11月21日(月)8:00ドミーインEXPRSS掛川を出発。渋い造りの清水銀行の壁に掛川城主、山内一豊・千代
婦人像がある。一豊は豊臣時代、掛川城に天守閣を築き城下町を整備した武将。後に関ヶ原の合戦で活躍し、
土佐二十万石に栄転する。

1時間ほど歩くと大池一里塚跡(日本橋から五十九里目)。連祐寺参道口に看板が立っている。少し進むと
松並木が残っている。驚いたのは刈り取った切り株からまた稲の穂が出てる、これは二毛作?と思ったけど
気候が温暖で成長しただけか…。

東名高速の下をくぐるとまもなく善光寺。境内には仲道寺があり、寺名は江戸と京の真ん中を意味しているそう。

間の宿原川は茶屋がたくさんあったそうです。金西寺にはたくさんのお地蔵さん。

大名行列の同心達が川原で昼食をとったことに由来する同心橋を渡る。

同心橋を渡ると袋井市に入った。名栗の立場跡にある花茣蓙公園にはトイレもきれいに整備されていました。

花茣蓙を商う店が軒を連ねた名栗、でっかいオブジェがお出迎えです。赤い鳥居は富士浅間宮参道口の大鳥居。

少し進むと久津部一里塚跡(日本橋からちょうど六十里目)。すぐそばにあるのは袋井東小学校で「どまん中東小学校」
らしい。(ちなみに西小学校はどまん中西小学校でした)さすがはどまん中宿場、袋井!

袋井宿に入る。袋井宿は江戸からも京都からもちょうど27番目の宿。弥次さん喜多さんに扮して写真!どまん中茶屋は
残念ながら、月曜日は定休日でした。

茶屋も休みだし、足も痛くて休んでいると、声をかけてくれたおじさんが…。何とかの有名な!袋井宿の見張り番、
クリーニング青島商会の店主、青島政夫さんでした。お話を聞くと東海道は6回完歩。現在御年七十うん歳ですが、
今も現役で100街道制覇を目指しておられるそう。店内には全国のパンフレットやウォーキングバッジ、写真、
サインなど、まるでミニ博物館。
何と2万通も発行されているという東海道袋井宿通過証明書をいただきました。ずっと元気で歩き続けて下さいね!
レトロな澤野医院記念館を過ぎる。いよいよ「ちゃんと歩ける東海道五十三次(山と渓谷社)」下巻に突入、やった!

沿道にはコスモスがきれいに咲いていました。

袋井宿を過ぎると木原一里塚。木原村には家康と信玄の三方ヶ原の合戦、前哨戦が行われた木原古戦場跡や
家康の腰掛石がある許儞神社がある。

木原村を過ぎるとすぐ磐田市に入る。全海寺の地蔵堂には徳川の葵紋がかかっている。

太田川を渡るとなぐら食堂がある。ソースのすごくいい匂いがただよっていたけど、まだおなかがすかないので、
ここは残念ながらパス。松並木を過ぎ、江戸古道を一気に登る。

緩やかに下り、国道1号を渡ると見付宿。西からの旅人が初めて富士山を見つけたことに由来するそうです。圧巻は
見付小学校跡。明治8年の建築で現存する日本最古の木造小学校跡。

磐田市はJリーグ「ジュビロ磐田」のホーム。町をあげて応援していますね~。

府八幡宮を過ぎるとまもなく磐田駅周辺。サッカーボールの外灯にジュビロのマスコットキャラも。

磐田駅の手前を右に折れる。殺されたインド人僧侶を葬った「くろん坊様」、今も手厚く祀られていました。

若宮八幡宮を過ぎると程なく天竜川の河川敷に出る。

天竜川の歩道は新天竜橋にあり、広くて歩きやすい。暴れ川として有名な川も今日は穏やか。

天竜川を渡ったところの休み処で休憩。足にマメが出来て痛くてたまらん。やっと浜松市に入った。

天竜川の船着場跡があった六所神社。境内のイチョウが見事でした。

浜松~中野町を走っていた軽便鉄道軌道跡を過ぎると、本坂通(姫街道)安間起点から東海道を離れ姫街道へ。

姫街道に入り500mほどで本日のお宿、ホテル玄浜松インターに16:30到着。小雨が降ってきたけど、ほとんど
ぬれずにすんだ。本日の歩行距離は約25㎞。見付と浜松のちょうど間くらいに宿はあります。リーズナブルでホテ
ル内の和処「玄五郎」の夕食もおいしかった。朝は無料朝食がついています。

今日の見所は何といっても袋井宿。町をあげて東海道をPRしているのがよく分かる。あとはサッカーの町磐田市と
天竜川ですね~。しかし、左右の小指と右足かかとのマメが痛くて困った。明日もう一日もってちょうだいよー。
婦人像がある。一豊は豊臣時代、掛川城に天守閣を築き城下町を整備した武将。後に関ヶ原の合戦で活躍し、
土佐二十万石に栄転する。


1時間ほど歩くと大池一里塚跡(日本橋から五十九里目)。連祐寺参道口に看板が立っている。少し進むと
松並木が残っている。驚いたのは刈り取った切り株からまた稲の穂が出てる、これは二毛作?と思ったけど
気候が温暖で成長しただけか…。



東名高速の下をくぐるとまもなく善光寺。境内には仲道寺があり、寺名は江戸と京の真ん中を意味しているそう。


間の宿原川は茶屋がたくさんあったそうです。金西寺にはたくさんのお地蔵さん。


大名行列の同心達が川原で昼食をとったことに由来する同心橋を渡る。


同心橋を渡ると袋井市に入った。名栗の立場跡にある花茣蓙公園にはトイレもきれいに整備されていました。


花茣蓙を商う店が軒を連ねた名栗、でっかいオブジェがお出迎えです。赤い鳥居は富士浅間宮参道口の大鳥居。


少し進むと久津部一里塚跡(日本橋からちょうど六十里目)。すぐそばにあるのは袋井東小学校で「どまん中東小学校」
らしい。(ちなみに西小学校はどまん中西小学校でした)さすがはどまん中宿場、袋井!


袋井宿に入る。袋井宿は江戸からも京都からもちょうど27番目の宿。弥次さん喜多さんに扮して写真!どまん中茶屋は
残念ながら、月曜日は定休日でした。


茶屋も休みだし、足も痛くて休んでいると、声をかけてくれたおじさんが…。何とかの有名な!袋井宿の見張り番、
クリーニング青島商会の店主、青島政夫さんでした。お話を聞くと東海道は6回完歩。現在御年七十うん歳ですが、
今も現役で100街道制覇を目指しておられるそう。店内には全国のパンフレットやウォーキングバッジ、写真、
サインなど、まるでミニ博物館。
何と2万通も発行されているという東海道袋井宿通過証明書をいただきました。ずっと元気で歩き続けて下さいね!



レトロな澤野医院記念館を過ぎる。いよいよ「ちゃんと歩ける東海道五十三次(山と渓谷社)」下巻に突入、やった!


沿道にはコスモスがきれいに咲いていました。


袋井宿を過ぎると木原一里塚。木原村には家康と信玄の三方ヶ原の合戦、前哨戦が行われた木原古戦場跡や
家康の腰掛石がある許儞神社がある。



木原村を過ぎるとすぐ磐田市に入る。全海寺の地蔵堂には徳川の葵紋がかかっている。


太田川を渡るとなぐら食堂がある。ソースのすごくいい匂いがただよっていたけど、まだおなかがすかないので、
ここは残念ながらパス。松並木を過ぎ、江戸古道を一気に登る。

緩やかに下り、国道1号を渡ると見付宿。西からの旅人が初めて富士山を見つけたことに由来するそうです。圧巻は
見付小学校跡。明治8年の建築で現存する日本最古の木造小学校跡。

磐田市はJリーグ「ジュビロ磐田」のホーム。町をあげて応援していますね~。


府八幡宮を過ぎるとまもなく磐田駅周辺。サッカーボールの外灯にジュビロのマスコットキャラも。



磐田駅の手前を右に折れる。殺されたインド人僧侶を葬った「くろん坊様」、今も手厚く祀られていました。

若宮八幡宮を過ぎると程なく天竜川の河川敷に出る。


天竜川の歩道は新天竜橋にあり、広くて歩きやすい。暴れ川として有名な川も今日は穏やか。


天竜川を渡ったところの休み処で休憩。足にマメが出来て痛くてたまらん。やっと浜松市に入った。


天竜川の船着場跡があった六所神社。境内のイチョウが見事でした。


浜松~中野町を走っていた軽便鉄道軌道跡を過ぎると、本坂通(姫街道)安間起点から東海道を離れ姫街道へ。

姫街道に入り500mほどで本日のお宿、ホテル玄浜松インターに16:30到着。小雨が降ってきたけど、ほとんど
ぬれずにすんだ。本日の歩行距離は約25㎞。見付と浜松のちょうど間くらいに宿はあります。リーズナブルでホテ
ル内の和処「玄五郎」の夕食もおいしかった。朝は無料朝食がついています。

今日の見所は何といっても袋井宿。町をあげて東海道をPRしているのがよく分かる。あとはサッカーの町磐田市と
天竜川ですね~。しかし、左右の小指と右足かかとのマメが痛くて困った。明日もう一日もってちょうだいよー。
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