と言われるが、ここではそれは当てはまらないようだ。
そして、保険会社。一度だけ連絡のミスがあったが、それでもよく面倒を見てくれた。車が故障しても、何の心配しなくてすんだ。ホテルでもタクシーでも何でも希望を伝えればすぐに手配をしてくれる。ただで観光旅行をしたかったら、目的地近辺で車を故障させるに限る。ホテル代も交通費もただだ。今回はお客さんたちが待っているので、急いで自宅に帰らなくてはならなかったのが残念だ。そうでなければ、あと数日バルセロナに泊まっても悪くはなかった。
アリカンテに近づくと、外の気温を示す、車の温度計が23度から急に29度に上がった。一瞬また車が故障したのかとひやりとしたが、実際に外は暑かった。
午後6時半、ついになつかしのペドロランドに到着。1週間前に到着していたお客さんたちと感動の対面を果たす。たまたま近所には多くの人たちが来ていて、お隣のオランダ人のトーシュ、お向かいのオランダ人のヤンとティーニ、ドイツ人のウィルフレッドとエヴェリン、同じくドイツ人のヘルムートと再会の挨拶をする。トラブル続きだっただけに、今回は本当に家に到着してうれしい。
実はこの話には後日談がある。3日後にまた車が動かなくなった。スターターモーターが再び壊れたのだ。幸い自宅を出るときにエンジンがかからなくなったので、今度はレッカー車のお世話にはならないで済んだ(結果、急遽お客さんが借りていたレンタカーに大人6人子供2人が乗って外出することになった)。
今度は新しいスターターモーターに交換しないといけなさそうだ。が、ここなら修理を手伝ってくれるご近所の人もいるし、通訳を買って出てくれるスペイン人の友人もいる。車がなくて不自由だろうと、お隣のトーシュも自分の車を使ってよいと申し出てくれた。現在イギリスにいる2軒隣りのパットの車を使うこともできる。スペインの家は小さいし、庭も狭いし、家屋は建て込んでいて近所はうるさいが、ここにはすばらしい友人たちがいる。