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テツ、ミルキー、虎徹、そしてランとともに

アントワープへ  その1

2012年05月29日 | 

             《アントワープ駅》



5月28日 祝日、本日も快晴


ふと思い立って、アントワープへ行くことに。



行きはオランダ行きの国際列車に乗りました。

(最近2人旅なので、1等を奮発)

コンパートメント(6人用)もありました。




座席ゆったり。
(足が前の座席に届かなかったよ)





アントワープ駅です。




なんだか、面白いものがありました。




この駅はいつきても、感動・・・








駅前







中心街へ向かいましょ~
祝日で、お店はお休みなので、人通りも少ないね。






おなじみ、ブラボー広場





カフェで休憩




私はアントワープの地ビールを。


De Koninck









いつまでいても、飽きないね。







大聖堂といったらフランダースの犬








・・・その2に続く。








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アントワープへ  その2

2012年05月29日 | 


なぜ、「手」なのかというと、

アントワープの名前の由来をウィキペディアより引用。


『言い伝えによれば、街の名称はスヘルデ川沿いに住む神話上の巨人アンティゴヌスと英雄ブラボーの伝説に由来しており、市庁舎前の「ブラボーの噴水」に、この伝説にちなんだ像が建てられている。アンティゴヌスはスヘルデ川を渡ろうとする者に通行料を要求し、それに応じなかった者の片手を切り落として河へ放り捨てたとされる。しかし、若き英雄ブラボーがついにアンティゴヌスを退治し、その手を切り落として河へ投げた。このことが、「Antwerpen」(オランダ語で「手を投げる」の意、古英語では「hand」「wearpan (= to throw)」)という名称の由来となった。[2]この言い伝えと結びついた説が支持された理由としては、語源学的にも手を切断することは実際に当時のヨーロッパで行われており、中世には死者の右手が切断され、「死手譲渡」の証拠として封建領主に送られることもあったという背景があったからである。

しかし、19世紀の歴史家・外交官ジョン・ロスロップ・モトリーは、アントウェルペンという名称を「an 't werf (on the wharf、wharfは波止場)」、または「Aan 't werp(at the warp)」に由来するという議論を展開した。ここでの「warp」とは、高潮でも農地が水浸しにならないだけの土手を築いたことを指しており、農民たちは堤防の先に農地を広げていった。「werp」という語には「pol(ポルダー、干拓地)」という意味もある。

現在最も有力な説は、ガロ・ローマ文化期のラテン語「antverpia」であり、アントウェルペンはかつてのスヘルデ川の湾曲にそって形成されたとする。この語は「Ante」(before)と「Verpia (砂などの粒子が水などによって堆積、沈殿したもの)」に由来しており、スヘルデ川の湾曲に伴う堆積作用によって土地が形成されていったことを示している。ただし、スヘルデ川は7世紀から8世紀半ば頃に流れが変わっており、かつての流域は、街の南部にある現在の環状道路とほぼ一致していると考えられる。』





さて、本日のランチは


昨日のお好み焼きを食べてきたから、あんまりお腹もすいていなかったので、





このカフェで、ちょこっとおつまみを。





私のビールはチェリービール(ブーン・クリーク BOON KRIEK)






ルーベンスの家





今日も暑いからネ~





さて、帰りましょ~





駅が見えます。









なんかレトロチックなトラムね。



駅前





駅中








そして、




ダイヤモンドのお店が並んでます。


で、お土産は





ネロとパトラッシュのビールでした!
(ダイヤモンドではなかった・・・(^_^;))


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