安保法案が衆院の時と同様に参院でも強行採決された。
議事録なし、事実上の野党議員締め出しで行われたもので会議の体をなしていない。
憲法57条および59条に違反しているような気がする。
一昨日のデモでは警察が参加者を数人逮捕していたらしい。
まるで「天安門」、阿鼻叫喚の国会前
―安保法制反対デモを警察側が過剰警備で弾圧、一部参加者の逮捕も
「国会前が埋め尽くされている絵を撮らせるな!」
…警察によるデモ隊過剰警備の背景に官邸の圧力が!
これに対する右翼の回答がこちら。
---------------------------------------------------
9月14日、産経新聞がウェブ版でこんな見出しの記事を公開した。
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が12日・13日に実施した合同世論調査で
「安保法案に反対する集会やデモ」に関してアンケートをとったところ、
〈最近注目を集める反対集会だが、今回の調査からは、
「一般市民による」というよりも「特定政党の支持層による」集会という
実像が浮かび上がった〉というのだ。
この記事に、ネトウヨたちは大喜び。
「やっぱりあいつらは共産党だった」「反日政党支持者がデモを起こしている」
などというコメントを拡散させている。
しかし、それがいったいどういう調査結果にもとづくものなのか、
改めてチェックしてみたら、これがびっくり仰天。
〈国会周辺など各地で行われている安全保障関連法案に反対する集会に
参加した経験がある人は3.4%にとどまった。
共産、社民、民主、生活各党など廃案を訴える政党の支持者が7割を超えた〉から。
それだけが根拠らしいのだ。
マスコミの世論調査で普通に野党の名を答えただけで「一般市民」じゃなくなるのか?
という疑問もさることながら、それ以前に、安保法案反対デモの参加者が、
安保法案に反対している政党を支持するのは当たり前の話ではないか。
http://lite-ra.com/2015/09/post-1496.html
---------------------------------------------------
この法案を支持する連中の頭の悪さがよくわかる良記事。
とはいえ、反対者が秀才ぞろいかと言えば、そんなことはない。
上で紹介した志葉玲氏の記事だって中国と全く関係が無いのに、
「まるで天安門」と表現するあたり、おいおい……と思ってしまう。
まるで天安門ではなく、天安門事件が日本的だったに過ぎない。
というより、今回のデモおよびEUのデモを見て思ったのだが、
よその国でも行われていることが中国に限っては「弾圧」と表現されるのは何故だろう?
天安門事件はその規模や大きさが通常のそれではないからまだ理解できるが、
通常のデモに対する中国のそれはヨーロッパやアメリカのそれと変わりないのに、
なぜ前者のみ「弾圧」と日本では表現されるのだろうか?
それでいて、何故か「反日」デモに関しては中国の「官製デモ」であり、
中国国民の総意ではないという解釈が当たり前のようにされている。
そのわりには、日本大使館や日本企業の店に投石するシーンを映して、
いかにも中国人は野蛮なのだというイメージを植え付けるのにご執心だ。
中国は悪だという結論を前提にし、一定の方向へと誘導するテクニックが、
ごく普通の「中立」的な新聞やニュース番組、知識人が行う現状を見るに、
何と言うか、今回のデモは「戦争反対」の4文字が先行して
「中国とどのように接していくか」という
肝心な部分が議論されていなかったような気がする。
今、手元に『中国をどう見るか』という本があるが、
この本は中国に関する保守派の態度を次のように批判している。
--------------------------------------------------------------
「ためにする議論」型の非難
この型は、「自分のことは棚に上げ」の立場の保守政治家とかさなる部分が多い。
ただし、分けて考える意味がないわけではない。
中国が社会主義であるかどうかに関係なく、
中国を日本の脅威・ライバルと決めてかかる日本人は、昔から少なくない。
中国を常にそういった目でしか見られない人は、
中国の立場が弱くなることに資するなら、なんでもしたがる。
中国は天安門事件で先進諸国の集団制裁にあった。
となれば、それに乗らない手はない。これが「ためにする議論」型の人々の反応だ。
「ためにする議論」型の多くは、
台湾が中国と統一することを必死になって邪魔しようとする人たちとかさなっているし、
中国包囲網をつくることにことのほか熱心なのもこの型の人に多い。
中国が何をしても、すぐ「中国脅威」と騒ぎ立てるのも、この型の特徴だ。
軍事費増大、兵器近代化、核実験、台湾沖ミサイル発射・軍事演習、
尖閣、東沙、西沙、南沙群島領有問題などなど。
しかし「ためにする議論」型の多くの人々は、軍事知識が一般国民よりはるかに豊富で、
自分たちがとなえる「中国脅威」の実態が脅威からかけ離れていることを、
じつは誰よりもよく知っている。中国の軍事費増大、兵器近代化、核実験は、
圧倒的なアメリカの軍事力からわが身を守るための必死の努力だということだ。
(同書、34‐35頁より)
--------------------------------------------------------------
実は、この文章は2000年、
つまり15年も前に書かれたものである。
自民党や右翼の言い分が今と全く変わっていない。
なんてことはない、南シナ海で中国が云々というのは最近になって騒がれた話ではなかった。
それをさも、ここ数年、中国が台頭してきてヤバいのだという風に吹聴した
自民党やその支持者、特に学者やメディア、ジャーナリストの責任はとてつもなく重いだろう。
この15年の間で中国が日本を攻撃したことが只の一度たりともあっただろうか?
集団的自衛権が認められていなかったために日本の安全が脅かされたことがあっただろうか?
結局、安保法案は、ここ数年の国際情勢の変化に対応したものではなかった。
15年経っても未だに治らない病気に引きずられたものだった。
このような中国アレルギーの産物が現状に対応できるとは思えないが、
他方で、このアレルギーは日本の主流左翼にもしぶとく存在するような気がする。
「まるで天安門」などというフレーズは、まさにそれを示す好例である。
他にも、「北朝鮮なみの独裁」という表現も見かけたが、
これも隣国を敵視するという点では自民党と大差ない。むしろ本質的には同類だ。
ペンで脅すか銃で脅すかの違いでしかない。
そもそも、ここまで北朝鮮のイメージが悪化したのも、
彼ら平和主義者たちの絶え間ない北朝鮮バッシングのせいでもある。
要するに、私が言いたいのは
「脅威など存在しない。軍備を維持するために、ソ連の脅威に代わって
冷戦終結直後から使われ始めた古臭いイデオロギーだ」ということである。
北朝鮮は2002年の頃から日本との協議には積極的に応じているし、
応じているからこそ拉致問題に関する自国の関与を認めたわけだが、
その都度、日本からの強硬な姿勢によって会議は中断された。
その結果、2006年にテポドンが発射されると、
「それみたことか」と右翼も左翼も北朝鮮悪漢論に熱中した。
今では金欲しさに核ミサイルを発射する危ない国だというのが共通見解になっている。
米韓軍事演習の中止と引き換えに核開発はやめると何度も繰り返し発表されているにも関わらず。
こういう隣国への敵視が右も左も大差なかったことが、
結果的には「戦争反対」という言葉が独裁政権に敗れた原因だったのではないだろうか?
「戦争反対」ではなく「中国・北朝鮮との関係改善を」と言うべきだったのではないだろうか?
そして、それが戦略的に「言えなかった」(それを語れば民衆に支持されなくなる)のが
左翼が右翼に勝てない理論的弱さではないのだろうか?
議事録なし、事実上の野党議員締め出しで行われたもので会議の体をなしていない。
憲法57条および59条に違反しているような気がする。
一昨日のデモでは警察が参加者を数人逮捕していたらしい。
まるで「天安門」、阿鼻叫喚の国会前
―安保法制反対デモを警察側が過剰警備で弾圧、一部参加者の逮捕も
「国会前が埋め尽くされている絵を撮らせるな!」
…警察によるデモ隊過剰警備の背景に官邸の圧力が!
これに対する右翼の回答がこちら。
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9月14日、産経新聞がウェブ版でこんな見出しの記事を公開した。
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が12日・13日に実施した合同世論調査で
「安保法案に反対する集会やデモ」に関してアンケートをとったところ、
〈最近注目を集める反対集会だが、今回の調査からは、
「一般市民による」というよりも「特定政党の支持層による」集会という
実像が浮かび上がった〉というのだ。
この記事に、ネトウヨたちは大喜び。
「やっぱりあいつらは共産党だった」「反日政党支持者がデモを起こしている」
などというコメントを拡散させている。
しかし、それがいったいどういう調査結果にもとづくものなのか、
改めてチェックしてみたら、これがびっくり仰天。
〈国会周辺など各地で行われている安全保障関連法案に反対する集会に
参加した経験がある人は3.4%にとどまった。
共産、社民、民主、生活各党など廃案を訴える政党の支持者が7割を超えた〉から。
それだけが根拠らしいのだ。
マスコミの世論調査で普通に野党の名を答えただけで「一般市民」じゃなくなるのか?
という疑問もさることながら、それ以前に、安保法案反対デモの参加者が、
安保法案に反対している政党を支持するのは当たり前の話ではないか。
http://lite-ra.com/2015/09/post-1496.html
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この法案を支持する連中の頭の悪さがよくわかる良記事。
とはいえ、反対者が秀才ぞろいかと言えば、そんなことはない。
上で紹介した志葉玲氏の記事だって中国と全く関係が無いのに、
「まるで天安門」と表現するあたり、おいおい……と思ってしまう。
まるで天安門ではなく、天安門事件が日本的だったに過ぎない。
というより、今回のデモおよびEUのデモを見て思ったのだが、
よその国でも行われていることが中国に限っては「弾圧」と表現されるのは何故だろう?
天安門事件はその規模や大きさが通常のそれではないからまだ理解できるが、
通常のデモに対する中国のそれはヨーロッパやアメリカのそれと変わりないのに、
なぜ前者のみ「弾圧」と日本では表現されるのだろうか?
それでいて、何故か「反日」デモに関しては中国の「官製デモ」であり、
中国国民の総意ではないという解釈が当たり前のようにされている。
そのわりには、日本大使館や日本企業の店に投石するシーンを映して、
いかにも中国人は野蛮なのだというイメージを植え付けるのにご執心だ。
中国は悪だという結論を前提にし、一定の方向へと誘導するテクニックが、
ごく普通の「中立」的な新聞やニュース番組、知識人が行う現状を見るに、
何と言うか、今回のデモは「戦争反対」の4文字が先行して
「中国とどのように接していくか」という
肝心な部分が議論されていなかったような気がする。
今、手元に『中国をどう見るか』という本があるが、
この本は中国に関する保守派の態度を次のように批判している。
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「ためにする議論」型の非難
この型は、「自分のことは棚に上げ」の立場の保守政治家とかさなる部分が多い。
ただし、分けて考える意味がないわけではない。
中国が社会主義であるかどうかに関係なく、
中国を日本の脅威・ライバルと決めてかかる日本人は、昔から少なくない。
中国を常にそういった目でしか見られない人は、
中国の立場が弱くなることに資するなら、なんでもしたがる。
中国は天安門事件で先進諸国の集団制裁にあった。
となれば、それに乗らない手はない。これが「ためにする議論」型の人々の反応だ。
「ためにする議論」型の多くは、
台湾が中国と統一することを必死になって邪魔しようとする人たちとかさなっているし、
中国包囲網をつくることにことのほか熱心なのもこの型の人に多い。
中国が何をしても、すぐ「中国脅威」と騒ぎ立てるのも、この型の特徴だ。
軍事費増大、兵器近代化、核実験、台湾沖ミサイル発射・軍事演習、
尖閣、東沙、西沙、南沙群島領有問題などなど。
しかし「ためにする議論」型の多くの人々は、軍事知識が一般国民よりはるかに豊富で、
自分たちがとなえる「中国脅威」の実態が脅威からかけ離れていることを、
じつは誰よりもよく知っている。中国の軍事費増大、兵器近代化、核実験は、
圧倒的なアメリカの軍事力からわが身を守るための必死の努力だということだ。
(同書、34‐35頁より)
--------------------------------------------------------------
実は、この文章は2000年、
つまり15年も前に書かれたものである。
自民党や右翼の言い分が今と全く変わっていない。
なんてことはない、南シナ海で中国が云々というのは最近になって騒がれた話ではなかった。
それをさも、ここ数年、中国が台頭してきてヤバいのだという風に吹聴した
自民党やその支持者、特に学者やメディア、ジャーナリストの責任はとてつもなく重いだろう。
この15年の間で中国が日本を攻撃したことが只の一度たりともあっただろうか?
集団的自衛権が認められていなかったために日本の安全が脅かされたことがあっただろうか?
結局、安保法案は、ここ数年の国際情勢の変化に対応したものではなかった。
15年経っても未だに治らない病気に引きずられたものだった。
このような中国アレルギーの産物が現状に対応できるとは思えないが、
他方で、このアレルギーは日本の主流左翼にもしぶとく存在するような気がする。
「まるで天安門」などというフレーズは、まさにそれを示す好例である。
他にも、「北朝鮮なみの独裁」という表現も見かけたが、
これも隣国を敵視するという点では自民党と大差ない。むしろ本質的には同類だ。
ペンで脅すか銃で脅すかの違いでしかない。
そもそも、ここまで北朝鮮のイメージが悪化したのも、
彼ら平和主義者たちの絶え間ない北朝鮮バッシングのせいでもある。
要するに、私が言いたいのは
「脅威など存在しない。軍備を維持するために、ソ連の脅威に代わって
冷戦終結直後から使われ始めた古臭いイデオロギーだ」ということである。
北朝鮮は2002年の頃から日本との協議には積極的に応じているし、
応じているからこそ拉致問題に関する自国の関与を認めたわけだが、
その都度、日本からの強硬な姿勢によって会議は中断された。
その結果、2006年にテポドンが発射されると、
「それみたことか」と右翼も左翼も北朝鮮悪漢論に熱中した。
今では金欲しさに核ミサイルを発射する危ない国だというのが共通見解になっている。
米韓軍事演習の中止と引き換えに核開発はやめると何度も繰り返し発表されているにも関わらず。
こういう隣国への敵視が右も左も大差なかったことが、
結果的には「戦争反対」という言葉が独裁政権に敗れた原因だったのではないだろうか?
「戦争反対」ではなく「中国・北朝鮮との関係改善を」と言うべきだったのではないだろうか?
そして、それが戦略的に「言えなかった」(それを語れば民衆に支持されなくなる)のが
左翼が右翼に勝てない理論的弱さではないのだろうか?