のらねこ一家の旅日記

遠くの旅から近くの散歩で気になった、ちっちゃな事件から大きな事

越前の要「福井城」、(昔の画像)。

2017年09月12日 | 
福井駅前に位置する福井城跡、現在 その堀の内には福井県庁を含むお役所達が建ち並んでいます(立ち入りにくい雰囲気?)。
その昔も、ここで政務を行っていたので今も変わらず現役の城と言えないことも無いでしょうかね?(藩主 ⇒ 県知事へですね♪)。

   
初代藩主は、勝家の北ノ庄城跡を受け継いだ「結城秀康」、ご存知だと思いますが徳川家康の次男になります(秀忠は三男です)。
もしかしたら徳川幕府の征夷大将軍になれたかもしれない人物です(でも武闘派?だったらしいので秀忠で正解だったのかもね?)。

   
その後、2代藩主「忠直」は藩内の乱れの為に強制的に隠居させられ豊後で幽閉↓(真田幸村を打ち取った軍勢の長なのに・残念)。
しかし、福井藩は取り潰されることなく「忠昌」へと受け継がれ幕末を迎えました(幕末には名君「松平春嶽公」が誕生し再び脚光浴びる♪)。
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備中有漢常山城跡、(昔の画像)。

2017年08月21日 | 
整備された公園内に位置する有漢常山城址、今回もなぜか強い雨が降り続いています↓(今回もわけいることは断念)。
やむなく、公園内に造られた模擬天守から周囲を見回すオヤジ、(付近には人影もなく寂しいかぎり・・雨だしね・・当然)。

   
岡山県南部には同じ城名の城跡がありますが、そちらは心霊スポットで有名↓・知ると近づきたくないよね・(くわばら、くわばら)。
もちろんこの地でも多くの血が流れているので同じでしょうがね?、(今まで何も知らずに訪れた城跡は数知れず?・後で知って!)。


さてと時間もあるので、おトイレと水分補給をすませてから「石の風車」見学です♪・今回は回ってませんね(ちょっと残念)。
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備前茶臼山城址、(昔の画像)。

2017年05月25日 | 
備前の国、吉井川と吉野川の合流地点を見下ろす小高い山頂に築かれた山城「茶臼山城」・今回も霧の中↓。
わずか2回の訪問だけれど、前回同様天候不順↓模擬天守も霧の中・おまけに下界が全く見えません(無念)。

   
この地は戦国時代、宇喜多氏、毛利氏など多くの戦いが行われたそうです、(宇喜多直家は謀略家?)。
その後、毛利氏の支配をへて江戸時代には備前岡山藩の家老が陣屋を構え治めたそうです(昔の話)。

   
城跡には、その歴代の家老たちの墓所がならび霧の中に浮かび上がる様にオヤジはビビり気味?(チキン)。
次回、訪れる際はぜひとも晴れてほしいものですね!(下界を見下ろしたいよね♪)・予算上再訪無理ですか。
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兵どもが夢のあと?「一乗谷朝倉氏遺跡」、(昔の画像)。

2017年04月14日 | 
一乗谷朝倉氏遺跡、朝倉氏が治めたこの地は一時期、華やかな京文化が栄えた都市だったそうな(今では草木が生い茂る・・)。
まさに昔、学校で習った「兵どもが夢のあと」を彷彿させる地、何となく立っているだけで郷愁を感じるのは何故だろう?(不思議)。

   
その遺跡も、発掘調査が行われ一部区画では当時の街並みが再現されている♪(好い感じなのに訪れる人は少ない↓)。
その後、金沢まで新幹線も開通し今は観光客でにぎわっていることでしょうね・(近くには永平寺も鎮座している好い街)。

   
しかし、オヤジが訪問する日はなぜか天候不順が多く活発な活動ができませんでしたね↓(必ず傘か雨ガッパ使用・残念↓)。
最後に訪問した際は、意を決し一乗谷の城山を目指しましたが いくつもの「熊出没注意!」の看板に怖気づき・あえなく撤収↓。

   
またいつの日か、北陸の京と言われた この街を訪れたいですね♪(それまでに、軍資金の貯蓄にいそしまないといけません)きびしぃ~。
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讃岐の海城 「高松城」、(昔の画像)。

2017年03月15日 | 
四国高松に築かれた「高松城」、初代藩主は羽柴秀吉に仕えた「生駒親正」♪(数々の戦を経験した武将ですよね)。
その後、子孫の不祥事により生駒家は転封流罪↓、そのあとに入封したのが黄門様の兄上「松平頼重公」(波乱の人生)。

   
そんな高松城に縁があるのか たびたび訪れているオヤジ♪、四国旅の起点となる駅ですからね・(乗り換えに時間があるとついつい♪)。
そんな感じの城跡は、東北旅の起点駅としていた山形駅近くの「山形城」でしょうかね♪(あとは思い浮かびません?)駅に近いのが条件?。

   
さて話がそれ気味になってきましたね、オヤジが最初に訪れた当時は 城跡から瀬戸内海へと出航する宇高連絡船の姿がありました。
その後 駅や街並みの雰囲気も変わり宇高連絡船も無くなりました↓、その代わり城跡はずいぶんと整備されました(天守建設の噂も?)。

   
当時、神社風の建築物が鎮座していた天守台から瀬戸内を行き交う船舶を見つめながら悦に入っているオヤジ(好かね♪)。
掲載の画像は昨年のものですが 今度、実家へと帰郷した際は 当時の写真を眺めながら再度{悦に入ろう♪}と思います。
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蜂須賀小六の城郭「徳島城」、(昔の画像)。

2017年02月11日 | 
蜂須賀小六は秀吉の側を離れなかった為、正確に言うと徳島城は息子「家政」が藩祖となるのかな(阿波25万石)。
秀吉に近くに仕えた大大名の中で、幕末まで国替えや廃絶が無かったのは「加賀前田家」と「阿波蜂須賀家」くらい?。
そんな城郭画像も7年前に起こったパソコントラブルで掲載の1枚だけ↓・(あの時は画像の9割を失い、放心状態でしたね)。
さてと、そんな辛い過去を忘れるためにも、本日は何処へ出かけるか思案中のオヤジです♪(でも外は異常に寒かばい↓)。
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日本の古代城郭「鬼ノ城」、(昔の画像)。

2017年01月31日 | 
むかし城巡りをしていたオヤジでしたが、古代城郭には興味がなく訪れることはありませんでした。
しかし「日本百名城」にふれ、数か所の古代城郭を訪れました♪・(その一つが「鬼ノ城」です)。

   
吉備路から見上げる山頂にそびえる山城「神籠石式山城」と言うそうで七世紀の築城らしい?。
まさに古代の山城、まだまだ大陸の影響を大きく残した縄張り?と言えるでしょうね(好かね♪)。

   
さてオヤジも山のふもとから城攻略に登ってきたと言いたいところですが、今回も{文明の力}借用♪。
年齢的に徒歩での山城攻略は厳しくなりました(無念↓)・これからも城巡りはレンタカーでしょうね。

   
さてと山頂からの景色を存分に楽しんだところで、さっそく城郭にそって散策を開始することにしましょう♪。
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義久公縁の城郭「国分城」、(昔の写真)。

2017年01月29日 | 
最近、寒さが身に染みて朝起きられません↓(歳はとりたくないね~↓)・そんな訳で「お城ネタ」で中継ぎ工作♪。
掲載の城郭を訪れたのは、20数年前(寒い季節だったかな?)、九州お城巡りでの話し♪(九州はよく出かけました)。

   
この城郭を訪れ初めて知った「島津義久公」、SNSも普及していない時代で「この人だれ?」てな感じでしたね(知識不足↓)。
後に調べると優秀で個性的な三人の弟を手駒の様に操ったもの凄い人物!(まさに薩摩があるのはこの人のおかげかな)。
幼少期は、弟達と比べ凡庸と見られ当主になれない可能性もあったそうだが、その才能を祖父貴久が見抜いたらしい?。


一般的に薩摩当主と言えば「島津義弘」や「島津斉彬」が有名ですが、ほかにも優秀な当主がいたことをお忘れなく(お前もじゃ!)。
さて、当時まだ若かったオヤジは、城郭の背後にそびえる詰城への散策♪(山頂は公園だった様な?)・とりあえず桜島の撮影(パシャ♪)。
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ぷらりと「お城EXPO2016」見学♪。

2016年12月24日 | 
昨日、ぷらりと「お城EXPO2016」を見学してきました♪(とか言いながら、ほぼ計画的です!)。
初めて参加の{お城イベント♪}・中身はほぼ観光イベントでしたね(コアなファンは少ない?)。
本格的な城めぐりを中断して約20年、お城達の画像を懐かしく見つめるオヤジ(変かな?)。
専門誌を長時間立ち読み♪、気が付くとマニア心がくすぶっていました♪(慌てて鎮火!)。
お金もかかるしね、お小遣い生活中のオヤジには無理です↓(貯えも香川旅で・ぱぁ~↓)。
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一代の英雄・長野業正の城「箕輪城」、(昔の画像)。

2016年11月07日 | 
榛名山山麓に築かれた城郭「箕輪城」、戦国時代にこの地を支配した長野氏によって築城されました(案内板より)。
当時、関東管領を凌ぐ勢力を持ち とくに「業正」は上杉氏の力を借りながら武田・北条の猛攻を何度も防いだそうです。
しかし、その英雄が没すると箕輪衆の結束に乱れが生じ、あえなく武田の猛攻に陥落し、上州長野氏は滅亡しました。
さて、その数百年後オヤジが登城したときには「兵者どもが夢のあと」草木の生い茂る平山に戻りつつありましたね。
この地には、戦国期にもう一人の誰もが知る「上泉信綱」が存在♪、もちろん「新陰流」の創始者とされる人物です♪。
その教えを受けた人物には柳生宗厳・疋田景兼・丸目蔵人・宝蔵院胤栄などそうそうたるメンバー♪(みんな有名人!)。
話は変な方向へとそれてしまいましたが、長野業正が大河ドラマの主人公となる日が来るのでしょうか?(期待しましょう♪)。
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