現在、各メディアがバングラデシュのテロを集中して報じている。
もちろん、大きな事件であることには変わりないのだが、隣国ミャンマーにおける
イスラム教徒の弾圧など、この地域におけるイスラム教徒に対する差別が語られていない。
もっぱら強調されるのはダーイシュ(イスラム国、IS)の異常性であり、
このような「悲劇」を繰り返さないために「国際社会」が「協調」しなければならないという主張だ。
ある事件が起きるのは、それなりの理由があるからであって、
本当に悲劇を繰り返したくないのであれば、同国の差別問題に言及すべきなのだろうが、
かわりに提示されるのが、「協調」、要するにテロとの軍事的対決の強調である。
パリのテロ事件の際にも悲劇性を強調し、フランスのシリアへの軍事干渉が正当化された上、
その後、移民世帯を中心とした令状なしの拘束、監視、デモの禁止などの人権侵害が当然視された。
あわせて、日本の報道の場合、自国におけるイスラム教徒への差別に触れようとしない傾向がある。
嘘だと思うのであれば、次の事件について私たち日本人の何人が知っているのか想像してみればよい。
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日本、イスラム教徒への監視は「合法」
日本の最高裁は国内のイスラム教団体に対する警察の監視を合法と判断した下級裁判所の決定を支持した。
インディペンデントが伝えた。
2010年、警察のファイル114件が漏洩し、イスラム教徒への監視に関する情報が明らかになった。
祈りの場やイスラム教徒向け飲食店、東京都内のイスラム教団体の事務所が監視対象となっていた。
その後、中東・北アフリカからの移民を主体とする日本のイスラム教徒17人が、
憲法上の権利が侵害されているとして、日本政府を訴えた。
原告はプライバシーの侵害について 88万ドルの金銭的補償を受け取ったが、
裁判所は警察の行動を国際テロに対する防衛のために「必要かつ不可避」のものと判断した。
http://jp.sputniknews.com/japan/20160701/2407700.html
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「必要かつ不可避」というのは、「監視しなければいけない」という強い表現である。
イスラム教徒をテロリスト予備軍として見張ろうとする行為にこそ問題があるのだが、
こういう点に関して、本当に最高裁というのは、わかっていない。国際基準とズレがある。
まぁ、フランスも中東からの移民を犯罪者予備軍として見ているわけだから、
どこも同じなのかもしれないが・・・それにしても日本の人権意識は低いように感じる。
ついでに言うのだが、日本の場合、人権もさることながら生命倫理そのものが疎いというか
よくわかっていないようなところがある。動物園で飼育されている動物に対する反応がまさにそれだ。
先日、日本で最高齢のゾウのハナコが死亡したことがニュースになったが、
ここでも強調されていたのは飼育員とハナコとの間の友情であり、
外国の保護団体から、本来、広大な草原で群れになって暮らすゾウを
非常に狭い空間に一匹だけ隔離するように「飼育」したことが非難されたことには触れていなかった。
ネットでも、ハナコの隔離飼育は必要なものであり、ゾウのためであったという見解が主流である。
こういうのを読むと、映画『ザ・コーヴ』に対する反応と同じものを感じてしまう。
つまり、日本人の動物への接し方は愛情を持ったものであり、
そこには一片の問題もなく、非難は日本の文化を知らない外国人の戯言に過ぎないというものである。
「ゾウ」を「在日コリアン」や「朝鮮」に変換すると、これはまさにネトウヨの言い分そのものだ。
日本の植民地化政策は「朝鮮」には必要なものであり、愛情を持ったものであり、
実際、それにより感謝する「朝鮮人」もいたのに、それを非難するのは
日本の好意をよく知らない外国人の戯言だ。こういう風に変換することが容易にできる。
ナチ研究の中には、アメリカの家畜に対するのマニュアルが
ホロコーストの原型になったと指摘するものもある(『動物虐待とホロコースト』)
ムスリムにせよコリアンにせよ動物にせよ、
要するに差別というものは特定の対象を「自分たちとは違う扱いをして構わない」とみなすことであり、
「奴らは俺たちの仲間ではない」という態度を自然に取ることである。
それについては、日本ではすでに十分土台が出来上がっているわけで、
難民や外国人(ただし欧米人は除く)を社会的に排除している構造がある今、
いつ日本で同様の事件が起きてしまったとしても、それは別段おかしなことではない。
特に今後、冒頭で紹介したムスリム差別について、私たち日本人が全く気にしないまま、
テロとの戦いに参加してしまったら、東京でテロが起きるのも時間の問題ではないだろう。
こういう点について知識人はもっと真剣に語らなければいけないと私は思う。
もちろん、大きな事件であることには変わりないのだが、隣国ミャンマーにおける
イスラム教徒の弾圧など、この地域におけるイスラム教徒に対する差別が語られていない。
もっぱら強調されるのはダーイシュ(イスラム国、IS)の異常性であり、
このような「悲劇」を繰り返さないために「国際社会」が「協調」しなければならないという主張だ。
ある事件が起きるのは、それなりの理由があるからであって、
本当に悲劇を繰り返したくないのであれば、同国の差別問題に言及すべきなのだろうが、
かわりに提示されるのが、「協調」、要するにテロとの軍事的対決の強調である。
パリのテロ事件の際にも悲劇性を強調し、フランスのシリアへの軍事干渉が正当化された上、
その後、移民世帯を中心とした令状なしの拘束、監視、デモの禁止などの人権侵害が当然視された。
あわせて、日本の報道の場合、自国におけるイスラム教徒への差別に触れようとしない傾向がある。
嘘だと思うのであれば、次の事件について私たち日本人の何人が知っているのか想像してみればよい。
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日本、イスラム教徒への監視は「合法」
日本の最高裁は国内のイスラム教団体に対する警察の監視を合法と判断した下級裁判所の決定を支持した。
インディペンデントが伝えた。
2010年、警察のファイル114件が漏洩し、イスラム教徒への監視に関する情報が明らかになった。
祈りの場やイスラム教徒向け飲食店、東京都内のイスラム教団体の事務所が監視対象となっていた。
その後、中東・北アフリカからの移民を主体とする日本のイスラム教徒17人が、
憲法上の権利が侵害されているとして、日本政府を訴えた。
原告はプライバシーの侵害について 88万ドルの金銭的補償を受け取ったが、
裁判所は警察の行動を国際テロに対する防衛のために「必要かつ不可避」のものと判断した。
http://jp.sputniknews.com/japan/20160701/2407700.html
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「必要かつ不可避」というのは、「監視しなければいけない」という強い表現である。
イスラム教徒をテロリスト予備軍として見張ろうとする行為にこそ問題があるのだが、
こういう点に関して、本当に最高裁というのは、わかっていない。国際基準とズレがある。
まぁ、フランスも中東からの移民を犯罪者予備軍として見ているわけだから、
どこも同じなのかもしれないが・・・それにしても日本の人権意識は低いように感じる。
ついでに言うのだが、日本の場合、人権もさることながら生命倫理そのものが疎いというか
よくわかっていないようなところがある。動物園で飼育されている動物に対する反応がまさにそれだ。
先日、日本で最高齢のゾウのハナコが死亡したことがニュースになったが、
ここでも強調されていたのは飼育員とハナコとの間の友情であり、
外国の保護団体から、本来、広大な草原で群れになって暮らすゾウを
非常に狭い空間に一匹だけ隔離するように「飼育」したことが非難されたことには触れていなかった。
ネットでも、ハナコの隔離飼育は必要なものであり、ゾウのためであったという見解が主流である。
こういうのを読むと、映画『ザ・コーヴ』に対する反応と同じものを感じてしまう。
つまり、日本人の動物への接し方は愛情を持ったものであり、
そこには一片の問題もなく、非難は日本の文化を知らない外国人の戯言に過ぎないというものである。
「ゾウ」を「在日コリアン」や「朝鮮」に変換すると、これはまさにネトウヨの言い分そのものだ。
日本の植民地化政策は「朝鮮」には必要なものであり、愛情を持ったものであり、
実際、それにより感謝する「朝鮮人」もいたのに、それを非難するのは
日本の好意をよく知らない外国人の戯言だ。こういう風に変換することが容易にできる。
ナチ研究の中には、アメリカの家畜に対するのマニュアルが
ホロコーストの原型になったと指摘するものもある(『動物虐待とホロコースト』)
ムスリムにせよコリアンにせよ動物にせよ、
要するに差別というものは特定の対象を「自分たちとは違う扱いをして構わない」とみなすことであり、
「奴らは俺たちの仲間ではない」という態度を自然に取ることである。
それについては、日本ではすでに十分土台が出来上がっているわけで、
難民や外国人(ただし欧米人は除く)を社会的に排除している構造がある今、
いつ日本で同様の事件が起きてしまったとしても、それは別段おかしなことではない。
特に今後、冒頭で紹介したムスリム差別について、私たち日本人が全く気にしないまま、
テロとの戦いに参加してしまったら、東京でテロが起きるのも時間の問題ではないだろう。
こういう点について知識人はもっと真剣に語らなければいけないと私は思う。