6月6日、ロシア領ヘルソンに位置するカホフカ水力発電所が
攻撃を受け、一部が破壊された。
これを受けて、メディアは絶好の機会とばかりに
「ロシアの蛮行」を喧伝している。
以下に朝日新聞の社説を抜粋しよう。
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国際条約は、ダム、堤防や原発など
「危険な力を内蔵する工作物」への攻撃を固く禁じる。
ウクライナとロシアは、互いに
相手が意図的にダムを破壊したとして非難の応酬に終始している。
だが一義的に真相解明の責任があるのは、
昨年来ダムを不法に占拠し続けているロシアだろう。
根拠を示さずに
ウクライナを非難する姿勢は説得力を欠く。
国際的な調査団の受け入れなどを検討するべきだ。
今回の決壊は、ウクライナ側が
占領された領土の奪還作戦に着手したのではないか
と見られるタイミングで起きた。
何者かが意図的に洪水を起こして
軍の行動を妨害しようとした可能性も現時点では否定できない。
ロシアによるウクライナ侵略では、
非戦闘員の虐殺、病院や避難所への攻撃、
住宅地への焼夷(しょうい)弾攻撃、捕虜の虐待や拷問など、
恥ずべき戦争犯罪が繰り返されてきた。
占領地からの子供たちの連れ去りでは、
国際刑事裁判所がプーチン大統領に逮捕状を出した。
ロシアはただちに違法な侵略をやめ、
戦争犯罪の処罰に応じるべきだ。
理不尽な非人道的行為に苦しむ
ウクライナの怒りは十分に理解できる。
とはいえ、国際規範を守る責任が
ウクライナ側にもあるのはいうまでもない。
すでに指摘されている対人地雷使用などの問題にも
真摯(しんし)に向き合うべきだ。
何より憂慮されるのが、攻防が激しくなり、
規範順守への歯止めが利かなくなることだ。
違法な侵略を食い止め、撃退を目指すウクライナを、
国際社会が支えるのは当然だ。
一方で熾烈(しれつ)な破壊と殺戮(さつりく)を
終わらせるための外交的な働きかけを、
関係国は一層強める必要がある。
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本文の8割以上はロシアへの非難に割かれている一方で、
ウクライナの対人地雷使用については
理不尽な非人道的行為に苦しむ
ウクライナの怒りは十分に理解できる。
とコメントした上で、一言の箴言で済ませている。
カナダ人ジャーナリスト、
エヴァ・バートレットは2022年8月の時点で
ウクライナ軍による対人地雷攻撃について言及している。
14 Year Old Is One of 87 Donbass Civilians Maimed By Petal Mines Fired By Ukraine
地雷をばら撒き、市民を負傷させる行為は
理不尽極まり「ある」のだろうか?
恥ずべき戦争犯罪ではないのか?
朝日の社説は、
あたかもウクライナが暴走をしていないかのような
書き方をしているが、それは事実に大きく反するし、
https://youtu.be/JlaDoo5tT9E
↑
イギリスの「フォーブス」のように
同犯罪をロシア軍の仕業として報道した動きに
対しても、厳しく追及する義務があるだろう。
こうした非対称の歴史叙述は全般的なものである。
例えば、朝日の言い分によれば
ロシア軍は捕虜の虐待という恥ずべき戦争犯罪を
繰り返していたそうだが、他方で朝日は国連も認めた
ウクライナ軍によるロシア人捕虜虐待には一切、語らない。
この件について、イランメディア、
ParsTodayの記事を引用し、朝日のそれと比較してみよう。
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ウクライナにおける国連人権監視団が、
同国による裁判なしの戦争捕虜の処刑について明らかにしました。
ロシア・タス通信によりますと、
ウクライナの国連人権監視団のボグナ団長は15日火曜、
スイス・ジュネーブでビデオ形式の記者会見にて、
「ウクライナ軍が
同国の戦争に参戦しなかった人々を
裁判にかけずに処刑したことを示す
正確な情報を入手している」
と語りました。
また、ウクライナ政府軍が
この戦争の捕虜たちに虐待し、拷問を加えていることに
関する情報も入手しているとしました。
ウクライナ戦争開始から9ヶ月が経過しているものの、
この期間中、アメリカをはじめとする西側諸国や
ヨーロッパ諸国は、戦争終結に向けた措置をとることなく、
逆にロシアに対する圧力を強化し、ウクライナ側に
各種の兵器を送付することで、
これまで以上に戦争や衝突の炎を煽っています。
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比較を通して指摘できるのは、2022年11月の時点で
戦争協力に応じなかった国民を裁判なしに
処刑していることが第三者によって報告されたのだが
このニュースを朝日を始め、大勢の記者は忘却している
ということである。
加えて、米英独仏加を中心とする
西ヨーロッパ陣営が戦争を煽っている認識を
ParsTodayが持つのに対して、朝日には自分達が戦争を
導いているという認識が全くもって欠けている。
こうしたスタンスは西洋の主流メディアにも
ある程度、通じるものがある。
上のガーディアンの記事はロシア・ベルゴロド州にて取材した
アンドリュー・ロスによって去年9月に執筆されたものだが、
ロシア軍に対しては地元住民に暴力行為を働いた
証拠があると語り、その言及によって
ハリコフ周辺地域においてロシア当局が行った
年金支給や雇用創設を否定的に評価するよう努めているが、
他方で、ウクライナ政府が対露協力を犯罪化し、
協力者狩りを行っている件に言及しながらも、
これは一切、非難されない。
「占領下のウクライナに恐怖という文化を強いる一方で
公には施しを申し出ることによって領土を統合しようとした」
とロスは説明するが、先の国連機関の報告を踏まえて考えれば
政府に非協力的な者、ロシアに協力した人間が
いかなる扱いを受けるかは想像出来るものだし、
それゆえに故郷を離れ、ロシアに逃亡したことを
当の避難民がロスに説明しているのだが、彼は気づかない。
Full text of the Minsk agreement
https://www.ft.com/content/21b8f98e-b2a5-11e4-b234-00144feab7de
また、年金支給が結果的に「施し」になったのは
ウクライナ当局が「占領」された地域に暮らす住民に対して
年金支給、銀行預金を始めとした経済的アクセスを遮断するから
なのだが、この件についてもロスは失念している。
彼の記事には歴史がない。
こうした一方の悪に対しては真偽不明であろうと
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせるのに対して、
他方の悪には、その行為を知りながらも軽く嗜める程度で
済ませてしまうのはひとえに本人の世界観が関係している。
すなわち、ロシア、中国、イランといった
西洋型の政治経済システムを採用しようとしない、
当人たちいわく、非民主主義的な悪の枢軸国が
我らを脅かしているという非歴史的な世界観である。
それはエドワード・サイードの言葉を借りれば
オリエンタリズムと呼ばれるイデオロギーであろう。
すべての歴史は、この世界観に抵触してはならない。
ウクライナ当局によって運河が止められ、
クリミア半島にむけての水の供給が止まったとしても
非難の矛先は実行者であるウクライナ政府ではなく、
クリミアを「支配した」ロシア政府に向けられる。
理屈で言えば、ウクライナ政府にとって
クリミア半島住民は虜囚も同然である。
保護するべき自国民を水責めで苦しめる自傷行為、
それはダムや運河の破壊に等しい行為だが、
この「事実」を「世界観」にくぐらせてみれば、
そこには常に「悪党ロシア」が現れてくる。
それは確定事項と断じても過言ではない。
善悪が先に決定されている。
これは鉄則であり、教義であり、信仰である。
あらゆる報道は、この世界観に反さないように
叙述しなければならない。
歴史的に見れば、ウクライナ当局が
暴力と報復で国民を沈黙させていることは瞭然だが、
それは恐怖文化とは記述できない。問題化されない。
その逆に、ありとあらゆる犯罪は
この世界観のフィルターを通じて非犯罪化される。
国際秩序は乱れないし、
力による一方的な現状変更にも当てはまらない。
ウクライナ当局が去年4月から
メタ・ヒストリーと称するプロジェクトを開始したのは
歴史の皮肉としか言いようがない。
メタ・ヒストリーとは歴史家にして文学者である
ヘイドン・ホワイトが著したポストモダニズムの傑作である。
ホワイトによれば、歴史叙述とは
ある理論に沿って史実の存在を証明したものではなく、
史実の存在を証明するために理論を用いたものになる。
米田明の概説が比較的、理解しやすいと思われるので
以下に引用する。
https://www.10plus1.jp/monthly/2018/01/issue-09.php
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結局のところ彼らは、
歴史叙述の発生する場をあらかじめ形象化し、
「実際に起きたこと」を説明するため、
類型的な理論を導入するメタレベルの領域を設定している
ことを示した。
そこで分析や批判に先立って駆使されるのが、
喩法論的な(tropological)「詩的知恵」であり、
喩法(tropic)に基づく詩的な着想が、
効果的な先行形象を歴史叙述の場に与える。
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喩法というのを
ウクライナ情勢についての語りにおいて探せば、それは
ロシアの蛮行
侵略
力による一方的な現状変更
国際秩序への挑戦
主権の侵害
核の脅し
といった決り文句による叙述が該当するだろう。
こうした「小さな歴史」乃至は「リアルヒストリー」
と呼ぶべきであろう史実群は
悪の帝国ロシアにウクライナが勝利する
という未来にまで踏み込んで言及した「大きな物語」、
「超越的歴史」、すなわち「メタ・ヒストリー」の材料に過ぎない。
結末は、すでに決定ずみなのだ。
①悪の権威主義国ロシアが
正義の民主主義国ウクライナに攻めてきた。
⇓
②他の平和主義国の助けを借りながら、
果敢に応戦し、これを撃退した。
この筋書きを補強するようにして西側、
特に知識人や記者と呼ばれる人間は歴史を認識、叙述する。
予め引かれたアウトラインに沿って細部が記述されるその様(さま)は、
キャンバスに下書きをした上で画材を塗りつける行為にそっくりだ。
我々は年表的に事実を集積していく中で
自然と歴史が現出するかのように錯覚をしている。
だが、実際には抽象的な単一の「大まかな歴史」が先に在り、
そこに向けて具体的な無数の「細かな歴史」が量産されていくのである。
信長が倒れ、秀吉が継ぎ、家康が天下を治めたのではない。
室町幕府が崩壊し、江戸幕府が出現するという
メタヒストリーが先にあり、その記述に適当なリアルヒストリーが
後付で発見されるのである。それはリアルであり、リアルではない。
この順序逆転の指摘こそがホワイトの功績だった。
とするならば、このメタ・ヒストリーを破壊しかねないヒストリー、
すなわちリアルであるとは絶対に許されない
フェイク・ヒストリーにこそ、ウクライナ情勢を知る鍵がある。
次回、ベルゴロド地方における空爆を事例に
さらなる考察を行う。 ーつづくー