横浜の中小企業診断士 中原央です。
昨日はお昼ごろに少しだけ、晴れ間が広がりましたが、ほぼ曇っていましたね。
今日は朝から冷たい雨が降り続き、気温も2月中旬ごろにまで下がるようです。
今日はがん治療の治療方針の検討と入院までの話をお伝えします。
前回お伝えしたように、告知については前もって覚悟が出来ていたというか、わかっていましたから、ショックはまったくありませんでした。
告知を受けたその日、午後は客先へ出向く約束をしていました。
時間に余裕を持っていたつもりでしたが、意外に主治医との面談に時間がかかり、食事も摂らないままの訪問となりました。
病院を出てからの電車の中、客先への改善提案の内容を再確認。提供する資料の読み込みをするなどしていたため、客先を出るまで癌のことなどすっかり忘れていました。
夕方になって女房からメールが入り、ようやく思いだしたという状態です。
別の検査専門のクリニックで3日後のPET-CT検査を予約。半日がかりの検査を受診して、3日ほどで病院にフィードバックされるとのことで、次の診察日にはその内容がわかります。
さて検査の結果は、リンパ節転移なし、遠隔転移の疑いなし。22ミリ×19ミリのステージⅡ。T2N0M0という判定でした。
主治医の診察では、この1週間の抗がん剤内服でも、患部の硬結が少しやわらかくなっている、抗がん剤への適応が認められるという診断でした。

処方された抗がん剤(右は制吐剤)
この結果を受けて、治療方針の話し合いに入りました。
まず一般的な治療法として患部の切除術を受けるというのがあります。いわゆる手術で癌をとるという方法です。
切除の範囲は安全策を取って患部の周囲を広く切除する。具体的には周囲をさらに1センチほど広く切り取るということでした。切り開いた結果でもう少し広くすることはありうる、したがって舌先までの切除になる可能性もある、状況によって再建術を行うというものです。
(えーっ! そんなことしたらしゃべれなくなるじゃんか!)
「中原さん。うちの病院では抗がん剤と放射線の照射で、切らずに治す治療法を採用しています。今の大きさなら、この治療法で完全に消失させられると思います」
「この治療法のメリットは切らないことと切除によるデメリットがないこと、デメリットは治療が非常につらいこと、退院までに時間がかかることなどです。切除の手術とどちらを選択しますか?」
切除術に加え再建術儲け、その後のリハビリを懸命に行って、教職の現場に復帰している人もいるという説明もありました。
最近(時期は失念しましたが)、朝日新聞のがん医療の欄でも、漫談家のケーシー高峰さんの治療やリハビリの経過も紹介されていました。
私は「コンサルとして人に伝えることがメインの仕事をしています。大学での講師、講演会、セミナーや中小企業大学校でのインストラクターなど、とにかく話をすることが必要な仕事をしています。時間がかかっても切らずに済む治療を選択したい」
その思いを強く持っていました。
「この治療法は治癒率92%程度です。データ上では完全ではありません。もっとも、この治療法を導入した初期の、成績が悪かった時代の結果も含めてのことなので、90%台でも後半の治癒率とお伝えしておきます」
「それとがん治療はいったん始まったら、どんなにつらくても最後まで続けていきます。ほかに重篤な症状が出る、命を脅かすようなことなどよほどのことがない限り、治っていないのに途中でやめることはしません。またほかの治療法に切り替えるということもしません。始まったら変更は出来ません」
切らずに治せるならそれに越したことはない。しかしそれならば覚悟を決めろと言うことです。
私がセカンドも取らずに横浜市大でのがん治療を決めたのは3つの理由からです。
ひとつには検査から結果を導き出すまでが早かったこと、二つ目は皮膚科で継続した治療を受けていたことがあげられます。
しかしそんなことでしたら詳しい紹介状を作ってもらえば済んでしまうことだと思います。
決定的な理由は、耳学問でがん治療自体、つらい思いをするだろうなということを理解していました。まずそのことを伝えました。
その上で「スタッフにいろいろ言うかもしれませんよ? もしかしたら当たることもあるかもしれない。自分でも予想されることですが、いいですか?」と尋ねました。
彼いわく「それを受け止めるのも医療スタッフとしての役割です」、こう胸を張って答えてくれたのです。この言葉が決め手でした。
「つらくっても頑張る!」そのように気持ちを固めたことで、治療方針は決まりました。内服の抗がん剤も入院日までは継続することになりました。
さて初診は2006年10月6日、生検の結果を受けて宣告されたのが翌週の13日、この日に入院を決定しました。
主治医には「なるべく早く、準備が出来るのなら明日にでも。しかし都合もあるでしょうから23日ということでいかがですか?」といわれたのですが、どうしても仕事の後始末で23日までははずせない。
「じゃあ○日ということでいいですか?」と聞かれたのですが、
「その翌日は女房の誕生日。せめて○日にしてもらえませんか」
「それはとても大事な、はずせないイベントですね。まずいですね。少し日にちをずらしましょう。じゃあ26日としましょう」
こんなやり取りで入院日が決定しました。
治療の上で1週間程度のタイムラグは問題がないようです。主治医によれば4週間から6週間も空けられると、今の時点で転移していないとしても、その間に転移することもありうるから、今の状態が保持できるという保証はできないといわれました。
おかげで女房の誕生日を家族で祝い、仕事もあらかた片付け、予定が変更できないケースでは先輩コンサルに事情を説明して、仕事を引き受けてもらいました。
PET-CTの結果を受けて、改めて具体的な治療内容、入院時の注意点などの説明が19日。この日は女房も同席していました。
結局、入院まではそれまでどおり、仕事も含め普通に生活を送っていました。もちろんビールも飲んでいましたよ。
さて私の母親は、10月9日に入院、翌10日に整復手術。本人の強い意志(強烈なわがまま)によって、なんと手術から二日後の12日に退院してしまうという、離れ業をやってくれました。
戻ってきたはいいものの、生活がままなりません。年寄りなんだからもう少し病院にいたらという、身内全員の進め、医師や看護スタッフの説明も聞き入れませんでした。
まあ自分で決めたのだから、弱音をはかないという条件で、しばらくは近くにいるおばが日常生活や通院の付き添いをしてくれることとなり、やっと一安心。
「今後しばらくは忙しくて時間が取れないから」とうまく言いくるめて、入院の準備を始めました。
入院当日、同じ病棟に私を含めて複数の人が入院となりました。集団でエレベータを使い、病棟に上がろうとしたのですが、入院患者の中で男女一人ずつ、整髪料が非常に臭い人、香水が非常に臭い人がいて、一緒に乗ることができませんでした。
狭いエレベーターの利用や共同の空間である病室での生活が始まるわけですが、あまりにも非常識だという印象を持ちました。
しかし、何はともあれ、入院による舌癌治療がこれでスタートしました。
記事一覧
舌癌の治療0・きっかけ
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/c5e17fbe1ee786fc0fadcfbbf22d0d0e
舌癌の治療1・異変から告知まで
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/efd242b5df4ea30e53fc6066633a0601
舌癌の治療2・治療方針の検討から入院まで
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/55432e45744fddeceaead290657d0c88
舌癌の治療3・どんな治療法か、入院からカテーテル設置まで
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/a42105dec7d382db15e59588b4af03a5
舌癌の治療4・抗がん剤、放射線治療の開始
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/0291a1d0a2194c9c5811d5c0fb7cf6f5
舌癌の治療5・抗がん剤、放射線の副作用
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/5db8bf27138ee0c482b83bc1c048bd2e
舌癌の治療6・モルヒネとがん性疼痛
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/6d61ad384fd8ce44fc1dddbfa2a40c0e
舌癌の治療7・栄養の補給
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/a3114839075c8dcb88c6c50d1e3b6a22
舌癌の治療8・治療を終えての感想
http://blog.goo.ne.jp/miketama581024/e/b1ac42ba895c04e301024820388a7719