時事解説「ディストピア」

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ネトウヨは論外という風潮に対して(右翼のネトウヨ批判について)

2015-06-18 00:48:59 | 浅学なる道(コラム)
最近、安田浩一らが書いている反ヘイト本について、

①ヘイト・スピーチに反対するだけなら極右ですらしている
②主流右翼および出版社の責任について言及していない
③主流左翼も含むメディアの北朝鮮バッシングが差別を助長したことを度外視している

と、一見良さそうに見えて、その実、問題点があると指摘した。


一言で言えば、これは爆弾売りが自爆テロを非難するようなもの
空爆を是認する人間が自爆テロを非難するようなもので、
爆弾を売っているお前の行動はどうなんだよ
自爆はダメでも空から落とすのは良いのかよという話に繋がってくる。


特に極右の櫻井よし子のヘイト・スピーチ批判は、
ところどころ他国へ対する蔑視に満ちた表現をしており、在特会と差が無い。
有田芳生や辛淑玉の北朝鮮バッシングも同様のものである。


つまり、現在、ヘイト・スピーチの反対者を名乗り自分を宣伝している連中は、
その実、自分が彼らと大差ない人間であること、より詳しく言えば、
自分たちが彼らを焚きつけた張本人であることを巧妙に隠蔽している。

「向こうはヘイト・スピーチだが、オレは違う」と責任逃れをしているに過ぎない。




これと同じ現象がネット右翼(ネトウヨ)への批判に関しても言える。


例えば、近年、小林よしのり山野車輪がネトウヨ批判をしているのだが、
冷静に考えて、慰安婦は偽者だー、日本は正しかったんだーという意見を
ネトウヨが誕生する以前から主張し続けてきたのは、この2人ではなかったか?


私は『戦争論』も『嫌韓流』も読んだことがあるが、
そこで描かれる内容は、はっきり言って今のネトウヨが主張しているものと同じである。



まぁ、それは当然のことだ。ネトウヨの情報は元を辿れば、
小林や山野、櫻井などの極右が書いた本に行き着くのである。



実際、私の同級生や先輩の中にも、小林や山野の本を読み、
よく『勉強』し、誇りある日本人(笑)に目覚めた人間が結構いるが、


彼らの特徴は、非常に攻撃的、権力志向等々の
ネトウヨの特徴としてとりあえず頭に浮かぶ要素を余すところなく取り揃えていた。
恐らく、彼らも2ちゃんねるなどで差別的な発言を嬉々として行っていたと思う。



何が言いたいかというと、右翼のネトウヨ批判というのは、
強盗がテロリストを非難するようなものだということだ。



オレは、こいつらとは違う!=オレは犯罪者じゃない!
と必死にアピールしているが、どんぐりの背比べである。




櫻井たちがネトウヨやヘイト団体を非難するのも、
自分たちは「保守」だから正義、連中は「ネトウヨ」だから悪というものだ。



実際、彼らの意見を読むと、例えば、小林は「ネトウヨのデモは左翼のデモと同質」、
山野は保守が「劣化」していると言う風に「保守」自体は正常だという立場を取っている。


決して彼らが改心したわけではない。




ネットでも、オレはネトウヨじゃない!と
アピールをしながら思いっきり右翼的発言をしている人間をよく見かける。


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わたしの頭の片隅で突然理解されてしまったのは、
「慰安婦」の問題が、どういうわけでアメリカで
‘ウケル’のかということへの一つの回答だった。


戦前、戦中の日本で、朝鮮人に対する差別がひどかったことはとっくに知られている。
関東大震災のときは、朝鮮人の暴動があるというデマがもとで、
多くの朝鮮人が殺されている。ところが、そういう事実は、大して‘ウケない’。



慰安婦問題については、謝罪のしかたが官僚的だったにせよ、謝罪もしているのだし、
しかも、70年も前のことで、多くの日本人はそれについて何も知らなかったのが現状だし、
その後、世界の各地でくり返された残虐行為、また、今も進行中の人権侵害を差し置いて、
どうしても,それに抗議しなければならないという彼らのパッションの源は、
つまり、この問題が、18世紀ロマン主義の王道にぴったりとはまっているからなのだった。


慰安婦のイメージは、彼らの中では、マグダラのマリアであり、聖アガタであり、
「レミゼラブル」で「夢やぶれて」を歌うアン・ハサウェイなのだ。


そこで、日本人に割り振られている役どころを考えると気絶しそうだ。


「慰安婦」を上書きするこの圧倒的なイメージを前では、
慰安婦の史実など、もし眼前に突きつけられても幻のようなものである。



つまり、この問題を非難することは、非難する彼ら自身にとっての‘慰安’なのだ。
安心して人を非難できる、これほどの快楽がまたとあろうか。


いま、わたしたち日本人は、ユダヤ人という標的を奪われて以来、
キリスト教徒がようやくありついた、安心して差別できるおいしい餌なのである。


慰安婦の存在自体は誰も争っていない(ネトウヨは論外)。

問題にしているのは、それをめぐるプロパガンダなのだが、
プロパガンダに抗議することは,協力することと同義なので、
もはや、この問題に対処する術もない。


七十年前のそのころ、日本人が朝鮮人に対して行った差別行為の数々は、
許されるものではない。しかし、当事者でもないわたしたちの世代が、
それをプロパガンダに利用することは、それと同じ質の差別行為なのである。

http://d.hatena.ne.jp/knockeye/20130818
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上の文章では、慰安婦制度に関する日本政府の法的責任を求める運動を
差別行為と称して直視しようとしない一方で、「ネトウヨは論外」と述べている。


だが、彼の意見(70年前の事件を掘り返すな!今の日本人に関係無い!)は
ネトウヨがしょっちゅう述べているものである。


大体、アメリカの運動団体は日本人一人ひとりに贖罪を求めているわけではない。
単に、日本政府を対象にしかるべき賠償を求めているだけだ。


この筆者の理屈だと、原爆投下について、
未だに後遺症に苦しむ被爆者が生きていたとしても、
70年も前に起きた昔の事件として処理しなくてはならないし、
このジェノサイドについてアメリカ政府を批判するだけで、
アメリカ人に対する差別行為をしていることになってしまう。


原爆ドームは反米プロパガンダ施設ということになってしまうだろう。

そんな馬鹿な話があるかという話だが、
これを大真面目に語るのが、自称「僕、ネトウヨではありません」マンだ。


これはオレはテロリストじゃないと言いながら、
駅を爆破しているようなもので、傍から見れば非常にアホくさい




どうも彼らの言い分を聞くと、「自分はネットで差別発言を書き込んでいないから」
等々の細かな違いを挙げてネトウヨではないことにしたいらしい。


しかし、これは学校を爆破した人間が
市庁舎を爆破しなかったことを理由に
自分はテロリストじゃないと言い張っているようなものだ。




要するに、右翼のネトウヨ批判というのは、
ネトウヨを批判する⇒自分はネトウヨではない⇒自分は正しい
⇒だから自分の意見を否定することこそ差別行為なのだ!

という非常に屈折した自己の差別行為正当化を行っているのである。


この種の言い逃れをしながら、遠くから爆弾をポイポイ投げる行為は、
ある意味、いわゆるネトウヨ集団よりも性質が悪い。


小林や櫻井、そしてネットのこの手の手合いには
ネット右翼は悪だが、ネットじゃない右翼は正しいという見解を共通して持っている。



だが、それは詭弁だ。
ネットであろうとなかろうと右翼は右翼なのである。