ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

まだバルセロナ

2006-11-08 17:39:37 | 旅行
ホテルで朝食を取った後、保険会社に電話をして状況を尋ねる。週末の間にたまった故障車を修理工場に届けるので、今朝はたいへん忙しいのだそうだ。同じサービスエリア内で故障した車も数台見ているし、故障車の墓場を実際に目の当たりにした身の上としては大いに納得。午前中(つまりスペインでは午後2時まで)に修理工場に届けられれば、ラッキーという感じらしい。修理に取りかかるには車の持ち主の承諾のサインが必要ということで、車が修理工場に届いたら保険会社が電話をくれるということになる。

修理工場へのタクシーを手配してくれる保険会社のために、ホテル近辺を離れるわけに行かない。そんなわけで、散策はホテルの一角に限られたが、なかなか楽しかった。近くのレストランで8ユーロ50セント(約1,300円)のメニュー・デル・ディア(日替わり定食)をいただく。わたしはタラと赤ピーマン入りのスクランブルエッグの前菜とメインコースには魚のトマトソース煮をいただいた。これにデザートと飲み物が付く。

その後、別のバーに移って、外のテーブルでコーヒーを飲みながら、道行く人を眺める。思わず目を剥いてしまったのが、黒豚を散歩させているお嬢さん。さすがバロセロナ、何でもありだなと感心していたら、バーの中から男性二人が飛び出してきて、お嬢さんの(あるいは黒豚の)後ろ姿をまじまじと眺めていた。彼女の曲がっていった方向には、人々の反応が波紋のように広がっていく。やっぱり黒豚のお散歩はバロセロナでも珍しいらしい。

バルセロナで感心するのは、午後2時から4時のシエスタタイムでも開いている店が少なくないことである。やっぱり都会は違う。

再びホテルのラウンジに戻って、保険会社の電話を待機するが、5時半を過ぎても連絡がないので、こちらから電話をしてみる。すると、すぐにタクシーを手配するので、修理会社へ行くようにとのこと。夕方のバルセロナはたいへんな混雑であった。やっと郊外の三菱自動車のディーラーに到着すると、時刻は午後7時10分前。修理工場のほうは閉まっていた(商売熱心なことに営業部門は9時まで開いているようだ)。結局この日は修理開始の承認のサインができず、ホテルに引き返し、バルセロナにもう1泊することになる。さらに悪いことには、修理部門が閉まっていたため、車の鍵を手に入れることができず、着替えを調達することができなかった。明日の朝一番に修理工場へ向かうタクシーを手配してもらうことにして、ホテルに戻る。

バルセロナの街の中はまだまだ渋滞中。コンジェスチョン・チャージ(道路の混雑と大気汚染の防止のために設けられた税金。ロンドンの中心地に車を乗り入れるのに8ポンドを支払わなくてはならない)導入前のロンドンでもここまで車が多くはなかったように思う。車の多さもさることながら、なんといってもスクーターや小型のオートバイの多さ。しかも、どこから飛び出してくるかわからない。こんな街でタクシーの運転手をするのは、心臓に悪いだろう。

こうしてバルセロナに2泊することになった。この日は前日より気温が低く、前日車の中に置いてきた上着を持って来ることができなかったので、外で食事をするのは断念する。別のバー・レストランで再びタパスに挑戦。この日は無難な選択で、3皿だけ注文する。イカリング(カラマレス・アラ・ロマーナ)とロシア風サラダ(要するにツナとかオリーブとかの入ったポテトサラダなのだが)にチョリソ。ブティファーラというのが謎めいていて興味深かったが、冒険する元気がなかったので、注文しなかった。後で辞書で調べたら、カタルーニャ風ソーセージということだった。だいたい何かわかったので、次回は挑戦してみたい。

保険会社の連絡の不手際のせいで、修理工場へのタクシーの旅は徒労に終わり、今日は何も進展がなかった。昨夜の楽観的な気分はしぼんでしまい、疲れが押し寄せてくる。この夜は早めにホテルに戻って寝る。

バルセロナの夜

2006-11-08 16:35:42 | 旅行
1泊分の着替えをバッグに入れ、泊まりの支度をした後、30分ほどで迎えに来たタクシーに乗り込む。バルセロナの市内までは約30分ほどだった。バルセロナの街もほかの大都市とあまり変わらないなと思っていると、ガウディの手になるカサ・バトリョのたいへん個性的なファサードが目に飛び込んできた。

ホテルは何の変哲もないビジネスホテルだが、改装直後のようで、すべてが新しくてきれいで、設備も整っている。インターネットも部屋でできるらしい。こんなことなら、ノートブックパソコンも持ってくればよかった。

日曜日の夜はホテルのレストランは閉店ということで、外に食事に出かける。日中の気温は26度くらいだったが、夜でも暖かく、歩道に並べられたテーブルでは、多くの人が食事をしたり、ビールを飲んでいた。近くのバー・レストランで、タパスとビールの夕食にする。

イカリングにクリームコロッケ、勇敢ソース(salsa brava、確か怒れる雄牛のように勇敢なという意味だったと思う)のかかったフライドポテト、蒸しムール貝、ここまではわりと無難。第2弾として、callosなるものを注文した。「辛いよ」とウェイターが言う。出てきたのは、臓物のトマトソース煮であった。全然辛くない。臓物くらいで動揺するわたしではないが、早々に夫が降参した後、さすがに全部は食べ切れなかった。臓物自体にはあまり中身がなくて、とくに味もない。でも、失礼にならない程度しか残さなかったと思う。一緒に注文したイカの唐揚げのほうは2人で平らげる。これだけイカを食べたら、当然のごとく、この夜は胃がもたれてしかたなかった。

この後、別のバーに移って、外のテーブルでビールを飲む。ホテル代もタクシー代も保険会社持ち。思いがけないバルセロナ滞在もそんなに悪くないかもしれないと気楽な気持ちになるのだった。




トラブルの始まり

2006-11-07 16:26:34 | 旅行
10月29日の朝、フランスは霧に覆われていた。フランスの家を出発すると、すぐにタイヤの空気圧が急速に低下しているのに気がつく。サービスエリアの駐車場に車をとめ、早めにスペアタイヤに交換して事なきを得た。

もっとも、まだまだ油断はできない。スペインでは、外国人の車を狙った盗難が多い。なぜ外国人かというと、休暇で使うべく多額の現金を持って移動しているのが明らかだからだ。サービスエリアに駐車した車のタイヤをナイフで切り、しばらく走行したところで、パンクに気がついて車を止めると、親切心を装ってタイヤ交換を手伝うふりをする。パンクという災難にすっかり心を奪われている気の毒な人たちの隙を狙って、車中に置かれた貴重品を盗む、という手口である。このような泥棒には「善きサマリア人」という名前がついている。聖書の逸話に基づくが、聖書のサマリア人は本物の善人である。名前をつけたのは、皮肉なイギリス人だろう。実際に、スペインの我が家の2軒隣りのイギリス人パットとアイリーンも去年の12月にこの被害に遭った。盗難も困るが、スペアタイアまでパンクさせられたら、泣きっ面にハチである。スペインに入ったら、サービスエリアでは2人同時に車を離れないように気をつけよう。

トゥールーズに近づいたところで、霧が晴れた。城壁の町カルカッソンヌを遠くに臨んだ後、海岸沿いの高速道路に達する。そこからスペインの国境までは1時間ほど。

無事スペインに入る。運のないフランスを脱出してほっと一息。スペインは保険会社の勝手知ったる本拠地でもあるし、故障してもスムーズに事を運んでくれるだろうと気を抜いたのが甘かった。バルセロナの北30キロほどのサービスエリアでガソリンをいれ、ドライブインでサンドイッチを買って車に戻ると、エンジンがかからない。どうやら、スターターモーターが故障したらしい。保険会社に電話をかけると、30分で救援トラックが来ると言う。

食事を終えた人たちが車に乗り込み、次々に何の問題もなくエンジンをかけて去っていくのをうらめしい気持ちで見送る。唯一の気休めは、故障をしたのはわたしたちだけではなかったことだ。1時間半以上待ってやっとレッカー車が到着したが、3台いっぺんに現れた。わたしたちのレッカー車の運転手に、自分のレッカー車はいつくるのかと問い合わせる人もいた。反対車線のドライブインの駐車場では、白いワイシャツを着た男性がいまだに人待ち顔である。この日はもっとも故障の多い日曜日だったのか、このサービスエリアはもっとも故障の多いサービスエリアに違いない。レッカー車の運転手も、イギリスの車の救援は今日これで2台目だと言っていた。

レッカー車に乗って、ロードサービスの会社の事務所まで行く。そこから保険会社に連絡を取ってくれた。今日は日曜日で修理工場は開いていないので、車はこの会社の敷地内(別名、故障車の墓場と言う)に置き、翌日三菱自動車のディーラーに持っていくという。保険会社がホテルとそこまでのタクシーを手配してくれた。三菱自動車のディーラーに近い郊外のホテルには空きがなかったため、バルセロナ市内のホテルに泊まることになる。

フランスへの道

2006-11-06 17:45:07 | 旅行
ご無沙汰しました。現在、スペインにいます。

今回もやはりハプニング無しというわけにはいきませんでした。話は長くなるので、何回かにわけてイギリスからフランスを経てスペインに至るまでの経緯をお話します。

10月25日(木)の午後に一応車が走行可能な状態になったということで、車を引き取ってきた。実はタイミングベルトのカバーは届いていなくて、これはいつ手に入るかわからない。でも、普通の車にはケースはないようなので、たぶんオフロード走行用にカバーが付いているのだろうという結論に達する。今回の旅にオフロードはないので、カバー無しでも大丈夫だろう。また、パワーステアリングのベルトもキュルキュルとものすごい音を立てているのだが、これも新しいものが手に入るのは早くても翌日になってしまうということだし、走行には支障をきたさないので大丈夫と判断を下す。

イギリスを出発すると決めると、翌日夕方のフェリーでフランスに渡ることにした。

急いで荷造りをするとろくなことはない。今回の最大の失敗は、デジタルカメラからパソコンに写真を転送するためのケーブルを忘れたこと。というわけで、来年1月にイギリスに戻るまで、このブログは写真なしになるかもしれません。ごめんなさい。できれば、メモリカードの読み取り機を買うとかして、なんとか写真をアップロードする方法を考慮してみたいと思っています。

もう1つの失敗は靴4足をイギリスに忘れてきたこと。すっかり荷造りするのを忘れていた。このうち3足は夏用のサンダルで、故障した車と一緒にイギリスに着いたときには、すでにイギリスの夏は終わっていて、とうとう出番がなかった。これで来年の夏まで日の目を見ないことになる。スペインに持ってきていたら、まだまだ活躍のチャンスはあったのだけど。

ニューヘイブンの港に向かう途中、サセックス県の田舎道(これでも幹線道路だが)で不思議な看板を見かけた。「野鳥保護地区」という看板のすぐ下に「オーブンで焼くだけ・猟鳥獣の肉あります」という文字。野鳥は保護されているのか?それとも、人々の晩御飯になっているのか?

いつ車が故障するかとハラハラドキドキしながら、フランスに渡る。フランスの港・ディエップに到着したのが夜10時半。夏のバカンス族大移動に巻き込まれた前回とは異なり、今回は交通量も少なかった。途中、ルーアンの川沿いで縁日が開かれていたようで、遊園地の乗り物がライトアップされてにぎやかで美しかった。スリリングな旅もとりあえず朝午前6時半に終わって家に到着し、湯沸かし器のスイッチを入れて床に就く。家のほうは特に変わったことはなかったようだ。

4時間ほど眠って、午前10時半に起床。この日は暑くて、日中日向の気温は30度を越えた。イギリスから買って持ってきたペンキ・照明器具などを車から降ろし、フランスに置いてあった洋服などを車に積み込む。庭の芝生を刈り、バラの剪定をして、冬の準備をする。次回イギリスに1月末に戻るときには、フランス経由になるかもしれないが、たぶん家の状態をチェックするにとどまり、1泊以上はしないだろう。ここの冬はかなり厳しいらしい。毎年、零下16度まで下がる日があるのだそうだ。そのような日は年に1度しかないのだそうだが、冬の間氷点下は当たり前らしい。わたしたちが今年2月に立ち寄ったときも、零下2度だった。

夕方、お向かいのイギリス人カップル、ブライアンとメリルの家にお邪魔する。ワインを飲みながら、1時間ちょっとおしゃべりを楽しんだ。わたしたちがいなかった間に激しい嵐があって停電や洪水の被害があったこと。また、空き巣に入られて、イギリスから来ていたお客さんの現金と宝石類が盗まれたとのこと。それはたぶんジプシーの仕業だわね、とわたしが言ったら、やはり警察も同じことを言っていたそうだ。ちょうど同じ時期に近くの町にサーカスが来ていたらしい。彼らは大きなものは取らない。また、ドアを壊したり、ガラスを割ったりして侵入することはなく、ドアや窓が開いていたりといったちょっとした隙を見て家に入り込む。万が一見咎められたりすると、ごめんなさいと謝ってそそくさと立ち去るのである。居直って暴力を振るったりする危険性はないが、他人が汗水たらして手に入れたものを盗むのはやはり許せない。

家に戻ると8時を回っていた。外食に出かけるのには遅すぎるし、5コース料理の間座り続ける体力もないので、夕食は近くの町にピザを買いに行って家で食べることにする。お向かいのメリルもやっぱりフランスで軽い食事をするのは難しいと言っていた。この辺りではどこも2時間かけて5コース食べるというパターンのようだ。5コース残さず食べるのは無理なので、2コースほど飛ばすと、「うちの料理のどこが気に入らないのか」と詰め寄られるのが困ると嘆いていた。

こうして、その晩は夜12時に床に就く。目覚ましを7時にセットしておいたが、この夜(厳密には10月29日の朝2時)にサマータイムが終わって、時刻が1時間早くなるので、新しい時間ではこれは6時ということになる。7時まで寝ても実はまだ6時で、1時間得をしたことになる。日暮れが早くなるのはさびしいが、いいこともある。



世界遺産・サンテミリオン(3)

2006-09-21 12:15:43 | 旅行
サンテミリオンはブドウ畑の中に突出した丘の上に建っている。だから、坂道が多い。しかも石畳で恐ろしいほど滑りやすい。こんなのが平気で許されているのがフランス。イギリスやアメリカだったら、損害賠償の請求が殺到するのを恐れて、すでになんらかの対策が施されているところだろう。

マカロンというお菓子を買った。「アーモンドに卵白を加えて作るクッキー」ということだが、中はマジパン状。見た目はクッキーだが、歯ざわりはケーキに近い。直径8センチくらいで1個2ユーロ(約300円)であった。さすがに高いだけあっておいしい。特に今日は昼食を食べ損ねたし。

写真は教会の周りの壁から下の広場を臨む。

日曜日の午後でもさすがに観光地だけあって、ワイン店とみやげ物店は開いていた。しかも、午後4時近いというのに、レストランやビストロが開いている!観光バスから降りてくる観光客はフランス人が多かった。

この次は平日の12時近くに来てレストランで昼食を取ろうということにして、1時間半ほどの散策をこの日は切り上げ家に帰る。次回は周辺のシャトー(ワイン醸造所)にも足を伸ばしたい。

世界遺産・サンテミリオン(2)

2006-09-21 12:03:58 | 旅行
9月10日のフランスは最高気温27度くらいだった。

サンテミリオンはワインの産地としても有名である。町の周りにはブドウ畑が広がり、町の中にも多くのワイン商が店を出している。毎年9月の第3日曜日(今年は17日)に、ブドウの収穫を宣言するお祭りがある。テレビでこの様子を見たことがあるが、ジュラードと呼ばれるワインの番人たちが白いケープのついた赤のガウンを身にまとって、町を練り歩き、最後に塔の上から手を振るのは、なかなか見栄えがする。

写真は修道院の回廊跡。ここの入り口で発泡ワイン(地元産なので、シャンパンとは呼べないのだろうな)・白ワイン・赤ワインをボトルで買うとグラスを貸してくれるので、庭の中の好きなところに座り、賞味するというしくみになっている。たいへん魅力的なアイデアだったが、自動車で来たので、夫にボトル半分飲ませるわけにはいかない。ということで、断念。一回りして、ただ風景を楽しむ。

世界遺産・サンテミリオン(1)

2006-09-20 20:41:58 | 旅行
今日のイギリスはイギリスは夏の戻りでこのところ暖かな日が続いている。「厚手のセーターを持ってくるように」との忠告を受けていたので夏物をまったく持ってこなかったのだが、先週はそれが悔やまれた。昨日はちょっと涼しくて最高気温20度だったが、今日はまた暖かい。明日は最高気温が26度にまで上がるという。

トレーラーハウスのデッキで日向ぼっこをしていたら、トンボを見かけた。秋だなあと感慨にふけっていると、夫いわくトンボはイギリスの夏のシンボルなのだと。所変われば、である。

さて、イギリスに来る前の日曜日の午後に、うちから40キロほど離れたサンテミリオンに出かけた。世界遺産にも指定されている中世の町である。

かつてロンドンで働いていたころ、勤め先のすぐ裏に中央郵便局があり、その建物の一部で年に2度郵便配達人たちによる美術展が催されていた。そこで見た絵の1つにサンテミリオンの町が描かれていたのだが、石畳の坂道に古い建物が立ち並ぶとても美しい町のようだった。それで、いつの日か行ってみたいと思っていたのだ。


イギリスを出発

2006-08-03 11:23:55 | 旅行
7月29日(土)のイギリスの天気はときどき

土曜日は、早めにトレーラーハウスのあるヨールディングを出発し、フェリーの港のあるニューヘイブンに向かった。ブライトンとかイーストボーンのような明るい海辺の町を想像していたのだが、港の周りはうらぶれていて、ゴミが風に舞う演歌の世界であった。ひとけのないオフィスや工場が荒れ果てるままに放置されている。通常おしゃれな雰囲気が漂うマリーナ近辺も、この町では公営アパートが立ち並び、普通の住宅街のようである。海水浴場もない。かもめが飛び交うことを除けば、近くに海があるとは思えないような町である。

"Coral Cabin Cafe"という名のカフェがあったのでお茶を飲みに入る。キャビンという名前は、よく工事現場などで見られるポータキャビンと呼ばれる簡易事務室を使っているところから来るようだ。「ガーデンあり」という看板が目に止まったので、裏のドアから外に出てみると、そこは建物横の芝生さえ生えていないただの小さな空き地であった。とても庭と言えた代物ではない。プラスチックのガーデンチェアに座ろうとしたら、脇の草むらからドブネズミが出てきて、地面に落ちていた食べ物をさっとくわえてまた草むらに去って行った。「ガーデン」にすっかり興ざめして、屋内に戻る。ニューヘイブンは観光地としてお勧めしない。マリーナ近辺に現在おしゃれなアパートを建設中なので、2年後くらいには少しは垢抜けているかもしれないが。

土曜日の夜8時のフェリーでイギリスを発つ。船中は家族連れでいっぱいである。水曜日に予約を入れたのだが、最後の空きということであった。フェリー会社の運行記録には不安なものがあったが、船自体はなかなか立派なものである。内装も新しくて、調度品もセンスがよい。カフェテリアの名前がモーパッサン、ラウンジの名前はフローベール、バーはコルネーユで、レストランはモネである。志高き頃の学生時代に戻って、高尚な気分になってしまった。

予約時に客室を取ろうとしたのだが、満杯ということであった。が、乗船するなり真っ先に受付に向かって、スタンバイリストに載せてもらうと、出航直後に客室を割り当ててもらうことができた。カフェテリアで食事を取ると(運行しているのがフランスの会社だけあって、食事もフランス風)、午後9時近い。この時間になると、あちこちで眠くなった子供たちがぐずりだして、船内たいへんな騒ぎである。4時間という航行時間もあるし、夜の航海には客室を取ることをぜひお勧めする。客室内にはトイレとシャワー、ベッドが付いている。ただし、タオルやシャンプーはない(石鹸はある)。シャワー浴びようという方は、タオルとシャンプーを船内に持参することをお忘れなく。

座礁もせず、無事現地時間で午前1時にフランスのディエップに到着する。こちらは城があったり、観光地としても興味深いところのようだったが、ひたすらルーアン方向を目指して車を走らせる。真夜中ということもあり、途中まで交通量は少なかったが、トゥールの近く、パリ・ボルドーを結ぶ高速道路に乗った途端に、急に道路が混み出す。まだ朝の5時だというのに、ルーフボックスを乗せたり、自転車を後尾に積んだ車やキャラバンを牽引する車、キャンピングカーの列である。どうやら、パリを脱出し、南でバカンスを過ごそうという人たちの民族大移動がすでに始まっているようだ。

家まであと10キロという高速道路のサービスエリアに止まって、牛乳を買う(これがないと紅茶が飲めない)。ここの駐車場もたいへんな賑わいようである。午前9時だというのに早くもピクニックを始める家族までいて、いったい何時に家を出てきたのだろう。高速道路を降りて、近くの町に入ると、今度はヒッチハイカーに出会った。フランスはバカンスの真っ盛りである。


内陸部への日帰り旅行(6)

2006-04-10 15:54:04 | 旅行
レストランを出て、帰路に着く。写真はレストランの庭にあったミモザの木。3週間ほど前にペドロランド近辺のミモザの木を見たら、つぼみは緑で堅く、咲くのはまだまだ咲きという感じだった。が、先週末にはもう満開を通り越して、花も黒くなりかけていた。

沿道に広がる果樹園の脇を車で通ると、いい匂いがしてくる。実をたわわにつけたオレンジやレモンの木もあれば、花と実を一緒につけているオレンジの木も少なくない。オレンジは収穫シーズンでありながら、花の季節でもあるわけだ。我が家のオレンジの木も、花がそろそろ終わりに近づき、小さな緑の実をつけ始めてきた。

内陸部への日帰り旅行(5)

2006-04-10 15:52:15 | 旅行
2時過ぎると、スペイン人の食事客たちが続々と到着し、たいへんにぎやかになる。グループが多い。1つのグループは、子供を入れて総勢20人ほどで、食事の前に家から持参した豆を配ってみんなで食べていた。

ノベルダへ行く途中で寄った軽食堂に集っていたバイカーたちもこの豆を注文して(?)食べていた。枝豆にビールっていうノリかなあと思っていたのだが、なんと生でいただくようである。さやから1つずつ豆を取り出して、そのまま口に運ぶ。写真を撮ってほしいと頼みに来たスペイン人の男性にトーシュがかわりに豆を分けてもらったので、みんなで食してみた。青臭くて、ちょっと苦味があって、決しておいしいとは言えない。聖週間の始まりのこの日、シュロの主日には豆を食べるという習慣でもあるのであろうか。(写真に写っているはアリーの指。念のため)

この後、2種類のスープが出てきて(それぞれ、ヒヨコ豆と白インゲン豆がどっさり、ソーセージがちょこっと入っていた)、メインには、ハーブやトマトソースなどで煮染めた4種類の肉が出てきた。豚肉・ラム肉(骨が多くて食べるところがあまりない)・牛肉、もう1つについてはウェーターが「バンビ、バンビ」と連発していた。「バンビ」と言われて、ディズニーの目の大きな小鹿を想像したわれわれは、一瞬ひるんでしまったのだが、バンビの肉が一番おいしかったというのが一致した意見である。味としては牛肉に近い。

スペイン人のこのへんの感覚というのは、ちょっとイギリス人たちには理解しがたい。スーパーでも、スペイン語がわからなくても(あるいは字が読めなくても)何の肉かわかるように、パックに絵が描かれているのだが、ラム肉のパックに、いたいけな子羊の顔をのせるのはやめてほしい。

この後、アッパルパイのデザートとコーヒー(オランダ人もこのコーヒーは濃いと言っていた)が出てきて、食事はおしまい。赤ワインを1本追加して、合計6人で81ユーロ(11,600円)であった。全く選択の余地もない簡素な食事であったが、量も種類もたっぷりで、この値段は安いと思う。