次々と文章が書ける。
加藤哲郎、さらに調べてみれば、
なんと安田講堂事件のリーダーの一人だった。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2005/09/post_81.html
そりゃー共産党が嫌いになるわー。
とすると、この人は自分たちが起こしたあの有名な
暴力事件を美化してそのままにしようとしているのだろうか。
戦後70年たってもなお、あの戦争で
敵味方を問わず民間人を殺した日本兵の中には
自分たちを美化する輩が存在した。
加藤もその中の一人だろう。
大川周明の生まれ変わりのような人だと思う。
あるいは福沢諭吉。よく頑張ってるよこの人(皮肉)
ところで、はっきりと在野の歴史研究者って書かれていますね。
歴史に関してはモグリだと認めたかと思った。
こいつの姑息な部分は戦後歴史学を否定しないことで
リベラルの仮面を被ることで歴史学研究会に入っていること。
どこまでも姑息だと思う。
追記
https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:jlQ7D9EnB30J:members.
jcom.home.ne.jp/katote/marxatom.pdfid(略
「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」と命題打って
ちゃっかり自分たち全共闘世代(得に安田講堂事件の東大生)は責任から
外しているところが実に加藤らしい。
また、1955年の原子力基本法でハッキリと共産党のみが反対している点や
1961年の原子力に関する決議における原発反対の部分をスルーし、
共産主義国における防衛手段のための核保有は許されるという部分を
誇大解釈して罵倒する。とても学者とは言えない。
まず、現行の原発は断固反対し、またその活動をずっとしてきた
ことは言わずもがなである。吉井議員の著書を読めば一発でわかる。
しかも吉井氏は一貫して現原発に反対し2006年、2010年と
福島原発の問題性を指摘すらしていた。
加えて加藤が猛然と原発に抗議しだしたのも震災後で、
それまでは一応触れているよといった程度にすぎなかった。
(差が激しいので面白い)
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living.html
原発や不平等や戦争の「脅威」を、見逃すわけにはいきません
と大口叩いているが、ここまででかい態度を取ったのも
震災の後。見逃すわけにいかんのなら
どうしてもっと前から思い切り訴えなかったの?
北朝鮮の人権うんぬんと同じぐらい大事じゃないの?
こういう部分を無視する加藤氏は歴史を語る資格がないと思う。
氏の汚い部分はこのような部分に限らず、新日和見事件を
はじめとしてろくに検証もせず、ただ一方の言い分を受け止め
日本共産党を悪魔の党であるかのように決め付けた。
無論、それはオーラルヒストリーとしてあるまじき行為で、
後に党の言い分が正しいことが判明した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E6%96%B0%E6%97%A5%E5%92%8C%E8%A6%8
B%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
なお、この訂正を認めた本について、
川上氏の転向について氏は何もコメントを寄せていない。
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living22.html
加藤こそ都合の悪い事実を隠ぺいする卑怯者ではないか。
党は絶対悪とする見解は党を絶対正義とする見解と一致する。
しかも彼は当時共産党をゲバ棒でぶっ叩いたあの事件を
美化してすらいる。この点は釈明しつくせないのではないか?
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-83.html
結局、氏は共産党は暴力的であると信じたいのだ。
だから民主的に決議がとられても、
「いつもの満場一致=シャンシャン大会で新規約を採択するでしょうが」
と不満をたらさずにはいられない。
http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living9.html
彼は悪人は成敗してかまわんという断罪主義の幻想に
未だ囚われている。その証拠にリビア内戦を美化して賞賛しているし、
村上春樹の頓珍漢演説を評価すらしている。
チュニジアのジャスミン革命に始まり、
エジプトの若者たちに受け継がれ民衆革命を達成した
ソーシャル・ネットワークの波は、リビアのカダフィ独裁を
崩壊寸前まで追い込み、バーレーンやイエメンでもデモは続いています。
権力が揺らぎ崩壊して、独裁者たちの莫大な蓄財や海外資産が
明らかになりました。中国や北朝鮮の政府は、そうした情報を封じ込め、
言論の自由を暴力で抑えるのに必死で、
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という
ジョン・アクトンのテーゼを、自らの行動で実証しています。
この言い分がおかしいことは重信メイの
「アラブの春」の正体で明らかになっている。
リビアは革命でなく内戦だったのだ。
そもそもあのカダフィのボロボロにリンチされた顔を見て
民衆革命と賛美する加藤はまさに共産的じゃないか。
独裁者は倒してもよい。悪い奴は殺されても仕方ない。
これが加藤の理屈だ。だから、仮に奴がいま熱中している反原発も
地元の人たちの反対にあった時にそこで何もかも終わるだろう。
反対者に対する共感が全くもって欠落しているのだから。
そもそも、加藤哲郎の恐怖哲学は相手を絶対悪に仕立て上げ、
自らを正当化する古典的なテクニックを用いている。
だが、将来彼らが対峙するはずの大衆は現在、右傾化しているのだから
彼らと衝突した際に必ず齟齬をきたす。その時に運動は分裂するだろう。
加藤御贔屓の山口二郎が橋下に惨敗したときも、
大衆をなめ過ぎていたと思う。現実は性悪論で考えなくてはいかんのだ。
ダム一つ潰すか潰さないかで50年もかけているのに
どうして直接行動で何もかも決められようか。
加藤が完全に無視しているのは議会の役割である。
議会によって立法しない限り、何も変わらない。
世論が変化しない限り変わらない。
加藤たち自称反原発が何も有効打を打ち出せなかったのは
地方自治体を中心とした地道な闘争もせず、デモやビラといった
遊びのようなもので満足しているからだろう。
決定的に廃路へ持っていくには、どこかで与党になるべき
前衛党が生まれなければならない。政党の重要性を無視しているのだ。
(典型的な行動主義者だから)
法による法の解決。それこそが求められている。
加藤哲郎、さらに調べてみれば、
なんと安田講堂事件のリーダーの一人だった。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2005/09/post_81.html
そりゃー共産党が嫌いになるわー。
とすると、この人は自分たちが起こしたあの有名な
暴力事件を美化してそのままにしようとしているのだろうか。
戦後70年たってもなお、あの戦争で
敵味方を問わず民間人を殺した日本兵の中には
自分たちを美化する輩が存在した。
加藤もその中の一人だろう。
大川周明の生まれ変わりのような人だと思う。
あるいは福沢諭吉。よく頑張ってるよこの人(皮肉)
ところで、はっきりと在野の歴史研究者って書かれていますね。
歴史に関してはモグリだと認めたかと思った。
こいつの姑息な部分は戦後歴史学を否定しないことで
リベラルの仮面を被ることで歴史学研究会に入っていること。
どこまでも姑息だと思う。
追記
https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:jlQ7D9EnB30J:members.
jcom.home.ne.jp/katote/marxatom.pdfid(略
「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」と命題打って
ちゃっかり自分たち全共闘世代(得に安田講堂事件の東大生)は責任から
外しているところが実に加藤らしい。
また、1955年の原子力基本法でハッキリと共産党のみが反対している点や
1961年の原子力に関する決議における原発反対の部分をスルーし、
共産主義国における防衛手段のための核保有は許されるという部分を
誇大解釈して罵倒する。とても学者とは言えない。
まず、現行の原発は断固反対し、またその活動をずっとしてきた
ことは言わずもがなである。吉井議員の著書を読めば一発でわかる。
しかも吉井氏は一貫して現原発に反対し2006年、2010年と
福島原発の問題性を指摘すらしていた。
加えて加藤が猛然と原発に抗議しだしたのも震災後で、
それまでは一応触れているよといった程度にすぎなかった。
(差が激しいので面白い)
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living.html
原発や不平等や戦争の「脅威」を、見逃すわけにはいきません
と大口叩いているが、ここまででかい態度を取ったのも
震災の後。見逃すわけにいかんのなら
どうしてもっと前から思い切り訴えなかったの?
北朝鮮の人権うんぬんと同じぐらい大事じゃないの?
こういう部分を無視する加藤氏は歴史を語る資格がないと思う。
氏の汚い部分はこのような部分に限らず、新日和見事件を
はじめとしてろくに検証もせず、ただ一方の言い分を受け止め
日本共産党を悪魔の党であるかのように決め付けた。
無論、それはオーラルヒストリーとしてあるまじき行為で、
後に党の言い分が正しいことが判明した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E6%96%B0%E6%97%A5%E5%92%8C%E8%A6%8
B%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6
なお、この訂正を認めた本について、
川上氏の転向について氏は何もコメントを寄せていない。
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living22.html
加藤こそ都合の悪い事実を隠ぺいする卑怯者ではないか。
党は絶対悪とする見解は党を絶対正義とする見解と一致する。
しかも彼は当時共産党をゲバ棒でぶっ叩いたあの事件を
美化してすらいる。この点は釈明しつくせないのではないか?
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-83.html
結局、氏は共産党は暴力的であると信じたいのだ。
だから民主的に決議がとられても、
「いつもの満場一致=シャンシャン大会で新規約を採択するでしょうが」
と不満をたらさずにはいられない。
http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living9.html
彼は悪人は成敗してかまわんという断罪主義の幻想に
未だ囚われている。その証拠にリビア内戦を美化して賞賛しているし、
村上春樹の頓珍漢演説を評価すらしている。
チュニジアのジャスミン革命に始まり、
エジプトの若者たちに受け継がれ民衆革命を達成した
ソーシャル・ネットワークの波は、リビアのカダフィ独裁を
崩壊寸前まで追い込み、バーレーンやイエメンでもデモは続いています。
権力が揺らぎ崩壊して、独裁者たちの莫大な蓄財や海外資産が
明らかになりました。中国や北朝鮮の政府は、そうした情報を封じ込め、
言論の自由を暴力で抑えるのに必死で、
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という
ジョン・アクトンのテーゼを、自らの行動で実証しています。
この言い分がおかしいことは重信メイの
「アラブの春」の正体で明らかになっている。
リビアは革命でなく内戦だったのだ。
そもそもあのカダフィのボロボロにリンチされた顔を見て
民衆革命と賛美する加藤はまさに共産的じゃないか。
独裁者は倒してもよい。悪い奴は殺されても仕方ない。
これが加藤の理屈だ。だから、仮に奴がいま熱中している反原発も
地元の人たちの反対にあった時にそこで何もかも終わるだろう。
反対者に対する共感が全くもって欠落しているのだから。
そもそも、加藤哲郎の恐怖哲学は相手を絶対悪に仕立て上げ、
自らを正当化する古典的なテクニックを用いている。
だが、将来彼らが対峙するはずの大衆は現在、右傾化しているのだから
彼らと衝突した際に必ず齟齬をきたす。その時に運動は分裂するだろう。
加藤御贔屓の山口二郎が橋下に惨敗したときも、
大衆をなめ過ぎていたと思う。現実は性悪論で考えなくてはいかんのだ。
ダム一つ潰すか潰さないかで50年もかけているのに
どうして直接行動で何もかも決められようか。
加藤が完全に無視しているのは議会の役割である。
議会によって立法しない限り、何も変わらない。
世論が変化しない限り変わらない。
加藤たち自称反原発が何も有効打を打ち出せなかったのは
地方自治体を中心とした地道な闘争もせず、デモやビラといった
遊びのようなもので満足しているからだろう。
決定的に廃路へ持っていくには、どこかで与党になるべき
前衛党が生まれなければならない。政党の重要性を無視しているのだ。
(典型的な行動主義者だから)
法による法の解決。それこそが求められている。