去年は戦後70年だったせいか、歴史・軍事問題について精力的な議論がされた年だったが、
1945年以来、常に日本では戦争を美化する人間とそれに抗う人間のせめぎあいがあったと思う。
70年が過ぎたからといって気を抜かず、今後も歴史の番人として戦わなくてはならないだろうが、
近年の日本では、左派系文化人が右傾化の一途を辿っており、
対抗者として資格を失いつつあり、非常に深刻な状況にあると思われる。
簡単に言えば、右翼も左翼も自国中心に物事を考える点では大差なく、
そのため、自国の体制を揺るがす思想、例えば典型的な共産主義やイスラム原理主義においては
驚くほど同じ反応を示し、反共・反イスラムに奔走し、結果的に西側の軍事行為を肯定する傾向がある。
アラブの春やウクライナ内戦、シリア動乱、中国・北朝鮮に対する左右の見解はまさにそれで、
面白いほど、どちらも同じ見解を述べ、結果的に米英仏の空爆や他国の体制転覆を支持している。
慰安婦問題に目を向けてみれば、
右翼も左翼も日本政府の責任を徹底的に追及するよりも、
安易な「和解」を望み、「対決」を避けようとする姿勢があり、
状況次第では簡単に馴れ合い、反対者を糾弾しさえする。
「右翼と左翼の境界線がなくなりつつある」という指摘は以前からされていることだが、
それは右翼あるいは左翼というイデオロギーが消滅しているわけではなく、
左翼が右翼にすりよることで、両者の違いが見えなくなっていることを意味するのだと思う。
例えば、先の慰安婦に訴えられた韓国人研究者、パク・ユハ氏を
日本の保守系学者と革新系学者が一緒になって応援している現象などはまさにそれだ。
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朴裕河氏の起訴に対する抗議声明
『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河氏をソウル東部検察庁が
「名誉毀損罪」で起訴したことに、私たちは強い驚きと深い憂慮の念を禁じえません。
昨年11月に日本でも刊行された『帝国の慰安婦』には、「従軍慰安婦問題」について
一面的な見方を排し、その多様性を示すことで事態の複雑さと背景の奥行きをとらえ、
真の解決の可能性を探ろうという強いメッセージが込められていたと判断するからです。
検察庁の起訴文は同書の韓国語版について「虚偽の事実」を記していると断じ、
その具体例を列挙していますが、それは朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、
予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。
何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、
むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず
日本の読者にも伝わったと感じています。
~中略~
今回の起訴をきっかけにして、韓国の健全な世論がふたたび動き出すことを、
強く期待したいと思います。日本の民主主義もいま多くの問題にさらされていますが、
日韓の市民社会が共鳴し合うことによって、お互いの民主主義、そして自由な議論を
尊重する空気を永久に持続させることを願ってやみません。
今回の起訴に対しては、民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断を強く求めるとともに、
両国の言論空間における議論の活発化を切に望むものです。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html
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この声明は櫻井よし子や藤岡信勝、西岡力などの極右の言論人と一緒になってアメリカの教科書から慰安婦の強制連行に関する記述を削除させようとした大沼保昭氏、
北朝鮮バッシングを精力的に行っている小此木政夫氏、李相哲氏、平井久志氏、
アメリカのイラク戦争を開戦時から支持し続けてきた田中明彦氏などの保守系言論人、
村山富一氏などのアジア女性基金の関係者も賛同者に混ざっている非常に政治的なものである。
すでに指摘していることだが、中国・ロシア・北朝鮮などのアジアの反米国家に対抗するために、
アメリカはアジア圏において、自国を枢軸国とした軍事同盟の強化を狙っており、
その障害となる従属国間のいざこざ、つまり日韓の歴史問題の「穏便な解決」を望んでいる。
比ゆ的に表現すれば、アメリカという王将は日本と韓国を飛車と銀として利用したいのであり、
どちらが飛車か銀かで揉めている日韓に対しては苛立ちを感じているということだ。
そして、その苛立ちは実のところ、自国の軍拡を進めたい日韓の政治家にも通じるものである。
日米韓いずれの権力者も慰安婦問題をさっさと解決させて、しかる後に軍拡・同盟強化を望んでいる。
慰安婦合意の裏で「均衡外交」の代わりに韓米日同盟強化
声明の中に親米派の田中明彦氏がいること、反米国家である北朝鮮を攻撃する言論人が多くいること、
安倍晋三の腰ぎんちゃくである山田孝男(毎日新聞特別編集委員)がいることは、
そういう日米軍事同盟強化派の意図および国際情勢に反映されたものだと解釈して良いだろう。
(ちなみに山田は7月にも『帝国の慰安婦』を弁護する文を毎日新聞に載せている。)
逆を言えば『帝国の慰安婦』など、しょせん、その程度の内容だったということである。
現に慰安婦本人からもパク・ユハは非難されていたし、この本が書かれる前から
表面的な和解を期待する同氏の態度には日韓両国から多くの批判がされていたのだ。
特に大金と月並みな謝罪文で水に流そうとしたアジア女性基金プロジェクトに否定的な
元慰安婦女性は当初から否定的だったし、その支援団体も同じ見解を有していた。
韓国の元慰安婦が日韓合意に抗議デモ
慰安婦ハルモニ「最終合意という言葉は私たちを何度も殺すこと」
日韓の合意に抗議、韓国の若者がデモ
今回の日韓合意およびアジア女性基金型の解決に対しても元慰安婦は同様の態度を示している。
他方、元慰安婦の心情を代弁しているかのように語るパク・ユハや彼女を支持する日本の全国紙が
日韓合意に対して好意的な反応を示しているのは何と言うか、笑えるようで笑えない話だ。
日韓三項目「合意」と異論封じ込め「外注」の構造
問題は、そのような政治的な声明の中に日本の代表的左翼が多く名を連ねていることで、
特に成田龍一氏や小森陽一氏などの極右の歴史改竄行為に対抗している中心人物が
こうもあっさりと右翼とつるんで『帝国の慰安婦』を褒め称えるのには恐怖を感じる。
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北朝鮮が、慰安婦問題をめぐる日韓の合意を批判
北朝鮮が、従軍慰安婦をめぐる日本と韓国の合意を「侮辱的だ」としました。
韓国・ヨンハプ通信によりますと、
北朝鮮は29日火曜、慰安婦問題をめぐる日韓の合意を非難しました。
北朝鮮は、この合意を侮辱的だとし、
「この合意によって、日本政府はこうした冷酷な行為の責任を負わなくなるだろう」としました。
こうした中、日本の元慰安婦支援団体の代表は、
「すべての在日朝鮮人の女性が、過去の過ちを永久に水に流すことで、
日本に屈したとして、韓国を非難した」と語りました。
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/61120-
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日韓の「進歩的」知識人が極右とつるんで慰安婦問題を無理に解決しようとする一方で、
悪の帝国、人権侵害国家であるはずの北朝鮮が今回の合意を冷静に批判している。
北朝鮮政府のほうが日本の進歩的知識人より
元慰安婦の心情に沿った見解を述べるという凄まじい矛盾を前にして、
私は改めて戦後日本の民主主義とはいったい何だったのだろうか
という激しい疑問を抱かずにはいられない。
思うに、戦後の知識人は表面的な冷戦終結をきっかけに、それまで多少なりとも残していた
アフリカやアジア、東欧などの非欧米圏から自国や欧米の内政・外交を照射し、
比較検討するという手段を自発的に嬉々として捨ててしまったのではないだろうか?
あるいは戦前から主流左翼の中に存在していた反共思想から
ついに脱却することができず、それどころか主軸にして今に至ってしまったのではないだろうか?
そう思わざるを得ないほど、近年の日本の左派系論壇における見解は、
民主主義至上主義で、非西洋型国家への常軌を逸する嫌悪と非難、否定にまみれており、
その言動が結果的に西側諸国の他国への軍事・政治・経済干渉を支持していることに気づいていない。
ロシアや中国、北朝鮮を非民主主義国家として徹底的に糾弾するわりには、
慰安婦問題ひとつを例にしても、こうまでもあっさり右翼とつるんで元慰安婦を傷つける。
どうも彼らの描く世界観と実際の世界には大きな食い違いが生じているのではないだろうか?
そういう疑問は年々増していくし、実際、他国のメディアに接すると、新聞やテレビはもちろん、
書籍や雑誌、つまり左派系論壇においても意図的に語られないものがあるように感じる。
シリアを人権侵害国家として執拗に糾弾する一方で、
文字通りのテロ支援国家であるサウジアラビアについては特に何も非難しない。
仮にも選挙で選ばれたアサド大統領とシリア政府に対しては武装勢力を支援してまでも
その崩壊を望む一方で、王族に支配されるサウジアラビアに対しては
その典型的な文字通りの独裁体制を非難したりは決してせず、場合によっては擁護すらする。
こういう実に西側寄りの見解が空気を吸うかのように当たり前に示されるために、
特定の意見が最初から疎外されているのは言うまでもない。言論の自由は彼ら自身が侵している。
こういう状況を目の前にして、その対策として個人ができることは、
非常に微弱ながら、彼らがはじき出してしまった情報や主張をもう一度拾いなおすこと、
それらをヒントにしながら、国際情勢を捉えなおすことだと私は思う。
そのような小さな運動は組織を必要としないし、エドワード・サイードや
ノーム・チョムスキーのような先駆者を見る限り、むしろ個人によって行われてきた感すらする。
このサイトも日本語で読めるものを中心に、外国のニュースサイトを紹介し、
あわせて私の見解と解説を列挙するスタイルをとってきたが、
こういう運動は今後も続ける意義はあるのではないかなと思う次第である。
そこまで大したことを書いているサイトではないが、
今年もまた、ささやかな抵抗としてブログの運営を続けてゆきたい。