非欧米型国家を攻撃するさいに、汚職の蔓延がネタにされることが多い。
先日、紹介したベネズエラでも汚職は多くある。中国しかり、ロシアしかり、
アメリカやEU、日本が攻撃する国家はいずれも汚職が多く行われている印象を受ける。
しかし、ここで視点を逆方向に向けると、
実は汚職は攻撃する側の国でも頻繁に行われていることに気づく。
加えて、汚職の数よりも法に触れないレベルの悪さがありふれている。
例えば、自民党は財界から多額の献金を受け取っているが、
これは冷静に考えれば金権政治、利益誘導型の政治につながるし、
現にそうなっているにも関わらず、汚職としてはカウントされていない。
安倍晋三は各新聞社・テレビ局の幹部と頻繁に会食し、さらにはNHKの人事にまで介入し、
自分と懇意の中である極右思想の人物を経営委員として送り込み、
自分や自民党に有利な報道をするように働きかけているが、これも汚職にはならない。
鳩山元首相が沖縄から米軍基地を追い払おうとした時、
外務省の官僚がアメリカと連携を取り、同氏の妨害を行ったが、これも汚職ではない。
アメリカに目を向けてみると、証拠をねつ造し他国を侵略したにも関わらず、
このねつ造に関与したであろうラムズフェルドは一切罪を問われていない。
同じく、日本の集団的自衛権を非難どころか逆に支持したジョセフ・ナイは
世界でも有数の国際政治学の権威だが、この軍拡(アメリカの傀儡軍の誕生)を望む
およそ平和主義とは程遠い同氏の振る舞いは汚職にはあてはまらない。
そして、戦時から米軍の植民地と化している沖縄の環境を戦後初めて変えようとした
鳩山元首相は、実母から受け取った献金を記載していなかったために、
毎朝、毎晩、自民党と結託したメディア勢力が「政治とカネ」という合言葉を大合唱した。
実は、同時期の弟の邦夫も兄と同じことをしていたのだが、
こちらはあまり(というよりも全く)責任を追及されなかった。
こうしてみれば、汚職は確かに悪ではあるが、巨悪に比べれば些事であることがわかるだろう。
つまり、私たちが優先して撲滅すべきなのは合法の汚職であるはずだし、
汚職を行っていようと正しいことをしている政治家もまた存在するのである。
ある政治家を判断するにおいて、総合的な評価が必要となるはずなのだが、
汚職=絶対悪=全否定=辞職以外の道を認めないという思想が蔓延しているため、
汚職がない限りは、どんな非道なことが行われても事実上看過される奇妙な現象が起きている。
(ましてや、近年は歴史改ざんなどの問題発言すら、軽いたしなめで終わらせられている)
繰り返すが、汚職自体は悪である。しかしながら、それは相手を評価する絶対的要素ではない。
にも関わらず、それのみに着目して白か黒かを決めるのは単純な発想だ。
私たちが気にかけるべきなのは、汚職をしてまで何を目指し、どのような結果をもたらしたかだ。
例えば鳩山元首相だが、彼は社会保障の強化とアジア諸国との関係改善を望み、
結果的に部分的にではあるが、無償教育を成し遂げた(これすら税金の無駄と叩かれたが)
対して小泉元首相は汚職は「恐らく」していないが、アメリカに追従し、
自衛隊の海外派遣、新自由主義経済の導入、結果としての著しい格差と貧困をもたらした。
(不思議なことに彼のほうが国民のウケは良い。
これは、小泉元首相への過剰な礼賛報道が影響していると思われる。
実際、小泉首相がちょっと力士をねぎらうだけでニュースになるほど、
アイドル様な扱いを受けていたのだ。鳩山氏の場合は、連日のごとく、
政治とカネ、政治とカネ、米軍基地問題にせよ、彼が失敗するのを望んでいるかのような
バッシング報道ばかりを集中して行った。米軍基地の県外移転に失敗しそうな時期、
メディアは公約違反だ、公約違反だと大騒ぎした。これに対し、鳩山氏が
米軍基地の移転はマニフェストにないと返答したところ、自分たちが虚偽の報道をしたことを
棚に上げ、確かに明記されていないが、国民の期待を裏切ったと罵った。
こういう一連の悪意ある報道がどれだけ世論に悪影響を与えるかは言うまでもない)
あくまで、汚職はプロセスの誤りであり、目的や結果の誤りではない。
私は、汚職はバレないだけで、ほとんどの議員は関わっていると考えている。
よって、なくすに越したことはないが、これを絶対の基準にするのには異議を唱えたい。
そして、欧米型国家だろうと非欧米型国家だろうと汚職が蔓延している以上、
どちらかがどちらかを汚職を根拠に否定しようとするのは、ナンセンスに思えるのだ。
先日、紹介したベネズエラでも汚職は多くある。中国しかり、ロシアしかり、
アメリカやEU、日本が攻撃する国家はいずれも汚職が多く行われている印象を受ける。
しかし、ここで視点を逆方向に向けると、
実は汚職は攻撃する側の国でも頻繁に行われていることに気づく。
加えて、汚職の数よりも法に触れないレベルの悪さがありふれている。
例えば、自民党は財界から多額の献金を受け取っているが、
これは冷静に考えれば金権政治、利益誘導型の政治につながるし、
現にそうなっているにも関わらず、汚職としてはカウントされていない。
安倍晋三は各新聞社・テレビ局の幹部と頻繁に会食し、さらにはNHKの人事にまで介入し、
自分と懇意の中である極右思想の人物を経営委員として送り込み、
自分や自民党に有利な報道をするように働きかけているが、これも汚職にはならない。
鳩山元首相が沖縄から米軍基地を追い払おうとした時、
外務省の官僚がアメリカと連携を取り、同氏の妨害を行ったが、これも汚職ではない。
アメリカに目を向けてみると、証拠をねつ造し他国を侵略したにも関わらず、
このねつ造に関与したであろうラムズフェルドは一切罪を問われていない。
同じく、日本の集団的自衛権を非難どころか逆に支持したジョセフ・ナイは
世界でも有数の国際政治学の権威だが、この軍拡(アメリカの傀儡軍の誕生)を望む
およそ平和主義とは程遠い同氏の振る舞いは汚職にはあてはまらない。
そして、戦時から米軍の植民地と化している沖縄の環境を戦後初めて変えようとした
鳩山元首相は、実母から受け取った献金を記載していなかったために、
毎朝、毎晩、自民党と結託したメディア勢力が「政治とカネ」という合言葉を大合唱した。
実は、同時期の弟の邦夫も兄と同じことをしていたのだが、
こちらはあまり(というよりも全く)責任を追及されなかった。
こうしてみれば、汚職は確かに悪ではあるが、巨悪に比べれば些事であることがわかるだろう。
つまり、私たちが優先して撲滅すべきなのは合法の汚職であるはずだし、
汚職を行っていようと正しいことをしている政治家もまた存在するのである。
ある政治家を判断するにおいて、総合的な評価が必要となるはずなのだが、
汚職=絶対悪=全否定=辞職以外の道を認めないという思想が蔓延しているため、
汚職がない限りは、どんな非道なことが行われても事実上看過される奇妙な現象が起きている。
(ましてや、近年は歴史改ざんなどの問題発言すら、軽いたしなめで終わらせられている)
繰り返すが、汚職自体は悪である。しかしながら、それは相手を評価する絶対的要素ではない。
にも関わらず、それのみに着目して白か黒かを決めるのは単純な発想だ。
私たちが気にかけるべきなのは、汚職をしてまで何を目指し、どのような結果をもたらしたかだ。
例えば鳩山元首相だが、彼は社会保障の強化とアジア諸国との関係改善を望み、
結果的に部分的にではあるが、無償教育を成し遂げた(これすら税金の無駄と叩かれたが)
対して小泉元首相は汚職は「恐らく」していないが、アメリカに追従し、
自衛隊の海外派遣、新自由主義経済の導入、結果としての著しい格差と貧困をもたらした。
(不思議なことに彼のほうが国民のウケは良い。
これは、小泉元首相への過剰な礼賛報道が影響していると思われる。
実際、小泉首相がちょっと力士をねぎらうだけでニュースになるほど、
アイドル様な扱いを受けていたのだ。鳩山氏の場合は、連日のごとく、
政治とカネ、政治とカネ、米軍基地問題にせよ、彼が失敗するのを望んでいるかのような
バッシング報道ばかりを集中して行った。米軍基地の県外移転に失敗しそうな時期、
メディアは公約違反だ、公約違反だと大騒ぎした。これに対し、鳩山氏が
米軍基地の移転はマニフェストにないと返答したところ、自分たちが虚偽の報道をしたことを
棚に上げ、確かに明記されていないが、国民の期待を裏切ったと罵った。
こういう一連の悪意ある報道がどれだけ世論に悪影響を与えるかは言うまでもない)
あくまで、汚職はプロセスの誤りであり、目的や結果の誤りではない。
私は、汚職はバレないだけで、ほとんどの議員は関わっていると考えている。
よって、なくすに越したことはないが、これを絶対の基準にするのには異議を唱えたい。
そして、欧米型国家だろうと非欧米型国家だろうと汚職が蔓延している以上、
どちらかがどちらかを汚職を根拠に否定しようとするのは、ナンセンスに思えるのだ。