ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

内陸部への日帰り旅行(4)

2006-04-10 15:37:42 | 旅行
教会の駐車場に戻ると、車から折りたたみの机などを取り出し、ピクニックの用意をするスペイン人家族の姿が見られた。到着したときには、ほとんど人気(ひとけ)のなかった教会であったが、この頃までに車の数もぼちぼちと増えていた。それでも、観光地というには程遠いほど静かなところである。

ノベルダの教会を後にして、次の目的地である、アゴストから5キロほど離れたレストランに向かう。途中、アゴストの町の中で、長い衣装をつけ、白いシュロの枝をかついだ人たちに出会った。ちょうど祭りの行列が終わったところのようだ。

1車線しかない橋を渡り(対向車が来なくてよかった)、でこぼこの曲がりくねった道をたどって、レストランに到着したのは1時半頃だった。ほかにはまだ誰もいなかったが、いくつかのグループに分かれたテーブルの上には、すでに食事の準備がされている。写真の前菜のほかにミネラルウォーターの1.5リットルボトルと赤ワイン1本が並べられていた。席に着くと、1リットルのビールの大瓶が出てきた。

ちなみに、前菜はサラダ・チョリソ味のソーセージ・トルティーヤ(別名スパニッシュオムレツ)・真ん中にツナのトマトソース和えの入ったケーキ・ポテトチップ・ピーナッツ・生ハム・ヤギのチーズである。

内陸部への日帰り旅行(3)

2006-04-10 15:34:54 | 旅行
これは、教会の一角。タイルがなかなかかわいい。

中から男性が出てきて、"English? Japanese?"と聞くので、期待して待っていると、英語の観光案内を持ってきた。わざわざ聞くからには日本語のパンフレットもあるのかと思ったが、さすがにここまで日本人の観光客の足は及んでいないらしい。残念。スペイン語・ドイツ語・英語のパンフレットしかないそうだ。でも、カラー写真がふんだんに使われていて、なかなか立派だった。

内陸部への日帰り旅行(2)

2006-04-10 15:32:55 | 旅行
昨日は

このタイル絵のほかに2つのタイル絵が正面のドアの上に飾られている。残念ながら、崖の上に立っているために、じゅうぶん下がって正面全体が入るような写真を撮ることができない。そのため、裏の写真(この前の記事につけた写真)を撮ったのだが、あいにくの逆光である。

この教会横には、13世紀と14世紀にムーア人によって建てられた城の塔が若干残っている。

内陸部への日帰り旅行(1)

2006-04-10 15:31:07 | 旅行
今日はときどき

昨日(4月9日)は、ヴィムとレイニー、アリーとトーシュという2組のオランダ人カップルと一緒に車で内陸部に出かけた。朝9時半出発。わたしたちは早起きに備えて、前夜は12時には家に帰って、午前1時には床に就いていたが、ヴィムたち4人は午前2時まで近所のバーで飲んでいたということで、ちょっと疲れ気味。

まるでマカロニ・ウェスタンのような乾いた風景の山の中、曲がりくねった道を行くと、沿道の軽食堂の前にオートバイがずらりと並んでいる。どうやら、バイカーたちのお気に入りのたまり場のようだが、家族連れや地元の人たちも、タパスを食べながら、ビールを飲んだりしている。ここでコーヒーを飲んで、それぞれ睡眠不足の体にカフェインを注入する。

第一の目的地のノベルダに到着する。目指すは山の上の教会なのだが、この日は復活祭の聖週間の初日であるシュロの主日(パーム・サンデー)にあたり、お祭りが行われているため、町の中はあちこちで道路が封鎖されていた。人に聞いて、やっと教会にたどりつく。

この教会はガウディ設計のバルセロナのサグラダ・ファミリア(聖家族)教会に似た特徴のあるデザインだ。近くの山から切り出した石や小石、タイルなどが使われている。名前は、サンタ・マリア・マグダレーナ教会と言って、マグダラのマリアを守護聖人として奉っている。

スペインに帰る

2006-02-09 16:15:41 | 旅行
今日のスペインは気温は20度

2月3日の夜はイギリス人夫婦の営むB&Bに泊まり、翌朝9時にスペインに向けて出発する。

同じ宿には、プロヴァンス地方に住むフランス人が泊まっていた。この辺りに大きな土地付きの家を買うのだそうだ。その日はファブリスの案内で、家を見て回ることになっていた。プロヴァンス地方もイギリス人をはじめとする外国人が不動産を買い始めてから、家の値段がすっかり上がってしまったと、この男性は嘆いていた。

この日も曇りで、気温は零度。が、今日は割れた窓ガラスは板とガムテープで応急処置がしてあるため、昨日よりずっとしのぎやすい。ボルドーから地中海沿岸に伸びる高速道路には、スキーやスノーボードを積んだ車がたくさん見られた。今日は土曜日。ピレネー山脈に向かう人たちだろう。

イギリスからずっと濃い灰色一色だった空に、カルカッソンヌの手前辺りから異なった灰色の色合いが出てきた。そして、地中海より40キロほどのところまで来ると、青空がのぞきだす。気温も7度まで上がった。これから先、とうとう暖房をつけることはなかった。ピレネー山脈の雪をかぶった山々がまるで舞台の書割のように見える。

さらにスペインに入ると、太陽の日差しが強まり、気温もついに2桁台に上る。スペインでは、特に外国人を標的にした窃盗が有名なので(サービスエリアに停まったときに、タイヤを切り、後をつけ、目的の車が路肩に停まったところで、親切心を装い、タイヤ交換を手伝うふりをして、すきを見てハンドバッグを盗むという手口には、「よきサマリヤ人」という名前までついてる。この被害に近所のイギリス人も遭ったことがある。ハンドバッグを盗まれたことにも気がつかず、泥棒に「どうもありがとう」と手を振って見送った自分がばかみたいと悔しがっていた)、かなり注意したのだが、辺りには怪しげな人はもとより、人自体あまりいなかった。

こうして、午後9時少し前、無事にペドロランドの我が家に到着する。荷物を車から降ろし、湯沸しボイラーのスイッチを入れて、近所の中華料理店に向かう。店主のスージーとそのご主人だけでなく、客席の中にも懐かしいご近所の人たちの顔を見る。スペインに帰ってきた!

フランスで家を買う

2006-02-09 15:33:20 | 旅行
今日のスペインは気温20度

モンポンには午後2時少し前に着いた。車の窓の応急措置をしようと、ホームセンターに行くが2時まで開かない。フランスの店は平日午前12時から午後2時までたっぷり2時間昼休みをとるところが多い。銀行とのアポが2時からあるので、あきらめた。

窓ガラスがないという無防備な状態に車があるため、ふたりで車を離れることができない。そこで、夫が銀行に行っている間、わたしが車に残ると言うと、ファブリスが自分の車をすぐ横に停めるから、暖かい自分の車の中で待つようにと言う。

夫が銀行に行っている間、暖房のきいた車中でファブリスと話をする。「昼食とった?」と聞かれた。やはり彼の1日は食事を中心に動いているようだ。「とる暇がなかった」と答えたが、二人で同時に車を空けるわけには行かないので、5コースの食事は無理なのだ。

午後3時にファブリスとともに、公証人(弁護士)の事務所に行く。ここで初めて家の売り手の兄妹に会う。スペインで公証人の事務所に行ったときには、ちゃんとした格好をしてくるようにと特に注意されたので、二人ともわりとカジュアルな格好をしているのにはちょっと驚いた。もっとも、スペインでは、きちんと釘を刺しておかないと、Tシャツにショートパンツ・サンダル履きで公証人役場にやって来かねないイギリス人がいるからかもしれない。

例によって例のごとく、大量の書類に大量のサインをする。書類1ページずつにサインをするという習慣があるのは、フランスだけではないだろうか?弁護士が英語とフランス語で契約書の説明をしてくれる。

家の所有権はわたしと夫との間で50%ずつ。トンティンという形式だそうだ。この言葉を聞くと、夫と顔を見合わせてしまった。アガサ・クリスティーのミス・マープルものの話の中で、トンティンが大きな鍵を握る殺人事件を思い出したのだ。相続人のうちの1人が死ぬと、そのほかの人たちの取り分が増えるというトンティン形式を狙って、次々に相続人を殺して行くという話だった。

この場合、夫かわたしのどちらかが死ぬと、家は100%もう一人のものとなる。スペインの場合、残った人が死んだ人の持分を買い取るという形になるので、連れ合いに死なれると税金を払わないといけない。が、このトンティン方式だと、当事者にはそのような税金はかからないらしい。しかし、2人がともに死んだ後、第3者が相続した場合、60%とという途方もないキャピタルゲイン税がかかるので、1人が死んだ時点で売ったほうが得策であるということだ。

もう1つこのときわかったことは、この家は汲み取り式ではないということだ。でも、下水道本管にはつながっていない。ということは、庭のどこかに汚水が溜まっているということなのだろうか?うかつに庭は掘らないほうがいいかもしれない。

こうして契約書にサインが終わった後、公証人役場の前で延々と売り手と話をしているファブリスを後にして、ホームセンターに行く。10分ほどするとホームセンターの駐車場にファブリスが車でやってきて、電気・ガスの銀行口座引き落としの手続きをするために、事務所に来るように言われた。「じゃあ、5分後に事務所でね」と言って別れ、買い物を終えた夫とホームセンターの駐車場を出ようとすると、ファブリスはまだ駐車場内にいた。客の一人に知った人がいたと見えて、5分間ずっと話し込んでいたらしい。

自分はいつもどこかにある時刻に着くために走り回っていると先にファブリスがこぼしていたが、自分を忙しくしているのは自分自身だということに彼は気がついているのだろうか?おしゃべりをやめれば、もっと余裕のある人生をおくれるのに。

最後に、フランスで家を買おうという方に警告を。フランスは公証人(弁護士)の料金がめちゃくちゃ高いです。これは家の価格に比例し、国が定めた料率に従って課されるので、どこの公証人に行けば安いというものでもなく、どうしようもないことですが、覚悟しておきましょう。わたしたちの場合、9000ユーロ(約127万円)も払いました。イギリスだったら、300ポンド(約6万円)くらいだったでしょう。とうわけで、いくら家がお買い得と思えても、最終的な支払金額には公証人の手数料が加わることを考慮に入れておいたほうがいいです。また、住宅ローンを借りると、これを家の権利書類に登記するための公証人の手数料がさらにかかることも、住宅ローンを検討するときに注意したほうがいいかもしれません。

早速手にした鍵を持って、買ったばかりの家に行く。家具はほとんど持ち去られていた。居間の椅子とコーヒーテーブルは残るのかと思っていただけに残念。古い水色の戸棚とガラクタ類(埃だらけのりんご酒なんかもあった)とかほしくないものは残っていた。照明器具はすべて取り外されていて、壁や天井から電線がぶらさがっているのみだ。台所はそのまま。水道の蛇口さえ持っていく人がいると聞くフランスにしては、ラッキーだったかもしれない。もっとも、落ち着いた暁には真っ先に改装したい部分なのだが。

庭には、ごく最近掘り返された思われるところが3箇所あった。気になって、12月に撮った写真と見比べると、この場所にあったのは3本のバラの木のようだった。記念植樹かなんか、特別な思い出の木だったのだろうか?

フランスを往く

2006-02-07 17:58:33 | 旅行
今日のスペインは、ほぼ
2月2日から4日にかけてのフランスの天気は

ポワティエのホテルの駐車場で、車の窓ガラスを割られ、ノートパソコンを盗まれたほかは、順調な旅であった。車の旅のときには、このホテルチェーンを利用するのだが、よいところは幹線道路に近いことだ。だから、朝食後すぐにまた高速道路に乗って、目的地までの旅を続けることができる。ただ、問題は高速道路から見えるのだが、どうやってそこまで達することができるのか、皆目見当がつかない点。

もう1つの利点は食事。フランス式の5コース料理ではなくて、前菜とデザートはバイキング形式。特に、このポワティエのホテルの前菜はシーフードのバラエティーがたっぷりで、目移りするほど。全部賞味することはとうてい無理だった。これに日替わりのメインコース3種類の中から1つを選ぶ。この日は、木曜日スペシャルの期間限定(1月12日から3月中旬くらいまで)で、ポトフがメニューにのぼっていた(残念ながら写真はありません。車の積荷の奥底にデジタルカメラをしまってしまったので)。冬季限定メニューの鍋物特集なんて、日本の居酒屋にもありそうな発想だ。本場フランスのポトフの感想は、「これなら料理の苦手なわたしにもコンソメとブーケガルニかなんかで簡単にできそう」である。レタスの飾りの乗った平皿に、大きめの角切りにした羊肉、小さなジャガイモとニンジン、ターニップ(カブ)とリーキ(日本の長ネギにそっくりだが、長ネギの辛さはない)が盛り付けられていた。まさしくフランス版おでんである。デザートは4種類のケーキのほか、チョコレートムースやフルーツサラダなどの中から、ケーキ2種類を選んだ。さらに、数種類のチーズも用意されている。

これで17ユーロ50セント(2500円弱)は、フランスにしてはとても安いと思う。特に、2時間かけて5コースの食事はしたくないときには理想的だ。このホテルチェーンが、出張中のビジネスマンやセールスマンなどに人気があるのもうなずける。バイキング形式の前菜とデザートだけのコースもあるし、メインコースだけを注文することも可能だ。

受付とウェイトレスの若い女性たちもとても感じがよい。部屋も静かな禁煙室を割り当ててくれた。というわけで、このホテルに対するわたしたちの評価は、食事を終えて就寝するまではたぶんこれまで泊まったこのチェーン内のホテルの中では一番よいのではないかということになった。

で、その後が昨日書いた「フランスでの出来事」となるわけである。

天気のほうは、イギリスを出発してからフランスの家のあるモンポン(ボルドーから内陸に70キロほど入ったところ)まで、ずっと曇りであった。まるで1枚のぶ厚い灰色の雲がイギリスとフランスを覆っていたかのようである。途中、ルマンからトゥールの間当たりで、野原や民家の屋根にうっすらと雪が残っているのが見られた。気温は零度前後。最高でも3度以上になることはなかった。

続きのフランス紀行はまた明日。

フランスでの出来事

2006-02-06 16:02:40 | 旅行
土曜日の夜に一応つつがなくスペインに戻った。一応というのは、出発したときと比べて、車の窓ガラス一枚とノートブックパソコンが欠けていた以外は変わりなくということである。

フランスのポワティエ近くのホテルに泊まったときのことである。朝食を済ませると受付嬢に呼び止められた。車のガラスが割れているというのだ。最初はランプのガラスが壊れているとかそんなことだろうと思ったのだが、話を聞くと、夜中にこのホテルの駐車場で車が荒らされたらしい。わたしたちの車を見ると運転席側の後部座席のガラスが割られていた。イギリス食料品をはじめとする価値のないものがあまりにも多いのにうんざりして何も取らなかったのかと最初は思ったのだが、後になってノートブックパソコンが無くなっていることに気がついた。

たいていはノートブックを部屋の中に運び込むのだが、この夜は長いドライブの後、1時間以上もホテルを探し回ってやっと泊まるところが見つかった安堵感もあり、一夜の着替えを入れたバッグ1つを持ってチェックインした後、満足の行く食事を取ったら、すっかり落ち着いてしまった。スペインの近所の人に頼まれたデスクトップパソコンをはじめ、あまりにも多くのものを車に積んでいたのも、ノートブックだけ部屋に運び込むということに思いつかなかった原因の1つかもしれない。

うちの車のほかにも2~3台の車の窓ガラスが割られたらしく、そのうちの一人のフランス人男性と一緒に夫が警察に出向き、届けを出した。車に残された指紋を取ったりしたらしい。実はノートブックパソコンと一緒に、家の売買契約関係の書類を入れたケースも取られていたのだが、泥棒には価値がなかったと見えて捨てられていたそうだ。事件の連絡を受けた警察官がホテルの駐車場近辺を見て回ったときに発見して、これはそっくり戻ってきた。

思いがけず時間をくってしまったが、幸い昨夜のうちに大部分の道のりをこなし、この日は目的地まで300キロ弱を残すばかりだったので、時間的には十分余裕があった。が、つらかったのは車中の寒さ。外は零下2度の寒さである。窓ガラス一枚失っただけとはいえ、走行中は吐く息が白くなるほど車内は寒かった。車に座席ヒーターがついていたのはとてもありがたかった。せめて背中とおしりだけでも温かいのは助かる。これに掛け布団(今回はこんなものまで車に積んでいたのだが、何が幸いするかわからない)をひざに掛けて、寒さをしのいだ。

目的地のモンポンに着いたのは午後2時少し前。家の保険の手続きのため(フランスでは家の売買契約に最終的にサインするときに、契約日当日から家に保険がかかっているという証明書が必要らしい)銀行に行こうとすると、銀行前の駐車場で、不動産屋のフランス人青年・ファブリスに出会った。午後2時に銀行とアポを取ってあるのを知って、迎えに来てくれたということだ。盗難の話を聞くと、しきりにアイムソーリーを繰り返した。わたしたちのことを気の毒に思うというよりは、フランス人として、フランスで嫌な思いをさせてしまってごめんねということらしい。

家の契約は無事に運び、その後でホームセンターに寄って板とガムテープを買い、買ったばかりの家へ行った。ここで車の窓ガラスの応急処置をする。車庫に付属した作業場がとても役に立った(作業机は残っていたので)。これでなんとか残りの道中は寒さをしのぐことができる。

これまで、イギリスとスペインを車で何回も往復したが、盗難に遭ったのは初めて。ハプニングといえば、高速道路でタイヤがパンクしたこと(それもタイヤが裂けて走行不可能になったほど)のと、バルセロナで意図せずに高速道路を降りてしまって危うく迷いそうになったこと、たいへんな雷雨に遭ったことくらいだった。泥棒に遭ったのは、家でも外でもこれが初めてである。わたしはあまり物に愛着を感じない人間なので、ノートブック自体を無くしたことには落ち込んでいないが、スペインのブロードバンド通信用に設定のしてあったパソコンが無くなったのには困った。古いタイプのADSL回線なので、電話会社の人を家に呼んで、有料で設定してもらったのだ。月曜日から通常通り仕事はしないといけないし。が、幸い設定内容をノートに書きとめておいたので(そしてこのノートはパソコンと同じケースには入れておかず、スーパーの袋にほかのがらくたと一緒に入っていた)、デスクトップパソコンのほうに設定をしなおして、無事ブロードバンドが使えるようになった。ノートブックパソコンは、そのうちにまた新しいものを買うかもしれない。

そのほかのフランスの道中話はまた後で。

フランスの家(3)

2005-12-23 23:01:53 | 旅行
今日のイギリスは

最後に居間を。2つフランス窓がついているくらいで、この部屋はわりと大きめだが、2つの寝室が小さいのがちょっと不満。

写真中央にあるのは暖炉だが、フランスの地方で都市ガスが引かれているところは少ないようだ。ここも、燃料は薪。フランスは70パーセントが原子力発電であるため、電気代が安いという話である。湯沸しボイラーとセントラルヒーティングは電気のようだ。

この家は遺産相続売りのようで、一部の家具は残るようである。イギリスだと、売買契約書にそれぞれの部屋のランプのかさまで何が売り物件に含まれるのか、はっきりと売り手が指示しないといけないのだが、フランスはそうではないようだ。フランス人の趣味はちょっと重すぎる(濃い色の木材を使ったものが多いので、暗い)のだが、とりあえず座る場所があるのはありがたい。

この家は袋小路の奥にあり、道路から裏庭に回ると正面玄関があるという不思議な造り。現在2寝室だが、車庫部分を改造して、もう1部屋作りたいと思っている。トイレは風呂場とは別に独立してるのだが、不思議なことに(でもフランスではよくあることに)手を洗う場所がない。フランス人はトイレで用を足した後、手を洗わないのか?トイレの隣がバスルームなので、トイレから出た後すぐに隣で手を洗うことはできるのだが、トイレとバスルームのドアノブが不衛生になりそうな気がする。日本のトイレのように、水槽の上で手を洗えるトイレがあると、現在の狭いスペースでも、トイレの中の手を洗えることができていいのだが。

風呂場を改装するときには、意味の無いビデを取り除いて、もう1つトイレをつけたいというのがわたしの希望。なぜかわたしにはトイレに対する執着があって、人数分のトイレがどうしてもほしい。イギリスのビーン村の家には、住人2人に対してトイレが3つあり、これはわたしの理想の家であった。トイレが2つ必要になることはめったにないだろうが、万が一2人同時に食中毒になったときに便利でしょう?

というわけで、この家は居間・台所・小さなダイニングルーム・トイレ・風呂場・2寝室・小さなユティリティールームと車庫からなる。それに別棟として車2台分の車庫。フランスの不動産は、この付属の建物が特徴だ。多くの家に車庫や物置、時に巨大な納屋とかが付いて来るので、グリコのおまけのようにうれしい。中には、同じ敷地内にある2つの家が1つ分の値段で買えるなんていうお買い得品まである。フランス人はあまり家の手入れをしないで放っておくから、荒れ果てた安い物件をイギリス人の本職の大工や日曜大工の好きな人が買って自分の好みに大改造するというのも、よくある話である。


フランスの家(2)

2005-12-22 23:28:21 | 旅行
今日のイギリスはのち

ファッションでは定評の高いフランスであるが、はっきり言って、インテリアの趣味はかなり悪いと思う。同情的に言えば、たぶん最近はそれほど悪くないのだろうけど、フランス人は家にはあまり関心がないので、熱心に家の改装をする人がいないのだろう。内装が60年代、70年代のままという家が多い。

確かフランスの持ち家率は30パーセント台だったと思う。したがって賃借人は「自分のものでもない家に金を使っても仕方がない」、大家のほうは「なるべくコストをかけず、賃貸の利益率を上げたい」ということで、面倒を見られずにぼろぼろのままの家がフランスには多い。そこへ行くと、「イギリス人男性の家は城」という言い回しがあるように、イギリスでは、賃貸住宅であっても自分の好みに部屋を改装したり、実によく手をかける人が多い。フランス人男性は家に金をかけない分、おしゃれに金をかけるのだそうだ(それにたぶん4コース料理の外食にも)。

写真はバスルーム。風呂と洗面台とビデがあるのだが、紫で統一されている。写真は光の加減でピンクっぽく写っているが、実際にはかなりきつい紫。それも、床から天井まで紫のタイル貼りである。風呂桶に見られるように、縁に行くにしたがって紫が濃くなるというグラデーション付。改装は台所が優先だが、いつまで紫に耐えられるか。

フランスでは、ドアにまで壁紙を貼っている家が多い。これはイギリスでは絶対にないことで、イギリス人の話のタネになっている。イギリスでは、ドアはペンキを塗るか、木のそのままの柄を残してニスを塗るだけことが多い。フランス人がドアに壁紙を張るというのは、日本人のふすまに感覚的に近いのかもしれない。この家も例外ではなくて、それぞれの部屋のドアの廊下に面した側には廊下と同じ壁紙が貼られている(これは地味な柄なので、耐えられそう)。台所のドアは、台所の一部と同じ、果物の盛られたフルーツ皿の柄の壁紙だ。

それから、フランスの家には作りつけの収納スペースの全くないものが多く、この家もその1つ。洋服ダンスを買わないといけない。スペインの家は別荘としての用途を意識して建てられているので、小さいながらも作り付けの洋服ダンスがそれぞれの部屋にあって重宝している。この家は家具にお金がかかりそうだ。